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呪いの戻った先は――。 悪魔はとてもお喜びです。
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同じ夜。
辺境伯領の外れにある、ひっそりとした屋敷。
息が苦しい。
胸が重い。
寒気が止まらない。
この屋敷に住む、ヴァレン辺境伯の“親戚筋”は、理由も分からぬまま、急激な衰弱に襲われていた。
突然、体の芯から力が抜け、誰一人としてベッドから起き上がることができない。
妻も、息子も――例外ではない。
「……なぜ、こんな……」
喉が張り付いたように声が出ない。
使用人たちは普段通りに動いているというのに、苦しんでいるのは自分たちだけ。
――おかしい。
――何かが、間違っている。
ほんの少し前まで、すべては順調だったはずだ。
ヴァレン辺境伯の弟である、バーナード伯爵の妻と子は弱り切っている。
あとは悲しみに暮れる兄弟を始末すれば、家督は自分のものになるはずだった。
それなのに。
「……おかしい……」
空気が、ひび割れた。
ふわり、と。
甘く、冷たい香りが、部屋を満たす。
「揃っておるのう。」
優雅で、よく通る声。
赤い絨毯の上に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
深紅のドレスを纏い、微笑むその姿は、あまりにも――場違いだった。
「……だ、誰だ……」
「名乗る必要もなかろう?」
ターニャ王女は、ゆっくりと視線を巡らせる。
「どうじゃ? 苦しいかえ?」
その一歩後ろ。
燕尾服に身を包んだ、長身痩躯の青年が、音もなく現れる。
黒髪を撫でつけ、赤い瞳の奥で、愉悦がきらりと光った。
「これはこれは……」
悪魔は、空気を吸い込み、うっとりと目を細める。
「噂以上ですね。いやあ、実に――芳醇な悪意だ。」
まるでワインの香りを楽しむかのように、悪魔は空気を吸い、酔いしれる。
「……な、何を……」
「分からぬか?」
ターニャが首を傾げる。
「バーナード伯爵家の妻子に呪いを放っておいて、自分たちは無事だと? 随分と都合の良い頭をしておるのう。」
悪魔が、くすりと笑った。
「しかも、主犯だけではありません。妻も、息子も――立派な共犯者だ。」
言葉が、理解できない。
「……そんな、はずが……」
「ありますとも。」
悪魔は、手袋を外しながら淡々と告げる。
「悪意は、共有すればするほど、よく熟れる。あなた方は、実に“丁寧に”育ててくださった。」
逃げようとした身体が、床に崩れ落ちる。
「た、助け……」
「なぜじゃ?」
ターニャの声は、冷たい。
「なぜ、助けを乞う?」
「……!」
「人の子を殺そうとし、母を壊そうとし、未来を奪おうとした。その上で――自分だけは救われると?」
悪魔が堪えきれず、声を上げて笑った。
「ああ、傲慢だ。これほど美味しい贄は、そうそうありませんよ。」
口の端に垂れたよだれを、指先でぬぐう。
妻も息子も、涙を流し顔色をなくしながら、絶望的な表情をしている。
必死に喉を押さえて助けを呼ぶが、誰一人声が出ない。
そんな彼らを満足そうに眺めた後、悪魔はターニャ王女に対し、深々と一礼した。
「ターニャ様、本当にありがとうございます。久しぶりに“美味なる珍味”にありつけそうです。」
ターニャは満足げに頷いた。
「約束通りじゃ。好きなだけ、味わってたもれ。」
気づけば。
三人は、ベッドの上に並べられていた。
妻は涙を流し、息子は声なき悲鳴を上げている。
喉を掻きむしっても、音は出ない。
「さあ……」
悪魔が、優雅に一礼する。
「では、いただきます。」
悪魔は礼儀正しく両手のひらを、パチンと音を立てながら合わせた。
――その後、屋敷の中で何が起きたのか。
それを知る者は、誰一人としていない。
***
数日後。
ヴァレン辺境伯領には、こう発表された。
――辺境伯の親戚筋、原因不明の急病により全員死亡……と。
医師の診断書も死亡証明書も揃っていた。
疑う理由は、どこにも見当たらない――完璧な病死だった。
ただ。
ターニャが滞在する公爵邸の一室にて。
「ふふっ……美味しかったかえ?」
優雅に紅茶を飲みながら、一人の女性が執事に問うた。
「ええ、最高の晩餐でしたよ。やはり、あなたの目利きは素晴らしい。」
執事は昨晩の晩餐を思い出し、恍惚に浸っている。
ターニャ王女は、その姿を見て満足そうに微笑んだ。
「であろう?だからわらわは、あの子を気に入っておるのじゃ。救う者ほど、悪意を呼び込む――最高の才能じゃ。」
――ユリアーナ。
「あの方のおかげで、私は常に飢えを満たすことができる。それも、特上の食材で……最高です!」
意味深に、目を細める。
ターニャ王女は声を上げて笑った。
「ほんにのう。――最高に、退屈せんでよいわ。」
「私も同感ですよ。」
悪魔は怪しい笑みをたたえる。
こうして。
ユーリの知らないところで、世界の裏側は、静かに整えられていった。
すべては――彼女と、その家族が、幸せに生きるため“だけ”に。
辺境伯領の外れにある、ひっそりとした屋敷。
息が苦しい。
胸が重い。
寒気が止まらない。
この屋敷に住む、ヴァレン辺境伯の“親戚筋”は、理由も分からぬまま、急激な衰弱に襲われていた。
突然、体の芯から力が抜け、誰一人としてベッドから起き上がることができない。
妻も、息子も――例外ではない。
「……なぜ、こんな……」
喉が張り付いたように声が出ない。
使用人たちは普段通りに動いているというのに、苦しんでいるのは自分たちだけ。
――おかしい。
――何かが、間違っている。
ほんの少し前まで、すべては順調だったはずだ。
ヴァレン辺境伯の弟である、バーナード伯爵の妻と子は弱り切っている。
あとは悲しみに暮れる兄弟を始末すれば、家督は自分のものになるはずだった。
それなのに。
「……おかしい……」
空気が、ひび割れた。
ふわり、と。
甘く、冷たい香りが、部屋を満たす。
「揃っておるのう。」
優雅で、よく通る声。
赤い絨毯の上に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
深紅のドレスを纏い、微笑むその姿は、あまりにも――場違いだった。
「……だ、誰だ……」
「名乗る必要もなかろう?」
ターニャ王女は、ゆっくりと視線を巡らせる。
「どうじゃ? 苦しいかえ?」
その一歩後ろ。
燕尾服に身を包んだ、長身痩躯の青年が、音もなく現れる。
黒髪を撫でつけ、赤い瞳の奥で、愉悦がきらりと光った。
「これはこれは……」
悪魔は、空気を吸い込み、うっとりと目を細める。
「噂以上ですね。いやあ、実に――芳醇な悪意だ。」
まるでワインの香りを楽しむかのように、悪魔は空気を吸い、酔いしれる。
「……な、何を……」
「分からぬか?」
ターニャが首を傾げる。
「バーナード伯爵家の妻子に呪いを放っておいて、自分たちは無事だと? 随分と都合の良い頭をしておるのう。」
悪魔が、くすりと笑った。
「しかも、主犯だけではありません。妻も、息子も――立派な共犯者だ。」
言葉が、理解できない。
「……そんな、はずが……」
「ありますとも。」
悪魔は、手袋を外しながら淡々と告げる。
「悪意は、共有すればするほど、よく熟れる。あなた方は、実に“丁寧に”育ててくださった。」
逃げようとした身体が、床に崩れ落ちる。
「た、助け……」
「なぜじゃ?」
ターニャの声は、冷たい。
「なぜ、助けを乞う?」
「……!」
「人の子を殺そうとし、母を壊そうとし、未来を奪おうとした。その上で――自分だけは救われると?」
悪魔が堪えきれず、声を上げて笑った。
「ああ、傲慢だ。これほど美味しい贄は、そうそうありませんよ。」
口の端に垂れたよだれを、指先でぬぐう。
妻も息子も、涙を流し顔色をなくしながら、絶望的な表情をしている。
必死に喉を押さえて助けを呼ぶが、誰一人声が出ない。
そんな彼らを満足そうに眺めた後、悪魔はターニャ王女に対し、深々と一礼した。
「ターニャ様、本当にありがとうございます。久しぶりに“美味なる珍味”にありつけそうです。」
ターニャは満足げに頷いた。
「約束通りじゃ。好きなだけ、味わってたもれ。」
気づけば。
三人は、ベッドの上に並べられていた。
妻は涙を流し、息子は声なき悲鳴を上げている。
喉を掻きむしっても、音は出ない。
「さあ……」
悪魔が、優雅に一礼する。
「では、いただきます。」
悪魔は礼儀正しく両手のひらを、パチンと音を立てながら合わせた。
――その後、屋敷の中で何が起きたのか。
それを知る者は、誰一人としていない。
***
数日後。
ヴァレン辺境伯領には、こう発表された。
――辺境伯の親戚筋、原因不明の急病により全員死亡……と。
医師の診断書も死亡証明書も揃っていた。
疑う理由は、どこにも見当たらない――完璧な病死だった。
ただ。
ターニャが滞在する公爵邸の一室にて。
「ふふっ……美味しかったかえ?」
優雅に紅茶を飲みながら、一人の女性が執事に問うた。
「ええ、最高の晩餐でしたよ。やはり、あなたの目利きは素晴らしい。」
執事は昨晩の晩餐を思い出し、恍惚に浸っている。
ターニャ王女は、その姿を見て満足そうに微笑んだ。
「であろう?だからわらわは、あの子を気に入っておるのじゃ。救う者ほど、悪意を呼び込む――最高の才能じゃ。」
――ユリアーナ。
「あの方のおかげで、私は常に飢えを満たすことができる。それも、特上の食材で……最高です!」
意味深に、目を細める。
ターニャ王女は声を上げて笑った。
「ほんにのう。――最高に、退屈せんでよいわ。」
「私も同感ですよ。」
悪魔は怪しい笑みをたたえる。
こうして。
ユーリの知らないところで、世界の裏側は、静かに整えられていった。
すべては――彼女と、その家族が、幸せに生きるため“だけ”に。
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