捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希

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ユーリの不安と辺境伯の思い

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 皆が寝静まり、虫の声さえ聞こえなくなった深夜。
 闇に沈む牢の前に、二人の人影が現れた。

 一人は、黒髪に赤い瞳を持つ美女。
 もう一人は、燕尾服に身を包み、眼鏡をかけた黒髪の男だった。

 女は扇で口元を隠すと、にたりと目を細め、牢の中の男たちを見下ろした。

 男たちは二人の気配に気づくこともなく、体を海老のように丸め、震えながら壁に向かって何事かを呟いている。

「ヨナの奴め……よほど、きつい仕置きを施したようじゃのぉ。」

「ええ。本当に。」

「どうかえ? ……食べ頃かえ?」

 女の問いに、燕尾服の男はわずかに眉をひそめた。

「少々不満ではありますが……生かしておくには、危険な存在ですしね。」

 顎に手を当て、数分考え込んだ後。

「まあ、たまには薄味も良いでしょう。」

 男はそう言って――にたり、と不穏な笑みを浮かべた。

 ◇

 翌朝。

 まだ日も昇らないうちに、男たちを収容していた詰め所から、ヴァレン辺境伯邸へ早馬が駆け込んできた。

「大変です! 男たちが……!」

 知らせを受け、ヴァレン辺境伯とハイランズ伯爵が急ぎ駆けつけた時――牢の中には、干からびた男たちの遺体が、静かに並べられていた。

「一体どうして……」

 昨日宿直だった者たちの話によれば、夜中に突然、男たちが声を上げて苦しみだし、みるみるうちに干からびていき、今の状態になっていったらしい。

「信じられないかもしれません。ええ、直接見ていた私でさえ……まだ、あれが夢じゃなかったかって……」

 見張りの男たちはそろって顔面真っ青で、体をガタガタと震わせていた。

「他に人の気配はなかった……と」

「はい。それは断言できます!」

 昨日の宿直は、賊と同じ人数の四人。
 多いと思われるかもしれないが、念のための処遇だった。

 それなのに――。

 念のため、賊の遺体を、後から知らせを受けてやってきたケイオスが確認する。

「……多分、呪詛返しでしょう。劣化した奴隷の首輪を使っていた。――いずれ、こうなる類の連中です。」

「教会が主犯であるという、証人だったのだがな。」

 辺境伯と伯爵は、とても残念そうである。

「仕方が無い。至急王城に使いを出し、指示を仰ごう。」

 こうして、さらに追加事項が、王都に送られたのであった。

 ◇  ◇  ◇

 男たちの不審死を警戒し、子供たちは伯爵邸から辺境伯邸へと移されることになった。
 子供たちと共に、ウィリアムと伯爵も辺境伯邸を訪れる。

「そういえば……どこの国の子供たちなのかしら?」

 何気なく問いかけたユーリに、ヴァレン辺境伯は答えた。

「シュバリエ皇国らしいですよ。」

 その瞬間、ユーリの顔色がさっと青ざめた。

「どうかしましたか?」

「え? いいえ。何でもありませんわ。」

 ユーリはすぐに笑顔を作り、その場を去った。

(どうして、あの国の教会で、子供の奴隷売買なんて……)

 ユーリには、一つ思い当たる節があった。

 生前、祖父と母が、頑なに教会と関わろうとしなかったこと。
 そして、人前では決して神聖力を使わないよう、何度も言い聞かせられていたこと。

 ――もし誰かに知られれば、教会に連れて行かれる。
 ――そうなったら、二度と会えなくなる。

 そんな言葉を、幼い頃に聞かされた記憶が、胸の奥から蘇ってきた。

 だからこそ、ユーリはヨナリウスとウィリアムにも、いつも言い聞かせていた。
 フリーダムの面々と、辺境伯と伯爵夫妻以外の前では、決して神聖力を使ってはいけないと。

 もし、それを他の誰かに見られたら、教会に連れて行かれる。
 そして、お母さんたちには、二度と会えなくなってしまうのだと。

 この領地にいる教会のフレデリック司教は、ケイオスとも旧知の仲で信用できる人だ。
 しかし他の人はというと、正直どこでどう漏れるか分からない。信用は出来ない。

 だから、教会に近い人間で知っているのはケイオスだけで、フレデリック司教にさえ伏せている。

 ヨナリウスに同年代の友達を作ってあげたくて、孤児院に行くことを止めてはいないが、時々不安になることもある。
 孤児院の責任者であるミディという名のシスターにも、もちろん伝えてはいない。

 知っている人は少人数に限る。
 それなのに今回、人助けのためとはいえ、子供たちは人前で力を使ってしまった。

 辺境伯と伯爵は、今まで以上に護衛を増やし、細心の注意を払うと約束してくれた。

 それでも。

 ユーリの胸騒ぎは、昨日からずっと消えなかった。

 そして、追い打ちをかけるように思い知らされる。

 ヨナリウスたちが助けた子供たちは、よりにもよって、シュバリエ皇国の者たちだったのだ。

 もし最悪の事態になった場合、次はどこに行けばいいのか。
 ユーリは、そんなことを考え始めていた。

 自分のためではない。
 ヨナリウスを守るために。

 ふと、窓の外へ目を向ける。

 そこには、シュバリエ皇国の子供たちと、ヨナリウスとウィリアムが、楽しそうに遊んでいる姿があった。

 無邪気な笑顔。
 何も知らない、子供たちの笑顔。

 その光景を胸に焼き付けながら、ユーリはただ。

 このまま、何も起きなければいい。
 それだけを、強く願っていた。

「どうかされたのですか?」

 突然。
 わずかに軋んだ音がしたかと思うと、背後から声をかけられた。

「ローウェン様……」

 振り返ればそこには、ヴァレン辺境伯がいた。

「子供たちのことで、何か気になることでも?」

「……いいえ。ヨナにまたお友達が増えそうだなと。そう思ったのですわ。」

 ユーリは心配かけまいと、笑顔を作ってみせる。

「……貴女の顔が、さっきから強張っていますよ。私は……信用、できませんか?」

 今にも泣きそうな顔でそう告げる辺境伯に、ズキンと心が痛む。

「ローウェ……」

 何故彼が、そんな傷ついた顔をするのだろう?
 ユーリは分からなくなり、思わず辺境伯の名を呼ぼうとした――その時。

「ロ……ローウェン様?」

 気がつけば、腕を引かれて彼の中にいた。
 ふわりと彼の優しい香りが鼻をかすめる。

「私に、貴女とヨナを永遠に守る誉れをいただけないでしょうか?」

「? 今までもずっと、十分に守って貰っていますわ。」

「いえ、そうではなく……」

 不思議そうに見上げるユーリの頬に、辺境伯の大きな手が添えられた。

「私は……」

 辺境伯が何かを言いかけたときである。

「ヨナー!」

 ウィリアムの叫び声が聞こえた。

「え? ヨナ?」

 ユーリは反射的に辺境伯から離れ、窓の外を見た。
 そこには、女の子の下敷きになって、うつ伏せに倒れているヨナリウスがいた。

「大変!」

 ユーリは駆け出した。

「ごめんなさい、ごめんなさーい……」

 少し年上の少女が、ヨナリウスに抱きついて泣いている。

「ぼくは平気。……きみは、痛くない?」

 ヨナリウスはゆっくり起き上がり、少女の背をぽんぽんと撫でた。

「どうしたの? ヨナ、大丈夫なの?」

 そこへ、母親のユーリが駆けつける。

「母様? どうしたの? そんな泣きそうな顔をして……」

「貴方こそ大丈夫なの?」

「? ぼくはだいじょうぶだよ? じょうぶだし……」

 女の子の落下速度を、とっさに神聖力で緩めたから、全然大丈夫……とは今、説明するわけにはいかなかった。

「かくれんぼしていたら、この子が木の上から落ちてきたんだ。ヨナはそれを受け止めたんだよ。」

 ウィリアムが、ヨナリウスの代わりに説明した。

「それは怖かったわね。そしてヨナ、貴方はがんばったのね。」

 ユーリは泣きじゃくる女の子と、ヨナリウスを抱きしめた。

 その姿を、辺境伯は複雑な思いで眺めていた。

 実は、ユーリを辺境伯領に保護したあと、フリーダムのメンバーに、彼女との出会いの経緯は聞いていた。

 この国の人間ではないようであること。
 どうやら、クズ夫から逃げている様子であること。
 話の内容から、家族は当てに出来ないということ。
 そして――もしかして平民ではないかもしれない、ということ。

 第一、彼女の所作はどう考えても平民の者ではなかった。
 たとえ貴族がするはずもない、掃除洗濯料理を完璧にこなせているとしても。

 念のために、国内と隣国まで、あらゆる伝手を使って調べたが、彼女のことは何一つ分からなかった。

「君がどこの誰でも、私は……」

 辺境伯の言葉は、ユーリには届くことは無かった。
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