捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希

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実家が没落しているなんて、初めて知りました。

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「さて、どうしたものかしら……」

 本来であれば今日の予定は、昼過ぎにローウェンと共に王城へ行っているはずだった。
 しかし。
 なぜか謁見の儀はキャンセルとなったのだ。

 城からの使者は何度も丁寧に謝罪し、豪華な花束に王室御用達の高級な茶葉や菓子、そして人気の高級店のドレス一式にアクセサリー類までを、ユーリの元へ届けてきた。

 ローウェンに相談したくても、当然この場にはいない。
 王城へ出てから、もうずいぶん時間が経っているのに戻らなかった。

 さすがに驚きすぎて丁寧に詫び、返品を願い出たものの、使者をただ困らせるだけだったため、仕方なくその場では受け取ったのだが。

 何が起こっているのか、さっぱり分からない。
 ただ分かっていることがあるとすれば……。

「今日って、何をやってもうまくいかない日なのかも……」

 朝早くに行った教会で、期待とはまったく違う返事を突きつけられたばかりだ。

 『愛さない』と言っておきながら、離婚がまだ受理されていないどころか、国を挙げて自分を探しているなんて、ユーリは思いもしなかったのだ。

 それを知ったのも、ついさっきのことである。
 教会から帰った後、急にやってきた城の使者の対応にほとほと疲れ果て、部屋で少し休もうかと戻ろうとしたとき、ケイオスに呼び止められたのだ。

「ユーリ、少しよろしいですか?」

 自室へ向かい、廊下を足早に歩いていたユーリは足を止め、振り返った。
 そこには、使者に会う直前――教会からの呼び出しで屋敷を出ていたはずの、ケイオスの姿があった。
 ただ、彼の表情はいつもと違い、どこか困惑の色が見える。

「実は、ここの教会の司祭に訪ねられたのですが……」

 その一言に、ユーリの心はすうっと冷えていった。

(あれだけ寄付をしたのに、口止めの効果はなかったというの?)

 自分の読みの甘さに、唇を噛みしめる。

「ここでは何ですので、応接室を借りました。そこでお話をさせていただいても?」

 ユーリは頷くだけで答え、黙ってケイオスの後に従った。
 ケイオスもまた黙ったまま、二人は静かに廊下を歩き、応接室へと入った。

 向かい合うようにソファへ腰を下ろし、最初に口を開いたのはケイオスである。

「ユーリは、シュバリエ皇国のユリアーナ・ウィン・ヴァーミリオン公爵夫人をご存じですよね?」

 その名を聞いた瞬間、胃の底がひやりとした。
 ただ、頭を縦に振ることだけが、この場でできる唯一のことだった。
 どこまで聞かれているかは分からないが、嘘を言っても無駄な気がしたのだ。

「ああ、そんなに硬い表情をしないでください。別にあなたを困らせようとして聞いたわけではないのです。」

 しかし、ユーリの表情は変わらない。
 まだ口を固く閉じたままだった。

「ここの教会の司祭様から、訪ねられただけなので……」

 ここで初めて、ユーリが口を開いた。

「……何と言われたのでしょうか。」

 ケイオスは小さく頷き、説明を始めた。

「彼女はシュバリエ皇国の皇族を救った英雄で、国を挙げて探しているそうなのです。彼女に負担をかけたくないので内密に、との条件付きで、ヨナス教会に極秘の協力要請があったらしく……そんな折に――」

 そこまで言われて、ユーリはようやく意味を飲み込んだ。

(え? 私が英雄? 皇族を救った? でもあれは、ターニャ様の気まぐれで、私は何も……)

 自分のいないところで話が大ごとになっていることに、困惑を隠せない。
 ただ、平静を装うため必死に表情を作る。

「ユーリが彼女の実家の家紋付きの手紙を持って来られたとかで――もしかして私も何か知っているのでは、と先ほど呼び出されたものですから。念のため、ユーリの耳にも入れておいた方がいいかと思いまして。」

 ケイオスは何やら困ったような顔で、ユーリに説明した。

「その……なぜ、ヴァーミリオン公爵夫人の実家の家紋付きの手紙を持っていたのか……お伺いしても?」

 ケイオスはユーリの顔色をうかがうかのように、とても遠慮がちに聞いてきた。
 その様子に、ユーリは少しだけ安心してしまった。

(別に、私の正体がバレたわけではないのよね?)

 そう思いつつも、警戒心はそのままに。

「実は、辺境伯様のお屋敷に行く少し前に……」

 口が勝手に、別の名前を選んだ。

「住んでいた宿舎の近くで、よく話をするおばあさんに、秘密裏に頼まれまして……」

 冒険者ギルドの宿舎に身を寄せていた頃、よく話をしていたおばあさんに頼まれたのだと、ユーリはとっさに嘘をついてしまった。

 そのおばあさんは冒険者ギルドの近くで、怪しい魔法具を売っていた。
 人見知りが激しく、知識が豊富だからなのか偏屈で嫌われ者ではあったが、なぜかユーリとは話が合い、何かとよくしてもらっていた。
 ちなみに、出産時にヨナリウスを無事に取り上げてくれた産婆でもある。
 身寄りもなく、三年前に老衰で亡くなった時には、自分が葬儀費用を出したくらいである。

(私って、本当に最低だわ……)

 喉の奥に苦いものがこみ上げ、心の中で何度も謝った。

「そうですか。あの老婦人に……」

 ケイオスは、すんなりと納得してくれたようである。

「だから、今はもう没落して表舞台から消えた侯爵家の、家紋付きの手紙を持っていたのですね?」

 ケイオスのその一言に、ユーリの胸がどくんと高鳴った。

「え? 没落……ですか?」

 声が思ったより高く出て、自分で驚いた。

「ええ。なんでも皇族の逆鱗に触れたとかで、悪魔に引き渡されたとか何とか……あまりにも非現実的な話なので、私もよく分からないのですが……。第一、悪魔なんてそうそう出会いませんし……」

「そ、そうですよね……」

 ユーリは笑って見せたが、心中穏やかではない。

(まさかその悪魔って、ターニャ様の執事さんではないわよね?)

 なぜか自分を異様に警戒し、姿を見せないターニャの腹心を思い出す。

「それにしても、あの老婦人のお願いですか。ユーリはとても仲良くしていましたしね、納得です。では、そのように司祭に伝えて参りますね?」

「お願いします。その……極秘に頼まれていたとはいえ、秘密にしていてごめんなさい。」

 ユーリは嘘をついているという良心の呵責も重なって、ケイオスに深く頭を下げた。

「いえ。そういう理由なら仕方ありませんよ。」

 ケイオスは笑ってそう言うと、足早に部屋を出て行った。

 パタン……と扉が閉まり、一人になったところで、ユーリはゆっくりと息を吐く。

「さて、これでこの件はなんとかごまかせたとして……」

 まさか、あの国が総出で自分を探しているなんて。
 今後は、教会にも気をつけなければならない。

「もしかしたら、お城にも話が来ていたり……するかも?」

 ローウェンも、その件でまだ帰ってこないとか?

「まさか今朝の贈り物って、私を足止めするためのものではないわよね?」
 
 そう考えると、何もかもが疑わしく見える。
 箱の中で折り目ひとつないドレスが、まるで「ここに居ろ」と命じているようだった。

「とにかく、いつこの国を脱出してもいいように、今から準備を進めないと……」

 ユーリの頭の中では、すでに別の国へ移動する計画が組み立てられつつあった。
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