捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希

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ユーリを阻むのは、うっかりのほほんてんねんご先祖様の置き土産でした。

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「ユリアーナ!」

 自分の元を離れていく、小さな背中を見て――コンラッドは思わず叫んでしまった。

 しかし、その声は今のユーリには届かない。

(私ったら、なんで……)

 胸を満たすのは、ヨナリウスへの罪悪感だった。
 
「母様?」

 そんな中、自分を呼ぶヨナリウスの声。

「ごめんなさい、怖かったわね。」

 ユーリは走りながら、腕の中のヨナリウスに謝った。

「そうじゃなくて……僕も降りて走るよ。疲れるでしょ?」

 ヨナリウスは地面に降りようと、腕の中でもぞもぞし始めた。

「大丈夫よ? 母様、こう見えて毎日の畑仕事で、結構足腰は鍛えてあるの。」

 そう。
 ユーリはこの地に来て、そして母親になってからの慌ただしい日々の中で。
 フリーダムメンバーと依頼をこなしたり、薬草の世話で広範囲の畑を世話するのに歩き回ることが多くなったことから、実家で一人暮らしの頃よりもずっと、体力が付いていた。

 今ならヨナリウス一人を抱きかかえて走るくらい、なんということはない。

「でも、お顔まっかだよ? 大丈夫?」

 なおもユーリの体調を気にして、心配そうに話しかけてくる。

「え? だ……大丈夫よ、うん、大丈夫……」

(実際、息も切れているわけでもないし、ヨナくらい軽い子供を抱えるのも、どうって事無いのだけれど……)

 そう。
 ユーリが顔を赤らめているのは、別の理由があった。

 さっき。
 ヨナリウスごと、自分を抱きかかえたコンラッド。
 彼のそばにいたときに、ただ、ふと思い出してしまっただけ……。

(あの日の夜のことを思い出してしまうなんて、私、こんなにはしたない女性だったのかしら? ヨナ、こんな母様を嫌いにならないでー!)

 ……別の意味でドキドキしてしまい、顔が真っ赤になっていただけ。
 そしてその理由は、絶対にヨナリウスに知られたくなかった。

 気がつけば、フリーダムメンバーの元へとたどり着いていたようだった。

「ユーリ!」

「ユーリ、大丈夫ですか?」

「もう安心だよ。怖かったね。」

 いつもの、フリーダムメンバーの声が聞こえ、はっと我に返る。

(彼らには、こんな感情はわかないのに……)

 苦笑するしかない。

 ドモン、ケイオス、フリンクスが一斉に、自分たちの元へと駆け寄ってきた。
 合流するや否や、三人は示し合わせたようにユーリの前へ立ちはだかり、コンラッドの視線から親子を隠すように背後へ押しやった。

「ちゃんと現実を見てください!」

 フリンクスの声は鋭かった。
 対するコンラッドの目も、冷たく――しかし必死だ。

「君たちこそ何を言っている。彼女は――ユリアーナだ。」

「違いますわ!」

 ユーリの声が、フリーダムメンバーたちの背後から飛ぶ。
 彼女はヨナリウスを抱きしめたまま、顔を上げない。

 それでも言葉だけは、まくしたてるように出た。

「私はユーリ。平民です。あなたの言う方ではありません!」

「なら、何故――」

 口にしかけて、コンラッドは言葉を飲み込んだ。
 ここで問い詰めれば、彼女はますます逃げる。
 分かっているのに、止められない。

「やめろ!」

 ドモンが低く遮る。
 近づこうとするコンラッドの歩みを、両手を広げて止めた。

「貴族様が平民に詰め寄るのは見苦しい。……それとも、力づくで連れていく気ですか?」

 その一言で広間の空気が張りつめた。

 ヨルムンド王国の騎士たちは視線を走らせ、シュバリエ皇国の使節団――コンラッドの部下たちも固まったまま身構える。

 このまま敵意を見せれば外交問題。

 だが、主君が“見ず知らずの女性と子供を、必死に連れて行こうとしている”ように見えるのも事実だった。

 その最前列に進み出たのは、ディーバリー副団長だった。

「コンラッド様。……少し、お言葉を。」

「ディーバリー……」

「どうかお落ち着きください。ここは他国の王城。今の状況はいかがなものかと。」

 淡々と、しかし冷静で確かな声。
 ディーバリーは周囲の部下たちにも目配せし、露骨に武力を誇示しない配置へと誘導する。

「問題は一つです。」

 ディーバリーは続けた。

「“あの方が本当にユリアーナ様なのか”――それだけです。ならば、確かめる手段を用意すればよろしいかと。」

「確かめるもなにも、どう見ても彼女は……」

「ですが、今のままでは誰も納得いたしません。第一、彼女本人が否定しているのですよ?」

「それは……」

 ここで初めて、コンラッドが沈黙した。
 その沈黙を見て、ディーバリーはユーリへ向き直る。

「あなたは本当に、我が主の奥方、ユリアーナ・ウィン・ヴァーミリオン公爵ではないというのですね?」

 彼の問いかけに、ユーリがすぐさま応えた。

「はい。私は貴族ではありません。平民のユーリです。」

 声が、自分の耳にもやけに高く聞こえた。

(だって、その名前は五年前に捨てたもの。今の私は違うに決まっているじゃない!)

 ユーリはきっぱりと言い放った。

「そんな……なぜ……」

 コンラッドはまるでこの世の終わりとでも言いたげな、悲壮感を漂わせた顔をユーリに向けている。

(――どうか、離婚してください。体裁が必要なら、ユリアーナは“死んだ”ことにしてくださって構いません)

 祈りにも似た言葉が、喉の奥で渦を巻く。
 ユーリは心のどこかで、確信を得ていた。

 この世界に、自分の嘘を見破る魔法なんて……ましてやそんな都合のいい道具など――あるはずがない、と。
 ここは言葉で押し切ればいい。

 押し切れる。
 ……押し切らねば。

 そう思い込もうとした。

 だが、ここで口を開いたのは意外な人物だった。

「……ならば、我が国にはそれを解決する道具があるのだが……。」

 エリオット国王が、言ったのだ。

 広間の視線が一斉に国王へ集まる。

「え……うそ……」

 その言葉に思わず、ユーリは小さくつぶやいた。

「実はこの国には、王家の血を偽る者が現れたときに備え、代々使われてきた“証明”の秘宝があるのだ。」

「証明……秘宝?」

(え? 本当にそんな都合のいいものが存在するのか?)

 ローウェンは、思わず国王の隣にロクサーヌ王妃とミディマリアへと視線を向けた。
 その視線に気がついた二人は、ゆっくりと頷いてみせる。

(我が国は、そんなに技術が進んでいたのか?)

 どう考えても、そのようなことは考えられない。
 ローウェンは、この件に関して信じていいものか混乱していた。

(でも、ロクサーヌ様とミディのあの反応は……)

 他の者たちも、反応は同様であった。

「え? 聞いたことあるか?」

「さあ?」

「教会でもそんなことは一言も……。」

 フリーダムメンバーはもちろんのこと。

「兄上、エリオット様は本当のことをおっしゃっておいでなのですか?」

 バーナードは、ローウェンに意見を求める始末である。

「エリオットはともかく、ミディとロクサーヌ様は“本当だ”と頷かれたのだが……。」

「……じゃあ、本当に我が国にそんな高度な技術が。」

 国王の言葉は疑うのに、何故かその妹と妻の言葉はすんなりと受け入れる、ローウェンと同じ反応をするバーナード。

 自分だけが信用されていないことに全く気がつかないエリオット国王は、言葉を続けた。

「その昔、我が国では王位継承権を巡る争いが絶えなかった。王の子でない者まで名乗りを上げ、国が割れかけた。……一度ではない。何度もだ。」

 拳を握りしめ、力説するエリオット。

「うん、どの国でもある話だよな?」

「うちの国でもあるしな?」

「どこの国でも、普通にあるんじゃね?」

 そんな熱量が上がっているエリオットの話の内容に対し、周りの反応は薄かった。

「そこで千年前――この国へ新婚旅行に来ていた、初代賢者リョウタ・アメミヤが、我が国の悩みを解決する道具を授けてくださったのだ。」

「はあ?」

 ユーリは思わず間抜けな声を上げ、そして怒りのあまり握りこぶしに力が入る。

(なぜそこで、我が先祖様の名前が出てくるの!)

 ユーリは、静かに怒っていた。

 もちろん。

 ターニャに『うっかりのほほんてんねん』といわれている、天才なのか奇人なのかそれとも頭のネジがずれているのか。

 ――今この瞬間も、私の人生を“証明”でねじ曲げようとしている、その張本人に対して。
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