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四歳児は、母の涙にブチギレです。
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今の自分は、しがない何の権力も財力もない、ただの平民。
一国の皇帝の弟である彼に逆らえば、何が起きても不思議じゃない。
――けれど、もっと怖いのは別だ。
(ご先祖様の発明品)
千年前の“秘宝”。
皆はありがたがるけれど、ユーリは知っている。
あの男は天才で、そして――肝心なところで必ず「うっかり」する。
五年前。
「大丈夫」のはずだった転移の紙は目的地を外し、ゴブリンの群れの真ん中にユーリを落とした。
あのとき、死んでもおかしくなかった。
(また、同じことが起きたら?)
今度は自分じゃない。
ヨナだ。
喉がひりつき、腕の中の体温だけがやけに現実だった。
それでも――。
「ヨナリウスを危険な目に遭わせても、あなたは平気。……そういうことで、よろしいのですね?」
言葉は丁寧なのに、刃物みたいだった。
自信満々に「問題ない」と言い切るその無神経さが、許せない。
(……バレたら、終わる)
ヨナがこの男の子だと確定した瞬間、自分は“ユーリ”でいられなくなる。
最悪の場合、ヨナは“母と帰る”ことを選べなくなる。
それよりも……。
こんな危険な道具に依存する言葉が、ヨナの命を軽視しているようにしか聞こえない。
……それが、許せなかった。
(――やっぱり。この人とは、離婚一択だわ)
ユーリの中で、何かがすとんと落ちた。
迷いが消え、心だけが静かに決まっていく。
「違う、そうじゃない。……私は、ただ……」
なぜ彼は、私を『ユリアーナ』だと疑いもせず、そしてこんなにも必死なのか。
考えれば考えるほど、理解できない。
ただ……。
分かることはひとつだけ。
ヨナを――自分の命よりも大切なこの子を、平然と危険にさらせる。
そんな男だということだけは、理解できた。
「貴方様のおっしゃっていることは、そのようにしか聞こえませんが?」
「け、血縁関係が確かであれば、先ほど見たように――」
(私のことはともかく、本当にヨナを自分の子供だと思っているのかしら?)
ユーリからしてみれば、どう考えても子供の命を軽視している行動にしか思えない。
「起きるとは思えないから、私は申し上げているのです。ヨナリウスの母として!」
その一言は、母親の宣言だった。
同時に、逃げ道を自分で塞ぐ覚悟でもあった。
コンラッドの身体がびくりと跳ねた。
「貴方様は、この子があの拳に殴られて、刃に貫かれるのを見たいと――」
「ユ、ユリアーナ……」
自分で言って、そして怖かった。
(そんなもの、見たくもない……)
気がつけば、涙が頬を伝っていた。
(でも、もし――“うっかり”が来たら?)
ユーリの世界が一段暗くなる。
息が浅くなり、喉の奥がきゅっと縮んで、うまく吸えない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ヨナ。弱い母様でごめんなさい……」
涙が止まらなかった。
みっともないと分かっているのに、止まらない。
「か、母様……?」
ヨナリウスの声が震える。
その小さな呼びかけが、ユーリの胸をさらに締めつけた。
それを見た周囲が、ざわりと動く。
「……夫人が、泣くほど怯えるなど……」
「閣下、本当に……ご子息では……?」
「いや、だってほら、母親があそこまで――」
囁きが、毒みたいに広がっていく。
誰かが一歩引き、誰かがもう一歩引いた。
装置の台を中心に、円ができていく。
……まるで、危険物を囲うように。
(違う……! 違うのに……!)
誤解を正したい。
叫びたい。
でも叫んだ瞬間、平民の自分は――何をされてもおかしくない。
だからこそ、丁寧な言葉で刃を立てるしかなかった。
「では確認します。ヨナリウスの安全より、秘宝の実験を優先なさる――そう受け取ってよろしいのですね?」
その冷たさに、コンラッドが息を呑む。
――“責められている”より、“拒絶されている”と理解した顔だった。
「ち、違う……そうじゃない。私は――」
「もういい!」
鋭い声が、空気を割った。
ヨナリウスだった。
いつもなら、遠慮がちに母の背に隠れる子が。
今は、母の涙を見た瞬間から、別人みたいに目を吊り上げていた。
「母様を泣かすやつは、だいきらいだ!」
小さな身体が、ぶるぶる震えている。
恐怖じゃない。
怒りだ。
混じり気のない、怒り。
「ヨ、ヨナ……お願い、落ち着――」
「できるもん!」
ヨナリウスは叫び、母の腕からすり抜けるように床へ降りた。
「ヨナリウス、待って――!」
ユーリの手が掴めなかった。
次の瞬間。
ヨナリウスはコンラッドの前まで突進し――
「ぼくは、母様を泣かせない!」
言葉を失うより早く、ヨナリウスは小さな手を伸ばし、コンラッドの髪を容赦なく掴んだ。
ブチッ。
「――っ!」
力任せに引きちぎっても、所詮は四歳児。
その小さな手には、きらきら光る金色の髪が二、三本、握りしめられていた。
その光景に、ユーリはさらに青ざめ、とっさに叫ぶ。
「ヨナ! 貴族様相手にそんなことをしたら……!」
――不敬罪で。
「殺したければ、そうすれば?」
四歳児とは思えない冷たい視線をコンラッドへ投げつけると、ヨナリウスはくるりと踵を返した。
そしてまっすぐに、皆が『親子だっちゅ~の!』と呼ぶ装置へ向かって走り出す。
「ヨナ! やめて!!」
けれど、ヨナリウスは振り向かない。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、それでも――笑った。
母を安心させるための、無理やりな笑顔で。
「母様、だいじょうぶ。これですぐ終わるから。母様が泣かないなら、ぼく、へいきだよ」
「ヨナ……っ」
ヨナリウスは自分の髪を掴む。
「だめ! ヨナ!」
「もうすぐだからね、母様。だから、なかないで……」
ブチッ。
細い髪が指に絡まる。
迷いなく、銅像の突き出したそれぞれの舌の上へ、髪を置いた。
コトン。
……小さな音。小さすぎる音だった。
けれど、その瞬間――
ユーリの身体が勝手に動いた。
「――ヨナっ!!」
叫ぶより早く腕が伸びる。
ヨナリウスの身体を抱き寄せ、装置から引き剥がし、胸に押し込める。
(守らなきゃ。何が起きても)
理屈じゃない。母親の反射だ。
同時に。
コンラッドもまた、勝手に動いていた。
「……っ!」
前へ出る。
ユーリとヨナリウスの前に――ではない。
ユーリごと、ヨナリウスごと。
引き寄せて、抱きしめた。
強引に締め上げる腕じゃない。
逃げ道を塞ぐための檻でもない。
ただ、脅威が来たときに――最初に傷つくのが自分であるようにと、身体を重ねる抱擁だった。
背中を、装置へ向ける。
視界の端で青白い光が滲んでも、振り返らない。
(来るなら――俺に来い)
剣を抜くより早い。
言葉で説明するより、ずっと正直な反射。
腕の中で、ユーリが息を呑むのがわかった。
ヨナリウスの小さな身体が、母の胸の中で震えるのも。
それでも腕は緩まなかった。
(このまま……)
もし、このまま。
三人で、こうしていられるのなら。
名前も、立場も、誤解も――全部どうでもいい。
たったひとつ、腕の中の温度だけが本物だった。
コンラッドは、ぎゅっと目を閉じた。
銅像の瞳に、淡い青が灯った。
一国の皇帝の弟である彼に逆らえば、何が起きても不思議じゃない。
――けれど、もっと怖いのは別だ。
(ご先祖様の発明品)
千年前の“秘宝”。
皆はありがたがるけれど、ユーリは知っている。
あの男は天才で、そして――肝心なところで必ず「うっかり」する。
五年前。
「大丈夫」のはずだった転移の紙は目的地を外し、ゴブリンの群れの真ん中にユーリを落とした。
あのとき、死んでもおかしくなかった。
(また、同じことが起きたら?)
今度は自分じゃない。
ヨナだ。
喉がひりつき、腕の中の体温だけがやけに現実だった。
それでも――。
「ヨナリウスを危険な目に遭わせても、あなたは平気。……そういうことで、よろしいのですね?」
言葉は丁寧なのに、刃物みたいだった。
自信満々に「問題ない」と言い切るその無神経さが、許せない。
(……バレたら、終わる)
ヨナがこの男の子だと確定した瞬間、自分は“ユーリ”でいられなくなる。
最悪の場合、ヨナは“母と帰る”ことを選べなくなる。
それよりも……。
こんな危険な道具に依存する言葉が、ヨナの命を軽視しているようにしか聞こえない。
……それが、許せなかった。
(――やっぱり。この人とは、離婚一択だわ)
ユーリの中で、何かがすとんと落ちた。
迷いが消え、心だけが静かに決まっていく。
「違う、そうじゃない。……私は、ただ……」
なぜ彼は、私を『ユリアーナ』だと疑いもせず、そしてこんなにも必死なのか。
考えれば考えるほど、理解できない。
ただ……。
分かることはひとつだけ。
ヨナを――自分の命よりも大切なこの子を、平然と危険にさらせる。
そんな男だということだけは、理解できた。
「貴方様のおっしゃっていることは、そのようにしか聞こえませんが?」
「け、血縁関係が確かであれば、先ほど見たように――」
(私のことはともかく、本当にヨナを自分の子供だと思っているのかしら?)
ユーリからしてみれば、どう考えても子供の命を軽視している行動にしか思えない。
「起きるとは思えないから、私は申し上げているのです。ヨナリウスの母として!」
その一言は、母親の宣言だった。
同時に、逃げ道を自分で塞ぐ覚悟でもあった。
コンラッドの身体がびくりと跳ねた。
「貴方様は、この子があの拳に殴られて、刃に貫かれるのを見たいと――」
「ユ、ユリアーナ……」
自分で言って、そして怖かった。
(そんなもの、見たくもない……)
気がつけば、涙が頬を伝っていた。
(でも、もし――“うっかり”が来たら?)
ユーリの世界が一段暗くなる。
息が浅くなり、喉の奥がきゅっと縮んで、うまく吸えない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ヨナ。弱い母様でごめんなさい……」
涙が止まらなかった。
みっともないと分かっているのに、止まらない。
「か、母様……?」
ヨナリウスの声が震える。
その小さな呼びかけが、ユーリの胸をさらに締めつけた。
それを見た周囲が、ざわりと動く。
「……夫人が、泣くほど怯えるなど……」
「閣下、本当に……ご子息では……?」
「いや、だってほら、母親があそこまで――」
囁きが、毒みたいに広がっていく。
誰かが一歩引き、誰かがもう一歩引いた。
装置の台を中心に、円ができていく。
……まるで、危険物を囲うように。
(違う……! 違うのに……!)
誤解を正したい。
叫びたい。
でも叫んだ瞬間、平民の自分は――何をされてもおかしくない。
だからこそ、丁寧な言葉で刃を立てるしかなかった。
「では確認します。ヨナリウスの安全より、秘宝の実験を優先なさる――そう受け取ってよろしいのですね?」
その冷たさに、コンラッドが息を呑む。
――“責められている”より、“拒絶されている”と理解した顔だった。
「ち、違う……そうじゃない。私は――」
「もういい!」
鋭い声が、空気を割った。
ヨナリウスだった。
いつもなら、遠慮がちに母の背に隠れる子が。
今は、母の涙を見た瞬間から、別人みたいに目を吊り上げていた。
「母様を泣かすやつは、だいきらいだ!」
小さな身体が、ぶるぶる震えている。
恐怖じゃない。
怒りだ。
混じり気のない、怒り。
「ヨ、ヨナ……お願い、落ち着――」
「できるもん!」
ヨナリウスは叫び、母の腕からすり抜けるように床へ降りた。
「ヨナリウス、待って――!」
ユーリの手が掴めなかった。
次の瞬間。
ヨナリウスはコンラッドの前まで突進し――
「ぼくは、母様を泣かせない!」
言葉を失うより早く、ヨナリウスは小さな手を伸ばし、コンラッドの髪を容赦なく掴んだ。
ブチッ。
「――っ!」
力任せに引きちぎっても、所詮は四歳児。
その小さな手には、きらきら光る金色の髪が二、三本、握りしめられていた。
その光景に、ユーリはさらに青ざめ、とっさに叫ぶ。
「ヨナ! 貴族様相手にそんなことをしたら……!」
――不敬罪で。
「殺したければ、そうすれば?」
四歳児とは思えない冷たい視線をコンラッドへ投げつけると、ヨナリウスはくるりと踵を返した。
そしてまっすぐに、皆が『親子だっちゅ~の!』と呼ぶ装置へ向かって走り出す。
「ヨナ! やめて!!」
けれど、ヨナリウスは振り向かない。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、それでも――笑った。
母を安心させるための、無理やりな笑顔で。
「母様、だいじょうぶ。これですぐ終わるから。母様が泣かないなら、ぼく、へいきだよ」
「ヨナ……っ」
ヨナリウスは自分の髪を掴む。
「だめ! ヨナ!」
「もうすぐだからね、母様。だから、なかないで……」
ブチッ。
細い髪が指に絡まる。
迷いなく、銅像の突き出したそれぞれの舌の上へ、髪を置いた。
コトン。
……小さな音。小さすぎる音だった。
けれど、その瞬間――
ユーリの身体が勝手に動いた。
「――ヨナっ!!」
叫ぶより早く腕が伸びる。
ヨナリウスの身体を抱き寄せ、装置から引き剥がし、胸に押し込める。
(守らなきゃ。何が起きても)
理屈じゃない。母親の反射だ。
同時に。
コンラッドもまた、勝手に動いていた。
「……っ!」
前へ出る。
ユーリとヨナリウスの前に――ではない。
ユーリごと、ヨナリウスごと。
引き寄せて、抱きしめた。
強引に締め上げる腕じゃない。
逃げ道を塞ぐための檻でもない。
ただ、脅威が来たときに――最初に傷つくのが自分であるようにと、身体を重ねる抱擁だった。
背中を、装置へ向ける。
視界の端で青白い光が滲んでも、振り返らない。
(来るなら――俺に来い)
剣を抜くより早い。
言葉で説明するより、ずっと正直な反射。
腕の中で、ユーリが息を呑むのがわかった。
ヨナリウスの小さな身体が、母の胸の中で震えるのも。
それでも腕は緩まなかった。
(このまま……)
もし、このまま。
三人で、こうしていられるのなら。
名前も、立場も、誤解も――全部どうでもいい。
たったひとつ、腕の中の温度だけが本物だった。
コンラッドは、ぎゅっと目を閉じた。
銅像の瞳に、淡い青が灯った。
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