捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希

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本日の話し合いは、ここまでのようです。

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 ヨナリウスを抱えたまま、その場にうずくまっているユーリ――いや、ユリアーナ。

 彼女に差し伸べられた手は、コンラッドのものだった。

「――大丈夫か?」

 返事はない。
 ただ、その声にびくりと大きく身体が跳ね、ユリアーナはさらに強くヨナリウスを抱きしめた。
 まるで、奪われるのを恐れる小動物みたいに。

「母様……?」

 さっきまで母と同じ色だと喜んではしゃいでいたヨナリウスは、母の顔を見るなり不安でいっぱいになり、今にも泣きそうな顔へ変わっていった。

 ――その顔を作ったのが自分だと気づいて、ユリアーナの胸がきりきりと痛んだ。

「ごめんなさい、ごめんなさいヨナ。母様も、ヨナと同じ色でうれしいの。」

 笑わなければ。
 この子にこんな顔をさせるわけにはいかない。
 涙に濡れたヨナリウスの顔を、ユリアーナは両手でそっと包み込んだ。

「ぼくも。母様と同じでうれしい。」

 ヨナリウスが、涙だらけでぐちゃぐちゃになった顔のまま、にっこりと微笑んだ。

(私はまた、ユリアーナにかける言葉を間違ってしまった……そして、ヨナリウスにも……)

 そんな二人の姿を見つめたコンラッドの顔に、悲壮感が濃く落ちる。

「ご婦人……ユーリ様。ひとまず場所を移しましょう。」

 見かねたディーバリーが、今度は穏やかに手を差し出した。

「お話をせねば、何も始まりませんゆえ。」

 ユリアーナはこくり、とだけ頷いた。
 ヨナリウスを抱き上げ、ディーバリーの手を取って、ゆっくりと立ち上がる。

 ――その瞬間。

 銀髪が灯りを弾き、アメジストの瞳が夜を切った。
 ドモンの口がわずかに開いたまま止まり、ケイオスは息を呑む。

 そして、不思議な静けさが落ちる。
 まるでこの場所に、親子だけが存在するみたいに。

 コンラッドだけが、傷ついた顔のまま動けなかった。
 その場の誰もが息を止め、次の言葉を失っていた。

 そんな周りの状況にまったく気がついていない、コンラッドは。

 眠ってしまったヨナリウスと、うつむいたままのユリアーナを寂しそうにじっと眺めていた。

(でも、私は決めたんだ。今度こそ……)

 差し出したはずなのに取ってもらえなかった自分の手へ視線を移し、強く握りしめる。

 その中で、やっとのことで我に返ったディーバリーが、慌てて咳払いをした。

 その咳払いをきっかけに、次々と他の者たちも我に返っていった。

「で……では、移動しましょう。皆様、よろしいですね?」

 ディーバリーが皆に声をかけたとき、ヨナリウスが、ふにゃりと目を細めた。
 抱き上げた腕の中で、小さな体温がとろけていく。

 眠気だけじゃない。
 お腹も空いているだろうし、外はとっくに真っ暗になってしまっている。

「今日はもう遅いので、明日にできませんか?」

 スヤスヤと小さな寝息を立て始めたヨナリウスを抱きしめながら、ユリアーナはディーバリーに頼み込んだ。

「……失礼。確かに、もう遅い時間でしたね。私としたことが、申し訳ございません。」

 ディーバリーが左胸の位置に手を当て、ユリアーナに向かって頭を下げた。

「確かに……あまりにもいろんな事がありすぎて……」

「建物の中にいると、時間感覚が……」

 ドモンとケイオスが言うように、ここは窓が一つもなく、誰もが時間を見失っていたのだ。

「使節団一行の方がこちらに着いたのは、夕方くらいでしたしね。」

「お腹も空いたしな。」

 そんな声までもが聞こえ、結局ここで一時、話は中断することとなった。

 今日のところは、全員がお城にある来客室に泊まることになった。
 ただし、シュバリエ皇国の使節団一行の一部は、騎士宿舎になったのだが。

「お城の客室って、こんなにも広いのね……」

 ユリアーナはヨナリウスと二人で使うこととなったが、あまりの広さに言葉を失ってしまった。

 母子で寝るには広すぎるベッド。
 ふかふかの布団にソファー。
 隣には入浴室まで完備されている。
 調度品もどれも高級そうで、目が眩みそうだった。

 食事にと誘われたが、ユリアーナは首を横に振った。
 ヨナリウスはぐっすりと眠ってしまっており、起きる気配が全くない。
 小さな睫毛が頬に影を落とし、呼吸だけが規則正しい。

「私はこのまま、ヨナリウスと休ませてもらいます。」

 そう言って丁寧にお断りした。
 使用人は「こちらでヨナリウス様を見ますから、少しでも」と何度も言ってくれたが――今日は無理だ。

 いろんな事がありすぎて、胃の奥がきしむ。
 スープでさえ、食べられる気がしない。

(本当は今すぐにでも、ヨナを連れてこのままどこかに行きたいのだけれど……)

 ここは三階だ。
 外へ逃げるのは現実的ではない。

 廊下には護衛の気配がある。
 守りか監視か。
 どちらでも同じだ。

 ユリアーナは下着の一部分に指を滑らせた。
 そこに縫い付けたマジックバッグの中。

 最後の切り札――転移札が一枚。
 最後の一枚になってしまったため、使い方は慎重にならなければならない。

 今ここで使えば、状況はひっくり返せる。
 けれど、ひっくり返した先に待つのが救いだとは限らない。

 それに、今日みたいに突然、何かに反応して燃えてしまっても困る。

(アレは一体、何だったのだろう……)

 原因は、いくら考えても分からなかった。

(最後の一枚は、慎重に使わないと……)

 明日。
 ひとまずは正式に、離婚してもらおう。

 そう結論づけた瞬間、胸の奥が少し軽くなる。
 軽くなった分だけ、どこか空っぽになる。

 ベッドにヨナリウスを寝かせ、自分も隣に身を沈めた。
 眠りはすぐには来ない。
 けれど、子どもの呼吸に耳を澄ませているうちに、意識はゆっくり沈んでいった。

(いざとなったら、最後の一枚を使ってでも……)

 ユリアーナは目を閉じたまま、ヨナリウスの小さくも温かな手を強く握りしめた。

 *

 ――壁一枚、隔てた隣室。
 ユリアーナとヨナリウスの隣には、あえて“安全のため”という名目で、コンラッドがいた。

 「隣室」といっても、繋がっているのは“護衛の控え室”だけだった。
 内扉があるのは、護衛の控え室同士だけ。
 主の寝室は、同じ廊下に並んでいるのに鍵も通路も別だった。

「――今日のところは、知らせない方がよろしいかと。」

 ディーバリーの判断で、ユリアーナとヨナリウスには伝えられていない。

 彼もまた食事を断り、一人で部屋に籠もっていた。
 隣の二人に、自分の存在がバレないよう、気配を消しながら慎重に動いている。

「はぁ~……」

 先ほどから自分の口から出るのは、深い深~いため息ばかり。
 それさえも、クッションに顔を押しつけて、声が聞こえないようにと気を配った。

(やっとだ。やっと見つけたのに……)

 この五年間。
 毎日夢に見るのは、彼女の笑顔だけだった。
 そして今度こそ――そう思った。

 それなのに。

(あんな顔をさせる気なんて……)

 胃が痛い。
 空腹の痛みではない。
 壁の向こうにいるのは、いまや“妻”ではなく、“拒絶する他人”になりかけている人間だ。

(……また、失敗した)

 何度目だ。
 言葉を尽くせば尽くすほど、距離は開いた。
 近づこうとした手は、怖がらせただけだった。

 コンラッドはソファーに深く腰を落とし、両手で顔を覆った。
 反省会という名の、拷問が始まる。

 何を言うべきではなかったのか。
 何を言えばよかったのか。
 そもそも、言葉でどうにかできる段階なのか。

 守りたいだけなのに、やっていることは監視と変わらない。

 答えは出ない。
 出ないのに、考えることだけは止まらない。

 壁の向こうは静かだ。
 静かすぎて、恐ろしい。

(眠っているのだろう。あの子と一緒に)

 ユリアーナとも、ヨナリウスとも、自分はたった数日しか過ごしたことがない。

 そして今日――ヨナリウスの母が、彼女だと分かった。
 本来なら喜ぶべきことのはずなのに、現実は最悪だった。

(明日……)

 明日こそ、きちんと話し合おう。

(話し合って、今度こそ……)

 コンラッドは唇を噛み、暗闇の中でひとり、呼吸を整えた。
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感想 2

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みんなの感想(2件)

RJG
2026.02.02 RJG

 『愛さない宣言した方』の公爵閣下、冒頭で『侯爵』になってますよ。

2026.02.02 蒼月柚希

ご指摘ありがとうございました。修正させていただきます。誤字脱字を教えてもらえるのは本当に助かります。ありがとうございます。

解除
RJG
2026.02.02 RJG

 旦那たちが戦慄している…(笑) 公爵領には隠れアマゾネスが?

2026.02.02 蒼月柚希

そうですね。気がついたらそうなっていました。私が強い女性が好きだからでしょうか?強い女性はお好きですか?

解除

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