サクラメント300

朝顔

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 微妙な態度をとってしまった。

 仕事の資料か何かだろうと思っていたが、まさか佐倉のいるタイミングで、目黒川が本を返しに来ると思わなかった。

 動揺してしまった。

 もし佐倉にあの事を知られてしまったら……

 そう思うと息が苦しくなって、ひどい態度で佐倉を部屋から追い出してしまった。

 今までの自分が周りにどんな態度をとってきたのか。
 そして例のことも、知られたら絶対に引かれてしまう。
 もしかしたら、少し距離を置こうと言われてしまうかもしれない。

 それが恐くて、逃げるようにちょうど後回しにしていた仕事に飛び付いて、飛行機に乗ってしまった。

 佐倉のことを知れば知るほど、助けたい、怯えて震える肩を自分が包み込んでやりたいと思うようになった。

 辛い過去を聞いた時も、ただ佐倉を守りたいという気持ちになった。
 痛みから解放させてあげたいと……。

 人に対してこんな思いを抱いたのは初めてだった。

 だから梶はどうしたらいいのか分からなくて、一人でひたすら悶々と考えを巡らせていた。

 こんな時に相談する友人の一人もいない。

 この胸に宿る熱の正体を、これだと教えて欲しかった。




『社長はやはり手を引くつもりはないようです。あれから五年経っていますし、イメージを払拭させるためにも、再開させることが一番だとのお考えのようです』

「まぁ、そうだろうな。あれだけ大々的に広告を打っているんだから、今さら手を引くことはないだろう。……少し、話し合えたらと思っただけだ。それが、あの話になるとお互い喧嘩になってしまう。まったく困ったものだ」

 梶はホテルの部屋で夜景を見ながら目黒川からの業務報告を聞いていた。
 アメリカの支社で不正の報告があったので、調査のために渡米した。
 わざわざ自分が足を運ぶ必要もなかったが、他の件でも打ち合わせることがあったし、色々と混乱していて少し冷静になりたくて仕事を入れてしまった。
 関係者から話を聞いて、だいたいの報告をまとめ終わり、やっと仕事を終えたところだった。

 目黒川からの電話を切った梶は、深く息を吐いて、グラスに残った酒を煽った。

 動揺していたのは、久々に父と衝突したこともあるが、他にも理由があった。

 一番大きいのが佐倉のことだ。

 最初はただの興味だと思っていた。
 今まで同性と深い付き合いなどなく、性的に惹かれたこともなかった。
 だからたまには毛色が珍しいのもいいかもしれないと、そんな軽い気持ちだった。

 それが一度手を出してみたら、自分の中でどんどん佐倉の存在が大きくなっていった。
 体の関係を持ったことで、離れようとする佐倉を何とか引き留めたくて、一方的に奉仕をするなんて、今までの自分からは想像もできないようなことをした。

 今まで恋愛と呼べるものなどしたことがなかった。
 幼い頃から華やかな女性に囲まれて、好き勝手抱いては飽きたら捨てていた。

 特にあの事があってから、もっとおかしくなった。
 ただ自分の欲を満たして、終わればさっさと帰れと追い出す最低な男だった。

 梶は後ろ暗い部分を佐倉には見せたくなかった。

 それはなぜか。

 幻滅されたり、一緒にいたくないと言われたくなかった。

「……まるで子供だな」

 高校時代からとても十代には見えないと言われる落ち着き具合で、もう少し子供らしくしたらどうだと言われるほどだった。
 その反動がやってきたのかもしれないと思うと、おかしくなって笑ってしまった。

 あの時、目黒川が持ってきたのは、過去に捨て去った自分の残骸だった。
 まさか佐倉が興味を持つと思わなかった。
 自然に話を逸らそうとしたのに、上手い言葉が見つからなかった。
 変な態度をとってしまい、仕事を言い訳にして逃げてから、そのまま気まずくなって逃げ続けている。

「はぁ……重症だな、これは……」

 海外にまで来たというのに、思い出すのは佐倉のことばかり。
 いるはずがないのに、隣にいるような気がして、いつも横を見てしまう。
 そして誰もいない空間を見て、寂しくなって胸が痛むのだ。

 ここまできたら、この気持ちが何なのか、梶も分かっている。
 ただ、それを認めたとしてどうなるのかと余計に頭が痛くなり、そのまま考えることをやめていた。

 佐倉には忘れられない相手がいる。

 その話を聞いた時、二人に起きた悲劇や佐倉の傷ついた心を思うと胸が痛かったが、同時に運命の番というやつに心が揺れて、佐倉の手を離した元恋人に感謝をしてしまった。
 二人が離れることがなかったら、あの日エレベーターで佐倉と出会うこともなかった。

 しかし、同時に嫉妬をした。
 離れてからも佐倉の心を縛り続けて、人生をかけて償いたいと思わせるなんて、なんて相手なんだと思った。
 自分が金を払って解決するのなら、とっくにそうしている。
 だけどそれでは佐倉を手に入れることはできない。
 そんなことをしたら、佐倉の罪悪感は一生その男に注がれることになるだろう。

 自分の懐にしまい込んで、一片たりともその男のことなど思い出させたくはない。
 綺麗さっぱり、忘れ去ってもらうにはどうするべきか……

 それには自分の醜い部分も晒さなければいけないが、それでもそばにいてくれるなら……一生離さない。

「……こんなところで隠れていないで、やるべきことをやらなくては……。未春を渡したくない」

 梶は持っていたグラスを机に置いて立ち上がった。
 明日の朝一番の飛行機で帰るつもりだ。

 仕事が忙しくなるからしばらく会えないと送ってから返事がない。
 画面を覗き込んではため息をついていた。
 愛情なんてよく分からないと言ったのは梶の方で、面倒な感情はいらないと言われて同意したことを悔やんだ。
 体の付き合いを受け入れてはくれたが、佐倉の気持ちはまだ元恋人にあるのだろう。

 ハッキリと自分の気持ちを告げることで、少しでも意識して欲しい。

 話したいことがある。

 緊張しながらそれだけ文字を打って佐倉に送信した。








 バサッと何か落ちる音が機内に響いた。
 音楽を聴くのも飽きてしまい、梶は目を閉じていたが眠ってはいなかった。
 自分の毛布でも落ちたかと思ったら、通路を挟んで隣に座っていた男の横に雑誌が落ちていた。
 客室乗務員の姿が見えなかったので、体を起こした梶は、通路に落ちた雑誌を拾ってヘッドフォンをしながら寝ている男の肩を叩いた。

「失礼、これはあなたのですか?」

 男は眠っていたらしいが、すぐに目を開けてヘッドフォンを外した。
 梶が手に持っている雑誌を見て気がついたようで、すぐにすみませんと謝ってきた。

 普段ならそれで終わった話だった。
 しかしその時、乗っていた飛行機がひどく揺れて、驚いた乗客がザワザワと騒いだ。
 機内アナウンスで乱気流だと説明があって、一旦落ち着いたが、隣の男がふぅと大きく息を吐いたのが分かった。

「仕事柄、よく乗らないといけないんですけど、飛行機は苦手なんです」

「私もです。特に揺れると緊張してしまいますね」

 男が話しかけてきたので、梶も自然に答えた。
 よく海外に行くこと、スーツや靴に腕時計は高級ブランド、キチンと切り揃えられた髪に爪、拾った雑誌は海外の医学誌だったことから男の職業は予想がついた。

「その雑誌は医療系のものですね。もしかして、お医者様ですか?」

「ええ、そうです。学会が開かれると、どうしても行かなくてはいけなくて。こればかりは何度乗っても慣れないですね」

 本当に世間話ではなく苦手なのか、男の額から汗が流れてきて、男はハンカチで拭っていた。
 顔に疲れは見えるが、まだ若そうなのに海外を飛び回るとは、かなり優秀な医師なのではないかと思った。

「あれ、その本……」

 今度は男の方が梶の膝の上に乗っている本に目を留めたようだ。
 個人で出版されたものなので。あまり知られてはいないが、実は熱心なファンが多くて今では高額で取引されていると聞いた。
 気がついたということはこの男もファンだろう。うるさく話しかけられそうだなと思って覗き込んだら、男は眉尻を下げて悲しそうな顔をしていた。

「ご存知なんですね。私も昔から好きで、今でも根強いファンがいるみたいですからね」

 男が黙ってしまったので、仕方なく梶の方から話題を振ることにした。
 面倒だなと思ったが、こんなところで同志に会えるのは少し嬉しかった。
 ところが返ってきたのは予想外の答えだった。

「いえ……その、私はファンというわけでは……」

 男の何だか釈然としない濁った受け答えに梶の心臓が揺れた。

 もしかして、この男は何か知っているのかもしれない……

「すみません、こちらのことです。何でもないです」

 動揺してつい漏らしてしまったという顔をしていた。男が早々に幕引きを図ろうとしたのを梶は見逃さなかった。

「……どういうことですか? もしかして、貴方、SAKURAについて、何かご存知なんですか?」

 やはり男は名前を出したら明らかに動揺して、持っていた雑誌をまた落としてしまった。
 今度は近くにいた客室乗務員が笑顔で拾って、男の膝の上に戻していた。

「いえ、私は……そんなに関係は……」

「教えてください。何でもいいんです。ずっと探して……私は謝りたくて、ずっとSAKURAを探していたんです」

 梶の真剣な瞳を、男は不思議そうな顔で覗き込んできた。

 ずっと、長い間、ぼやけていた線が、やっと一本の太い糸になって自分の前に転がってきたような気がした。

 今度こそ、掴んだら放さない。

 何があっても掴まなければと、梶はそれに手を伸ばした。





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