サクラメント300

朝顔

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22 氷王子の秘密

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 来てみたはいいが、部屋番号を押す勇気が出ない。

 佐倉は豪華なエントランスの前をうろうろしながら何度も行き来してしてしまった。
 すれ違う住人らしき人達から、不審者だと思われているような気がして、声をかけられたらマズいと下を向いた。
 とりあえず冷静になろうと、外へ出て近くのベンチに座った。


 面倒な感情は抜きにしようと言ったのは自分だ。
 お互い嫌になったらそれで終わり。

 そう言って突き放して、梶と距離を取ったつもりだった。

 だから微妙な空気になり、梶と連絡を取りづらくなって、だらだらと時間だけが過ぎてしまった。
 本当は連絡がしたくてウズウズしていたのに、自分で言った言葉が足枷になって進めなくなってしまった。

 こんな時に限って、別のビルで欠員が出てしまい、そちらの応援でずっと本社ビルには近づけず、もっと遠くなってしまった。

「それで家まで押しかけるとか、ますます正気じゃないな」

 もう二週間以上経ってしまい、今さら連絡しても返ってくるのか来ないのかで余計に気が狂ってしまいそうだった。
 それならいっそ、と思って聞いていた住所に来てしまった。

 海沿いのお洒落なタワマンに場違いな男が一人。
 どこもかしこも高級な匂いがして、歩いているだけでクラクラしてしまった。

 休みの日だからって家にいるとは限らない。
 少し会って話せればと思ったが、押しかけてくるセフレなんて絶対に嫌がりそうだし、面倒なことを思い始めたと思われたら、本気で切られてしまうかもしれない。

 面倒なこと……

 会えなくなってから、嫌というほど分かってしまった。

「思い始めたんじゃない……とっくに思ってた。俺の中で智紀が特別だって……」

 喧嘩をしたわけじゃない。
 だけど会えなくなって恐くなった。
 こんな風に簡単に切れてしまうなんて、そんなの悲しくてたまらなかった。

 こんなことを思ったらいけない
 望んではいけない

 そう思って感情を押し殺してきたが、どんどん溢れてきて止まらない。

 声が聞きたい
 もっと触れてほしい
 ちょっと背伸びした生意気な笑顔が見たい
 甘く囁いてほしい
 激しく突き動かして、めちゃくちゃにして……

 めちゃくちゃに愛されたい

「智紀……」


 佐倉が頭を抱えながら呟いた時、エントランスの近くから甲高い女性の声が聞こえてきた。
 何か揉め事なのかもしれないと思って顔を上げた。

「もういいってどういうことよ!」

「ですから、もうお呼びすることはありません。押しかけて来られても困ります」

「じゃあ本人に会わせてよ。何度も呼んでくれたじゃない。絶対気に入ってくれているはずなのに」

「契約違反ですよ。仕事と納得して来ていただいたはずでは?」

「それは……そうだけど……」

 男女が揉めているような雰囲気だったが、男の方の声に聞き覚えがあって、ついエントランスの近くまで来てしまった。

 するとそこで揉めていたのは、スーツ姿の目黒川と、やけに派手な格好をした綺麗な女性だった。
 漏れ聞こえた話の内容から、恋人同士の痴話喧嘩、という状況ではなさそうだ。

 そこで目黒川とバッチリ目が合ってしまった。

「佐倉さん、こちらです」

「え?」

 どうやら彼は困っていたらしい。
 ちょうどいいところへ来たという顔で、笑顔で手を振られてしまった。
 女性の方はムッとした顔をしていたが、無視するわけにもいなかなくて、仕方なく話を合わせることにした。

「すみませんが、私は約束がありまして、これで失礼します」

 目黒川は佐倉をうまく利用してうるさい女性から逃れようとしているようだ。
 佐倉は女性に向かって頭を下げて、早く帰ってもらえるように援護した。

「ねぇ、貴方……アルファ? もしかして智紀の知り合い?」

 近くに寄ると、むあっとオメガの濃い香りが漂ってきた。
 智紀と気軽に名前を呼ぶ関係の女性。
 気になり過ぎて、女性の方を見てしまった。
 睫毛がびっしりと生えた、大きな瞳の中に自分の顔が映っていた。

「やだ……美味しそう」

「はい!?」

 いきなり涎でも垂らしそうな目で見られて震えてしまった。この女性は何者なのか目黒川に助けを求める視線を送ると、目黒川は顔に手を当ててため息をついていた。

「すみませんが、この方とお話があるので、お引き取り願えますか?」

「はぁい」

 何やら色気たっぷりな笑顔でウィンクまでされてしまった。
 ゾゾっと寒気を覚えたところで、女性はあんなにねばっていたのに、今度は素直に帰ってくれた。



「大丈夫でしたか? 何だか大変そうでしたけど……」

「ええ、ちょっと……、巻き込んでしまい申し訳ございません。まさか、こちらで会いするとは。ちょうど引っ越しの手配の方で連絡しようと思っていたのです」

「今週末ですよね。荷物はトランク一つくらいです。取られても困るようなものはないので、鍵は開けておきます」

「分かりました。マンションの鍵は荷物の搬入が終わり次第、お渡ししますので。……ところで、佐倉さんはこちらには……どうして? 私は常務のマンションの管理の関係で今日は立ち会いに来たのですが……」

 目黒川の視線を受けて、佐倉の心臓がドキッと揺れてしまった。梶との仲を知っている目黒川に、変にごまかすことはできない。
 気持ちを切り替えて、梶の様子を教えてもらうことにしようと考えた。

「あの……梶さんは……まだお忙しいのでしょうか……。しばらく連絡が……なくて、その……どうしているのかなと……」

 佐倉が言葉を選んで何とか教えてもらえないかと問いかけると、目黒川の眼鏡の奥の目が大きく開かれた。表情はあまり変わらないが、どうやら驚いている様子に見えた。

「……あの方は、大事なことを言わないなんて……」

「え?」

「佐倉さん、少しお話ししませんか? そこのカフェでお茶でも飲みながら」

 堅物を絵に描いたような真面目そうな目黒川だったが、少し疲れているように見えた。
 思わぬ提案に驚いたが、佐倉は梶のことが知りたいと思い、ハイと言って頷いた。







「海外出張、ですか………?」

「はい、元々向こうでやり残した案件があって、その残務処理に呼ばれていたのですが、まだ先の予定だったのをいきなり早めて、次の日には行かれてしまいました」

「そう……だったんですね。海外か……」

「ええ、おそらく、明日か明後日の便で帰られると思います。言葉足らずというか、肝心なことを言い忘れる人なんです」

 一言くらい言ってくれればよかったのにと思いながら、自分もさっさと聞いてしまえばよかった話だった。
 佐倉もそうだったが、二人して、何か思うところがあって連絡を取らずにいたように思えてしまった。

 そこでコーヒーが運ばれてきたので、佐倉はいただきますと言ってカップを口に当てた。

「隠すと厄介になるので、先に申し上げておきますが、先ほどの方は富裕層向けのオメガ派遣の女性です」

 目黒川のハッキリとした言葉に、胸がドキッとしてしまった。
 何となく勘づいてはいた。
 あのオメガの女性は、かなり濃いフェロモンを持っていて、コントロールできるタイプのようだった。
 モテるオメガは、リッチなアルファと出会いたいとこういう職業を選んで、そのまま結婚相手に選ばれるなんて話も聞いたことがあった。

「ご存知の通り、濃いアルファ性の方は定期的に欲を解放しないと暴力的になったり感情のコントロールができなくなります。私はそちらの管理も社長から承っておりました。ですが、誤解しないでいただきたいのは、常務は佐倉さんと出会って以来、この手の派遣は断られています」

「そう……ですか」

 誰にでも過去はある。
 佐倉にだって恋人がいたし、梶も過去に誰かと関係があったというのは理解できる。
 それに、浅い付き合いを望んだのは自分だ。
 たとえ目黒川が梶のために嘘をついているとしても、それは受け入れないといけないことだ。

「私は学生時代より梶家に仕えており、常務を学友としても見てきました。……常務は、過去に少し問題があって、荒れてしまった時期がありました。一時期は目に生気がなくて、どうでもいいと自暴自棄にすら……。しかし、佐倉さんに出会って変わりました。昔の、輝いていた頃の常務に戻ったようです。私は二人のことを応援しています。お二人に幸せになっていただきたい」

「目黒川さん……」

「そのうちご本人から話があると思いますが、何を知っても否定しないであげてください。常務自身、葛藤して苦しんでいました。それがやっと、佐倉さんと出会って、解放されたのです」

「は……はい」

「佐倉さんのお名前も……まるで運命のようで」

 目黒川の口から運命、という言葉が出てきて、佐倉は身を強張らせてしまった。

 目黒川はちょっと話し過ぎてしまいましたと言って口を押さえた。
 佐倉が不思議そうに見ている視線を気にすることなく、目黒川はではまたと言って伝票を持って立ち上がり、あっという間にカフェから出て行ってしまった。

 何が言いたかったのか、一人残された佐倉は首を傾げていたが、前の席にドカンと人が座る音が聞こえて息を吸い込んだ。

「やっと、うるさいのが行ったわね。つけてたの、ごめんなさい」

「あ……貴方は……」

「私? 愛華よ。目黒川さんから聞かなかった? リッチな男性向けの専属オメガってやつ。ねぇ、貴方、智紀の友達でしょう。どうにかして会わせてくれない?」

 長い髪の毛の先をくるくると指で回しながら、形のいい唇を上げて、先ほど揉めていた愛華という女性は笑った。
 遊び慣れた甘い香りが漂ってきて、周囲の人々は何事かと周りを見回していた。

「ちょっ、こんなところで、アルファもいるかもしれないのに」

「そのアルファの貴方は無反応ね。強めの抑制剤を飲んでるようには見えないけど。かといって、智紀みたいなバケモノにも見えない」

「バケモノって……人のことをそんなに……」

「冷酷な氷王子」

「へ?」

「ウチらの間じゃ、そう呼ばれていたのよ。一度呼ばれた子は、みんなお金を積まれても二度と行きたくないって言っていたわ。でも、私は冷たくされるのが大好きなのよ。裸で放り出されるとかたまんないの。忘れられなくて押しかけちゃった」

 声は抑えてくれたが、真昼間のカフェでそんな会話をぶち込んでくるなんて、やめて欲しいと佐倉の額から汗が流れ出た。

「そういう……話は……」

「前戯は一切なしで、すぐに挿れてきて、ヤってる時もこっちなんて一度も見ないし、オナホ状態ってやつ?」

「やめ……」

「あの人、自分の部屋でしかヤレないのよ。ある意味可哀そうになっちゃう。アレじゃないと、オーガズムを感じられないなんて……」

「やめてくれ!!」

 佐倉は耳を塞いで叫んでしまった。
 周囲の人々がどうしたのかと驚いた顔で自分を見ているが、激しい動悸と混乱でおかしくなりそうになっていた。

「そんな話、聞きたくない!」

「貴方……もしかして、……あの人のこと……」

 ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった佐倉は、その場から走り出した。
 一刻の早く愛華の側から離れたかった。

 梶の過去がどうかなんて関係ない。
 自分が今見ている梶がいればいい。
 言いづらいことがあったとしても、それは梶の口から聞きたい。

 何を言われても受け入れる自信がある。
 梶は佐倉の罪も孤独も、全部受け止めてくれた。

 梶が帰ってきたら自分の気持ちを話そう。
 そして夕貴に面と向かって謝るんだ。
 梶の隣でちゃんと前を向いて歩けるように……

 走って走って、海沿いの公園までたどり着いた所で、ポケットに入れていたスマホが揺れた。

 立ち止まってから取り出すと、そこには泰成の名前が表示されていた。
 休みの日に電話をしてくることなど滅多にない。
 何かあったのかと思って、佐倉は通話に切り替えた。




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