悪役令嬢ですが、どうやらずっと好きだったみたいです

朝顔

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悪役令嬢ですが、どうやらずっと好きだったみたいです

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 小川のせせらぎを聞きながら、私はウトウトとしながら夢と現実を行ったり来たりしていた。

 遠くでリナリア様という声が聞こえてきて、それが夢なのか現実なのかも分からない。
 私にとってこの世界は夢の中、結局は起きていても寝ていても同じようなものなのだ。

「お探ししましたよ。こんなところでお昼寝なんて……、変な虫にでも刺されたら……」

「……ごめんなさい、ルルシュ。どうしても水の音が聞きたかったの……。もう戻るわ」

 私の言葉に、専属メイドのルルシュは一瞬だけ顔をしかめて、珍しい生き物を見るような目で見てきた。
 分かっている。この反応は何度も経験済だ。

「……お嬢様、お茶の用意ができましたが、手違いでお菓子が一種類だけでして、大変申し訳ございません」

「そうですか。構いませんよ、それをいただきます」

 ルルシュはやはり軽く眉間にシワを寄せて、訳が分からないという顔になった。

 分かっている。
 以前の私なら、こんな時泣き叫んで大暴れしただろう。それを聞き付けたお父様が、料理長をクビにしかねない事態になることも予想できる。

 そう、以前の私なら、だ。

 私の名前は、リナリア・イベリス・センペルヴィレンス。
 長い歴史を持つ、センペルヴィレンス公爵家の令嬢で今年十五才になったばかり。
 兄弟は上に兄二人とその下に三姉妹。私はその三姉妹の末っ子という位置で、生まれたときから可愛がられ、わがまま放題に育ってしまった。
 なんでも欲しいものは手に入れてきたし、父も母も最後の子供だからと、うんと力を入れて育ててきた。
 しかし、結果的に元来の甘えん坊でわがままな性格に拍車がかかり、際限なく要求をして気に入らなければ暴れるが当たり前になってしまった。
 特に上二人の姉が結婚して家を出てからは、リナリアの天下だった。もう止める者は誰もいなかった。

 リナリアはそう育ったのかと思ったとき、深く納得してしまった。
 際限なき欲望がやがて自らの破滅をもたらすとは思いもしなかっただろう。
 そう、少し前までは……。

 センペルヴィレンス家の屋敷がある土地は広大で、花が咲き誇る庭園はもちろん、小川が流れているし池もある。

 一月前、池で遊んでいた私は、足を滑らせて池に落ちた。小さな池ながら水深はかなりあって、ブクブクと泡をふきながら私は底へ向かって沈んでいった。
 そこで思い出したのだ。かつて、同じように沈んでいった自分のことを。

 それは前世の記憶というのだろうか。この世界とはまったく違う異世界で、私はコウコウセイだった。
 三年の最後の修学旅行、宿泊した旅館の裏手に池があって、友達とふざけて飛び込んだのだ。池は思った以上に深くて、底で頭を打ったような気がする。息苦しさを感じたのは一瞬で、後は真っ暗な世界に落ちていった。
 それが、前世の最後の記憶だ。

 リナリアとして、池に沈みながらその事を思い出した。ドレスは重くて動きづらかったけれど、とにかく手足を動かしてなんとか水面に顔を出した。そこで駆けつけてきた使用人達に引き上げられたのだ。
 すぐに着替えさせられ、医者を呼ばれ診察を受けたが大事には至らなかった。
 みんながバタバタと動き回っている間、私は一人冷静だった。

 というより、どうしたらいいのか途方に暮れていた。
 前世の自分は名前も覚えていないし記憶もおぼろげだが、なぜかリナリアという名前がやけに記憶に焼き付いていた。
 徐々に浮かんできた記憶を手繰り寄せると、とんでもないことが分かったのだ。

 あの修学旅行の日、池に飛び込む前に、私は友人とスマホの乙女ゲームについて語り合っていた。乙女ゲームに熱心な友人がいて、彼女のオススメで始めてからすっかりハマって寝食も忘れて没頭していたのだ。
 それは、プリンスLOVE&GAMEというタイトルの乙女ゲームで、ティモール王国を舞台として平民の主人公が実は伯爵令嬢で、貴族の学園に入学して三人の王子様に出会い、恋をするというゲームだった。

 攻略対象は国の第一王子と第二王子、隣国の王子。ライバルとして登場するリナリアは、第一王子ルートではどのエンディングでも主人公を蹴落とそうとひどいことをして、最後は嫉妬に狂って殺そうとまでする。
 上手く攻略が進むと、シナリオの後半でリナリアは断罪されて処刑されるか、よくて監獄送りとなる。
 友人からその話を聞かされたときは、こんなに見た目が可愛いのに残念な子だねなんて言って笑っていた気がする。
 リナリアはふわふわとした金髪の長い髪に、紫色の瞳の可愛らしい外見だった。しかし、いざ主人公をいじめるときは、目元に闇が入って悪魔のような目付きに描かれていた。
 天使のような愛らしい外見を利用して悪行の数々とか断罪ではそんな台詞を言われていた。

 何度も夢かと思ったし、まさかと考えたが、特徴的な名前もゲームよりは幼いが外見もリナリアそのものだった。
 当時、流行っていた異世界転生という言葉が浮かんできて、まさにこれかと納得するしかなかった。

 まさか自分が転生するとは、しかもライバルの悪役令嬢。あの時笑ったことがいけなかったのだろうか。
 前世の私は学校でも目立たない方だったし、地味なタイプだった。修学旅行で最後に背伸びしたような思い出が欲しかった。
 だから結局あんなことになってしまった。
 もう二度と繰り返さないように、慎重に生きることに決めたのだ。

 リナリアとしての記憶もあるが、性格はすっかり前世の自分が入ってしまい、元に戻ることができない。
 さんざん悩んだが、きっと目立とうとして死んでしまった私を神様が不憫に思って、やり直しの機会を与えてくれたのではないかと思うことにした。

 しかし、このまま成長するとゲームのシナリオが発生して、確実にリナリアは悲劇を迎える。
 要するに主人公の恋路の邪魔をしなければいいのだと、まぁその結論に落ち着いた。
 ゲームの内容については、細かい設定は知らないが大筋の部分は覚えているので、悪役令嬢としての役割を拒否することがルートを回避する唯一にして単純な道のだ。

「リナリア様、明日の殿下とお会いする際のドレスですが……、最初に仰っていたピンクのドレスではなく、やはり……あの……」

「ええ、うんと地味なドレスがいいの。誰の目にも入らないような空気みたいなドレスがいいわ」

「………かしこまりました」

 ルルシュが残念そうな顔をしているのが分かる。彼女はリナリアをお人形のように着飾るのが好きらしくやり過ぎるところがある。
 以前のリナリアも調子に乗って盛るのだ好きだったので、ド派手に着飾っていたが、もうそういうのは是非遠慮したい。
 なぜなら、明日はゲームの攻略対象であり、私を主人公とともに断罪に持ち込み、ルートによっては本人にバッサリと剣で切り殺されるラストまで用意されている相手と会うのだ。

 センペルヴィレンス公爵家は王家との繋がりを婚姻によって強固にしたいと考えている。父も母も最後の子、リナリアにその望みを託している。

 今、王家は王子達の婚約者探しに追われている。本来であればもっと早いうちから、決まっていてもおかしくないが、どうも本人達にやる気がないらしい。
 定期的に高位の貴族の令嬢と話す機会を作っていて、明日は私の番である。
 第一王子ユンフェルンは十六歳、第二王子アクアシードは同じ年の十五歳、リナリアは二人の王子と何度も話しているし、子供の頃から顔も合わせている。

 リナリアはユンフェルン王子のことが好きで、幼い頃から熱視線を送り、会う機会があればしつこいくらいに話しかけていた。
 王子はリナリアには明らかに興味がなく、無反応で冷たい対応をしていた。だが、センペルヴィレンス家の力により、このままいけば来年私が学園に入学する頃には、リナリアとユンフェルンの婚約は成立することになる。
 そして、主人公が現れてこの関係に波乱が起きるのだ。

「……絶対に婚約は阻止しないと」

 ルルシュが入れてくれた甘い紅茶を飲みながら、私は甘くない現実について考えを巡らせていた。せっかく生まれ変わったのに、悪役としてバットエンドなんてまっぴらだ。
 自分のことをちゃんと愛してくれる相手と結ばれて幸せになりたい。
 そのためには、ゲームのゴタゴタに巻き込まれることは避けなければいけない。

 リナリアの今までの記憶では、無視され過ぎていてユンフェルン王子がどういう人なのかがよく分からない。
 このまま平行線の関係でも婚約が成立してしまうなら、とにかく一度話し合って今後関わらないことを決めておかなければいけないのだ。
 私は意を決して、明日の王子との面会に挑むことにした。



 □□



「今日の紅茶の味は気に入らなかった?」

 突然話しかけられて、私はハッとして顔を上げた。カップを持ったまま相手が微動だにしなければ、さすがに興味がなくとも気になったのだろう。
 目の前にいるのは、国の第一王子ユンフェルン。黒髪に琥珀色の瞳のまさしく王子様だ。高い鼻梁の整った顔ですらりと背が高い令嬢達の憧れの人である。つい一月前まではリナリアもまたそうだった。
 しかし今は、自分をバッサリ逝かせるか、監獄へ蹴り落とす恐ろしい人間にしか見えない。

 震えそうになる手を悟られないようにぎゅっと握りこんで、にっこりと笑って見せた。

「いえ、とても美味しいです。お心遣いありがとうございます」

 そう言って、緊張でちっとも味がしないお茶をゴクリと飲んだ。そしてまた、じっと押し黙って指先を眺めた。
 王宮のティールームにユンフェルンと二人きり、最高に気まずい時間だった。
 いつ切り出そうかずっと考えているのだ。
 今朝、父親から殿下との婚約がほぼ決まりそうだと言われた。殿下は相手にそこまでこだわっていないので、それならと押ししたら上手くいきそうだと言われたのだ。
 喜ぶと思っていたのに、私が悲痛な顔をしたので父は不思議そうな顔になっていた。
 それならば、向こうからお断りしてもらうしかない。

「今朝、父から婚約についての話を聞きました」

 私は唾を飲み込んでから、ゆっくりとユンフェルンの顔を見て、話を切り出した。

「ああ、確かに進めているらしいね。任せているから俺もよく知らないけど……」

「誰でもいい、ということですか?」

「そうだね。センペルヴィレンス家なら、釣り合いが取れる」

 ユンフェルンは興味がなさそうに、庭を眺めながらカップを口へ運んでいた。
 たくさんの相手と引き合わされて疲れてしまったのか、みんなが納得するなら誰でもいいという考えかもしれない。

「少し、待ってみてはいかがですか?」

 私の一言に、ユンフェルンがカップを持つ手が止まった。私が喜んでうるさくするとでも思っていたのだろう。意外な反応だったからか少しだけ目を開いたのが見えた。

「結婚は政治だと言いますが、長い時を一緒に過ごすのです。好きな相手と結婚する方が、お互いにとっても国にとっても有益だと私は考えます」

「……何が言いたいんだ?」

「つまり、この人だと思う相手がいつか現れるはずです。その方にお決めになった方が何もかも平和で収まると思います」

 ユンフェルンは持っていたカップをソーサーの上に乗せた。カチャリと硬質な音がティールームに響いた。

「ついこの前まで、俺と結婚したいから婚約してくれとうるさく言ってきたのに……。どういう作戦?リナリア嬢の願う通りになったと思うけど……」

「……実は一月前、自宅の池に転落しまして、生死の境をさ迷いました」

 ユンフェルンは何だってと今度は目を大きく見開いた。ちょっと大袈裟だが、これくらいのインパクトが必要だと思った。

「そのことで、自分の人生について考えたのです。もっと慎重に生きるべきだと。私の希望としては、自分のことを心から愛してくださる方と、添い遂げたいと思っています。わがままを言って申し訳ございません。殿下にはもっと、相応しい方がいらっしゃると思います」

 ユンフェルンの琥珀色の瞳は大きく開かれて、私のことを見つめていた。ずっと彼の愛が欲しいとまとわりついて、熱い視線を送っていたのに、一度として私のことを見てくれる時はなかった。それが身を引くことを宣言したら、やっと見てくれるなんて皮肉だと思った。

「……それでは、どうかお元気で。私のことはなかったものと忘れてください」

 これだけ言えば、面倒な女が勝手に消えてくれたと次に良さそうな相手を探すだろう。そうこうしていれば来年には主人公と出会うことになる。二人が結ばれることが一番ハッピーエンドなのだ。

 静かに立ち上がり、ドレスの端を持ち上げて別れの挨拶をした。
 私は言葉をなくしているユンフェルンを置いて、ティールームを後にした。
 これでいいのだ。婚約などが成立してしまっては、嫌でも主人公との三角関係に巻き込まれてしまう。目の周りに闇を宿して、主人公を殺そうとするなんてごめんだ。
 もっと穏やかで、ほのぼのとした一生を送りたい。
 今日は灰色で地味なドレスだ。露出はほとんどないし、髪もびしっと後ろでひっつめた。修道女のような出で立ちには私の覚悟が漂っているように思えるだろう。
 恐怖で足が震えて心臓の音が鳴り止まなかった。しかしこれで解放されたのだと、私は前を向いて歩き始めた。


 はずだった。


「は?どういうことですか……?私の婚約は白紙になったのでは?」

 朝食のテーブルで父から告げられた言葉に私は朝から衝撃を受けた。
 手からフォークがこぼれ落ちて、お皿の上にカシャンと音を立てて転がった。

「うー……ん。リナリアがあんまり嫌がるから、辞退しようとしたのだが、殿下が……なんというか……乗り気らしくてだな……」

 前回のユンフェルンとの対面が終わってから、私は父親に殿下との結婚の意志がないことを伝えた。色々と話したがどうしても性格が合わないので同じ空気を吸うのも耐えられないと泣いて大騒ぎした。
 父親は家の問題でもあるからと困っていたが、最終的には可愛い娘の泣き落としで話を進めるのをやめることを約束してくれた。

 しかし、あれから一週間。なぜかまた王宮に呼ばれて、ユンフェルンと会うように連絡が来たのだ。
 関係を断ち切るにも色々と手続きが必要なのかと思ったが、父からは婚約の話が順調に進んでいて、これから週に一度は顔を見せに行く必要があると言われてしまった。

「乗り気って…………、はぁ!?あんなに完璧に無視していたくせに?逃げられると追いたくなるタイプかしら?……だめよ……絶対だめよ」

 私が頭を抱えてうなり出したので、父は慌ててなんとかフォローしよう横の席に座ってきた。

「リナリア、王妃になるのが荷が重いのは分かる。だが、ユンフェルン殿下は幼い頃からとても優秀な方で、きっと二人で力を合わせれば……」

「……お父様、そういう問題ではないのです!これは私の命がかかっていて、このままだと私は…………!」

 眉尻を下げて心配そうにこちらを見つめる父親を見て、私はため息をついた。ゲームの話をしても理解してくれるはずがない。
 また、作戦を練り直す必要がある。私は気分が悪いと言って部屋に戻ることにした。



 ベッドに腰かけたまま、もう小一時間一点を見つめて考えていた。
 結論として、こちらから強く拒否することができない以上、婚約が進んでしまっても仕方ないと考えた。
 来年には婚約が決まり、私も学園に入学する。男子は三年間、女子は一年間通うのが決まりになっていて、通常であれば卒業後お妃教育がスタートするだろう。
 しかし、同級生の主人公の登場でユンフェルンの心はあっという間に主人公に傾き、虜になってしまう。
 ゲームのリナリアは婚約者という立場を蔑ろにされて嫉妬に狂って…………。

 という流れなので、こうなったら、ユンフェルンと主人公をむしろ応援して、その時にさくっと身を引けばいいのだ。むしろ自分から、あの子に気持ちがあるなら婚約は破棄した方がよろしいのではなんて進言してもいい。
 要するに、二人の邪魔をしなければ、私の破滅エンドは回避されるのだ。

「もう……これしかないよ」

 去るもの追うタイプなのか、急に謎の執着心を持たれて関係が継続してしまったが、とにかく波風たてないように過ごそうと心に決めたのだった。



 □□



「不満そうな顔だね」

「まさか、別れを告げた相手に翌週また呼び出されるとは思いませんでしたから」

 先週と同じ王子専用のティールーム、暖かい午後の日差しを浴びながら、二人の間には妙な空気が流れていた。

 にっこりと笑顔を作って嫌みを言ってやったが、当人は鼻でふふんと笑ってきた。

「気になるじゃないか。いつもウザったいくらいうるさいくせに、この前は俺のことをほとんど見ようとしなくて、しかも、なぜか怯えていた……」

 さすがと言うべきか、しっかり見るところは見ていたようで嫌な汗が背中に流れた。
 しかし、こちらももう腹をくくったので、駆け引きなどする必要もない。

「はっきりお伝えしましょう。私、夢を見たのです」

「夢?どんな夢だ?」

「殿下にその腰に下げている剣でバッサリ斬られる夢です。お恐れながら私とて命が惜しいので、そのような方と同じ空気を吸いたくないのです」

「ちょっと待ってくれ。それは夢なのだろう。俺が君を斬ることなとありえない。勝手にそんな妄想を押し付けられても困る」

 今のユンフェルンならそれはそう言うだろう。しかし、未来のあなたはその金色の瞳を細くして、汚らわしいけだものを見るかのような目で、バッサリとやってくれるはずだ。

「では妄想で結構です。こんな頭のおかしい女は面倒だと思いますよ。適材適所、相応しい方を……」

「いや、興味が沸いた」

 私の言葉を遮って、ユンフェルンは机に乗り出してきた。ずっと打っても響かなかった人が嘘のようだ。

「……話を聞いていましたよね?」

「俺の周りは、いつもうるさくて機嫌ばかり取ってくる似たような人間ばかりで飽き飽きしていたんだ。リナリアの率直な物言い、素直な反応が面白い」

 しまったと思った。これは、お前って面白いやつのフラグを完全に踏んでしまったらしい。
 これほど嬉しくない勘違いはない。

「殿下、その感覚は大きな勘違いです。私は他のご令嬢方と何一つ変わりありません。むしろ、地味でつまらない部類の人間です。どうか、見逃していただけませんか?」

「そんなことを言うのは君くらいだよ。やっぱり面白い」

 どうやら、話が通じない男らしい。私は頭痛を覚えながらため息が出そうになるのをこらえた。
 ここで例えば令嬢らしからぬ行為、例えば木登りをしてみるとか、そういう突飛な行動に出ると、お前って何なの?という反応で、ますます王子の興味をひいてしまうだろう。
 私は山のように動かず、大人しくお茶を飲み続けることにした。




「それでアクが言うには夜中にトイレに行きたくなるのは、寝る前に水を飲み過ぎるからだって言うんだよ。だからあいつが試したのはベッドで寝ながら好きなだけ水を飲むってやつで……、案の定、翌朝起きたらシーツは大洪水で……」

「ゴホン!」

 完全無視の口数の少ない男はもはやどこへ行ったのか分からない。見事に逆転してユンフェルンは上機嫌で喋り続けていた。しかも、どう考えても令嬢に話すとは思えない話題だ。

「……その話題は、ぜひご学友の方達と語らい合ってください。令嬢に披露するには相応しくない……」

「で、リナリアはどう思った?」

 目上の人間にどう伝えたらいいかと考えながら口にしていたら、またユンフェルンに話を遮られてしまった。さすがに私もカチンときたのだ。

「………寝る前に水をがぶ飲みしたらトイレに行きたくなるのは当然です。寝ながら飲むのも同じです!ぜひアクアシード様には、眠る二時間前には飲み食いを終わらせて、トイレを済ませてから寝るように言ってください!というか、小さな子供でも分かることですよ!以上、殿下も令嬢が口にするにはとんでもない話題を振らないでください」

 私が真っ赤になりながら怒っていると、ユンフェルンは耐えきれなくなったようにゲラゲラと笑いだした。

「はっはははっ……、おかしい……。リナリアがこんなに面白かったなんて……。今までと変わりすぎないか?ずっとあのうるさいバカっぽいキャラ作ってたの?」

「……あれが私の本当の姿です」

「本当?それはそれで面白い!」

 もう何を言っても通じなくて、私は降伏するしかなかった。どうせ学園に入れば捨てられる運命である。もう気を使う必要もないと肩の力を抜いたのだった。


 それから私は週に一度、王宮に呼ばれる生活が続いた。それが週に二度になったり、三度になったりと変わっていき、あちこち連れ回されるようになった。

「……殿下、もう少し離れて歩いてくれませんか?」

「なぜ?婚約者なのに遠慮する必要はないだろう」

 それはそうなのだが、往来でくっついて歩くのは恥ずかしい。そしてユンフェルンは相変わらず強引で話が通じない。
 二人で頻繁に会うようになってから妙に懐かれてしまい、隙を見せると手を繋ごうとしてくるし、やたらベタベタと触ってくる。
 今日も町に行きたいというユンフェルンの誘いで、あれこれと店を連れ回されていた。

「俺の婚約者は冷たいなぁ、もう少し優しくしてくれてもいいのに」

 この台詞が出ると殿下の護衛達の視線がナイフのように私に刺さってくる。痛すぎる視線に晒されて根負けした私がおずおずと手を出すと、ユンフェルンはその手を掴んで嬉しそうに笑った。
 護衛達からその笑顔に、おぉという声が上がる。どうやら、ユンフェルンは滅多に笑わない男だったらしく、その貴重な笑顔を拝めたといちいち反応するのがウザったいことこの上ない。
 確かにいつも無表情が張り付いていて、今まで笑顔を見たことはなかった。それが、あのティールームでゲラゲラ笑ってからは、頻繁にキラキラとした笑顔を見せてくるので、眩しくてしょうがない。

「嬉しいな。リナリアと手が繋げるなんて」

 笑顔でそんな台詞を言われて思わずクラっとしてしまう。
 繋いだ手からユンフェルンの温かさが伝わってきて胸がトクンと鳴った。

 よくない兆候だ。
 ユンフェルンは見た目はカッコいいし、私のことを面白い面白いと小バカにしながらも、ちゃんと優しくて女の子として扱ってくれる。しかも、こんな風に触れ合って甘い言葉を言われたら、いくら防御していてもグラっときてしまう。

 私の作戦は大人しく身を引いて主人公とユンフェルンの恋を邪魔しないこと。
 それには、自分の気持ちなどまったく計算に入っていなかった。
 死ぬのも監獄に入るのも怖い。
 それを回避するためには、笑顔で身を引くしかない。
 もう少ししたら、こんな風にユンフェルンの隣で手を繋いで歩くのは主人公なのだ。
 こんな風にユンフェルンの顔を間近で見つめるのも私では…………。

「どうしたの?リナリア……」

「……え?」

「そんな顔をされたら……、ここがどこだか忘れてしまいそうだよ」

 ユンフェルンの手が伸びてきて私の頬に触れた。その指先は熱くて頬をすべった後、私の唇に触れた。

 熱い。
 私はこの熱を知っている。
 私の心に灯った熱と同じ熱さだ。

「ユンフェルン様、行きましょう。あちらのお店も見たいと仰っていましたよね」

 私は明らかにおかしかったが、ユンフェルンの指先から逃れるように距離を取った。
 怖くて顔を上げることができなかった。
 ユンフェルンの顔も見れないし、私もひどい顔をしているだろう。

「…………そうだね。行こうか」

 忘れてはいけない。
 私は忘れてしまいそうになっていた。
 これが、期間限定の関係であることを。
 こんな風に、自分を見つめてくれるユンフェルンも、主人公が現れたら、あっという間に心を奪われてしまうのだ。
 私はゲームのリナリアの気持ちが少しだけ分かってしまった。
 それが、怖くてたまらなかった。

 その後はユンフェルンと手を繋ぐこともなく、お店を回ってから別れて家に帰った。
 これ以上進んではいけない。私の中の信号は危険の色を示していた。

 その日の夜、今まで仮の状態だったが、ユンフェルンとの婚約が成立したことが知らされた。

 私は早く時間が過ぎて欲しいとひたすら祈っていた。



 □□


 異世界の桜は前世のときと同じく淡いピンク色で、はらはらと舞い落ちる姿はどこを見ても絵画を切り取ったみたいだ。
 その美しさに目を奪われて立ち尽くしていたら、校舎の鐘が鳴ったので私は慌てて校門の中へ入った。

 いよいよ今日からゲームの舞台である学園に入学することになる。
 入学式、在校生の代表であるユンフェルンが新入生の前に立って、歓迎の言葉を伝えるイベントがある。
 その時に主人公はユンフェルンと目が合って、お互い一目惚れのような感じになる。式が終わった後、主人公はユンフェルンに声をかけられて名前を聞かれるのだ。
 それが二人の出会い。確か平民育ちの主人公はユンフェルンに軽い感じで話してしまい、それが面白いとか可愛いとかそんな感じで興味を持たれるという設定だ。

 入学式が開かれる講堂へ向かう足が重かった。これから二人の出会いイベントを間近で見なくてはいけないからだ。

 私は今日までのことを思い出していた。
 町デートで気まずくなったが、その後ユンフェルンは態度も変わらず接してくれた。ただ、私があまりにも怯えるのが分かったのか、二人の間には少しだけ小さい距離が空いた。

 その事で安堵する気持ちもあったが、私の心を占めたのは寂しさだった。
 気持ちをないものにするには、ユンフェルンと一緒にいる時間が長すぎた。完全な計算違い、私の心はもうユンフェルンに染まっていたのだ。
 このままだと、私は嫉妬に狂ってユンフェルンに斬られることになる。怖くなったのは、私の中で、それでもいいと思うような気持ちが生まれてしまったからだ。
 ユンフェルンの心が離れてしまうならば、いっそのこと斬られてしまう方が幸せだと……。

「リナリア」

 背中にかけられた声に、私の心臓はビクリと揺れた。
 振り向かずとも、その声で誰だかは分かってしまった。シナリオ通り、挨拶のためにユンフェルンは講堂へ向かっているのだ。

「ユンフェルン様、ここでお会いするのはなんだか不思議な気分ですね」

「ああ、今日からリナリアと学園に通えると思うと嬉しいよ。それに……制服姿、よく似合っている」

 貴族の令嬢向けの女子の制服はシンプルな紺のワンピースだった。私も制服姿のユンフェルンも初めて見た。白いシャツに黒のズボンというこちらもシンプルな格好だが、ユンフェルンの鮮やかな魅力を引き出していてよく似合っていた。
 これが、自分に向けてくれる最後の笑顔かもしれないと思うと、私はいつもより素直に自分の心を開いていた。

「ユンフェルン様も、とってもお似合いですね。素敵です」

「あ……ありがとう」

 いつもツンツンしているのに、やけに素直に答えた私にユンフェルンは驚いているようだった。

「こうして、一緒にいられることは……、とても幸せです……私……ユンフェルン様のこと……」

 つい思いが口からこぼれ落ちそうになった時、周囲がざわざわと騒ぎ始めた。
 人々の間をかき分けるようにして、こちらに歩いてきたのは、真っ赤なロングヘアーに鮮やかな緑の瞳、薔薇の花が咲いたような美貌の女性、このゲームの主人公ダリア・クレマチスだった。
 周囲を圧倒させるような美しさは文句のつけようがない。ピリピリと痺れを感じるくらいの存在感だった。
 その主人公、ダリアがすたすたとこちらに向かって歩いてきてしまった。
 私がこんなところでユンフェルンを引き止めていたので、出会いイベントが講堂の前での出会いに変わってしまったのだ。

「あー、ユンフェルンだ」

 さすが平民の出身でラフな主人公、さっそくユンフェルンを呼び捨てにしてきた。
 遠慮のない呼び捨てに私の方を見ていたユンフェルンの視線がダリアに向きそうになった。
 それがスローモーションのように見えて分かってしまって、私はどうしても耐えられなくなった。

 そっちを見たらすべて終わってしまう。
 私を……私だけを見て………

 気がつくとユンフェルンの顔を両手で掴んだ私は、自分の唇をユンフェルンの唇に重ねていた。

「んっ……」

 下手くそすぎるキスは強くぶつかるように重なってユンフェルンの熱を感じた瞬間、私は正気に戻ってすぐに唇を離して後ろに飛ぶように下がった。

「……リナリア」

「ごっ……ごめんなさい!私……なんてことを……!!」

 ユンフェルン相手に自分からキスを仕掛けるなど、なんという事をしてしまったのか。
 取り返しができない行為に真っ青になった私はその場から走って逃げた。
 どこでもよかった。誰もいない場所に行って、馬鹿なことをしたと頭を冷やしたかった。





「あ……穴があったら入りたい」

 無我夢中で走って逃げた私は、学園の奥に進んでよく分からない庭園みたいなところに来てしまった。
 とりあえず入れる穴がなさそうなので、草が生い茂っているところに入って身を隠すように丸くなった。

 いくらユンフェルンの心を奪われたくないとしても、主人公の前で同意もなくキスをするなんて、最低の悪あがきだ。

 こんなバカなことをしたとしてシナリオは変わらないだろう。あの後、ダリアの存在に気がついたユンフェルンは名前を尋ねたかもしれない。
 その状態で入学式では、新入生への挨拶の時には見つめ合って、終わったらもう二人の世界に突入。
 明日から私は二人の仲の良い姿を見て、ダリアをいじめることに…………はならなそうだ。
 確かに嫉妬で頭がいっぱいだが、そこまでの思考には至らなかった。むしろ、あんなところを見られて結果フラレるなんて恥ずかしすぎて主人公になんて近づきたくもない。
 いっそのこと、登校拒否しようかなと思い付いた。しかし、どんなに遠くに逃げたとしても、ユンフェルンを想う気持ちだけは消えそうもなくて、とくとくと心臓を揺らしていた。

 それに、あんなに私に優しくしてベタベタしてきたくせに、主人公が現れたら心変わりしてしまうなんて、よく考えたらユンフェルンはひどいやつだと思い始めた。

「ばか……ユンフェルン」

 茂みの中でボソリと気持ちを呟いたら、ザッと足が強い力で止まるような音がした。
 もしかして、人気がなかったが誰か通りかかったのかもしれないと私はぎゅっと膝を抱えた。
 しかし、無情にもその足跡は近づいてきて、茂みの前で止まった。
 完全に不審者発見か、サボりの生徒発見でとりあえず職員室行きになるだろう。

「リナリア、見つけた」

 その声が信じられなくて、私の体は震えた。今の時間は入学式に出て、壇上に上がっているはずだ。その人の声がなぜ聞こえるのか、幻だとしか思えなかった。

「俺に勝手にキスして逃げちゃうなんてどういうつもり?」

「…………申し訳ございません。バカなことを……」

「どうして謝るの?それに答になってないよ」

 その声の人はザクザクと茂みの中に入ってきて、丸くなっている私の側にしゃがんで背中に優しく触れてきた。
 ビクリと震えた私が思わず顔を上げると目の前にユンフェルンの顔があって、びっくりして思わずうわっと声が出そうになってしまった。

「で?逃げた理由は?なんで俺とかくれんぼして遊んでいるの?」

 ユンフェルンは怒ってはいなかったが、困ったような顔をしていた。突然私が訳の分からない行為に出て、それは困惑するだろうと思った。

「わ……私、どうしても……殿下に……、ユンフェルン様に……私の方を見ていただきたくて……他の令嬢を見て欲しくなくて……あっ……あんな真似を……」

「ん……?んん?聞き間違い?」

「え?」

「俺がリナリア以外によそ見をしているみたいに聞こえるけど」

 たしかに今はまだ未遂だが、それはこれからの話でというところを、どう伝えたらいいのかで頭がこんがらがってしまった。

「あ……あ……悪夢です!」

「夢?」

「入学式で、ユンフェルン様が他の令嬢に恋をしてしまう夢を見て……、ずっと前から見ていて……いつかそうなるんだと思ってきて……実際その場になったら……どうしても渡したくなくて……」

「また夢かぁ……、リナリアはよく夢に振り回されているな」

「すみません」

 俯いて沈んでいる私の頭をユンフェルンがふわりと撫でた。すっかり呆れられていると思っていたのに、その手から優しさが伝わってきて、尖っていた心のトゲがぽろぽろと落ちていくのを感じた。

「………俺はずっと、みんなが期待する姿になろうとして必死に努力してきたけど、いつの間にか自分が本当に何が嬉しくて何が欲しいのかよく分からなくなっていた。何をしても誉められて、なんでも与えられて……。でも本当は俺自身のことを認めてくれたり、ちゃんと見てくれる人が欲しかった。リナリアは最初は他のやつと変わらなかったのに、急に冷たくなって……、それが、なぜかすごく気になって、話してみれば面白いし……、気がつけば素の自分で話していたのに……リナリアは笑って受け入れてくれた。初めてちゃんと人に認められた気がしたよ」

「ユンフェルン様……」

「俺が恋しているのはリナリアだよ。起きてから寝るまで君のことを考えているのに、他の令嬢のことなんて考えられない。変な夢じゃなくて俺のことを見てよ。リナリアにキスをされて、嬉しすぎて新入生への挨拶をすっぽかして、リナリアのことを探してしまう……、今の俺はただの恋をする男だ」

 ユンフェルンの熱い気持ちを聞いて私はゆっくりと顔を上げた。
 目の前にはいつも飄々としているのに、顔を真っ赤にしたユンフェルンの姿があった。

「ユンフェルン様……なんてお顔されているんですか」

「悪いか……?リナリアはあまり見てくれないけど。リナリアと一緒にいるといつもこういう顔だから……」

 そういえばユンフェルンといるときはドキドキしてしまって、ろくに顔が見れなかった。余裕たっぷりだと思っていたのに、まさか、こんな赤い顔をしていたなんて今さら知って驚きだった。

「ユンフェルン様……、私も……好きです。変な夢に振り回されてなんていないで、ちゃんとユンフェルン様のこと信じるべきでした。ごめんなさい」

 ユンフェルンはそれが答えのように、嬉しそうに微笑んでぎゅっと抱きしめてくれた。温かな胸の中で私はこんな幸せがあるのかと喜びで頭がいっぱいだった。

「それにしても、俺が心変わりだなんて……、どんな夢を見ていたの?」

「あ……あの、先ほど講堂の前でお会いしませんでしたか?伯爵令嬢のダリア・クレマチス、赤い髪の美しい令嬢です。夢では入学式でお二人は出会ってお互い惹かれ合って……」

「ああ、ダリアなら知っているよ。頻繁に王宮に遊びに来て、弟を追いかけ回しているし。アクちゃまとか言う変なあだ名を付けて」

「はあ!?」

 いやいやゲームの始まりは学園の入学式で、その前に二人は顔見知りだったなんて設定はなかったはず、しかもアクちゃまという呼び方が妙に懐かしくて、遠い昔の記憶が私の頭の中をノックしていた。

 色々ありすぎて目がチカチカしているところに、入学式を抜け出した私とユンフェルンを教師が探しながら呼んでいたので、慌ててそちらに向かうことになった。
 思い出しそうで思い出せないもどかしい状態は、遅れて行った入学式で隣の席になったダリアの最初の一言で一気に解消された。

「わぁー、やっぱりリナリア可愛いわ。よかったユンフェルンルートじゃなくてー」

「は?ええええっ?ルート?もっもしかして……プリラブの」

「あ……もしかして、芽衣?嘘!?まぁ私もそうだから、ありえるけど」

 かつてそう呼ばれていた懐かしい響き。その名前を聞いて、私はやっと前世の自分の名前を思い出したのだ。

「そうかぁ、うちら、地味コンビだったからさ、最後の修学旅行で伝説作ろうって……バカなことをしたよねー。まぁある意味語り継がれると思うけど」

「……あの、一緒に池に飛び込んだ……、紗世だよね」

「正解!」

 なんと、あの池に飛び込んだ友人紗世は私と同じくそこで人生が終わって、一緒にゲームの世界に主人公として転生していたのだ。
 驚きで私の心臓はもたないくらい鳴り響いていた。

「まっ!あのおかげでプリラブの世界に転生できたしぃー!シナリオ待っていられなくて、推しのアクちゃまに突入しちゃったけど!」

 これでアクちゃまという言葉がやっと繋がったのだ。アクちゃま、つまりアクアシードは紗世のお気に入りのキャラクターだった。前世でもせっかちだった彼女らしく、転生に気がついたらすぐにアクアシードの攻略にシナリオ無視で乗り出したのには恐れ入った。

「でもおかしいと思っていたのよね。ユンフェルンがリナリアに夢中なんだもの。ゲームだと、形だけの婚約者だったじゃない?一応、反応が見たくて私が声かけてみても私のことなんて完全無視で、王宮でもリナリアリナリア言っていてうるさかったわよ」

「だっ……!そっ……そんな…嘘…!」

「リナリアとデートだからって洋服を並べて、どれがカッコいいって言ってもらえるかで、護衛を巻き込んで白熱討論会とか、お菓子を並べて、リナリアの口に合うのはどれかとか職人の品評会とか……、そうか芽衣が入ってたなら納得」

 まさか本当にそんなことが行われていたなんて、ダリアの口から聞くと冗談としか思えなくて、それでも恥ずかしくなって私は真っ赤になり言葉が出なくなってパクパクと口だけ動かしていた。

「芽衣は前世からユンフェルンだったもんねー。お幸せに」

 その言葉に私の心臓はドンと衝撃を受けたみたいになった。
 そうなのだ。私は前世のとき、ゲームではユンフェルンが好きで彼のグッズまで購入していたほどだった。
 ユンフェルンを前にして好きにならずにいられるはずがなかったのだ。

「……そうか、私思い出したよ。ずっと好きだったんだ」

 前を見たら、ちょうど壇上にユンフェルンが上ってきたところだった。入学式開始当初、行方不明になったので、挨拶の順番を一番最後に回されたのだ。
 国の第一王子の登場で、生徒達の緊張が高まった。凛々しいその姿に令嬢達のため息も聞こえてきた。
 ユンフェルンはまず型通りのお祝いの言葉を述べた。いつも近くで見る彼とはまた違う、優雅で眩しい姿を、ブレーキが外れて好きな気持ちが溢れている私はうっとりとしながら見つめてしまった。
 許されるなら、今すぐユンフェルンの側に駆け寄って、胸の中に飛び込みたい。

「以上が歓迎の言葉です。遅れてしまい申し訳ございませんでした。それと個人的に一言いいですか?」

 王子の言うことを止められる者などここにはいない。誰もがなんの話だろうとぼんやりと見上げた時、ユンフェルンは私の方を見てバッチリ目を合わせてきてにっこりと微笑んだ。

「入学おめでとう、リナリア。誰よりも君を愛してる」

 誰もが一瞬何を言ったのかと会場が静まり返った。しかし次の瞬間には大歓声と拍手に令嬢の悲鳴も入り雑じって会場は割れんばかりの大騒ぎになった。
 私は真っ赤を通り越して完全に沸騰して、倒れそうになってダリアに支えられた。

「当たり前だったけど、これで完全にリナリアに気軽に話しかけるような男子はいなくなったよね。権限をフル活用で牽制するなんて、ユンちゃん凄い独占欲だわ」

 ダリアが真横で呟いていた声が、私の湯で上がった頭の端でほんのり聞こえたような気がしたのだった。



 □□



「ほら、あれくらい言わないと、リナリアは変な夢に惑わされるくらいだからさ。俺の愛が伝わっただろう」

「……ええ、十分に」

「いや、まだ足りない。好きだよリナリア、潤んだ紫の瞳も愛らしい小さな鼻も柔らかい唇も小指の一本でさえも俺の…………」

 学園からの帰りの馬車の中、恥ずかしくて黙っていると、ユンフェルンはこれでもかと愛の言葉を並べてきた。

「わー!!もっ……もう!分かりました!これ以上聞くと心臓が壊れてしまいますから!」

 言葉を聞くだけで息が上がって全速力で駆け抜けたみたいになってしまった。こんな熱烈な愛情の人だとは知らなかった。というより、私が全然見れていなかったのだが。

 ダリアはずっと前にシナリオをぶち壊していたし、私の破滅のルートは気づかないうちに回避していた。そしてユンフェルンと思いが通じ合うことができた。こんなに幸せでいいのかと思うくらいだ。

「うーん、それにしても、リナリアとの初めてのキスが一瞬過ぎて……。もう一回やり直していい?というか嬉しいんだけどさ、俺からしたかった」

「え?ここで?今?」

 ユンフェルンは清涼感ある爽やかな笑顔でうんと首を縦に振った。
 その反則ばりの笑顔に目が眩みながら、この人に勝てる気がしないと思った。

「確かに……、あれはキスというよりぶつかった感じで……、でもこんなところを誰かに見られたら恥ずかしいので、やっぱりここでは…………」

「だめ、もう待てない」

「えっだっ……っっ!!んんっーー!!」

 私がぐだぐだ言っていた台詞は、ユンフェルンにあっという間に飲み込まれるように唇ごと奪われてしまった。

 どうも振り回される未来しか想像できないのだが、それもまた私にとっては幸せだったりする。

 溢れるほどの愛に満たされた二人を乗せて、馬車はゆっくりと未来に向かって進んでいったのだった。






 □完□
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