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喫茶店を出て駅に向かい電車を乗り継いで着いたのは〇市のはずれにある小さな駅だった。
駅を出て住宅街をしばらく行くと庭の広い一軒家の前でヨミがくるりと十束振り返った。
「ここです」
門には『比良坂』の表札がかかっている。
「君の家……だよな」
「はい、どうぞ、上がってください」
鞄から鍵を取り出して、玄関を開けたヨミが十束に上がるように促した。
「ただいまぁ」
『おかえりぃ』
だしぬけに、ヨミが家の中に向かって呼びかけると、それに応じるユーコの声があたりにこだました。
玄関のたたきにはヨミの靴しかないところをみると、家族は家にいないようだ。
十束を居間に通してソファに座るよう勧めると、ヨミは「お茶を淹れてきます」と席を外した。
全体的にスッキリとした無駄のない……だけでなく生活感もどこか希薄な部屋だった。
部屋の中央にはローテーブルを挟んで二人掛け、三人掛けのソファーが並び、壁際にはテレビと本棚が置かれている。
置物だとかちょっとした小物などの類が一切見当たらない。
唯一、出窓にいくつか写真立てが置いてあるのを見て、十束はゆっくりと窓辺に向かって歩いて行った。
家族で撮ったものらしい、その写真には幼いヨミと両親と思しき男女が写っている。
「ヨミのお父さんはヨミが小さい頃に事故で、お母さんは昨年ご病気で亡くなったそうよ」
いきなり背後でユーコの声がして十束は慌てて後ろを振り返った。
「……そこに居たのか」
「まぁね」
すいっと十束の隣に移動したユーコが、写真を見てまぶしそうに目を細めた。
「そういえば君の家族は――」
「どうしているか知らない。 家に帰ってないから」
「――でも、その気になれば」
これだけ自由に行動できるのなら、自分の家に帰ることぐらい容易いだろうに。
ユーコは長い睫毛を伏せ、物憂げ表情でじっと写真を見ながら呟いた。
「……帰れるものなら、帰ってる」
「え……? それはどういう」
……意味なんだ、と言いかけたところで十束の唇にひんやりとした指が押し付けられた。
人差し指で十束を制しながら、ユーコが薄く笑って言った。
「後から説明するわ。ほら、ヨミが戻ってきた」
ユーコが指を離した直後、湯呑を乗せた盆を持ったヨミが部屋に入ってきた。
とん、とん、とん、と茶たくに乗せた湯呑三つ、なぜか一直線に並べられる。
テーブル脇に立ったままの十束を、ユーコが「座って」とソファーの真ん中に座らせた。
十束を挟んで反対側にヨミが腰を下ろす。
――なんで、横一列に並ぶんだ? 向こうにも席があるのに……。
少々混乱しながら十束は湧き上がってきた疑問を飲み込んだ。
「さて、ヨミは先に話すのと後に話すの、どっちがいい?」
「私は後がいいかな。ユーコちゃん、先にお願いできる?」
「りょーかい。それじゃ――」
……始めましょうか、そういってユーコが話し始めた。
「まず、私の事を軽く説明させてもらうわ。名前はユーコ、名字は不明。S県に来たのは三か月半くらい前。それより前の事は殆ど覚えていない。……私、記憶喪失の幽霊なの」
「覚えてない? それじゃあ自分の生前の事や、どこで暮らしていたかも分からないのか?」
「そう、分からないの。でも、ここに来たばかりの頃なんてもっとヤバかったんだから。家族どころか自分の名前すら忘れかけてたし」
やれやれ、といった様子でそう答えるユーコの態度は実にあっけらかんとしている。
――じゃあ、あの日見た夢は……この娘とは無関係なのか?
ほとんど無意識に新聞記事のコピーが入ったジャケットの胸ポケットに触れながら、十束はユーコの話に耳を傾けた。
その頃のユーコは常にボンヤリとした意識のまま、ひたすら街をさ迷い続けていたらしい。
どこかを目指して歩いているハズなのに、どこを目指しているのか分からない。
何かを思い出しそうで、何も思い出せない。
本人曰く「風に飛ばされた風船のようにフラフラ」漂い続けていたのだという。
「……で、そんな状況から抜け出したキッカケなんだけど、街を歩いてたらナンカ変な奴がいてさー? 見た目は普通……より、ちょっとモテそうなカンジの男。私の好みのタイプとは全ッ然、違ったんだけど」
それなのになぜか、強烈にその男に視線が引きつけられた、と同時にボンヤリとした意識がクリアになっていった。
「気がついたらソイツの後を追いかけてた。ソイツは街の中での買い物が終わったら、車を運転して住宅街の方に向かったわ。私? 当然憑いていった。車の後部座席に座ってね」
そこまで一息にはなすと、ユーコは、白い手をついっと伸ばして茶碗をとり、ヨミの淹れた緑茶を啜った。
――飲むのか……幽霊なのに。
人間に触れ、攻撃ができることは知っていたけれど、まさか飲食までできるとは……。変なところで十束は少々感心していた。
「しばらくしたら住宅街に着いた。と思ったら、少し通り過ぎて……人通りの少ない場所に車を止めて、男はじっと何かを待ち始めた」
湯呑を茶たくの上にそっと戻すと、ユーコは続きを話し始めた。話しながら小首を傾げると真っすぐな黒髪がさらさらと肩から滑り落ちる。
「……三十分くらい経った頃かな。道の向こうから女の子がやってきたわ。女の子が車の横を通り過ぎようとして――その瞬間、男は車のドアを開けて……女の子に抱き着いて車内へ引きずり込んだ!」
そう言うが早いか、ユーコがいきなり隣の十束に抱き着いてソファーの上に押し倒した。
当然、反対側にいるヨミも、巻き込まれて十束の背の下になってしまう。
「おい、急に何するんだ!」
「……ユーコちゃん、十束さんが重いよう」
十束の上で、ユーコはクスクスと悪戯が成功した子供のように無邪気に笑っていた。
「ごめんね。でも、こうでもしないと雰囲気でないでしょ?」
しれっと答えながら、ユーコはゆっくりと身体を起こしてソファの脇に立ち十束に向かって体を傾けた。
「男は誘拐犯だったのよ。少女連続誘拐殺人の犯人……『弟切 勇』。もちろん、刑事さんも知ってるはずよね?」
駅を出て住宅街をしばらく行くと庭の広い一軒家の前でヨミがくるりと十束振り返った。
「ここです」
門には『比良坂』の表札がかかっている。
「君の家……だよな」
「はい、どうぞ、上がってください」
鞄から鍵を取り出して、玄関を開けたヨミが十束に上がるように促した。
「ただいまぁ」
『おかえりぃ』
だしぬけに、ヨミが家の中に向かって呼びかけると、それに応じるユーコの声があたりにこだました。
玄関のたたきにはヨミの靴しかないところをみると、家族は家にいないようだ。
十束を居間に通してソファに座るよう勧めると、ヨミは「お茶を淹れてきます」と席を外した。
全体的にスッキリとした無駄のない……だけでなく生活感もどこか希薄な部屋だった。
部屋の中央にはローテーブルを挟んで二人掛け、三人掛けのソファーが並び、壁際にはテレビと本棚が置かれている。
置物だとかちょっとした小物などの類が一切見当たらない。
唯一、出窓にいくつか写真立てが置いてあるのを見て、十束はゆっくりと窓辺に向かって歩いて行った。
家族で撮ったものらしい、その写真には幼いヨミと両親と思しき男女が写っている。
「ヨミのお父さんはヨミが小さい頃に事故で、お母さんは昨年ご病気で亡くなったそうよ」
いきなり背後でユーコの声がして十束は慌てて後ろを振り返った。
「……そこに居たのか」
「まぁね」
すいっと十束の隣に移動したユーコが、写真を見てまぶしそうに目を細めた。
「そういえば君の家族は――」
「どうしているか知らない。 家に帰ってないから」
「――でも、その気になれば」
これだけ自由に行動できるのなら、自分の家に帰ることぐらい容易いだろうに。
ユーコは長い睫毛を伏せ、物憂げ表情でじっと写真を見ながら呟いた。
「……帰れるものなら、帰ってる」
「え……? それはどういう」
……意味なんだ、と言いかけたところで十束の唇にひんやりとした指が押し付けられた。
人差し指で十束を制しながら、ユーコが薄く笑って言った。
「後から説明するわ。ほら、ヨミが戻ってきた」
ユーコが指を離した直後、湯呑を乗せた盆を持ったヨミが部屋に入ってきた。
とん、とん、とん、と茶たくに乗せた湯呑三つ、なぜか一直線に並べられる。
テーブル脇に立ったままの十束を、ユーコが「座って」とソファーの真ん中に座らせた。
十束を挟んで反対側にヨミが腰を下ろす。
――なんで、横一列に並ぶんだ? 向こうにも席があるのに……。
少々混乱しながら十束は湧き上がってきた疑問を飲み込んだ。
「さて、ヨミは先に話すのと後に話すの、どっちがいい?」
「私は後がいいかな。ユーコちゃん、先にお願いできる?」
「りょーかい。それじゃ――」
……始めましょうか、そういってユーコが話し始めた。
「まず、私の事を軽く説明させてもらうわ。名前はユーコ、名字は不明。S県に来たのは三か月半くらい前。それより前の事は殆ど覚えていない。……私、記憶喪失の幽霊なの」
「覚えてない? それじゃあ自分の生前の事や、どこで暮らしていたかも分からないのか?」
「そう、分からないの。でも、ここに来たばかりの頃なんてもっとヤバかったんだから。家族どころか自分の名前すら忘れかけてたし」
やれやれ、といった様子でそう答えるユーコの態度は実にあっけらかんとしている。
――じゃあ、あの日見た夢は……この娘とは無関係なのか?
ほとんど無意識に新聞記事のコピーが入ったジャケットの胸ポケットに触れながら、十束はユーコの話に耳を傾けた。
その頃のユーコは常にボンヤリとした意識のまま、ひたすら街をさ迷い続けていたらしい。
どこかを目指して歩いているハズなのに、どこを目指しているのか分からない。
何かを思い出しそうで、何も思い出せない。
本人曰く「風に飛ばされた風船のようにフラフラ」漂い続けていたのだという。
「……で、そんな状況から抜け出したキッカケなんだけど、街を歩いてたらナンカ変な奴がいてさー? 見た目は普通……より、ちょっとモテそうなカンジの男。私の好みのタイプとは全ッ然、違ったんだけど」
それなのになぜか、強烈にその男に視線が引きつけられた、と同時にボンヤリとした意識がクリアになっていった。
「気がついたらソイツの後を追いかけてた。ソイツは街の中での買い物が終わったら、車を運転して住宅街の方に向かったわ。私? 当然憑いていった。車の後部座席に座ってね」
そこまで一息にはなすと、ユーコは、白い手をついっと伸ばして茶碗をとり、ヨミの淹れた緑茶を啜った。
――飲むのか……幽霊なのに。
人間に触れ、攻撃ができることは知っていたけれど、まさか飲食までできるとは……。変なところで十束は少々感心していた。
「しばらくしたら住宅街に着いた。と思ったら、少し通り過ぎて……人通りの少ない場所に車を止めて、男はじっと何かを待ち始めた」
湯呑を茶たくの上にそっと戻すと、ユーコは続きを話し始めた。話しながら小首を傾げると真っすぐな黒髪がさらさらと肩から滑り落ちる。
「……三十分くらい経った頃かな。道の向こうから女の子がやってきたわ。女の子が車の横を通り過ぎようとして――その瞬間、男は車のドアを開けて……女の子に抱き着いて車内へ引きずり込んだ!」
そう言うが早いか、ユーコがいきなり隣の十束に抱き着いてソファーの上に押し倒した。
当然、反対側にいるヨミも、巻き込まれて十束の背の下になってしまう。
「おい、急に何するんだ!」
「……ユーコちゃん、十束さんが重いよう」
十束の上で、ユーコはクスクスと悪戯が成功した子供のように無邪気に笑っていた。
「ごめんね。でも、こうでもしないと雰囲気でないでしょ?」
しれっと答えながら、ユーコはゆっくりと身体を起こしてソファの脇に立ち十束に向かって体を傾けた。
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