異世界農家のスローライフ

asahi

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飛翔の兆しと商いの香り

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春の足音が、森にゆっくりと忍び寄ってきていた。

 雪解けの水がせせらぎを作り、花の蕾がほころび始めた森の奥。悠馬の開拓地でも、陽の光が少しずつ暖かみを増してきた。

「ふわぁ……今日は暖かいなぁ」

 木の柵の上でうとうとしていたチュンが、ピコの鳴き声に驚いてバサバサと飛び立った。

「こらこら、ピコ。あんまり驚かせるなよ」

 悠馬は笑いながら畑に向かい、ユキに優しく声をかける。

「今日もミルク、もらえるかな? リリーナがヨーグルト作りたいってさ」

 ユキはおっとりと鳴いてから、悠馬の手元にすり寄ってきた。その柔らかな体温と、草の香りが混ざって、春の訪れをしっかりと感じさせてくれる。

「ん~、春だねぇ……」

 リリーナが頭に白い布を巻き、乳搾りの桶を手にやってきた。銀髪が春の光に透けて、まるで精霊のようだった。

「ヨーグルトができたら、ゼムさんに売ってみようかと思ってるの」

「ゼムさん、また来るのか?」

「ええ。『春にはまた森の恵みをもらいにくるぞぉ~』って言ってたじゃない」

「……あの口ぶり、たしかに言ってたかも」

 悠馬は苦笑いしながらも、リリーナの発想に感心していた。確かに、乳製品は保存が利くし、村に持っていけば貴重な商品になるかもしれない。

 そこへ、モカとその子供であるノアが森の小道から駆けてきた。

「メエェ!」

「メェっ!」

 ノアはどんどん元気になっていて、最近は小さな角のようなものが額に芽生えていた。ピコやポコとも遊び、シエルとルーファスのしっぽを追いかけ回す日々。

「ノア、今日も絶好調だな~」

「もうすっかり群れの一員よね」

 笑うリリーナの横で、ポコが飛ぶ練習をしていた。

「クックククッ……!」

 小さな翼を必死にバサバサと動かし、ほんの一瞬だけ地面から浮かび上がる。

「やった!今の見たか?」

 悠馬は慌てて拍手を送り、ピコも誇らしげにクックーと鳴いた。

「ポコ、飛べるようになったらどこ行くの?」

「ピッ!」

 とりあえずピコの後ろをついていくだけらしい。その様子にみんなが笑う。

 そんな賑やかな朝の時間を過ごしていると――森の外れから、聞き慣れた声が響いた。

「ほっほっほ、やってきたぞう」

「ゼムさん!」

 悠馬とリリーナが同時に声を上げると、例の旅商人、ゼムが馬車を引いて現れた。

 その姿は以前と変わらず、丸い背中に大きな荷袋。帽子を少し傾けて、にやりと笑う。

「おお、森の皆も元気そうじゃのう。……ほぅ、これはまた新しい仲間かえ?」

 ゼムの目がノアに向かう。ノアはきょとんと見つめ返し、ぴょこんと飛び跳ねた。

「この子はモカの子供、ノアだよ。最近すっかり走り回っててさ」

「いやはや……森の家族も、どんどん増えておるな。まるで物語のようじゃ」

「ゼムさん、今回は何を?」

「ほっほ、今回はの、ちょいと村のほうで噂が流れておってな。『森に美味いミルクがある』とな」

 ゼムはわざとらしくウィンクをしてから、リリーナの手元の桶に目を向けた。

「ふむ……これは良い色じゃ。においもいい。ヨーグルトにでもしたら、村の子供らが喜ぶじゃろなぁ~」

「さすが、鋭いですね」

 リリーナはニコッと笑い、すでにいくつか作っておいた瓶詰めのヨーグルトを見せた。

「ほっほぉ~! これは……売れるぞぉ~!」

 ゼムは目を輝かせ、腰の袋から銀貨を数枚取り出した。

「おぬしら、これで何瓶分か譲ってくれんかの? わしの目は確かじゃ。これは流行る!」

「ありがたいけど……そんなに?」

「うむうむ、春は芽吹きの季節。新しい味が、人の心を開くんじゃよ」

 悠馬とリリーナは顔を見合わせて、うなずいた。

「じゃあ、お願いするよ」

「感謝するぞい! ……それと、森の小物もついでに預かっていくぞい。木のスプーンや、あの香草も頼む」

「また村で売ってくれるの?」

「もちろんじゃとも。わしの馬車は、いつでもおぬしらの味方じゃ」

 ゼムの後ろで馬がヒヒンと鳴く。その光景が、春の陽射しに照らされて、どこか心地よかった。

 その日の午後、悠馬たちは新しい畝(うね)を作る準備を始めていた。

「ミルクをもっと増やすなら、ユキにもいい草を食べさせてあげたいね」

「うん。あと、畑も広げよう。春のうちにじゃがいもを植えたいし」

 動物たちが元気になって、森も活気づいて、そこに人と人の繋がりができていく。

 ゼムがくれた銀貨は、また何か必要な物資と交換できるだろう。

 ピコとポコは飛び回り、ノアはユノと戯れ、ルーファスとシエルは森の見回りをしている。

 ――ああ、これが、俺たちの暮らしなんだな。

 悠馬は遠くを見つめながら、少しだけ空を見上げた。

 ポコがその隣で、バサッと羽ばたいた。

 次に空を飛ぶのは、誰だろうか。
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