狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百二十六 預かり物

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 やや早足にて先を急ぐ旅人は、武士のふたり連れ。
 厚い雲が垂れ込めたとおもったら、辺りが急に薄暗くなってぽつりぽつりと降り始めた。
 藩境の山間部の道でのことだ。
 ざぁざぁ降る雨に、いつしか行き交う旅人や荷馬の姿も失せていた。

「本降りになってきたか。しょうがない、どこかで雨宿りでも――」

 はっと目を見張り、途中で口をつぐむ。
 振り返ったのは旅装姿の九坂藤士郎である。濡れた編み笠越しに背後をにらむ。
 雨音に混じって、微かに聞こえてきたのは大勢が駆ける音……集団がこちらに向かってきている。

「走れっ!」

 藤士郎が叫ぶなり、連れの者は一目散に駆け出した。
 その背を守るようにして藤士郎も続く。
 連れの者の名前は河合長七郎、弱冠十三歳の武士の子である。
 なにを隠そう、この少年こそが「武仙候」こと大槻兼山から預けられた荷であった。

  ◇

 越後国にある二万七千石の嘉谷藩(かやはん)は御家騒動で揺れている。
 お世継ぎ候補はふたり、御正室の子で嫡子と側室の子の次男だ。歳の差はひとつのご兄弟。
 ふつうならばお世継ぎには嫡子が選ばれる。だが、甘やかされて育ったせいか素行も出来もあまりよろしくない。
 比べて次男は真面目にて努力を怠らず、英邁にて将来が楽しみ。

 嫡子に家督を継がせるのは武家の習い。
 されど、それに固執するあまり肝心の御家を潰しては本末転倒であろう。
 それに御正室の生家にも問題があった。
 藩内きっての名門にて城代家老と近しい縁戚関係にある。この両者が結託することで国元での権勢は並ぶ者なし。
 ここにお世継ぎまで決まれば、いよいよ手がつけられなくなるどころか、実質的には御家乗っ取りとなろう。
 そのせいか近頃の城代家老一派の増長はなはだしく、主家を蔑ろにしての専横も目に余る。
 これを憤り強い不満を抱く反対派の者らがこぞって次男側へとついたことで、藩を割っての熾烈な抗争が勃発した。

 事態を憂いた殿様はいろいろ悩んだ末に、異例ではあるが次男をお世継ぎにすることに決めた。
 国元にて大々的に宣告し、内外に広く示すことで事態の収束をはかり、これを機に溜まった膿を出してしまうことにしたのである。
 しかし納得いかないのが選ばれなかった側の陣営だ。
 負けを認めることは、それすなわち権力闘争に敗れたことを意味している。ここで素直に引き下がっては凋落し身の破滅を待つばかり。
 もうなりふり構ってなんぞはいられない。叛意を隠すことなく、あらゆる手段でもって邪魔者を排除しようと動き出した。
 その邪魔者というのが次男の若君であった。

 大槻兼山からこの話を聞いた時、藤士郎は「はて? つい最近、どこかで聞いたことがあるような話だなぁ」と小首を傾げた。
 それもそのはずである。
 堂傑と藤士郎が「お犬さま」騒動に奔走していた頃に、巌然和尚がかかりっきりになっていた案件というのが、嘉谷藩の御家騒動に端を発した呪詛であったのだ。

 まぁ、それはともかくとして……。
 いざ国元へと乗り込むという段になって、いっそう頻度を増したのが次男の若君への暗殺である。
 離れた江戸表でこれでは、国元へと近づくほどに、より苛烈になるのは明白。
 このままでは若君の身が危うい。さりとて亀となり縮こまっていたのでは、「お世継ぎとしては、まことに頼りない」となって、そこを敵勢に突かれ煽られる。
 そこで敵を惑わし狙いを分散させるべく、考えられたのが囮を放つことであった。
 殿が国元へと向かう大名行列に前後して、別途、国元を目指すのは七組の者たち。
 うちひとつに本物の若君が混ぎれており、残りは偽物にて敵の目をくらます。
 あるいは鮎の友釣りのように、囮にて誘い出しては引っかけ刺客らを一網打尽にする。

 大槻兼山は嘉谷藩の江戸藩邸にて槍の指南をしたこともある間柄にて、七組のうちのひとつを受け持ってくれないかと内々の打診を受けるも、高齢であることと姫のお守りを理由に断った。
 だが、断られるのは嘉谷藩側も折り込み済みである。
 その上で誰か適任の者を紹介して欲しいとの意が込められており、それを受けて大槻兼山が自分のかわりにと推挙したのが藤士郎であった。
 なお長七郎が本物か偽物なのかは、藤士郎も教えられてはいないし、当人も語らず。

  ◇

 懸命に先を駆けている長七郎へと藤士郎が手をのばす。
 襟首をむんずと掴むなり、ぐいとうしろに引いた。

「ぐえっ」

 呻いてのけ反った長七郎が、たまらず尻もちをつく。
 間髪入れず、その頭上をひゅんと一本の矢が通り過ぎた。
 弓を持った者が道の先で待ちかまえていたのだ。待ち伏せである。
 にしても雨で視界が悪い中にもかかわらず狙いが精確だ。いい腕である。もしもあのまま駆けていたら、いまの一矢で終わっていただろう。
 背後から迫る追手の集団、まごまごしていたらいい的だ。
 藤士郎は長七郎を引きずり道をそれ、近くの木立へと向かった。


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