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020 ハチワレネコ
しおりを挟むあっしは母親の顔を覚えちゃいねえ。
物心つく頃には、もうひとりだった。
はぐれたのか、捨てられたのか。
だからって、べつにそのことを恨んじゃいない。
ノラネコの世界ではありふれた話だからだ。
ひとりで生きて、ひとりで死んでいく。
そんなもんだとずっとおもってた。
でも、そんなあっしが、まさか人間の女の世話になるなんてねえ……
あれはまだあっしが駆け出しのヒヨッコだった頃のこと。
魚屋の店先にあった干物をまんまとちょうだいしたまではよかったが、シメシメと油断したところをカラスどもに襲われた。
カラスどもの狙いはもちろん干物だ。
だからさっさと手放してしまえばよかったものを、ついムキになっちまったもので、いらぬケガを負ってしまった。
トボトボと足を引きずる。
寝床にしている廃ビルへと向かう道すがら。
雨まで降り出してきやがった。
すっかり濡れそぼってしまい、踏んだり蹴ったりにて。
さらには空腹なのも相まって、疲労がどっと押し寄せてきやがった。
ふらつく足下、どうにもまぶたが重くてしょうがない。
ついには歩いていられなくなってしまい、あっしは近くにあった駐輪所の隅に雨宿りがてら逃げ込む。
震える体を丸めては、目を閉じジッと回復をはかる。
するとそんなあっしに「あっ、ネコがいる」と声をかけたのは、若い人間の女だった。
若いといっても勤めに出ている、いっぱしの大人だ。
いわゆるOLさんとかいうやつで、この手の女たちはネコ好きが多い。
だから昼飯時などに、公園とかで弁当を広げているところにネコ撫で声で近づけば、たいていおこぼれを頂戴できるので、ノラネコにとってはお得意様でもある。
が、あいにくといまのあっしはシッポを振る余裕もない。
だからそのまま無視をしていたら……
「あら、この子、ハチワレだわ」
そう言いながら女は、ひょいとあっしを抱えあげた。
ハチワレとはネコの毛並みの一種で、顔の毛の色が額から鼻筋を境に分かれており、それが八の字のように見えるネコのことをいう。
100種類以上もあるとされるネコの模様のひとつ。
女はぐったりしたままのあっしを、そのままひとり暮らしをしているアパートの自室に連れ帰った。
これが、あっしと飼い主とのなれそめ。
〇
あっしの飼い主は地味で控えめな女だった。
会社と家を往復するばかりの日常。
女はあっしを「ハチワレ、ハチワレ」と呼ぶ。
勤め人の女は、日中は仕事に行っている。
その間は、あっしが部屋のヌシだ。
水や食べ物は女が用意してくれてあるので、とくに困ることはない。
雨風をしのげて、外敵に襲われることもなく、安心して寝られる温かいベッドもある。
部屋はちょいと狭いが、わりと住み良い環境にて、その日暮らしであったノラネコ時代とは雲泥の差だ。
でも、そんな暮らしはほんの二年ほどで終わった。
女に男が出来た。
そりゃあ若い娘だもの、番(つがい)のひとりやふたりいたとて不思議じゃない。
だが、あの男はダメだ。
甘い言葉をささやいては、女の財布をあてにするばかりのロクデナシ。
なのに女はコロリとダマされてしまう。
見かねたあっしが「シャーッ」と男を威嚇しては、「にゃあにゃあ」懸命に女へ目を覚ますように訴えかけるも、効果はなし。
それどころか逆にこちらが家から追い出されて、捨てられてしまった。
結局、飼い主はあっしよりも男をとった。
こうしてあっしは、ふたたびノラ暮らしへと戻った。
〇
元に戻っただけのこと。
なのに妙に胸のあたりにぽっかり穴が開いたようで、スースーしてしょうがない。
それをまぎらわせるかのようにして、あっしは旅に出た。
風の向くまま、気の向くまま。
あちこちを旅した。
雪山で迷って死にかけたこともある。初めて目にする海の広さに感動した。ときには縄張り争いに加勢したり、気まぐれで子猫の面倒をみたこともある。色恋なんかもそれなりにあったかな。
そうやってあちこち渡り歩いているうちに、ふと思い出したのがかつて自分を捨てた飼い主のこと。
――アイツ、元気にやっているだろうか?
柄にもなく郷愁というのが湧いた。
自然と足がかつて住んでいた町へと向かう。
でも、待っていたのは懐かしい顔でも、見知った風景でもなかった。
かつて住んでいたアパートは無くなり、駐車場に変わっていた。
飼い主だった女があれからどうなったのか、その行方はもちろんわからない。
無性に虚しくなった。
とたんに、どっと体が重くなる。
気づけば、あっしもいい歳になっていた。
いつくたばってもおかしくない。
さりとて屍をさらすのはネコの恥よ。
ノラにはノラの意地がある。
だからあっしは死に場所を求めて、ふらふらと彷徨う。
そのうちに辿り着いたのが、とある神社であった。
境内にはちょっとした梅林があり、そこならば安らかに逝けそうである。
だというのに……
「あら、この子、ハチワレだわ」
あの時聞いたのと同じ台詞に、ドキリとする。
まさかこのタイミングで、かつての名を呼ばれるとはおもわなかった。
声をかけてきたのは、目つきの鋭い従者の青年をつれたべっぴんさんだった。
梅の精かと見まがうようなお姫さまの登場に、あっしは目が点になったね。
これがあっしと御方さまとの出逢いだ。
御方さまに拾われ看病されるうちに、あっしはすっかり元気を取り戻した。
てっきりあのままくたばるのかとおもったが、いまなおピンピンしているからおかしなものだ。
御方さまには多大な情けをかけてもらった。
受けた恩も数知れず。
でも、だからこそあっしは――
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