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144 月下の慟哭(どうこく)
しおりを挟む吊り橋を渡り、森を抜けて、小高い山を越えて、サイズ村へとたどりついた水色オオカミのルク。しかしいきなり村の中へと入ったりはしません。
外からしばし様子をうかがいます。なにせこちらはオオカミの身の上なので。
サイズ村は三方向を山にかこまれた立地にて、ゆるやかな傾斜に沿うようにして石造りの家や牧場に畑などが点在しています。
背の高い建造物は見当たらず、どれも平屋ばかり。これは山からときおり吹く強い風のためとのこと。
となり近所との距離が離れており、家と家との間には牧場や畑があって、畑には立派な農作物がたくさん実っている。
人の数よりもあきらかにウシやヤギの数のほうが多そう。
よほど治安がいいのか、かんたんな柵で村への出入りを管理しているほかは、とくにこれといった侵入者対策がとられている様子もありません。
フランクさんの言うとおり、とてものんびりした村のようです。
これならばどこからでも入り込めます。
とはいえ昼日中から、水色オオカミがうろついていては目立ちますので、夜まで待ってからということになりました。
夕陽が完全に山の向こうに隠れ、最後の茜色の光の筋が消え、夜のとばりが降りるころ。
夜陰にまぎれてこっそりとサイズ村へと忍び込んだルク。
まずはフランクさんの案内にて、彼の生まれ育った家へと向かいました。
ですがそこで待っていたのは、すっかり朽ちてボロボロの雨ざらしとなっている廃屋。
「そうか……、おやじもおふくろも死んじまったのか。それだけ長いこと、オレは谷の底にいたんだなぁ」と、しんみりするフランクさん。
今度は彼の幼馴染みで婚約者でもあったジルさんの家へと向かいました。
こちらはキレイな状態につき、庭先も手入れがされており、家に明かりがともっています。どうやら今でも人がちゃんと住んでいるみたい。
足音に注意をしながら、そろりそろりと家へ近づいたルク。
窓からそっと中をのぞき込みます。
そこには初老の男性と女性、それから夫婦ものらしき男女に、その子どもらしき姿が二つ、計六名の人物が楽しげに食卓をかこんでおりました。
「あれはジルの両親だ。それにあのエプロン姿……、ああ、ジル。よかった元気にしていたようだ。となれば隣の男がダンナさんかな。さすがにいつまでも待ってはいないよなぁ。にしてもだれかな? ちょっとよく見えないな。ルク、もうちょっと右へ」
「えーと、これでどうかな」
「ありがとう。どれどれ、おっ! あれはヘリオのヤツじゃないか。そうか、ヤツがジルと……。で、あれが二人の子どもか。ふふふ、男の子のほうはヘリオに似たんだな。赤髪のくせっ毛のはしが跳ねているところなんて、あいつのガキのころにそっくりじゃないか。女の子のほうはジルに似たキレイな金の髪をして……」
そこでふいにダマりこんでしまったフランクさん。「すまない、ルク。ちょっとここから離れてくれないかな。ここ以外ならどこでもいいから」と苦しそうに言いました。
彼の中にうずまいている想いが、ひしひしと感じられるルクは、彼の意に従い、すぐさま窓辺から立ち去りました。
空にはいつしかまんまるお月さま。
月明りの下をトボトボと歩く水色オオカミ。
道すがらフランクさんは、ずっとダマったままでした。
やがて彼の生家だった廃屋へと戻ってきたところで、ついにこらえきれなくなったフランクさん。「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ、どうして……、どうしてあそこにいるのがオレじゃないんだよ。ほんとうならあそこにいたのはオレのはずなのに。あそこでみんなと笑っていたのはオレだったはずなのに」
どうにもならないことだとは、彼にもわかっているのです。恋人が待っていてくれなかったことも、しかたがないことだとわかっているのです。
いま彼女がしあわせに過ごしているのならば、それでいいとも心の底からおもっているのです。
それでも、それでもくやしくって、かなしくって、やるせなくって。
どうして彼女をしあわせにする役目が自分ではなかったのかと、腹が立ってしかたがないのです。
手の中をすり抜けていったモノが、失ってしまったモノはあまりにも大きくて、とりかえしのつかない流れた歳月が、残酷な現実を容赦なく突きつける。
フランクさんの心が悲鳴をあげていました。
ネコの目にも似た暗闇で淡く光るふしぎな宝石のついた銀の髪飾り。そんな身の上となった彼を通じて、その気持ちが痛いほどわかってしまう水色オオカミの子どもには、かける言葉もありません。
怒りもかなしみも、よろこびもにくしみも、後悔も失意も、すべてを受け入れるしかないのですから。
そしてそれらはすべて、ぜんぶがぜんぶ、ただのひとカケラすらもが苦しみぬく彼の、彼だけのモノ。
他人が気安くふれていいものではありません。土足で踏み込んではいけない領域なのです。
だからルクには、なげきつづけるフランクさんを、ただじっと見守ることしかできませんでした。
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