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12.試練の中断
しおりを挟む「レプス……ッ、リナリアを過去から戻せ!」
フィグルドの怒号に、ぽん、と可愛らしい手乗り黒うさぎが空中に現れる。
『あまり呼び出さないでって言ったのにぃ。今最高にいいところじゃない』
つまらなさそうに抗議してくる黒うさぎを、きつく睨みつける。黒うさぎ姿のレプスはちぇ、と呟いて小さな獣の手をくいくいと動かした。
強制的に過去のリナリアから引き剝がされた「現在のリナリア」がその姿を形成する。現れたリナリアの顔色は青ざめて、ぐったりとしていた。
フィグルドは身体を支えるために彼女の背中に腕を回して、倒れないように抱き留める。
「リナリア……大丈夫か……」
人が血を流し傷つく姿を、彼女のいた世界ではそうそう見ることがないということを知っていたはずなのに。フィグルドは自分の犯した浅はかな罪に歯噛みする。
自分は何も知らなかった。彼女がこの小さな身体に、こんなにも大きな試練を一人で抱えて、戦っていたことを。
彼女が決断しなければ、自分は今この世に存在すらしなかったことを。
過去の自分とのシンクロにより、精神的ショックから意識を失っているのか、瞼を閉じたリナリアから反応はない。
色のなくなった唇を、そっと親指で辿る。
「君が辛い思いをしている時に……、俺は……ただ浮かれて……」
リナリアと思いが通じ合ったのだと、幸せを感じていた。あまりにも滑稽な男がそこにはいた。守っているつもりが、守られていた。
フィグルドは硬く瞼を閉じると、苦しそうに絞り出す。
「レプス……、記憶の試練は途中で辞退可能か?」
空中にふよふよと浮いている黒うさぎは、考えるように長い耳をぴくりと動かした。
そこへ、虎のキャラクター……雷神ティガーもレプスの横に現れる。
『可能といえば、可能よ。ただし、ここまで見た過去の記憶は全て消えて、貴方を忘れたリナリアに戻るわ。そして二度と、やり直しは出来ない』
試練を受けられるのは、一度だけ。
それでもこれ以上彼女の心を傷つけることを厭い、フィグルドが辞退を決意する。
「かまわない……!これ以上彼女の精神に負担は……」
けれど、言い終わる前に、ゆっくりと腕の中でリナリアの閉じていた瞼が開いた。
「……ダメ……」
弱弱しい声に、フィグルドが視線を向ける。
「止めよう。君に忘れられたのは、俺が君にふさわしくないからだ」
リナリアの冷たくなった手を強く握って、フィグルドが懇願する。けれど、リナリアは力なく頭を振る。
「……違う……。ふさわしいとか、ふさわしくないとか……そうじゃなくて」
なんとか身体を起こして、まっすぐにフィグルドの絶望に揺れるタイガーアイを見つめる。
「私……知りたくなったの。過去の私が、何故、貴方を忘れる決心をしたのか」
だって、何も思い出せない私からみても……きっと過去のリナリアはフィグルドを特別に感じ始めている予感がした。そして、当然フィグルドもそのことに気づいたはずだ。
両想いのはずの二人が、何故別れなければならなかったのか。何故……リナリアは離縁を望んだのか。
知りたい、と。いや、自分は知らなければいけないと、そう思った。
リナリアの瞳を見返して、フィグルドは呻くように言葉を紡ぐ。
「闇神との闘いは熾烈だ……今以上の凄惨な場面もある……。俺はこれ以上、君の精神に負担を強いたくはない」
フィグルドの懇願の理由も、想いもわかる。だけどリナリアははっきりと意思を固めて、レプスを見上げた。
黒うさぎの耳が、また小さく揺れる。
『私は女神だから、当然聖女の意思を優先するわ。ティガー、貴方は?』
水を向けられたティガーはしばし沈黙をした後、フィグルドに視線を向けた。
『フィグルド、お主の高潔な魂を疑うわけではないが、愛する者の覚悟を見届けるだけの気概はあるか』
「……っ」
雷神ティガーの聖騎士たる資格は、真実と嘘を暴く光を宿す厳格な魂だ。真実から目を逸らそうとしたフィグルドに、ティガーは選べと迫った。
真実から逃げるか。真実を愛する者と見届けるか。
今のフィグルドにとっては究極の選択といえた。答えなど出ようはずもない。今ここで試練をやめれば、リナリアの……彼女の心を守れる。だが同時に、妻としてのリナリアを失うということだ。
フィグルドにとってそれは半身を失うも同然だ。
妻としてのリナリアも、今目の前にいるリナリアも、フィグルドにとっては大切なただ一人の愛する女性。
過去を見続けることで、リナリアの心が壊れてしまうかもしれない。このまま彼女を危険にさらすことは、フィグルドには耐えられなかった。
どちらかしか選べないのだとしたら、過去の追憶の中で、フィグルドは自分を忘れたとしても彼女が幸せになれるなら、それが正解なのではないか、と意識が変化していた。彼にとって何よりも優先されるべきはリナリアの幸せだからだ。
記憶の試練を……代われるものなら、自分が代わってやりたい。それでリナリアの心を守りながら記憶を取り戻せるなら、なんだってやってやる覚悟だってある。
けれどそれは許されないことだ。
それほど、彼女の行使した「理を超える力」は大きなものだった。
「……」
フィグルドはすぐに答えが出せず、沈黙する。
ここでまた、真実を知りたいと願う彼女に頼るのか。
彼女にばかり苦難を押し付けて。自分には何も出来ないのか。
「……くそっ」
あまりにも無力な自分に、嫌悪と殺意すら渦巻く状況で、フィグルドは是とも、否とも口に出来ない。
「俺は……」
口を開きかけたフィグルドの服の裾を、リナリアが掴む。くい、と小さく引っ張って、自分の目を見る彼を見返す。
「大丈夫……、もし最後まで過去を見た上で、貴方に幻滅して記憶を失くしたのだとしたら……未練も残さないくらい、綺麗に振ってあげる」
あまりにも嘘のないリナリアのまっすぐな言葉が、フィグルドの動かなかった表情筋を崩した。
「……は……はは……」
そっとリナリアの額に自分の額を合わせて、フィグルドは小さく答えた。
「あぁ……。君には敵わないな……」
記憶があろうともなかろうとも、君の魂に惹かれることは変わらない。フィグルドは顔を上げると、神たちを真っすぐに見た。
「ティガー、レプス。試練を続けてくれ」
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