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国民的アイドルの元ライバルが、俺の底辺配信をなぜか認知している 下
しおりを挟む車が走り出して数十分。
連れてこられたのは、都心の一等地にそびえ立つ、要塞のようなタワーマンションだった。
オートロックを顔パスで抜け、エレベーターが耳がキーンとなる速度で最上階へ昇っていく。
連れ込まれた部屋は、俺のアパートが五個は入りそうな広さだった。
夜景が綺麗すぎて、逆に見ているだけで胃が痛くなる。
「……座れ」
革張りのソファを顎で示され、俺は借りてきた猫のように縮こまって座った。
深月は帽子とマスクを取り、冷蔵庫からミネラルウォーターを二本取り出して、一本を俺に投げ渡した。
「……えーと、あの」
沈黙に耐えかねて、俺は口を開いた。
言いたいことは山ほどある。
勝手に連れてくるな、とか。ここどこだよ、とか。
でも、それより先に聞かなきゃいけないことがあった。
「……なぁ、深月」
「あ?」
「お前、なんで俺だって分かったんだ?」
そう。ここがおかしい。
ネットの特定班ですら、俺の住んでいる駅周辺までしか絞り込めていなかったはずだ。本名なんてどこにも出していない。
それなのに、こいつは俺の実家に連絡し、今の住所を特定して乗り込んできた。
「『おでん』が俺だって、どこで気づいた? 炎上動画を見て、声が似てるからって……」
「違う」
深月は短く否定し、俺の隣にドサリと座り込んだ。
距離が近い。嗅いだことのない高そうな香水の匂いがして、15年前より逞しくなった肩が触れる。
「昨日今日じゃない。……最初からだ」
「は……? 最初って」
「初配信」
深月が俺の方を向く。
その瞳は、鋭く、熱を帯びていた。
「『【初配信】30歳誕生日。一人で飲む』……そんなタイトルの配信を見つけて、まさかと思って開いたら、15年前と変わらない声が聞こえてきた」
「……え」
「おまけに、猫キャラで名前が『おでん』だ。……俺が気づかないわけないだろ」
血の気が引いていく。
最初から?
じゃあ、こいつは俺が酔っ払って管を巻いているのも、会社への愚痴も、そしてあろうことか「深月への恨み節」を吐いていたのも、全部知っていたのか?
「ま、待てよ。じゃあお前、知ってて聞いてたのか!?俺が泥酔してアホな配信してるのを、ずっと……!」
「ああ。毎日楽しかったよ。……特等席で見てたからな」
「特等席……?」
深月はニヤリと笑うと、ポケットからスマホを取り出し、画面を俺に見せた。
そこには、俺の配信のアーカイブ画面と、赤文字のスーパーチャットの履歴が表示されていた。
深月は俺の耳元で、あの配信の時と同じ声色で囁いた。
「いい酒を買うんだろ? 陸」
「……は?」
時が止まった。
そのフレーズ。
『いただいた五万で、高い酒買わせていただきますよ。……Kさん、あざっす』。
あの時、初配信で5万円を投げてきた、謎の太客『K』へ言った言葉だ。
「……お、ま、え……まさか」
点と点が繋がった。
最初から見ていた。誕生日のタイトルで気づいた。毎日来ていた。
そして、異常な金額の投げ銭。
「K……?」
「初見です、なんて言うと思ったか?」
深月が楽しそうに目を細める。
「しばらくここから出す気はないからな。……スパチャ代の『いい声』、直接聞かせてもらうぞ」
「……あ、あぁぁぁぁぁ!!」
俺は頭を抱えてソファに沈んだ。
詰んだ。
完全に、詰んだ。
俺の恥ずかしい配信も、過去語りも、謝罪動画も、全てこいつは「太客」として、一番近くで見ていたのだ。
15年ぶりの再会。
俺は最強のアイドル兼、最強のストーカーに、身も心も(ついでに住所も金も)握られてしまったらしい。
「……はぁ。分かった、状況は理解した」
深月からKの正体を聞かされた俺は、深く息を吐き出し、ソファから立ち上がった。
正直、頭がパニックで爆発しそうだが、これだけはハッキリさせなきゃいけない。
「お前が俺を見ててくれたのは……まあ、驚いたし、感謝もしなくちゃいけないんだろうけど。でも、こんなタワマンに軟禁される謂れはねぇ」
「帰るのか?」
「当たり前だろ! 明日も仕事があるんだよ。俺にも俺の生活がある」
俺は玄関に向かおうとする。
だが、深月は動かない。ただ、ソファに座ったまま、長い足を組んで冷ややかな視線を向けてくる。
「外には特定班がいるぞ。お前のアパート周辺は、今頃野次馬がうろついてる」
「うっ……そ、それは……」
「今戻れば、餌食になるのは目に見えてる。……しばらくここにいろ。ほとぼりが冷めるまでな」
正論だ。
今の俺は、社会的に詰んでいる。
だが、だからと言って「はいそうですか」と甘えるわけにはいかない。
俺は拳を握りしめ、精一杯の強がりを言った。
「……だからって、ただで世話になるわけにはいかねぇよ! 俺とお前はただの同級生だし、今さら……」
「なら、仕事としてここにいろ」
「は?」
「家事でも何でもすればいい。部屋が広すぎて掃除が行き届かないんだ」
深月は事もなげに言う。
確かに、これだけ広ければ掃除も大変だろうが……。
そこで、俺は一番重要なことを思い出した。
「待て、それより金だ! 」
「……あ?」
「お前が投げた金だ! ちょっと使っちゃったけど……全額返すから、口座を教えろ」
俺がスマホを取り出すと、深月はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「いらない」
「は? いや、いらないって額じゃねぇだろ! 中古車買えるくらいだぞ!?」
「俺にとっては端金だ。それに、一度投げた金を返せなんて言うほど落ちぶれてない」
「でも俺の気が済まねぇんだよ!」
「……はぁ」
深月が面倒くさそうにため息をつき、ゆらりと立ち上がった。
俺との距離を一瞬で詰める。
長身から見下ろされる威圧感に、俺は思わず後ずさった。
「計算ができない男だな、陸」
「へ……?」
「もし今、お前が返したとしても、プラットフォームの手数料分……約100万は無駄に消えることになる。ドブに捨てるようなもんだ」
「あ……」
言われてみればそうだ。運営に引かれた手数料は戻ってこない。
俺が全額返金しても、深月(と俺)合わせて100万円近い損失が出るだけだ。
「じゃ、じゃあどうすんだよ! 貰いっぱなしなんてできるか!」
「だから、金はいらないと言ってる」
背後の壁に追い詰められた。
逃げ場がない。深月の顔が、鼻先が触れるほどの距離に迫る。
「……その代わり、対価は払ってもらう」
「た、対価……?」
深月の瞳が、暗く、熱く、濁った色に変わる。
さっきまでの冷静な口調とは違う、粘りつくような声が鼓膜を震わせた。
「お前に投げた金……風俗なら最高級のサービスが何十回と受けられる額だ」
「……っ!?」
「どうしても返したいなら、体で払え」
深月の手が、俺の腰を這い上がり、シャツの下にするりと入り込んでくる。
指先が熱い。
俺は悲鳴のような声を上げた。
「ふ、ふざけんな! 俺は男だぞ!?」
「だからだ」
深月は表情一つ変えずに言った。
「女はもう散々試した。……だが、ダメだったんだ」
「は……?」
「だから、男なら……お前なら、もしかしたらと思ったんだ」
深月が俺の首筋に顔を埋め、苦しげに呟く。
俺の腰を掴む手は、どこか縋るように小刻みに震えていた。
「俺は……『病気』なんだ」
「び、病気……?」
「……反応しないんだ。誰が相手でも、どんなシチュエーションでも、俺の体はピクリとも反応しない。……ここ15年、ずっとだ」
「はぁ!?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。
国民的アイドルだぞ? 抱かれたい男ランキング殿堂入りの、蓮田深月だぞ?
それが、まさかの機能不全?
「う、嘘だろ? 病院は……」
「行った。カウンセリングも受けた。バイアグラも、もっと強い薬も全部試した。……だが、何一つ効かなかった」
深月の声には、深い絶望が滲んでいた(ように聞こえた)。
「俺をこんな体にしたのは、15年前……お前と離れ離れになったショックのせいだ」
「はぁ!? お前が『追うな』って突き放したんだろ! 俺は捨ててねぇよ!」
俺は即座に反論した。
勝手にいなくなったのはそっちだ。俺はずっと……。
だが、深月は俺の言葉を無視して、さらに強く抱きついてきた。
「それでもだ。結果として俺は一人になった。……責任、取れよ」
(……こいつ、無茶苦茶だなおい)
自分から離れておいて「寂しくて壊れたから治せ」なんて狂ってんのか?
でも……。
こいつは全てを持っていると思っていた。金も、名声も、ルックスも。
その裏で、男としての自信も機能も失って、15年間も一人で悩んでいたとしたら……。
(……なんか、意外と可哀想なやつなのか?)
理不尽だとは思いつつ、同情心が湧いてしまった。
「……じゃあ、お前。まさか……」
「ああ。付き合った人数も、抱いた人数もゼロだ。……この15年、俺はずっと童貞だ」
俺の脳内で、とあるネットの有名な都市伝説がフラッシュバックする。
30歳。経験なし。不能。
「ま、待てよ……俺たち今、30だよな?」
「ああ。それがどうした」
「30まで童貞だと……魔法使いになれるって……」
俺はガタガタと震えながら、深月を指差した。
「お前、マジで魔法使いになってたのかよ!!」
「……は?」
「国民的アイドルが!? 不能で魔法使い!? 嘘だろ!? ファンタジーかよ!!」
あまりの事実にパニックになる俺を、深月はゴミを見るような冷ややかな目で見下ろした。
「……何の話だ。俺が使える魔法があるとすれば、金と権力ぐらいだ」
「なんか怖い!」
夢も希望もない魔法だった。
だが、深月は俺のツッコミなど意に介さず、スッと目を細めた。
「……で、陸。お前はどうなんだ?」
「え」
「お前は、魔法使いじゃないのか?」
「当たり前だろ!」
深月の額に青筋が浮かぶ。
やばい。地雷を踏んだ。
俺は冷や汗をかきながら、視線を泳がせた。
「い、いや、それは……俺だって30だし、その……ふ、二人くらいは……すぐ振られたけど……」
正直に答えた瞬間、深月の表情から感情が消えた。
握りしめられた俺の腕が、ギリギリと痛む。
「……そうか。俺が死ぬ気で魔法使いやってる間に、お前は……」
「い、言い方! 怖い怖い!」
「……ちょうどいい。俺でお前の過去を全部消してやる」
深月が俺の耳元で、呪詛のように、けれど甘く囁いた。
そして、有無を言わさず俺の唇を塞ぐ。
そのまま、俺たちはソファへと倒れ込んだ。
「んぐっ……! ま、待て……リハビリなんだろ!? 優しく……!」
俺は必死に抵抗した。
不能のリハビリなら、もっとこう、様子を見ながらゆっくりやるべきだろ?
だが、俺の太腿の間にねじ込まれた深月の中心は――
ガチガチに硬く、凶暴なほど熱り立っていた。
(……は?)
当たっているものが、明らかにデカい。硬い。
いや、これ以上ないくらい元気じゃねぇか!
「おい! どこが不能だ! 薬も効かねぇんじゃなかったのかよ!!」
「……嘘じゃない。お前に触れた瞬間、治った」
「早すぎるだろ!!」
深月は俺の抗議など聞こえないふりをして、ギラついた獣の目で俺を見下ろした。
「すげぇな、陸。……15年動かなかった俺の一部が、お前に触れたらこんなに喜んでる」
「喜ぶな! 鎮まれ!」
「無理だ。……溜まりに溜まってるんだ。加減なんてできるわけないだろ」
魔法使いの封印が解かれた瞬間だった。
解き放たれたのは魔法ではなく、ただの性欲モンスターだ。
「覚悟しろ。……朝まで逃がさない」
「んぐっ……! ま、待て! ストップ! ストップだ!!」
俺は必死の形相で、覆いかぶさる深月の肩を押し返した。
深月の動きが止まる。
不満げに歪められた端正な顔が、俺を睨みつけた。
「……なんだ。今さら嫌とは言わせないぞ」
「ちげぇよ! 風呂だ! 風呂に入らせろ!」
俺は叫んだ。
勢いで押し倒されたが、俺は今日一日働いて、汗もかいている。
それに何より……男同士だぞ? 準備ってもんがあるだろうが!
「汚ねぇだろ! ちゃんと洗って……その、中の準備もしねぇと、お前が入った時、大惨事になるぞ!」
「俺は気にしない」
「俺が気にするんだよ!! エチケット大切にしろ!」
俺は深月の腕をすり抜けると、脱兎のごとくバスルームへ駆け込んだ。
「鍵、鍵……!」
バタンとドアを閉め、ロックをかけようとした――その瞬間。
ガシッ、と白い手がドアの隙間にねじ込まれた。
「ヒッ!?」
「……水臭いな、陸。一緒に入ればいいだろ」
ドアが軽々とこじ開けられる。
入ってきた深月は、当然のように全裸だった。
そして、俺の視線は一点に釘付けになる。
……ギンギンだった。
さっきソファで暴れた時より、さらに大きく、血管が浮き上がるほどに怒り狂っている。
あんな凶器みたいなものをぶら下げて、涼しい顔で入ってくるな!
「お、お前……それ、少しは鎮めろよ……」
「お前のせいだ。責任取れ」
「理不尽!」
深月は広い洗い場で俺を壁際に追い詰めると、シャワーの栓をひねった。
温かいお湯が俺たちの体を濡らす。
だが、俺の震えは止まらない。
目の前にある「凶器」のデカさと、深月のギラついた目を見て、俺の本能が警鐘を鳴らしたのだ。
(……無理だ。あんなの入れたら死ぬ)
「あ、あのさ、深月。やっぱり……」
「ん?」
「やめない? 今日はほら、再会を祝して飲むとか……」
俺が言いかけた瞬間、深月の腕が俺の腰に回り、グイッと引き寄せられた。
「……ここまで火をつけておいて、逃がすわけないだろ」
「ひゃっ……!」
「準備が必要なんだろ? ……俺がやってやる」
深月は俺を反転させると、壁に手をつかせた。
無防備な格好で、背後をさらけ出す形になる。
「ちょ、自分でやる! 自分でできるから!」
「黙ってろ。……お前の全部、俺にやらせろ」
深月の指が、俺の臀部を割り開く。
シャワーヘッドが近づけられ、温かい水流が直接、秘所に当てられた。
「ん、ぁ……っ!?」
「力抜け。……綺麗にしてやる」
深月の大きな手が、石鹸の泡と共に滑り込んでくる。
ただ洗うだけじゃない。指先が執拗にシワをなぞり、ゆっくりと、そこを解すように中へ侵入してくる。
「っ、ぁ……み、つき……指、入っ……!」
「リラックスしろ。……ここを広げておかないと、俺のが入らないだろ」
耳元で囁かれる低音と、体内を掻き回す指の感触。
恥ずかしい。同級生に、国民的アイドルに、こんな格好で、下の世話をされているなんて。
屈辱的なのに、深月の指が動くたびに、腰が勝手に跳ねてしまう。
「くっ、あ……! そ、そこ……変な感じ、する……ッ!」
「……中は熱いな。指一本でこんなに吸い付いてくる」
深月は俺の背中に密着し、あの「凶器」を俺のお尻に押し付けながら、さらに深く指を沈めた。
「ん、ぅあぁッ!」
「よく洗って……俺を受け入れられるように、トロトロにしてやる」
洗浄という名目の、開発だった。
温水と指で徹底的に弄られ、俺はバスルームの蒸気以上の熱に浮かされ、膝から崩れ落ちそうになっていた。
何十分もかけた後、それは終わった。
「……よし。十分だ」
シャワーの音だけが響く浴室で、深月が低く満足げに唸った。
俺はと言えば、執拗な「指による準備」のせいで、すでに腰が抜け、深月の腕にしがみつかなければ立っていられない状態だった。
「はぁ、はぁ……も、もういいだろ……出ようぜ……」
「そうだな。……ベッドに行くぞ」
深月はシャワーを止めると、バスタオルを取ることもなく、濡れたままの俺を軽々と横抱きにした。
「うわっ!? ちょ、拭かせろよ! ベッドが濡れる!」
「乾く暇なんてない」
深月は大股で浴室を出て、ラグジュアリーな寝室へと直行する。
キングサイズのベッドに俺を無造作に放り投げた。
スプリングが深く沈み込む音。
「っ……!?」
背中に高級マットレスの吸い付くような感触が広がる。カーテンが開け放たれた巨大な窓の向こうには、眼下に広がる都会の夜景が、宝石箱をひっくり返したように煌めいていた。
その圧倒的な光の海をバックに、逆光になった深月のシルエットが浮かび上がる。
暗がりの中、ギラリと光る瞳だけが、俺を射抜いていた。
整いすぎた顔が、隠しきれない欲望で歪に歪んでいる。
それは、テレビの中の国民的アイドルが見せる爽やかな笑顔とは対極にある、俺を今すぐにでもしゃぶり尽くしたいと言わんばかりの、いやらしい雄の顔だった。
滴る水滴が、俺の火照った肌に落ちて冷たい。
だが、それ以上に――俺の太腿の間にねじ込まれた「熱」が、とんでもない存在感を放っていた。
「……観念しろ、陸」
深月が俺の足首を掴み、M字に大きく開かせる。
目の前には、浴室で見た時よりもさらに充血し、脈打つ凶暴な楔(くさび)。
「ひっ……! む、無理無理! 準備したって言っても、限度があるだろ!?」
「入る。……俺がお前の形になるまで広げたんだ」
深月はギラついた目で先端をあてがうと、腰を沈めた。
「ぐ、ぁああああッ!?」
悲鳴が上がった。
ぬるり、と熱い塊が侵入してくる。
指とは比べ物にならない圧倒的な質量。身体が内側から無理やりこじ開けられる圧迫感に、目の前がチカチカした。
「くっ……! きつい……締めるな、陸……千切れる……ッ」
「ば、馬鹿! 抜いて! 一回抜いて……ッ!」
「嫌だ。……15年待ったんだぞ。ここから先は、1ミリだって引かない」
深月は俺の抗議を噛み殺すように唇を塞ぐと、一気に根元まで腰を打ち付けた。
「ん、ぐぅーーッ!?」
貫かれた。
最奥の、自分でも知らなかった場所に、深月のすべてが埋め込まれる。
息ができない。お腹の中が深月で満たされて、重くて、熱くて、頭がおかしくなりそうだ。
「はぁ、はぁ……ッ! 入った……陸、陸ぅ……ッ!」
深月が俺の首筋に顔を埋め、獣のような唸り声を上げる。
繋がった場所から、ドクドクと深月の興奮が流れ込んでくるようだ。
「お前……っ、マジで加減ってものを……っ」
「動くぞ」
「は? 待て、まだ馴染んで……ひゃあああっ!?」
返答を待たずに、深月が動き始めた。
最初はゆっくりと。けれどすぐに、その動きは激しさを増していく。
引いては打ち付け、引いては打ち付け。
そのたびに、俺の弱点である前立腺が容赦なく擦り上げられる。
「あ、っ! んあ、ぁっ! ま、魔法使い……嘘だろ……ッ!?」
「ああ。……これが、俺の杖だ」
「はぁ!?おっさんすぎ……んあっ! そこっ、深いッ!」
ムードぶち壊しのダジャレにツッコもうとしたが、最奥を抉られて言葉が悲鳴に変わる。
あまりの快感に、腰が勝手に跳ねる。
痛かったのは最初だけだ。今はもう、深月が動くたびに脳髄が痺れるような甘い電流が走る。
「くそ……っ、お前の中、最高だ……ッ! 溶けそうだ……ッ!」
「み、つき……っ! す、すごい、変になる……ッ!」
「なれよ。……俺だけで頭いっぱいにして、俺のことしか考えられないようにしてやる」
深月が俺の手を強く握りしめ、指を絡める。
恋人繋ぎ。
行為は獣のように激しいのに、触れる手や、時折落ちてくるキスは、泣きたくなるほど愛おしさに満ちていた。
(……あ、やばい)
このままじゃ、本当に全部、こいつに塗り替えられる。
15年分の空白も、俺のちっぽけな意地も、全部。
「陸、陸……っ! 好きだ、愛してる……っ!」
「っ!?」
絶頂の寸前、深月がうわ言のように叫んだ。
さっきまで「対価」だの「責任」だの言っていたくせに、極限状態で漏れたのは、隠しきれない本音。
「深、月……俺、も……ッ!」
俺もまた、その熱に浮かされたように深月の背中に爪を立てた。
視界が白く弾ける。
俺たちは互いの名前を呼び合いながら、15年分の想いをぶつけ合うように、同時に果てた。
――だが。
「はぁ、はぁ……っ。……よし、次だ」
「……はい?」
余韻に浸る間もなく、深月が顔を上げた。
その瞳は、一度果てたはずなのに、まだ爛々と輝いている。
そして、俺の中に残っているモノも、萎えるどころか再び硬さを取り戻し始めていた。
「ま、待て! お前、今出したばっか……!」
「言っただろ。15年分溜まってるって」
深月はニヤリと笑い、俺の汗ばんだ額にキスをした。
「リハビリはまだ終わってねぇ。……朝まで付き合ってもらうぞ、陸」
俺の目の前が真っ暗になった。
その夜、俺は「リハビリ」という名目のもと、鬱憤を晴らすかのような激しい「治療」に、朝まで付き合わされることになった。国民的アイドルの体力は、一般人とは別次元であり、絶倫だった。
「……いててて」
オフィスに着くなり、俺はデスクに手をついて小さく呻いた。
腰が痛い。
いや、腰だけじゃない。尻も、太腿の内側も、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
デスクワークで座る瞬間が、今の俺にとって一番の試練だった。
「あれー? 梅本さん、なんか今日いい匂いしません?」
隣の席の後輩女子が、鼻をヒクつかせて顔を寄せた。
「えっ」
「 本当だ!なんか高級感ある匂い! どこの香水ですか?」
「い、いや、香水なんてつけてないけど……」
「でも、すっごくいい香りしますよ? 色気があるっていうか……もしかして梅本さん、彼女でもできましたー?」
ニヤニヤと茶化してくる同僚たちに、俺は引きつった愛想笑いを返した。
彼女? とんでもない。
この匂いの正体は、俺をタワマンに軟禁している某国民的アイドルが愛用している、馬鹿高いシャンプーとボディソープの残り香だ。
ついでに言うなら、昨夜これでもかと身体中にマーキングされた、あいつ自身の匂いかもしれない。
(……言えるかよ。アイドルのフェロモン染み付かせて出勤してます、なんて)
俺は「たまたま柔軟剤変えただけだよ」と適当に誤魔化し、逃げるようにPCに向かった。
あの日から数日。
俺は深月のタワマンから、深月の手配したスモークガラスの送迎車で、ここまで通勤させられている。
そして夜になれば、あの要塞へ強制送還だ。携帯にGPSアプリを入れられたから、寄り道なんてしたらすぐ電話がかかってくる。
(あいつ、忙しいんじゃなかったのかよ……)
深月は今、新曲のレコーディングやらテレビ収録やらで殺人的なスケジュールのはずだ。
なのに、深夜だろうが明け方だろうが、必ず一度は帰ってくる。
そして「リハビリ」と称して、俺を寝かせてくれない。
『まだ完治してない。継続的な治療が必要だ』
昨夜、俺の首筋に吸い付きながら言った深月の言葉を思い出す。
嘘つけ。毎晩あれだけ元気ハツラツで、どこが要治療なんだ。
むしろ過剰摂取でこっちが死ぬわ。
昼休憩。
俺はコンビニのおにぎりをかじりながら、なんとなくスマホでSNSを開いた。
トレンドのトップに『#SIRIUS新曲』の文字が躍っている。
「……あいつ、ちゃんと仕事してんのかな」
怖いもの見たさでタップすると、公式がアップしたティザー動画が出てきた。
まだ歌詞はなく、メロディーだけのデモ音源らしい。
作曲は、深月だ。
『今回の曲は、作詞作曲ともに蓮田深月が担当――』
再生ボタンを押す。
イヤホンから流れてきたのは、切なくも力強い、ピアノとストリングスの旋律だった。
激しいビートはない。けれど、一度聴いたら耳から離れないような、胸をギュッと掴まれるようなメロディー。
「……すげぇ」
思わず声が漏れた。
素人の俺が聴いても分かる。これは、名曲だ。
夜中に俺を襲ってくる性欲モンスターと、この繊細な曲を作った人間が、同一人物だとは到底思えない。
「……やっぱり、あいつは凄いんだな」
画面の中で、クールな表情で微笑む深月の宣材写真を見る。
15年という月日は、あいつをただの美少年から、本物のアーティストへと変えていたのだ。
悔しいけれど、認めざるを得ない。
俺は少しだけ誇らしいような、でも遠い存在のような、複雑な気分で画面を閉じた。
その夜。
『今日はトラブってかなり遅くなる。先に寝てていい』
深月からLINEが入った。
最近は俺が夕飯を作って待っていることが多い。
俺の下手くそな料理でもあいつは喜んで食っているからよっぽど手料理に飢えてたのか。だが今日は、それも必要なさそうだ。
「……よし、チャンス」
俺はガッツポーズをした。
深月がいない夜なんて久しぶりだ。
腰も痛いし、今日はゆっくり風呂に入って寝よう……と思ったが、ふとPCが目に入った。
「……久しぶりに、やるか」
俺はV(バーチャル)のガワを被り、配信ソフトを立ち上げた。
画面の中には、いつものダルそうな猫耳パーカーの青年が映し出される。ここがタワマンだろうがどこだろうが、バーチャルな俺には関係ない。
『【生存確認】久しぶり。一杯だけ飲む』
タイトルをつけて配信を開始すると、すぐにコメントが流れ始めた。
『おでん生きてた!』
『コラボ動画から更新ないから死んだかと思ったw』
『引退動画もあんのに復活ウケる』
『心配させんなよ!』
「悪い悪い。ちょっとリアルがバタついててさ……」
懐かしいリスナーたちの反応に、自然と頬が緩む。
やっぱり、ここは俺のホームだ。
深月との生活も(大変だけど)悪くないが、こうして誰かと適当に話す時間が、今の俺には必要だったのかもしれない。
缶ビールを開け、リスナーのコメントを拾い始めた、その時だ。
ピロンッ♪
聞き慣れた、しかしトラウマになりそうな通知音が鳴り響いた。
画面に赤い帯が表示される。
『K:¥50,000』
コメント:『浮気か?』
「ぶふっ!!」
俺はビールを吹き出した。
開始してまだ3分だぞ!?
「お、お前……! 仕事中じゃねぇのかよ!?」
思わずマイクに向かって叫んでしまった。
コメント欄が『Kキター!』『相変わらずの赤スパw』『浮気って何w独占欲つよw』とざわつく。
深月は今、スタジオで収録中のはずだ。
すると、間髪入れずに次の赤スパが飛んできた。
『K:¥50,000』
コメント:『休憩中だ。通知設定してるからな』
「通知設定すんな! 仕事に集中しろよ!!」
俺は頭を抱えた。
国民的アイドルは、新曲のレコーディングの合間に、底辺配信者の監視をしていたらしい。
昼間、あんなに感動した俺の気持ちを返せ。
『K:¥10,000』
コメント:『飲みすぎるなよ』
一見、体を気遣うファンの言葉。
『久しぶりだからか?スパチャえぐい』
『怒涛の投げ銭』
『開始3分で11万は草』
『時給いくらだよww』
『Kさん相変わらず石油王すぎる』
『「浮気か?」の圧が凄かったw』
『通知設定済みとかガチ恋勢www』
だが、俺には分かってしまった。
これは「酔いつぶれて寝てたら承知しねぇぞ(=帰ったらリハビリな)」という、遠回しな宣告だ。
「……はぁ。Kさんも、無理すんなよ」
俺は引きつった笑顔(アバターだけど)でそう返すしかなかった。
……今夜も寝かせてもらえそうにない。
♢
その夜、深月が帰宅したのは深夜2時を回っていた。
俺はとっくに寝ているふりをしていたが、そんな子供騙しが通用する相手ではない。
「……起きてるだろ」
寝室のドアが開くと同時に、重たい足音がベッドに近づいてくる。
布団が剥ぎ取られ、まだ外気で冷えた深月の体が、俺の体温を求めて絡みついてきた。
「ん……お帰り。遅かったな」
「ただいま。……待ちくたびれたか?」
「寝てたよ」
「嘘をつけ。……配信してた癖に」
深月は俺の耳元に唇を寄せ、ガブリと噛み付いた。
「いっ、てぇ……!」
「『浮気』の罰だ。……たっぷりとリハビリに付き合ってもらう」
そこからは、言葉通りの粘着質な夜だった。
怒っているような、それでいて縋るような。
俺の肌に刻まれた痕を上書きするように、深月は何度も何度も俺を抱いた。
快楽で溶かされながら、俺はぼんやりと思う。
……こんなに求められて、これは本当にただの「リハビリ」なんだろうか、と。
全身で深月に愛された後、腕に包まれ寝かけながら、そんなことを思った。
それから数日後。
俺は会社の休憩室で、テレビのワイドショーを眺めていた。
画面には、映画の舞台挨拶に登壇する蓮田深月と俳優たち。
センターに立つ深月は、いつものクールな表情の中に、どこか憑き物が落ちたような清々しさを漂わせていた。
『蓮田さん、最近とても表情が柔らかくなったと評判ですが、何か良いことでも?』
リポーターのマイクに向けられ、深月が口元を緩める。
『そうですね。……長年の悩みが、ようやく解決したので』
会場から黄色い悲鳴が上がる。
テレビの前で、俺は飲んでいたコーヒーを吹きそうになった。
(……長年の悩みって、絶対アレ(ED)のことだろ!)
公共の電波で堂々と下半身事情の完治報告をするな。
だが、画面の中の深月は、カメラのレンズを通して俺に語りかけるように続けた。
『ずっと止まっていた時間が、やっと動き出した気がします。……これからは、自分の気持ちに正直に生きたいですね』
その言葉に、俺の胸がドキンと跳ねた。
俺のおかげで治った。時間が動き出した。
……なら、俺たちの関係も、少しは変わるんだろうか。
リスナーとか、リハビリとかじゃなくて、対等な関係に――。
そんな淡い期待は、翌日、最悪の形で裏切られることになった。
『SIRIUS蓮田深月、熱愛発覚! お相手は共演女優の成瀬アイリか!?』
スマホの画面に踊る見出し。
俺は息をするのも忘れて、記事をスクロールした。
掲載されていたのは、昨日の舞台挨拶の後、深月と主演女優が高級レストランの個室に入っていく写真。
そして、楽しげに寄り添って店を出てくるツーショット。
「……は?」
成瀬アイリ。清純派として人気の俺の大好きな若手女優だ。
記事には、関係者の証言としてこう書かれていた。
『蓮田さんは最近、長年のスランプを脱して絶好調。新曲のラブソングも、彼女への想いを綴ったものだと言われています』
タイミングが良すぎた。
深月の「長年の悩みが解決した」という発言。
そして、同時期に発表された新曲の、甘く切ない歌詞。
世間は完全に「二人は付き合っている」「深月がついに春を迎えた」と祝福ムード一色だ。
「……なんだよ、それ」
俺はスマホをデスクに放り投げた。
胸の奥が、冷たい手でギュッと握りつぶされたように痛む。
(長年の悩みって……「女で勃たない」ってことだったのかよ)
俺は馬鹿だ。深月にはちゃんと本命がいたんだ。
そう考えると、辻褄が合う。
だから……以前、俺が配信で「成瀬アイリが好き」と言った時、あんなに過剰に怒ったのか。
『チャンネル変えろ』『イライラする』――あれは嫉妬じゃない。俺みたいなおっさんが、彼の大切な恋人の名前を気安く呼ぶのが許せなかったんだ。
俺のおかげで治ったと自惚れていた。
でも、違ったんだ。
深月は俺を使って「リハビリ」をしただけ。俺で機能回復の訓練をして、自信を取り戻して……そして、本命の彼女(成瀬アイリ)の元へ行ったんだ。
「……そりゃそうだよな」
あいつは国民的アイドルだ。
俺みたいな冴えないおっさんより、若くて可愛い女優の方がいいに決まってる。
俺はただの、リハビリで便利な性処理係だったってわけだ。
(……惨めすぎるだろ)
目頭が熱くなるのを、俺は奥歯を噛み締めて堪えた。
治ったなら、もう用済みだ。
これ以上あいつの家にいたら、俺はただの「邪魔者」になる。
「……帰ろう」
俺はその日、定時で会社を出ると、電車に飛び乗った。
向かう先はタワマン。
ただし、帰るためじゃない。荷物をまとめて、出て行くためだ。
人気(ひとけ)のないタワマンの一室。
俺はクローゼットから自分の服を引っ張り出し、ボストンバッグに詰め込んだ。
持って来たものは少ない。すぐに終わった。
最後に、テーブルの上に家の鍵と、封筒に入れた「手持ちの全財産」を置く。
『世話になった。残りの投げ銭は、分割で毎月振り込む』
メモを残し、俺は玄関へ向かった。
二度とここに来ることはないだろう。
さよなら、深月。
楽しかったよ。15年ぶりの、夢みたいな時間。
ドアノブに手をかけた瞬間、外から鍵が開く音がした。
深月が帰宅したのは、最悪のタイミングだった。
ドアが開き、深月が立っていた。
手には、陸が好きだと言っていた店のケーキ。
心臓が止まるかと思った。
「……陸?」
深月は俺のバッグと、靴を履いている姿を見て、目を見開いた。
「……何してる」
「見りゃ分かんだろ。荷造りだ」
俺は努めて明るく振る舞おうとしたが、声が震えた。
「お前、リハビリ完了したんだろ? テレビで見たよ。悩み解決しておめでとう」
「は……?」
「もう俺がいなくても大丈夫だろ。……彼女さんと、幸せになれよ」
俺は深月の横をすり抜けようとした。
だが、すれ違いざま、腕を強い力で掴まれた。
「待て」
「放せよ! 邪魔者は消えてやるって言ってんだよ!」
「誰が邪魔者だ! もしかして記事のことか?あの記事は……!」
「誤解なわけあるか! 悩みが解決したって言ったろ! 新曲もあの子のためだろ!?」
俺は溜め込んでいた感情を爆発させた。
「俺はただの練習台だったんだろ!? もう治ったなら、俺なんて用済みじゃねぇか!」
「ふざけるな!!」
深月が怒鳴った。
壁がビリビリと震えるほどの大声に、俺は竦み上がった。
深月は俺の腕を引いて、玄関の壁にドガンと押し付けた。
その瞳は、怒りと、焦りと、そして泣き出しそうな絶望で揺れていた。
「俺がどれだけ……どれだけお前を見てきたと思ってるんだ!!」
深月の絶叫が、部屋に響き渡る。
その悲痛な叫びと共に、俺たちの時間は15年前に巻き戻った――。
◇
蓮田深月の世界はずっと、灰色だった。
親の都合で転校を繰り返していた俺にとって、学校はただ通り過ぎるだけの場所。
そんな親が離婚し、母の地元に引っ越した。小学5年の夏。俺は休み時間のたびに、一人でボールをダムダムと地面に叩きつけていた。
「おい、転校生!」
その灰色の世界を、土足で踏み荒らしてきたのが梅本陸だった。
「バスケやんのか? 俺も混ぜろよ!」
最初は、変な奴だと思った。
下手くそで、フォームもバラバラで、何度教えても学習しない。
けれど、シュートが入るたびに「っしゃあ!」と太陽みたいに笑うそいつから、俺はそばにいても不快な感じはしなかった。
ある日の放課後。
俺がいつものようにボールを持って校庭へ向かっていると、校舎の角から陸たちの声が聞こえた。
「なー陸、なんで最近ずっとバスケなんてやってんのー?」
「俺らとカードゲームいつやるんだよ。あと昨日発売した『チュイッチ2』も買ったんだぜ!」
陸の友達の声だ。
俺は足を止めた。心臓が冷たくなるのが分かった。
そうだ。普通の小学生なら、根暗な転校生と汗を流すより、最新ゲームの方が楽しいに決まってる。
また一人に戻るだけだ。俺は踵を返そうとした。
「えー! マジで!? いいなぁ!」
陸の声が弾む。……ああ、やっぱり。
「……でも、ごめん! また今度な!」
――え?
俺は耳を疑った。
「そればっかりじゃん。あの喋んない転校生とやってんだろ? 陸、バスケとか別に好きじゃなくね?」
「いやー、最初はそうだったけどさ」
陸の声が、少し照れくさそうに響く。
「やってみたら意外と面白いぞ? ……それにさ、あいついつも一人だろ。俺が行かないと、誰もあいつとやらないじゃん」
「ふーん。陸は物好きだなー」
「物好きじゃねぇよ。話してみると、結構いい奴なんだぜ?」
遠ざかる足音を聞きながら、俺は壁にもたれかかったまま動けなかった。
陸は、俺を選んだわけじゃない。
ただ、一人ぼっちの俺を見捨てておけないだけだ。
誰にでも優しくて、誰のことも放っておけない。
その「優しさ」に、俺はどうしようもなく救われてしまった。
(……なんだよあいつ)
俺の世界に、色が灯った瞬間だった。
それから中学に上がり、俺たちは当然のように同じバスケ部に入った。
俺の世界は「陸」を中心に回り始めた。
だが、残酷なことに才能の差は歴然だった。
俺は身長も伸びて、1年からレギュラー入りして活躍する一方で、陸はずっと補欠だった。
陸には、バスケの才能がなかったのだ。
それでも陸は、「深月に負けねぇ!」と言って、誰よりも遅くまで練習していた。
ある夏の練習試合。
怪我をした先輩の代わりに、陸に久々の出番が回ってきた。
「っしゃあ! 見てろよ深月!」
陸は満面の笑みでコートに飛び出していった。
だが、気合が空回りしていた。
相手の速攻を止めようと無理な体勢でジャンプし、着地に失敗したのだ。
バキッ、と嫌な音がした。
「ぐっ……!!」
「陸!!」
俺は試合を放り出して駆け寄った。
陸は足首を抱えてうずくまり、脂汗を流していた。一目でわかる、酷い捻挫だ。
「……た、立てる。まだやれる……っ」
「馬鹿野郎! こんなに腫れてるだろ!」
「だって……やっと出番が……お前と一緒に、試合に……ッ」
陸が悔し涙を流しながら、俺のユニフォームを掴んだ。
俺は陸を強引に背負うと、保健室へと歩き出した。
背中から伝わる陸の体温。
ふと見れば、陸の指は突き指予防のテーピングだらけで、膝も肘も生傷が絶えなかった。
才能がないのに。体格だって恵まれていないのに。
ただ友達の居ない俺の隣に立つために、こいつはずっと無理をしている。
「……お前、もうバスケ辞めろよ」
「は? 何言ってんだよ」
「見てて痛々しいんだよ。……怪我ばっかしやがって」
口をついて出たのは、心配の裏返しの憎まれ口だった。
本当は言いたかった。
『そんなに傷だらけになるまで、俺を追いかけなくていい』と。
そのひたむきさが愛おしくて、同時に、俺なんかのためにボロボロになっていく陸を見るのが辛かった。
それでも、俺は諦められなかった。
陸が俺のために無理をしてくれることが、歪んだ優越感でもあったからだ。
だが、その感情が「異常」だと気づくのに時間はかからなかった。
「蓮田くん、好きです!」
俺はさらに身長が伸びてモテ始め、女子からの呼び出しが増えた。
けれど、何人かの告白を断った時、同級生の女子は泣きながら俺に言った。
「……蓮田くんって、いつも梅本くんと一緒にいるよね。なんか変だよ!」
「変?」
「男同士であんなにベタベタして……気持ち悪いよ!」
気持ち悪い。
その言葉は、呪いのように俺の胸にこびりついた。
部室に戻ると、陸が他の男子たちと着替えているところだった。
制汗スプレーの匂いと、男臭い熱気。
「やっぱアイドルのめぐりん可愛くね? 俺、ファンクラブ入ろうかなー」
「お前そればっか見てんのかよ!まぁ、匂いとか絶対いいよなー」
陸が他の奴らと盛り上がっている。
女のアイドルの話。可愛い子の話。
それが「普通」の男子の会話だ。
陸の輝くような笑顔を見ながら、俺は絶望した。
(陸はこっち側じゃない)
俺がこんなにドロドロした欲望で陸を見ている間、陸は「普通の男の子」として、女の子に恋をして、大人になっていくんだ。
俺だけが、バケモノみたいに取り残されていく。
限界が来たのは、中3の秋だった。
卒業が近づき、俺の独占欲は暴発寸前だった。
いっそこのまま、俺の気持ちをぶつけて、めちゃくちゃにしてしまいたい。
そう思っていた矢先、陸が照れくさそうに言ったのだ。
「なぁ深月。俺さ……隣のクラスの女子のこと、好きかもしんねぇ」
世界が、ぐにゃりと歪んだ。
「……は?」
「いやー、なんか最近よく目が合うっていうかさ。これ脈ありかな? 告ってみようかなーなんて」
陸は楽しそうに笑っていた。
俺が何年も、喉が焼き切れるほど飲み込んできた想いなんて知らずに。
俺の知らないところで、俺じゃない誰かを見て、顔を赤らめている。
――殺意にも似た嫉妬と、どうしようもない惨めさが、俺を貫いた。
(ダメだ。……俺がそばにいたら、いつか陸を壊してしまう)
俺のこの異常な執着がバレたら、陸は俺を軽蔑するだろう。「気持ち悪い」と言って去っていくだろう。
それなら、いっそ。
俺の方から捨ててやる。
「……勝手にしろよ」
「え?」
「お前の恋愛に興味ない。……もう、俺について来るな」
「おい深月? なんだよ急に……」
俺は陸を突き放し、逃げた。
背中で陸が呼ぶ声を振り切って、一度も振り返らなかった。
そして迎えた、卒業式の日。
俺は陸と志望校を合わせる約束を破り、一人で別の進学校へ行く手続きを済ませていた。
式の後、昇降口で靴を履き替えていると、背後からドタドタと走ってくる足音がした。
「おい深月! 待てって!」
振り向くと、陸が息を切らせて立っていた。
陸は少し気まずそうに、でもいつもの太陽のような笑顔を無理やり作って、俺の肩を叩いた。
「なんだよ、水臭ぇな。一緒に帰ろうぜ」
「……」
「最近なんか変だったけど、高校行ったらリセットだな! 俺、お前と同じ高校行ってもバスケ続けるからさ」
陸は、俺たちが同じ未来を歩むことを疑っていなかった。
キラキラした瞳で、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「覚悟しとけよ? 高校に行っても、お前には負けないからな!」
その言葉が、俺の心臓を、無数の針が刺さったように痛めつけた。
眩しい。
あまりにも眩しくて、真っ直ぐすぎて……俺のドロドロした感情で見つめるには、綺麗すぎた。
(……ダメだ。これ以上、俺に関わらせちゃいけない)
俺は拳を固く握りしめ、冷たい声を出した。
「……無理だ」
「え?」
「お前とはバスケしない。……高校も、別のところに行く」
陸の笑顔が凍りついた。
「は……? 何言ってんだよ。だって約束……」
「破ったんだよ。お前といるのが、もう鬱陶しいんだ」
心にもない言葉が、ナイフみたいに陸を切り裂いていく。
陸の瞳が揺れ、みるみるうちに涙が膜を張るのが見えた。
泣くな。俺なんかのために泣くな。
俺はトドメを刺すように、背を向けた。
「……もう、俺を追いかけるな」
「……っ、深月……!」
背後で、俺を呼ぶ悲痛な声が聞こえた。
振り返りたかった。抱きしめたかった。「嘘だ」と言って涙を拭いてやりたかった。
でも、俺は足を止めなかった。
自分が傷つかないために、一番大切な相手を切り捨てた。
その代償として――俺はあの日から、男としての機能を失った。
陸以外の誰にも、心も体も反応しなくなってしまったのだ。
◇
「あの時、俺は……本当に、どうしようもない大馬鹿だった」
深月の悲痛な叫びが、狭い玄関に反響する。
15年分の罪悪感に押しつぶされそうな、一人の男の顔だった。
「お前に嫌われるのが怖くて、自分が傷つきたくないだけで……一番大切なお前を、一番酷いやり方で傷つけた」
「……」
「馬鹿な俺は、お前を失って初めて気づいたんだ。……お前がいない世界なんて、生きていても何の意味もないって」
深月は俺の肩を掴む手に、痛いほど力を込めた。
「この15年、後悔しなかった日は一日だってない。……何度もあの日に戻って、自分を殴り飛ばしてでも止めたかった」
深月は一度言葉を切り、潤んだ瞳で俺を真っ直ぐに見た。
「だから……お前をネットの海でたまたま見つけた時、本当に奇跡だと思った」
「……え?」
「俺にはすぐにお前だって分かったよ」
深月の顔が、泣き笑いのように歪む。
「最初は、名乗り出るつもりなんてなかった。お前に嫌われたままだと思ってたから」
「……」
「ただの『リスナー』として、またお前の近くにいられればいい。声が聞ければ、それだけでいいって……最初はそう思ってたんだ」
Kの正体。
全部、俺に拒絶されるのを恐れた深月が、それでも俺と繋がりたくて必死に伸ばした手だったのか。
「でも……無理だった。お前の声を聞くたびに、他の誰かに向けて笑うお前を見るたびに、欲しくなって……どうしようもなくなったんだよ。だから……もう二度と、俺の前から消えるなんて許さない」
俺は呆気にとられていた。
俺が勝手にいなくなった?
違うだろ。お前が「ついて来るな」って言ったんじゃないか。
「……何言ってんだよ。意味わかんねぇよ」
「分からないなら、分かるまで言ってやる」
深月が、俺の肩を掴む手に力を込めた。
その瞳は、怒りだけじゃない。15年間ずっと、俺が知らなかった「何か」で溢れそうだった。
「俺がこの15年、誰にも反応しなかったのは、アイツ(女優)が本命だったからじゃない」
「は……? じゃあ、なんで」
「お前じゃなかったからだ」
時が止まった。
「……俺が欲情するのも、執着するのも、この世でただ一人、お前だけだ。陸」
「……っ」
「あの時、お前を突き放したのは……お前が好きすぎて、自分が抑えられなくなったからだ。お前に『気持ち悪い』って拒絶されるのが怖くて、逃げたんだよ!」
深月の口から溢れ出したのは、あまりにも重たく、そして身勝手すぎる15年越しの告白だった。
「……嘘だ」
「嘘じゃない!」
「嘘だろ!? だって、お前あんなに冷たく……!」
信じられるわけがない。
だってそうだろう。俺はずっと、嫌われたんだと思っていた。才能のない俺が、お荷物になったから捨てられたんだと。
だが。
目の前の深月の顔は、必死すぎた。
汗に濡れた前髪、充血した目、震える唇。
国民的アイドルの仮面なんてどこにもない。ただの、不器用で臆病な、15歳の頃の「蓮田深月」がそこにいた。
(……あ、こいつ。マジで言ってやがる)
その事実がすとんと腹に落ちた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
悲しみでも、感動でもない。
真っ赤な怒りが、腹の底から湧き上がってきた。
「……ふざっけんなよ!!!」
俺は深月の胸を、全力で突き飛ばした。
今度は深月もよろめき、背後の壁にぶつかる。
「なっ、陸……?」
「好きすぎて突き放しただぁ!? なんだよそれ! 意味わかんねぇんだよ!!」
俺はバッグを床に叩きつけ、深月の胸ぐらを掴み上げた。
「てめぇが勝手にビビって逃げたせいで! 俺がどんな15年過ごしたと思ってんだ!!」
「陸、聞け、俺は……」
「うるせぇ! 俺だってお前に突き放された後、最悪だったんだよ!」
溜め込んでいたものが決壊した。
「抜け殻みたいになって! 何やっても全然楽しくなくて! 高校行ってバスケ部入ったけど、お前がいねぇと何の意味もなくてすぐ辞めたわ!」
怪我しても、下手くそでも、深月が隣にいたから楽しかったんだ。
それがなくなって、俺の青春は色を失った。
それなりの大学に行って、それなりの会社に入って、死んだように生きてきた。
「そしたら今度は、お前がテレビに出始めてさぁ!」
俺の脳裏に、ある光景がフラッシュバックした。
――あれは、社会人になりたての頃だ。
仕事でミスをして、終電で帰った夜。
誰もいない駅のホームで、俺は巨大な広告ポスターの前に立っていた。
煌びやかなステージ衣装に身を包み、完璧な笑顔を浮かべるSIRIUSの蓮田深月。
ガラスに映る俺は、ヨレヨレのスーツで、疲れた顔をした冴えないおっさん。
あまりの対比に、吐き気がした。
「……俺以外には笑いかけなかったお前が、世間に向けてへらへら笑顔振りまいてて! それ見て俺がどんだけムカついたか分かんのかよ!?」
俺は深月を揺さぶった。
「あの笑顔は! あの優しさは! 俺だけの深月だったのに! なんであんな不特定多数のやつらに安売りしてんだよチクショウ!!」
みっともない嫉妬だった。
でも、それが俺の15年分の本音だった。
俺を捨ててスターになった元幼馴染を、見上げるしかできなかった男の、惨めな叫び。
俺の罵倒を聞いて、深月は一瞬驚いたような顔をした。
けれどすぐに、どこか満足げな、歪んだ笑みを浮かべた。
「……そうか。ムカついてたのか」
「あぁそうだよ! 悪いかよ!」
「いや。……よかった」
「はぁ!?」
深月が俺の頬に手を添える。その手は熱く、微かに震えていた。
「……俺がアイドルになったのは、そのためだからな」
「……え?」
「離れても、お前が絶対に俺を忘れないように。テレビをつければ、街を歩けば、嫌でも俺が目に入るように。……一方的に、俺の存在をお前に刻みつけてやりたかったんだ」
ゾクリ、と背筋が凍った。
狂ってる。
こいつがトップアイドルに上り詰めた動機は、夢でも希望でもなく、ただ一人の好きな人への、歪んだ執着心だけだったのだ。
「……やっぱりお前、重すぎるんだよ……バカ……ッ」
俺の目から、ポロポロと涙が溢れ出した。
怒りも、悲しみも、愛しさも、もう全部がごちゃ混ぜだった。
15年かけて拗らせた俺たちの関係は、もう後戻りできないところまで来てしまっていた。
「うるせぇ。お前だって、俺のポスター見て嫉妬してた癖に」
「嫉妬じゃねぇよ! ムカついてただけだ!」
「それを嫉妬って言うんだよ。……バーカ」
深月が俺の涙を親指で乱暴に拭った。
その顔は、アイドル・蓮田深月の完璧な笑顔なんかじゃない。
俺だけが知ってる、生意気で、意地悪で、どうしようもなく不器用なガキの顔だった。
「……もう、逃がさないからな」
「逃げるかよ。……ここまで聞かされて、逃げられるわけねぇだろ」
俺は深月の首に腕を回し、力任せに引き寄せた。
「責任取れよ、深月。……俺の15年、全部お前にやったんだから」
「ああ。……俺の一生も、全部お前のモンだ」
唇が重なる。
今までの、探り合うようなキスじゃない。
互いの存在を確かめ合うような、深く、熱く、溶けるような口づけ。
「んっ……ふ、ぁ……っ! ちょ、待て……ここで……?」
「ベッドまで待てない。……我慢の限界だ」
深月が俺の体を抱き上げ、そのまま玄関の狭い廊下に押し倒した。
冷たいフローリングの感触なんて気にならないくらい、深月の体温が熱い。
「いっ、てぇな! 雑にすんな!」
「うるせぇ。……愛してる」
「っ……! 卑怯だぞ、そのタイミングで……っ!」
「愛してる、陸。……大好きだ」
「わ、分かった! 分かったから……んむっ!?」
雨のように降り注ぐ愛の言葉とキス。
もう、言葉での喧嘩は終わりだ。
ここからは、体での対話――いや、15年分の空白を埋める、長くて甘い夜の始まりだった。
(……あーあ。俺の人生、とんでもない男に捕まっちまったな)
視界の端、脱ぎ捨てられた俺のバッグと、潰れたケーキの箱が見える。
甘くて、ぐちゃぐちゃで、でも最高に幸せな俺たちの未来みたいだ。
俺は深月の背中に強く爪を立て、観念して目を閉じた。
「……俺も、愛してるよ。……バーカ」
その呟きは、すぐに甘い吐息へと変わっていった。
エピローグ
それから数日後。都内某所のテレビ局、楽屋にて。
「おー、深月。なんか今日、肌ツヤ良くね?」
収録終わり、メイクを落としている深月に声をかけたのは、SIRIUSのメンバーであるレンだった。
レンは鏡越しに深月の顔を覗き込み、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「その様子だと……やっと上手くいったみたいだな? 例の『15年越しの片想い相手』と」
「……うるさい」
深月は素っ気なく返すが、その口元は隠しきれないほど緩んでいた。
メンバーの間では有名な話だった。
絶対的エースである蓮田深月が、実は15年も前の片想いを拗らせて童貞を貫いているという「重すぎる事実」は。
「いやー、良かったよマジで。お前、その子思い出すたび、情緒不安定になるからさぁ。これで少しは落ち着いてくれると、メンバーとしても助かるわけよ」
レンが肩をすくめていると、楽屋のドアが開き、もう一人の男が入ってきた。
SIRIUSのリーダー、朔(さく)だ。
「お、深月。まだいたのか」
「朔か。……どうした、その顔は」
朔は深月の顔を見るなり、眉を下げて頭をかいた。
「いや……改めて謝ろうと思ってさ。こないだの週刊誌の件」
「ああ、あれか」
「ごめんな。俺がアイリをメンバーに紹介したいなんて言って、食事会なんか開いたせいで……」
そう。あの週刊誌の写真は、完全な誤報だった。
あの日は、リーダーの朔が「付き合っている彼女(成瀬アイリ)を紹介する」と言って、メンバーを集めた極秘の食事会だったのだ。
店を出る際、深月が気を利かせてアイリをエスコートした瞬間を、運悪く(あるいは朔にとっては運良く)パパラッチに切り取られただけだった。
「俺たちが時間差で店を出たのが裏目に出たよな。まさか深月が『熱愛彼氏』扱いされるとは……。訂正コメント、やっぱり出した方がいいか?」
「いや、いい」
朔の提案を、深月は手で制した。
「え、いいのか? お前の相手に誤解されたらマズいだろ?」
「……最初はマズいと思ったが、結果的にあれが効いたんだ」
「は?」
「あの記事のおかげで、あいつが嫉妬して戻ってきた。……だから、今のところは『誤報』のままでいい。お前の恋路の隠れ蓑になってやるよ」
深月がニヤリと笑うと、朔は「お、おぅ……さすが深月、懐が深いな」と呆気にとられていた。
まさか、その誤報を利用して長年の恋心が成就したとは夢にも思うまい。
「……さて、帰るぞ」
「お? 今日は打ち上げパスか?」
「先約がある。お疲れ」
深月は荷物を掴むと、メンバーの制止も聞かずに楽屋を飛び出した。
送迎車に乗り込むと同時に、通知がきた。
手慣れた手つきでスマホを操作し、いつもの配信アプリを開く。
『――というわけでね、今日は久々に高いビール買っちゃいましたー!』
画面の中では、猫耳パーカーのアバター(陸)が、安っぽいエフェクトのビールを片手にへらへらと笑っている。
その声を聞いただけで、深月の胸の奥がじんわりと熱くなる。
俺の陸。
今はもう、身体も、心も、すべて俺のものだ。
「……可愛いな」
深月は愛おしそうに呟くと、迷わず右下の「¥」マークをタップした。
金額は、もちろん上限(MAX)。
ピロンッ♪
画面の中で、派手な通知音が鳴り響く。
『うぇっ!?』
陸のアバターがビクッと飛び跳ねた。
『K:¥50,000』
コメント:『早く帰れそうだから、風呂沸かして待ってろ』
『ぶふっ!!』
陸が盛大にビールを吹き出す音が聞こえた。
『ちょ、Kさん!? いやKさんっていうかお前……ここ配信! 配信中だから! 公私混同すんな!』
アバターが慌てふためき、目がバッテンになって右往左往している。
コメント欄が『Kさんキター!』『風呂!?』『もしや同棲……?』『こいつら、ついに付き合ったんか!?』と爆速で流れていく。
『K:¥10,000』
コメント:『嫌なのか?』
『嫌とかじゃなくて! ……はぁ。分かったよ、沸かしとくよ! だからもう投げるな!』
観念したように肩を落とす陸のアバターを見て、深月は満足げに鼻を鳴らした。
画面の向こうで、顔を真っ赤にして怒っている陸の姿が目に浮かぶようだ。
深月は車のシートに深く体を預け、夜の街を流れる景色を眺めた。
15年止まっていた時計は動き出した。
これからは、1秒だって離さない。
国民的アイドルと、底辺Vチューバー。
凸凹で、歪で、最高に幸せな二人の毎日は、まだ始まったばかりだ。
(完)
エピローグ2
「……なぁ、そういえば」
「ん?」
「なんでハンドルネーム、『K』だったんだ? 俺やお前のイニシャルでもないだろ?」
ふと思い出した疑問をぶつけると、深月はきまり悪そうに視線を逸らした。
「……あー、あれか」
「なんだよ、言えよ」
「……お前の配信を見つけた時、手が震えてたんだ」
「え?」
「すぐにコメントしたくて、アカウント名の登録で焦って……キーボードを適当に叩いたら、そこが『K』だった」
「……はぁ!?」
「『J』でも『L』でも良かったんだ。とにかく一秒でも早く、お前に金を投げたかったから」
俺は唖然とした。
Kの正体が、まさかのそんな理由?
国民的アイドルが、PCの前でガタガタ震えながらキーボードを連打していた姿を想像すると……。
「……ぷっ、あははは!!」
「笑うな。こっちは必死だったんだよ」
「だってお前、もっとカッコいい理由かと思ったのに! Kかっこいい~!」
「うるせぇ。……ほら、帰ったら風呂だぞ」
(完)
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トップ俳優な完璧超人の義理の兄×不幸な自己肯定感低めのネガティブ義理の弟です。
お金ない受けが追い詰められて変なアルバイトしようとしたら、攻めと再会して……?みたいな話です。
攻めがヤンデレ気味で、受けがマジで卑屈なので苦手な人はブラウザバックで。
兄弟は親が離婚してるため、苗字が違います。
攻め:水瀬真広
受け:神崎彼方
⚠️作者は芸能界にもお葬式ににもエアプなので、気にしないでください。
途中でモブおじが出てきます。
義理とはいえ兄弟なので、地雷の人はブラウザバックで。
初投稿です。
初投稿がちょっと人を選ぶ作品なので不安です。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
内容も時々サイレント修正するかもです。
定期的にタグ整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった
釦
BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。
にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
付き合っているのに喧嘩ばかり。俺から別れを言わなければならないとさよならを告げたが実は想い合ってた話。
雨宮里玖
BL
サラリーマン×サラリーマン
《あらすじ》
恋人になってもうすぐ三年。でも二人の関係は既に破綻している。最近は喧嘩ばかりで恋人らしいこともしていない。お互いのためにもこの関係を終わらせなければならないと陸斗は大河に別れを告げる——。
如月大河(26)営業部。陸斗の恋人。
小林陸斗(26)総務部。大河の恋人。
春希(26)大河の大学友人。
新井(27)大河と陸斗の同僚。イケメン。
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