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第2章 過去の文明への干渉開始
27.1492年7月、ヨーロッパ諸国への帰国団
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スペインへ『帰国』した大使以下の人々の振る舞いに関しては紹介したが、同じように『巨船』にその未来の国民が乗って、ヨーロッパ諸国を『帰国団』が訪問した。最もその規模が大きかったのは、大航海時代において最も成功したと言って良い大英帝国たるイギリスへの帰国団である。
この帰国団は、在日大使のサー・ミッチェル・ドノバンのリーダーシップによって組まれたもので、折よく日本にいた豪華客船グランド・オーシャン号を加えた3隻で約2500人の国民を15世紀の本国に送り込むことになった。この構成になったのは、一つには在日イギリス人は約1万8千人で、他の欧州諸国人に比べ圧倒的に多い上に日本でそれなりの経済的地位を築いている。
そして、時震の事態を知った時に、本国に早急に帰って本国の発展を促すべきという者が多かったのだが、大使もその一人であったわけだ。これは、大英帝国については、ポルトガル・スペインには1世紀ほど遅れたが、大航海時代の果実を最も効率的に味わったということがまずある。
そして、その過程において奴隷貿易の一翼を担ったという暗部はあるが、スペイン・ポルトガルほどの略奪、暴行、殺戮に加えて植民地の圧政は行っていないという自負がある。事実、イギリスの植民地支配はスペイン・ポルトガルに比べれば、現地のインフラ整備もそれなりに行っており、『人道的』と言えないこともない。
加えて、18世紀以降の産業革命を起こすことで、人々の労働生産性を劇的に高めて、世界の普通の人々が豊かな生活を送ることを可能にしたのはイギリスであることは事実である。そして、今この時代のイギリスは15世紀半ば以降に起きた黒死病の大流行で疲弊している。
日本-すでに日本列島に21世紀の文明の結果を満載している-に追い付くには時間を要するが、それ以外の世界においては、イギリスこそ先頭を走るべきというのが大使を始めとする人々の考えであった。その為には産業革命を起こして経済発展を促し、国を、人々を豊かにすることがまず必要なのだ。
そして、祖国の産業革命を早期に起こすためには、できるだけ多くの21世紀の人材が“帰り”、かつそれを助ける多くの機材を持ち込むべきであるということになった。だから、他国の船のように貨物船の半客船に改造をせずに、貨物船には選びぬいた機材を満載して、人員はグランド・オーシャン号に乗せるという構成になった。なお、グランド・オーシャン号には欧州の他国の者も千人程を乗せている。
一方で、イギリスは15世紀末において欧州の中では先進国とは言えなかった。それは、国が未だイングランド、スコットランド、アイルランドに分かれており、そのイングランドがティーザー朝のヘンリー7世の施政下でようやく絶対君主制を成立させたばかりにあった。そして、大流行してロンドンの人口が半減した黒死病の傷跡は未だに非常に深い。
ヘンリー7世はイングランドの有力領主の戦い(ばら戦争)に乗じて絶対王権を固めた君主である。このばら戦争はフランスとの100年戦争に敗れて、フランスにあった領土を失った後に起きたものである。
彼は、税制の正常化、関税自主権の確保等を通じてほぼ破産状態にあった国の財政を建て直して、国の基礎を固めた英明で堅実な君主であった。一方で財政再建の過程において、富裕層に対する恣意的かつ不当な扱いがあったことも事実である。
しかし、ヘンリー7世はその施政のなかでコロンブスと同じジェノバ人のジョン・カボットを後援して、1497年に現カナダのケープ・ブレトン島を発見せしめた。そして、カボットがその周辺を調査し、イギリスの領有を示す標識を建てたことをもって北米大陸をイギリス所有の根拠としたのだ。
この新大陸発見において、やはりカボットも先住民と接触したようだが、コロンブスのような略奪事件を起こしたという資料はない。ほぼ同じ時期の、同じベネツィアの商人出身の成したことであっても随分な差である。
とは言え、当時のイングランドにはその結果を受けて、植民団を送るほどの力はなく、長くこの発見は放置されていたのだ。
ドノバン大使の率いる帰国団が着いたのは、イングランド王国の首都ロンドンを流れる、テムズ川岸に建設されたロンドン港である。港は、この時代の帆船には十分な深さではあるが、喫水が浅いことを条件に選んだ貨物船、ジョージタウン号13000トン、ハノーバ号1500トンはこの時代の水深11m余のロンドン港まで入れる。
しかし、流石に6万8千トンの客船は喫水が15mあり、途中のウーリッジ付近に留まって、ボートで乗員を下すことになっている。しかし、貨物船にしても直接使える桟橋は調査の結果1ヵ所しかなく、大型機材を下すのはそれなりに時間を要することになった。
そのジョージタウン号、ハノーバ号も、いきなりロンドン港に入港するとはいかなかった。流石に、戦乱が頻発する時代のイングランド王国の首都であって、すでにテムズ川を睨んで大砲の砲台が備えられているのだ。
ウーリッジ付近に一旦停泊した3隻であるが、ジョージタウン号からクレーンで快速艇を吊り下ろして、グランド・オーシャン号に横づけしてそれにドノバン大使が乗り込んでロンドン港に向かう。しかしながら、その時にはこれらの巨船は当然地元の人々に目撃されており、早馬がロンドンに向かっていた。
快速艇は緩やかなテムズ川の流れに逆らって、20ノットの速度で進むのでわずか30分の航海である。快速艇には白地に赤の十字であるこの時代のイングランドの国旗が掲げられているが、これは日本で用意したものだ。
ロンドン港には港湾長ジョン・ハガートがいて、防衛もその役割に入っている。快速艇のエンジン音は騒音をたてる機器がないこの時代良く響き、執務室にいた彼の耳にも入った。彼は外に出て、帆のないのに白波を立てて進んでくる船が目の前の桟橋をめがけて来るのを見た。彼は、警備兵を2人呼んで桟橋に向かい、丁度船が桟橋に着船するのに間に合った。
ドノバン大使は桟橋に渡し板をかけて上陸して、何かの制服らしきものを着て、兵2人を従えているずんぐりした小男の前で止まった。大使が一人で、肩掛けのバッグを持っているが非武装なのを見て、兵の銃は肩にかけられたままだ。
「在日大使のサー・ミッチェル・ドノバンである。ヘンリー・ディーダー国王陛下にお目にかかりたい。そしてその前に、私が連れてきた船3隻のうち2隻をこの港に入港させたい」
大使はそう言って、相手の目の前に、連合王国女王エリザベス一世の名で出された大使の信任状を掲げた。無論、コピーであるがこの時代の人に判る訳はない。
「なになに、……、連合イングランド王国女王エリザベス一世!2020年!」
ハガートは目を剥く。この時代イギリスでは西暦は使われ始めているが、2020年とは!
相手の驚くところを見て、大使は平静に言う。
「これは全て事実である。私は530年未来に住んでいたのだ。貴殿の名前と立場を教えてほしい。そして適当な場所でこれらのことを聊か説明をしたい」
この言葉で、大使は港湾長の事務所に案内されて、写真とタブレットを使って説明を受けた。そして、説得の上で貨物船のロンドン港入港の同意を得て、無線機で入港の指示を出す。その後に軍の早馬が到着した。
船団を目撃したウーリッジからの早馬はまず、ロンドン防衛の責任を負う軍駐屯地に走った。この時代の軍はすなわち陸軍であり、海軍は未だ編成の途中で軍の一組織であった。軍の司令官の命令で、宮殿と港湾長の事務所に早馬が走ったのだ。
軍の司令官はサー・ジミー・ソーダス将軍、48歳であり、国軍の副司令官でもあった。報告は、3隻の巨大な船が、ウーリッジ付近に停泊しているということであった。その最も巨大な一隻は、長さが300ヤードもあって、信じられないほど多くの部屋があるように見える巨大な船に、他の2隻は長さ200ヤードもないくらいで何かの荷物を満載していると言う。
いずれにせよ、考えられないほど巨大ではあるが、イングランド王国の国旗を掲げているそうだし、武器や兵は見えないとも報告されている。ソーダス将軍は、すぐさま王宮と港湾事務長に連絡を走らせ、現地に走って自分の目で見る決心をした。
彼が現地に着いてみると、そこには1隻しか残っておらず、2隻が川をさかのぼっているのが見える。軍人として状況を把握しないと何ともならない。将軍は記憶をたどってこの地の船着き場に行き、そこで5人ほど乗れる小舟に乗っている男と交渉した。男に銀貨を渡して納得させて、停泊している巨船に向けて漕ぎ出させた。
近づくにつれて、その船の巨大さがますます明らかになる。その長さが300ヤードはあり、高さは50ヤード以上か?数百の窓や仕切りがあり、数十のボートが収納されている。近づいてくる小舟に、巨船の仕切りから大勢が見下ろしている。スーダス将軍は、見下ろしている人の顔の数を見て内心驚愕した。
少なくとも千人はいる。この淡いブルーに塗られている巨船には何千人が乗っているのだろう。そして、見下ろしている顔に敵対心は見えない。着ている服は見慣れないが、どれも見慣れた同じ国民の顔のように見える。
小舟が、舷側に降ろされている階段の下端に合わせて止まると、下端の小さなデッキでニコニコして待っていた白い制服を着た船員が小舟を迎える。
「ようこそ、500年後の世界からやって来たグランド・オーシャン号へ。歓迎いたします。私は船員のジアン・ステインと申します。ええと、ミスター?」
「イングランド国軍、ロンドン守備師団司令官のスーダス将軍だ。500年後?」
「はい、その点をご説明します、どうぞお乗りください」
その声に応じて、将軍は警備兵の2名伴って階段を登る。登る途中で将軍は軽く船の原則を叩いてみたが、どうも感触は木材ではない。
「スーダス将軍、この船は鋼製です。使われている鉄は7千万ポンド以上で、1億5千万ポンドの物を載せられます。これは客船ですから、乗客3500人、乗員が1200人乗っています」
ステインが自慢げに言うが、将軍は使われているという鉄の量に驚いた。この世界では鋼鉄は高価であり、7千万ポンドの鋼鉄を作るのは国中の鉄工所を合わせても無理だろう。
そして登って見た船内はまさに別世界であった。将軍も自軍の艦船を含めて何回も船には乗っている。それらの船は狭く、薄暗く、空気がよどんでおり臭い。船旅というものは心地が良いものではない、というのが将軍の常識であったが、この船はどうだ。そもそも揺れもなく船に乗っているという気がしない。中は広々として、爽やかな空気でどこも明るく、その上に豪華に飾り付けられており、プールまである。
ステインの話では、この船には、あらゆる娯楽があり、人々はそれを楽しみながら数ケ月の船旅を楽しむという。確かにこの船であれば、数カ月の船旅は楽しく過ごせるだろう。
将軍と2人の兵は大スクリーンを使っての、様々な説明を受けて状況を理解した。この船に乗り込んで、その実際を体感し、かつ視覚・聴覚に訴える説明を受けると納得せざるを得ない。将軍が帰って国王ヘンリー7世に謁見して説明したこと、港湾長からの具申もあって、ドノバン大使は翌日には国王に謁見できることになった。
謁見時には、国王はすでにロンドン港の2隻の貨物船、下流の豪華客船を馬車に乗って見てきており、将軍と港湾長との話で帰国団の目論見も把握していた。謁見はごく順調に行われたが、とりわけ国王が食いついたのは黒死病の予防と治療であった。彼にしてみれば、欧州全域で猛威を振るい、イングランドにおいても百万に近い人々が死んだのは彼の幼少期であった。
そして、未だにぽつりぽつりと患者が現れ、その場合はその家や村を封鎖するしか手がないのだ。その意味で人々は日々黒死病を恐れながら暮らしていることになる。一方で、ペスト菌によって発病する黒死病、つまりペストは、万が一罹患した場合には抗菌薬によって菌を殺すことで治療する。
予防法はあらかじめ抗菌薬を飲んでおくことになる。だから、イギリス帰国団も含んで欧州への帰国団はいずれもペストの抗菌薬を大量に持って帰っており、皆上陸時には飲んでいる。
また、黒死病ほどの死者は生じていないが、天然痘も欧州ではありふれた病気であり、コロンブス達が新大陸で広げたのは天然痘である。天然痘については牛による種痘を植えることで予防できるが、21世紀では根絶されており、日本にそのウイルス株は残っていないので種痘(ワクチン)作成も不可能である。
従って、この世界の天然痘の対策は必要なので、ウイルス採取が容易なこの世界の欧州で、種痘を作るべく帰国団の医師が準備をしている。
ヘンリー7世にしてみれば、長く悩まされてきた病気に対して、500年もの先行した知識と薬を持っており、さらには様々に国を富ませる方法を知っている帰国団を迎えることは利点でしかない。しかも、彼らはイギリスを始めとして世界中の資源のマップ、そして資源量の資料を持っているのだ。
彼とても、力に任せて富裕層から財産を巻き上げていることはいい気持ちはしていない。ただ、富裕層の彼らはいずれも王家を侮り大貴族の連中に取り入ってきた連中でもあり、それを内心では理由にして様々に難癖をつけて、彼らの資産を国庫の取り上げてきたのだ。その結果、国の財政も好転して来ていることも事実ではある。
とは言え、こうしたことを続けるのは、合理性のない施政を認めることにもなる。いい機会だ、500年未来から来たという連中の話に乗って、国を富ませるための方策を進めていくか。そのように決心したヘンリー7世であった。
その後、イギリスは産業の源である、良質の鉄の量産のために、高炉を含む製鉄所を建設し、その鉄を使った鉄道を敷き、原動機の製作活用を含む様々な機械産業を興した。さらに農業においても、化学肥料の生産に着手し、三圃農法の導入、農業機械の活用によって工場へ回せる人員の確保を行った。
石油が必要であるが、北海油田のコストは非常に高いので、日本の資源開発に乗ることになっている。これらの施策は概ね欧州の国々の共通した項目であったが、その早期の展開には日本が創設した、世界開発銀行から供給される資金が大いに貢献した。
この帰国団は、在日大使のサー・ミッチェル・ドノバンのリーダーシップによって組まれたもので、折よく日本にいた豪華客船グランド・オーシャン号を加えた3隻で約2500人の国民を15世紀の本国に送り込むことになった。この構成になったのは、一つには在日イギリス人は約1万8千人で、他の欧州諸国人に比べ圧倒的に多い上に日本でそれなりの経済的地位を築いている。
そして、時震の事態を知った時に、本国に早急に帰って本国の発展を促すべきという者が多かったのだが、大使もその一人であったわけだ。これは、大英帝国については、ポルトガル・スペインには1世紀ほど遅れたが、大航海時代の果実を最も効率的に味わったということがまずある。
そして、その過程において奴隷貿易の一翼を担ったという暗部はあるが、スペイン・ポルトガルほどの略奪、暴行、殺戮に加えて植民地の圧政は行っていないという自負がある。事実、イギリスの植民地支配はスペイン・ポルトガルに比べれば、現地のインフラ整備もそれなりに行っており、『人道的』と言えないこともない。
加えて、18世紀以降の産業革命を起こすことで、人々の労働生産性を劇的に高めて、世界の普通の人々が豊かな生活を送ることを可能にしたのはイギリスであることは事実である。そして、今この時代のイギリスは15世紀半ば以降に起きた黒死病の大流行で疲弊している。
日本-すでに日本列島に21世紀の文明の結果を満載している-に追い付くには時間を要するが、それ以外の世界においては、イギリスこそ先頭を走るべきというのが大使を始めとする人々の考えであった。その為には産業革命を起こして経済発展を促し、国を、人々を豊かにすることがまず必要なのだ。
そして、祖国の産業革命を早期に起こすためには、できるだけ多くの21世紀の人材が“帰り”、かつそれを助ける多くの機材を持ち込むべきであるということになった。だから、他国の船のように貨物船の半客船に改造をせずに、貨物船には選びぬいた機材を満載して、人員はグランド・オーシャン号に乗せるという構成になった。なお、グランド・オーシャン号には欧州の他国の者も千人程を乗せている。
一方で、イギリスは15世紀末において欧州の中では先進国とは言えなかった。それは、国が未だイングランド、スコットランド、アイルランドに分かれており、そのイングランドがティーザー朝のヘンリー7世の施政下でようやく絶対君主制を成立させたばかりにあった。そして、大流行してロンドンの人口が半減した黒死病の傷跡は未だに非常に深い。
ヘンリー7世はイングランドの有力領主の戦い(ばら戦争)に乗じて絶対王権を固めた君主である。このばら戦争はフランスとの100年戦争に敗れて、フランスにあった領土を失った後に起きたものである。
彼は、税制の正常化、関税自主権の確保等を通じてほぼ破産状態にあった国の財政を建て直して、国の基礎を固めた英明で堅実な君主であった。一方で財政再建の過程において、富裕層に対する恣意的かつ不当な扱いがあったことも事実である。
しかし、ヘンリー7世はその施政のなかでコロンブスと同じジェノバ人のジョン・カボットを後援して、1497年に現カナダのケープ・ブレトン島を発見せしめた。そして、カボットがその周辺を調査し、イギリスの領有を示す標識を建てたことをもって北米大陸をイギリス所有の根拠としたのだ。
この新大陸発見において、やはりカボットも先住民と接触したようだが、コロンブスのような略奪事件を起こしたという資料はない。ほぼ同じ時期の、同じベネツィアの商人出身の成したことであっても随分な差である。
とは言え、当時のイングランドにはその結果を受けて、植民団を送るほどの力はなく、長くこの発見は放置されていたのだ。
ドノバン大使の率いる帰国団が着いたのは、イングランド王国の首都ロンドンを流れる、テムズ川岸に建設されたロンドン港である。港は、この時代の帆船には十分な深さではあるが、喫水が浅いことを条件に選んだ貨物船、ジョージタウン号13000トン、ハノーバ号1500トンはこの時代の水深11m余のロンドン港まで入れる。
しかし、流石に6万8千トンの客船は喫水が15mあり、途中のウーリッジ付近に留まって、ボートで乗員を下すことになっている。しかし、貨物船にしても直接使える桟橋は調査の結果1ヵ所しかなく、大型機材を下すのはそれなりに時間を要することになった。
そのジョージタウン号、ハノーバ号も、いきなりロンドン港に入港するとはいかなかった。流石に、戦乱が頻発する時代のイングランド王国の首都であって、すでにテムズ川を睨んで大砲の砲台が備えられているのだ。
ウーリッジ付近に一旦停泊した3隻であるが、ジョージタウン号からクレーンで快速艇を吊り下ろして、グランド・オーシャン号に横づけしてそれにドノバン大使が乗り込んでロンドン港に向かう。しかしながら、その時にはこれらの巨船は当然地元の人々に目撃されており、早馬がロンドンに向かっていた。
快速艇は緩やかなテムズ川の流れに逆らって、20ノットの速度で進むのでわずか30分の航海である。快速艇には白地に赤の十字であるこの時代のイングランドの国旗が掲げられているが、これは日本で用意したものだ。
ロンドン港には港湾長ジョン・ハガートがいて、防衛もその役割に入っている。快速艇のエンジン音は騒音をたてる機器がないこの時代良く響き、執務室にいた彼の耳にも入った。彼は外に出て、帆のないのに白波を立てて進んでくる船が目の前の桟橋をめがけて来るのを見た。彼は、警備兵を2人呼んで桟橋に向かい、丁度船が桟橋に着船するのに間に合った。
ドノバン大使は桟橋に渡し板をかけて上陸して、何かの制服らしきものを着て、兵2人を従えているずんぐりした小男の前で止まった。大使が一人で、肩掛けのバッグを持っているが非武装なのを見て、兵の銃は肩にかけられたままだ。
「在日大使のサー・ミッチェル・ドノバンである。ヘンリー・ディーダー国王陛下にお目にかかりたい。そしてその前に、私が連れてきた船3隻のうち2隻をこの港に入港させたい」
大使はそう言って、相手の目の前に、連合王国女王エリザベス一世の名で出された大使の信任状を掲げた。無論、コピーであるがこの時代の人に判る訳はない。
「なになに、……、連合イングランド王国女王エリザベス一世!2020年!」
ハガートは目を剥く。この時代イギリスでは西暦は使われ始めているが、2020年とは!
相手の驚くところを見て、大使は平静に言う。
「これは全て事実である。私は530年未来に住んでいたのだ。貴殿の名前と立場を教えてほしい。そして適当な場所でこれらのことを聊か説明をしたい」
この言葉で、大使は港湾長の事務所に案内されて、写真とタブレットを使って説明を受けた。そして、説得の上で貨物船のロンドン港入港の同意を得て、無線機で入港の指示を出す。その後に軍の早馬が到着した。
船団を目撃したウーリッジからの早馬はまず、ロンドン防衛の責任を負う軍駐屯地に走った。この時代の軍はすなわち陸軍であり、海軍は未だ編成の途中で軍の一組織であった。軍の司令官の命令で、宮殿と港湾長の事務所に早馬が走ったのだ。
軍の司令官はサー・ジミー・ソーダス将軍、48歳であり、国軍の副司令官でもあった。報告は、3隻の巨大な船が、ウーリッジ付近に停泊しているということであった。その最も巨大な一隻は、長さが300ヤードもあって、信じられないほど多くの部屋があるように見える巨大な船に、他の2隻は長さ200ヤードもないくらいで何かの荷物を満載していると言う。
いずれにせよ、考えられないほど巨大ではあるが、イングランド王国の国旗を掲げているそうだし、武器や兵は見えないとも報告されている。ソーダス将軍は、すぐさま王宮と港湾事務長に連絡を走らせ、現地に走って自分の目で見る決心をした。
彼が現地に着いてみると、そこには1隻しか残っておらず、2隻が川をさかのぼっているのが見える。軍人として状況を把握しないと何ともならない。将軍は記憶をたどってこの地の船着き場に行き、そこで5人ほど乗れる小舟に乗っている男と交渉した。男に銀貨を渡して納得させて、停泊している巨船に向けて漕ぎ出させた。
近づくにつれて、その船の巨大さがますます明らかになる。その長さが300ヤードはあり、高さは50ヤード以上か?数百の窓や仕切りがあり、数十のボートが収納されている。近づいてくる小舟に、巨船の仕切りから大勢が見下ろしている。スーダス将軍は、見下ろしている人の顔の数を見て内心驚愕した。
少なくとも千人はいる。この淡いブルーに塗られている巨船には何千人が乗っているのだろう。そして、見下ろしている顔に敵対心は見えない。着ている服は見慣れないが、どれも見慣れた同じ国民の顔のように見える。
小舟が、舷側に降ろされている階段の下端に合わせて止まると、下端の小さなデッキでニコニコして待っていた白い制服を着た船員が小舟を迎える。
「ようこそ、500年後の世界からやって来たグランド・オーシャン号へ。歓迎いたします。私は船員のジアン・ステインと申します。ええと、ミスター?」
「イングランド国軍、ロンドン守備師団司令官のスーダス将軍だ。500年後?」
「はい、その点をご説明します、どうぞお乗りください」
その声に応じて、将軍は警備兵の2名伴って階段を登る。登る途中で将軍は軽く船の原則を叩いてみたが、どうも感触は木材ではない。
「スーダス将軍、この船は鋼製です。使われている鉄は7千万ポンド以上で、1億5千万ポンドの物を載せられます。これは客船ですから、乗客3500人、乗員が1200人乗っています」
ステインが自慢げに言うが、将軍は使われているという鉄の量に驚いた。この世界では鋼鉄は高価であり、7千万ポンドの鋼鉄を作るのは国中の鉄工所を合わせても無理だろう。
そして登って見た船内はまさに別世界であった。将軍も自軍の艦船を含めて何回も船には乗っている。それらの船は狭く、薄暗く、空気がよどんでおり臭い。船旅というものは心地が良いものではない、というのが将軍の常識であったが、この船はどうだ。そもそも揺れもなく船に乗っているという気がしない。中は広々として、爽やかな空気でどこも明るく、その上に豪華に飾り付けられており、プールまである。
ステインの話では、この船には、あらゆる娯楽があり、人々はそれを楽しみながら数ケ月の船旅を楽しむという。確かにこの船であれば、数カ月の船旅は楽しく過ごせるだろう。
将軍と2人の兵は大スクリーンを使っての、様々な説明を受けて状況を理解した。この船に乗り込んで、その実際を体感し、かつ視覚・聴覚に訴える説明を受けると納得せざるを得ない。将軍が帰って国王ヘンリー7世に謁見して説明したこと、港湾長からの具申もあって、ドノバン大使は翌日には国王に謁見できることになった。
謁見時には、国王はすでにロンドン港の2隻の貨物船、下流の豪華客船を馬車に乗って見てきており、将軍と港湾長との話で帰国団の目論見も把握していた。謁見はごく順調に行われたが、とりわけ国王が食いついたのは黒死病の予防と治療であった。彼にしてみれば、欧州全域で猛威を振るい、イングランドにおいても百万に近い人々が死んだのは彼の幼少期であった。
そして、未だにぽつりぽつりと患者が現れ、その場合はその家や村を封鎖するしか手がないのだ。その意味で人々は日々黒死病を恐れながら暮らしていることになる。一方で、ペスト菌によって発病する黒死病、つまりペストは、万が一罹患した場合には抗菌薬によって菌を殺すことで治療する。
予防法はあらかじめ抗菌薬を飲んでおくことになる。だから、イギリス帰国団も含んで欧州への帰国団はいずれもペストの抗菌薬を大量に持って帰っており、皆上陸時には飲んでいる。
また、黒死病ほどの死者は生じていないが、天然痘も欧州ではありふれた病気であり、コロンブス達が新大陸で広げたのは天然痘である。天然痘については牛による種痘を植えることで予防できるが、21世紀では根絶されており、日本にそのウイルス株は残っていないので種痘(ワクチン)作成も不可能である。
従って、この世界の天然痘の対策は必要なので、ウイルス採取が容易なこの世界の欧州で、種痘を作るべく帰国団の医師が準備をしている。
ヘンリー7世にしてみれば、長く悩まされてきた病気に対して、500年もの先行した知識と薬を持っており、さらには様々に国を富ませる方法を知っている帰国団を迎えることは利点でしかない。しかも、彼らはイギリスを始めとして世界中の資源のマップ、そして資源量の資料を持っているのだ。
彼とても、力に任せて富裕層から財産を巻き上げていることはいい気持ちはしていない。ただ、富裕層の彼らはいずれも王家を侮り大貴族の連中に取り入ってきた連中でもあり、それを内心では理由にして様々に難癖をつけて、彼らの資産を国庫の取り上げてきたのだ。その結果、国の財政も好転して来ていることも事実ではある。
とは言え、こうしたことを続けるのは、合理性のない施政を認めることにもなる。いい機会だ、500年未来から来たという連中の話に乗って、国を富ませるための方策を進めていくか。そのように決心したヘンリー7世であった。
その後、イギリスは産業の源である、良質の鉄の量産のために、高炉を含む製鉄所を建設し、その鉄を使った鉄道を敷き、原動機の製作活用を含む様々な機械産業を興した。さらに農業においても、化学肥料の生産に着手し、三圃農法の導入、農業機械の活用によって工場へ回せる人員の確保を行った。
石油が必要であるが、北海油田のコストは非常に高いので、日本の資源開発に乗ることになっている。これらの施策は概ね欧州の国々の共通した項目であったが、その早期の展開には日本が創設した、世界開発銀行から供給される資金が大いに貢献した。
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これは、支えることに誇りを持った男が、自らの価値を証明し、安定した未来を掴み取る物語。
巻き込まれ召喚・途中下車~幼女神の加護でチート?
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*この作品は「カクヨム」様にも投稿しています。
**週1(土曜日午後9時)の投稿を予定しています。**
備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
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