大好きな君と離れる日まで

矢田川いつき

文字の大きさ
22 / 28
第五章 キミに好きだと言った日のこと

第二十二話

しおりを挟む
 彩月が俺の家に来るのは、俺が久しぶりの記憶障害を発症した日以来だった。

「お、お邪魔しまーす」
「なんでそんなに緊張してんの。言いだしっぺのくせして」
「え、や、それはまあ、どうしてもといいますか」

 上擦った声に加えて、どこか気まずそうに彩月は視線を逸らす。そんな反応をされるとは思ってもみなかったので、なんだかこっちまでドキドキしてきた。

「昔は何度も来てただろ。ほら、部屋の場所は変わってないから先行っててくれ。今日はリビング散らかってるし」
「お、オッケー」

 俺は緊張を振り払いつつ半ば無理やり彩月を部屋の方へ促すと、ひとりキッチンに行ってお茶を用意する。
 そういえば、彩月は昔から紅茶が好きだったな。
 これも小学校の頃の思い出だ。彩月が家に遊びに来た時に、父が友人からもらってきたらしい茶葉を使って紅茶を淹れたことがあった。それなりに良いところのものだったのか、あるいは父の淹れ方がうまかったのか、それ以降彩月は事あるごとに紅茶を飲むようになっていた。
 意外と、覚えてるもんだな。
 俺はケトルでお湯を沸かし、戸棚から買い置きしていたティーパックを取り出して紅茶を淹れる。ついでに彩月が好きなところのクッキーも買っておいたので準備は万端だ。トレーにひと通り乗せてから、俺は自室へと向かった。

「お待たせー」

 あんなに緊張していてはてさて何をしているのやら、と思いながら部屋の扉を開ける。
 彩月は、本棚の前で何やら一冊のノートを読んでいた。部屋に入ってきた俺に気づかないほど集中しているらしい。

「おーい、彩月?」
「あ」

 トレーをローテーブルに置いてからもう一度呼びかけると、そこでようやく彩月はこちらを向いた。

「なに読んでるんだ?」
「これ」

 彩月が見せてきたのは、実に懐かしいものだった。存在すらすっかり忘れていた、小学校の時にこっそりつけていた日記だった。

「な、何勝手に他人の日記読んでるんだよ」

 恥ずかしさのあまり、俺は日記を取り上げる。すると彩月は、バツが悪そうに眉をひそめた。
 ……彩月?
 そこでようやく、俺は何か違和感のようなものを覚えた。

「ごめん、勝手に読んで。ただ、どうしてもそれが気になってたから」

 まるで、この日記の存在を知っていたかのように彼女は言う。壁にかけた時計の針の音が、規則的に時を刻んでいた。
 俺は咄嗟に日記に視線を落とす。すっかり日焼けした、薄緑の表紙が目に留まった。

「ねえ、ちょっとそれ、読んでみて。どうしても、確かめたいことがあるの」

 先ほどまでとは打って変わった、静かな声だった。家に入った時とは正反対に、俺が促される形で表紙をめくる。

『一月一日。今日から日記を書いていこうとおもう。さつきに大すきって言えるようにがんばる』

『一月三日。今日は、さつきとはつもうでにいった。さつきは花がかいてあるきものをきていて、とてもかわいいと思った』

『一月七日。今日から学校だった。さつきとお昼にたくさんあそんで、学校がおわってからもたくさんあそんだ。楽しかった』

 拙い文字で綴られた日記は、こまめにはつけられていなかった。飛び飛びになっている日にちと、その後に簡潔に書かれている何気ない一言を、俺はゆっくりと目で追う。

『二月十四日。さつきからチョコレートをもらった。ハートの形をしたチョコレートで、いっしょにテレビを見ながら、そのチョコレートを食べた。すごくあまくておいしかった。すごくすごくうれしかった。また、来年も食べたい』

『三月十四日。さつきにチョコレートのおかえしをした。お母さんに、手作りのほうがさつきはよろこぶって聞いたから、お母さんとがんばって作った。そのクッキーをあげたら、さつきはたくさんわらってくれた。ありがとうって言われて、おれもうれしかった』

『四月七日。今日から小学三年生になる。さつきと同じクラスになれて、すごくうれしい。もっと楽しい一年になるといいな』

「その日記、遼くんが小学二年生の頃から書いてあるみたい。どう? 記憶は、ある?」
「……うん。おぼろげに、だけど」

 具体的なことや書いた時のことは覚えていないが、ぼんやりと記憶に残っていることはあった。特に、この彩月からもらったバレンタインのチョコレートのことなんかは覚えている。
 さらに日記を読み進めていくと、連休に家族ぐるみでバーベキューをしたこととか、梅雨時期に雨の中びしょ濡れになりながら彩月が落としたお気に入りのハンカチを探したこととか、夏休みに真っ黒になるまで海で遊んだこととか、すっかり忘れていたいろいろな思い出が書かれていた。
 なぜか、涙が出てきそうになった。
 こんなことあったっけな、なんて思うようなこともあった。
 さらに、読み進めていく。
 どうして、彩月はこの日記のことを知っているんだろう。
 純粋な疑問とともに、なんだか心の辺りに妙な胸騒ぎも湧いてきていた。
 そして、に辿り着いた時、彩月は決心したように尋ねた。

「遼くん……その日、三月三十一日に何があったか、覚えてる?」

 視界の、揺れる気配がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...