大好きな君と離れる日まで

矢田川いつき

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第五章 キミに好きだと言った日のこと

第二十三話

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 私は、どうしても確かめたかった。
 だから、一番時間の取れる今日に、行動を起こすことにした。
 公園巡りは、ただの口実だった。いきなり遼くんの家に行きたいと言うことも考えたけれど、どうしても心の準備をする時間は欲しかった。以前から話していた公園を二つほど回ってから、私はなるべくいつも通りの菅浦彩月で遼くんの家に行くことを提案した。
 遼くんの家に着くと、緊張が高まってきた。けれどどうにかべつの理由をつけて誤魔化して、私は促されるがまますぐに遼くんの部屋に向かった。
 私が見たかったのは、遼くんが小学生の頃に一時期つけていたらしい日記。
 お母さんから、遼くんが大きな精神的負荷を抱えた出来事の心当たりを聞いた時に、話に出てきたものだ。

「遼くんのお父さんからね、遼くんの日記を見せられて相談を受けたの。どう接したらいいのかな、って」

 私は、その日記を見たことがなかった。遼くんはきっと、私にも内緒でつけていたんだと思う。冗談めかして直接訊いてもきっと恥ずかしがって見せてくれないだろうから、遼くんがいない間に見つけるしかなかった。
 そして、日記はすぐに見つかった。
 幼馴染の勝利だった。幼い頃の遼くんには、人に見られたくないものは棚の一番下の段の奥に隠す癖があった。真っ先にその場所を探すと、忘れ去られたように置かれた日記が横たわっていた。
 時間が経ち、薄くなった緑色の表紙をめくる。

『一月一日。今日から日記を書いていこうとおもう。さつきに大すきって言えるようにがんばる』

 日記の最初は、そんな言葉から始まっていた。

 ――おれ、サツキのこと好きだ。

 当然のように、私の脳裏にはあの日の思い出が浮かび上がる。ずっと堪えていたのに、一気に目元が熱くなってきた。
 たどたどしいながらも、どこか懐かしさを感じる文字を、私は急いで追っていく。遼くんが来る前に、なんとしてもを見つける必要があった。

『九月十三日。今日は運動会があった。さつきといっしょに50メートル走を走った。いっしょに走れてうれしかったけど、おれは転んでしまった。でも、さつきがおれのところまで来て、だいじょうぶってきいてくれた。それから、いっしょに手をつないでゴールした。なんか楽しかった』

 そんな時間はないのに、気になる記述には目を留めてしまった。
 幼い頃の思い出が綴られた日記は、とても楽しそうだった。今はすっかり失くしてしまった無邪気さが、そこには溢れていた。
 けれど、私は未練にも似た気持ちを必死に振り払い、どんどん先へとページを進めていく。
 そして、いよいよ小学三年生の年も明けた。
 日記の中の私たちは、もうすぐ小学四年生になる。それに伴って、ノートの残りのページ数も随分と少なくなっていった。それに伴い、胸を締め付ける不快な感覚も強くなっていく。

『三月十七日。今日から春休みだ。さつきと遊びに行くやくそくもしてるから、すっごく楽しみだ』

 この辺りから、私も覚えている。
 日付に目をやれば、ほとんど無意識にあの言葉が思い出される。

 ――おれ、サツキのこと好きだ。

 小三の終わり。近所にある早咲きの桜並木が有名な公園の前で、遼くんは私にそう言ってくれたのだ。

 ――わたしも、リョウくんのこと大好きだよ。

 あの日。三月三十一日のことを、遼くんは…………

「――え」

 三月二十五日まで来た日記のページ。その次をめくると、目的の記述はあった。
 ……いや。
 厳密には、なかった。
 見開き左ページの一番上には、三月三十日という日付と、翌日に私と公園に遊びに行く旨の記述が書かれていて……
 そのすぐ横には、破り取られたノートの紙片があった。

「おーい、彩月?」
「あ」

 そこで唐突に名前を呼ばれて、私は我に返った。
 声の方へ視線を向ければ、心配そうに私を見つめる遼くんが立っていた。
 部屋の中央に置かれたローテーブルには、湯気の立つ紅茶とクッキーが置いてある。どちらも私の好物で、ああ覚えててくれたんだと泣きそうになった。
 けれど、本当に覚えててほしいのはそんなことじゃない。
 私が、本当に覚えててほしいのは……

「ねえ、ちょっとそれ、読んでみて。どうしても、確かめたいことがあるの」

 すっかり隠すことを諦めた私の態度から、遼くんも何かを察しているみたいだった。
 半ば強引に取り上げた日記の表紙を、遼くんはおもむろにめくる。
 私以上に、遼くんも食い入るように日記を読んでいた。
 私は待つ。焦ってはいけない。ゆっくりと記憶を辿って行けば、きっと大丈夫だ。
 震える手を握り締め、アナログ時計の針が刻む時の音を聞きながら、私は待った。
 そして……。

「遼くん……その日、三月三十一日に何があったか、覚えてる?」

 破り取られたページに辿り着いた時、私は努めて感情を殺した声で、尋ねた。
 遼くんは唖然としていた。
 昔を思い出そうというより、思考そのものが停止しているみたいだった。

「遼くん!」

 強く彼の名前を呼ぶと、彼はハッとして私を見た。
 その瞳はどこか虚ろで、戸惑いの色が大きかった。

「この、日は……」

 待つ。
 待つ待つ待つ。
 お願いだから、思い出して。
 そんな一縷の望みを胸に抱いて、私は彼の返答を待った。
 やがて、時計の針が文字盤を一周した頃に、彼はようやく続きを言った。

「なにが、あった……?」

 そうじゃないと、信じたかった。
 もしこの日記がなかったら、あるいは彼が記憶障害じゃなかったら、ただの幼い頃の恥ずかしい思い出を忘れてしまっただけだと笑い飛ばすこともできた。
 でも、今は違う。
 意図的に破り取られたページが、そこに何かがあったのだということを雄弁に物語っている。
 そして、「好意を伝えられること」が遼くんの記憶障害に深く関わっていることを考えれば、答えはひとつだ。

「……ほ、ほんとに……覚えて、ないの?」

 動揺のあまり、声が喉につっかえる。
 想像はしていたのに、いざその現実が眼前に突きつけられると冷静ではいられなかった。

「……ご、ごめん」

 遼くんも違和感を覚えている。何かを察している。そしておそらく、私にそうじゃないと、否定してほしいのだと願っている。
 私もそうしたかった。
 所詮は小学三年生の時の話だ。それに限らず、この日記の記述で記憶になかったことなんてたくさんあるのだ。
 心の中で何度もそう言い聞かせてはみるも……無理だった。

「ねえ……遼くん。思い出して、よ」
「え?」

 心がダメだと訴えてくる。

「ほら、三月三十一日に、公園で、あったでしょ?」

 言ってはダメだと、それ以上訊いてはダメだと。

「ほら……ほらっ! 桜並木の下で! 遼くんが私に、言ってくれたでしょ!? 私も遼くんに言ったでしょ!」

 でも私は、認めたくなかった。
 最後の最後に、私も信じたかった。
 無慈悲で、悲しい現実を、私は受け入れたくなかった。

 遼くんの解離性健忘症の根本的な原因が、私と交わした告白だったなんて――。

 だから、私は叫ぶしかなかった。

 ――好きだって! 言ってくれたでしょ!?

 そう、叫ぶつもりだった。
 でも、その先の言葉は続かなかった。
 いや、続けられなかった。

「くっ、うっ……」
「りょ、遼くんっ!?」

 遼くんは、頭を押さえてその場に倒れた。
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