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第五章 キミに好きだと言った日のこと
第二十二話
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彩月が俺の家に来るのは、俺が久しぶりの記憶障害を発症した日以来だった。
「お、お邪魔しまーす」
「なんでそんなに緊張してんの。言いだしっぺのくせして」
「え、や、それはまあ、どうしてもといいますか」
上擦った声に加えて、どこか気まずそうに彩月は視線を逸らす。そんな反応をされるとは思ってもみなかったので、なんだかこっちまでドキドキしてきた。
「昔は何度も来てただろ。ほら、部屋の場所は変わってないから先行っててくれ。今日はリビング散らかってるし」
「お、オッケー」
俺は緊張を振り払いつつ半ば無理やり彩月を部屋の方へ促すと、ひとりキッチンに行ってお茶を用意する。
そういえば、彩月は昔から紅茶が好きだったな。
これも小学校の頃の思い出だ。彩月が家に遊びに来た時に、父が友人からもらってきたらしい茶葉を使って紅茶を淹れたことがあった。それなりに良いところのものだったのか、あるいは父の淹れ方がうまかったのか、それ以降彩月は事あるごとに紅茶を飲むようになっていた。
意外と、覚えてるもんだな。
俺はケトルでお湯を沸かし、戸棚から買い置きしていたティーパックを取り出して紅茶を淹れる。ついでに彩月が好きなところのクッキーも買っておいたので準備は万端だ。トレーにひと通り乗せてから、俺は自室へと向かった。
「お待たせー」
あんなに緊張していてはてさて何をしているのやら、と思いながら部屋の扉を開ける。
彩月は、本棚の前で何やら一冊のノートを読んでいた。部屋に入ってきた俺に気づかないほど集中しているらしい。
「おーい、彩月?」
「あ」
トレーをローテーブルに置いてからもう一度呼びかけると、そこでようやく彩月はこちらを向いた。
「なに読んでるんだ?」
「これ」
彩月が見せてきたのは、実に懐かしいものだった。存在すらすっかり忘れていた、小学校の時にこっそりつけていた日記だった。
「な、何勝手に他人の日記読んでるんだよ」
恥ずかしさのあまり、俺は日記を取り上げる。すると彩月は、バツが悪そうに眉をひそめた。
……彩月?
そこでようやく、俺は何か違和感のようなものを覚えた。
「ごめん、勝手に読んで。ただ、どうしてもそれが気になってたから」
まるで、この日記の存在を知っていたかのように彼女は言う。壁にかけた時計の針の音が、規則的に時を刻んでいた。
俺は咄嗟に日記に視線を落とす。すっかり日焼けした、薄緑の表紙が目に留まった。
「ねえ、ちょっとそれ、読んでみて。どうしても、確かめたいことがあるの」
先ほどまでとは打って変わった、静かな声だった。家に入った時とは正反対に、俺が促される形で表紙をめくる。
『一月一日。今日から日記を書いていこうとおもう。さつきに大すきって言えるようにがんばる』
『一月三日。今日は、さつきとはつもうでにいった。さつきは花がかいてあるきものをきていて、とてもかわいいと思った』
『一月七日。今日から学校だった。さつきとお昼にたくさんあそんで、学校がおわってからもたくさんあそんだ。楽しかった』
拙い文字で綴られた日記は、こまめにはつけられていなかった。飛び飛びになっている日にちと、その後に簡潔に書かれている何気ない一言を、俺はゆっくりと目で追う。
『二月十四日。さつきからチョコレートをもらった。ハートの形をしたチョコレートで、いっしょにテレビを見ながら、そのチョコレートを食べた。すごくあまくておいしかった。すごくすごくうれしかった。また、来年も食べたい』
『三月十四日。さつきにチョコレートのおかえしをした。お母さんに、手作りのほうがさつきはよろこぶって聞いたから、お母さんとがんばって作った。そのクッキーをあげたら、さつきはたくさんわらってくれた。ありがとうって言われて、おれもうれしかった』
『四月七日。今日から小学三年生になる。さつきと同じクラスになれて、すごくうれしい。もっと楽しい一年になるといいな』
「その日記、遼くんが小学二年生の頃から書いてあるみたい。どう? 記憶は、ある?」
「……うん。おぼろげに、だけど」
具体的なことや書いた時のことは覚えていないが、ぼんやりと記憶に残っていることはあった。特に、この彩月からもらったバレンタインのチョコレートのことなんかは覚えている。
さらに日記を読み進めていくと、連休に家族ぐるみでバーベキューをしたこととか、梅雨時期に雨の中びしょ濡れになりながら彩月が落としたお気に入りのハンカチを探したこととか、夏休みに真っ黒になるまで海で遊んだこととか、すっかり忘れていたいろいろな思い出が書かれていた。
なぜか、涙が出てきそうになった。
こんなことあったっけな、なんて思うようなこともあった。
さらに、読み進めていく。
どうして、彩月はこの日記のことを知っているんだろう。
純粋な疑問とともに、なんだか心の辺りに妙な胸騒ぎも湧いてきていた。
そして、そのページに辿り着いた時、彩月は決心したように尋ねた。
「遼くん……その日、三月三十一日に何があったか、覚えてる?」
視界の、揺れる気配がした。
「お、お邪魔しまーす」
「なんでそんなに緊張してんの。言いだしっぺのくせして」
「え、や、それはまあ、どうしてもといいますか」
上擦った声に加えて、どこか気まずそうに彩月は視線を逸らす。そんな反応をされるとは思ってもみなかったので、なんだかこっちまでドキドキしてきた。
「昔は何度も来てただろ。ほら、部屋の場所は変わってないから先行っててくれ。今日はリビング散らかってるし」
「お、オッケー」
俺は緊張を振り払いつつ半ば無理やり彩月を部屋の方へ促すと、ひとりキッチンに行ってお茶を用意する。
そういえば、彩月は昔から紅茶が好きだったな。
これも小学校の頃の思い出だ。彩月が家に遊びに来た時に、父が友人からもらってきたらしい茶葉を使って紅茶を淹れたことがあった。それなりに良いところのものだったのか、あるいは父の淹れ方がうまかったのか、それ以降彩月は事あるごとに紅茶を飲むようになっていた。
意外と、覚えてるもんだな。
俺はケトルでお湯を沸かし、戸棚から買い置きしていたティーパックを取り出して紅茶を淹れる。ついでに彩月が好きなところのクッキーも買っておいたので準備は万端だ。トレーにひと通り乗せてから、俺は自室へと向かった。
「お待たせー」
あんなに緊張していてはてさて何をしているのやら、と思いながら部屋の扉を開ける。
彩月は、本棚の前で何やら一冊のノートを読んでいた。部屋に入ってきた俺に気づかないほど集中しているらしい。
「おーい、彩月?」
「あ」
トレーをローテーブルに置いてからもう一度呼びかけると、そこでようやく彩月はこちらを向いた。
「なに読んでるんだ?」
「これ」
彩月が見せてきたのは、実に懐かしいものだった。存在すらすっかり忘れていた、小学校の時にこっそりつけていた日記だった。
「な、何勝手に他人の日記読んでるんだよ」
恥ずかしさのあまり、俺は日記を取り上げる。すると彩月は、バツが悪そうに眉をひそめた。
……彩月?
そこでようやく、俺は何か違和感のようなものを覚えた。
「ごめん、勝手に読んで。ただ、どうしてもそれが気になってたから」
まるで、この日記の存在を知っていたかのように彼女は言う。壁にかけた時計の針の音が、規則的に時を刻んでいた。
俺は咄嗟に日記に視線を落とす。すっかり日焼けした、薄緑の表紙が目に留まった。
「ねえ、ちょっとそれ、読んでみて。どうしても、確かめたいことがあるの」
先ほどまでとは打って変わった、静かな声だった。家に入った時とは正反対に、俺が促される形で表紙をめくる。
『一月一日。今日から日記を書いていこうとおもう。さつきに大すきって言えるようにがんばる』
『一月三日。今日は、さつきとはつもうでにいった。さつきは花がかいてあるきものをきていて、とてもかわいいと思った』
『一月七日。今日から学校だった。さつきとお昼にたくさんあそんで、学校がおわってからもたくさんあそんだ。楽しかった』
拙い文字で綴られた日記は、こまめにはつけられていなかった。飛び飛びになっている日にちと、その後に簡潔に書かれている何気ない一言を、俺はゆっくりと目で追う。
『二月十四日。さつきからチョコレートをもらった。ハートの形をしたチョコレートで、いっしょにテレビを見ながら、そのチョコレートを食べた。すごくあまくておいしかった。すごくすごくうれしかった。また、来年も食べたい』
『三月十四日。さつきにチョコレートのおかえしをした。お母さんに、手作りのほうがさつきはよろこぶって聞いたから、お母さんとがんばって作った。そのクッキーをあげたら、さつきはたくさんわらってくれた。ありがとうって言われて、おれもうれしかった』
『四月七日。今日から小学三年生になる。さつきと同じクラスになれて、すごくうれしい。もっと楽しい一年になるといいな』
「その日記、遼くんが小学二年生の頃から書いてあるみたい。どう? 記憶は、ある?」
「……うん。おぼろげに、だけど」
具体的なことや書いた時のことは覚えていないが、ぼんやりと記憶に残っていることはあった。特に、この彩月からもらったバレンタインのチョコレートのことなんかは覚えている。
さらに日記を読み進めていくと、連休に家族ぐるみでバーベキューをしたこととか、梅雨時期に雨の中びしょ濡れになりながら彩月が落としたお気に入りのハンカチを探したこととか、夏休みに真っ黒になるまで海で遊んだこととか、すっかり忘れていたいろいろな思い出が書かれていた。
なぜか、涙が出てきそうになった。
こんなことあったっけな、なんて思うようなこともあった。
さらに、読み進めていく。
どうして、彩月はこの日記のことを知っているんだろう。
純粋な疑問とともに、なんだか心の辺りに妙な胸騒ぎも湧いてきていた。
そして、そのページに辿り着いた時、彩月は決心したように尋ねた。
「遼くん……その日、三月三十一日に何があったか、覚えてる?」
視界の、揺れる気配がした。
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