23 / 74
第1章
第22話:泥濘の視界
しおりを挟む
抽出装置の重厚な鉄のレバーが非情な音を立てて引かれた瞬間、視界のすべてが白濁し、世界が暴力的な速さで裏返った。
「あ、が……っ、あああああッ!!」
喉を掻き切るような悲鳴が、僕自身の意思とは無関係に溢れ出した。体内に淀んでいた膨大な魔力が、手首を固定する銀の枷を通じて、毛穴のひとつひとつから無理やり引き剥がされていく。それは血管の中に熱せられた沸騰した鉛を流し込まれ、逆流していくような、あるいは魂そのものを荒いやすりで削り取られるような、筆舌に尽くしがたい激痛だった。
だが、その狂おしいほどの苦痛が絶頂に達したとき、僕の悲鳴はプツリと唐突に途絶えた。
意識が遠のき、代わりに、湿った冷たい泥の匂いと、鼓膜を執拗に刺すような下卑た罵声が、僕の脳内に直接濁流となって流れ込んできた。
(……寒い、お腹が空いた。お父さん、お母さん、どこにいるの……?)
視界がぐらりと不自然に揺れる。やけに地面が近い。僕は、いつの間にか小さな子供の、それも地を這うような低い視点の中にいた。 目の前には、継ぎ接ぎだらけの薄汚れた服を纏った男女が二人、歪んだ笑みを浮かべて立っている。本来ならば僕を慈しみ、守ってくれるはずの両親。
けれど、その濁った瞳に宿っているのは、我が子への無償の愛などでは断じてなく、獲物を値踏みするような、卑屈で貪欲な「欲」そのものだった。
(ひひっ、見てくださいよ旦那様。このガキの内に秘めた魔流量、測り知れませんぜ! まさに掘り出し物の金鉱だ!)
(これだけの金があれば、私たち一生遊んで暮らせるわ! ほら、とっとと行きなさい! さっさとその汚い手を引き剥がすのよ!)
男が、僕の小さな背中を容赦ない力任せに突き飛ばした。抗う術を持たない小さな体は、無様に地面を何度も転がり、冷たい泥溜まりの中に顔を深く突っ込む。鼻をつく不快な土の匂い。膝を激しく擦りむいた熱い痛み。けれど、それ以上に「心」の奥底で、何かが修復不可能に千切れる鈍い音が聞こえた。
(……やだ、行きたくない。お母さん、お願い、手を離さないで。置いていかないで……)
震える手で泥にまみれながら母親の裾を掴もうとするが、女は汚い害虫でも見るような目でその手を無造作に振り払った。二人は、差し出されたずっしりと重たい金貨の袋を愛おしそうに抱え込むと、一度も振り返ることなく、歓喜に震えて笑いながら夜の闇の中へと消えていった。
残されたのは、巨大で冷徹な石造りの門の前に、ただ呆然と立ち尽くす小さな影ひとつ。門の向こう側からは、長年の実験と教育で感情を完全に喪失した瞳をした大人たちが、僕をひとりの「人間」としてではなく、ただの「兵器」、あるいは「代えの利く便利な道具」として冷酷に見つめていた。
(今日からお前は、親にすら捨てられた名もなきゴミではない。この国の至宝、最高位魔導師『レリル』として育ててやる。幸運に感謝しろ)
突きつけられたその言葉は、祝福などではなく、未来永劫を縛り付ける呪いのような改名宣告だった。 「レリル」という名は、彼を一個の尊厳ある人間として認めるための呼び名などではなく、国が厳重に管理する「高出力の戦略魔導兵器」に割り振られた、ただのシリアルナンバーに過ぎなかったのだ。
絶望。 底の見えない、光の一筋も差さない真っ暗な孤独。 愛されることを、守られることを信じていた純粋な子供の心は、この瞬間、触れれば指が凍りつくような冷たい氷の塊へと変質した。
「なぜ、自分だけがこんな目に遭わなければならないのか」
「どうして、誰も助けてはくれないのか」
行き場を失った無数の問いが、ドロドロとした黒く濁った憎悪となって、小さな胸の中に一滴ずつ溜まっていく。
「は、ぁ……がはっ……、おえっ……!」
装置の不気味な振動がようやく止まり、僕は現実の冷たい石台の上に、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。 全身の毛穴から脂汗が吹き出し、麻痺した指先が自分の意思とは無関係に痙攣を繰り返している。
今、この目に、この脳に焼き付いたのは、紛れもなく「レリル」の記憶だ。あの大魔法使いとして世界に仇なし、恐れられた男の、血と泥に塗れた始まりの欠片。 親に売られ、人としての尊厳を無惨に剥ぎ取られ、「レリル」という冷たい記号を無理やり押し付けられた一人の子供。あんな風に世界中のすべてに裏切られたのなら、心を硬く閉ざして化け物になる以外、一体どうやってあの地獄を生き延びられたというのだろうか。
激痛の生々しい余韻と、今見た記憶のあまりの凄惨さに、胃の底から熱い吐き気がこみ上げてくる。 霞む視界の端で、鮮やかに輝く赤い魔石を重そうに抱えたヨハンが、冷たく立ち去っていく足音が遠くに聞こえた。彼はまだ知らない。自分が「見るだけで吐き気がする」と蔑んだその忌まわしい名前が、かつてどれほど無惨に元の名を奪われ、暴力的に上書きされた悲鳴の結果だったのかを。
僕は動かない体を丸め、凍える石の上でただ必死に、震える呼吸を繰り返した。 レリルの記憶は、決して消えない冷たい澱のように、僕の心の奥底に重く、重く沈み込んで離れなかった。
「あ、が……っ、あああああッ!!」
喉を掻き切るような悲鳴が、僕自身の意思とは無関係に溢れ出した。体内に淀んでいた膨大な魔力が、手首を固定する銀の枷を通じて、毛穴のひとつひとつから無理やり引き剥がされていく。それは血管の中に熱せられた沸騰した鉛を流し込まれ、逆流していくような、あるいは魂そのものを荒いやすりで削り取られるような、筆舌に尽くしがたい激痛だった。
だが、その狂おしいほどの苦痛が絶頂に達したとき、僕の悲鳴はプツリと唐突に途絶えた。
意識が遠のき、代わりに、湿った冷たい泥の匂いと、鼓膜を執拗に刺すような下卑た罵声が、僕の脳内に直接濁流となって流れ込んできた。
(……寒い、お腹が空いた。お父さん、お母さん、どこにいるの……?)
視界がぐらりと不自然に揺れる。やけに地面が近い。僕は、いつの間にか小さな子供の、それも地を這うような低い視点の中にいた。 目の前には、継ぎ接ぎだらけの薄汚れた服を纏った男女が二人、歪んだ笑みを浮かべて立っている。本来ならば僕を慈しみ、守ってくれるはずの両親。
けれど、その濁った瞳に宿っているのは、我が子への無償の愛などでは断じてなく、獲物を値踏みするような、卑屈で貪欲な「欲」そのものだった。
(ひひっ、見てくださいよ旦那様。このガキの内に秘めた魔流量、測り知れませんぜ! まさに掘り出し物の金鉱だ!)
(これだけの金があれば、私たち一生遊んで暮らせるわ! ほら、とっとと行きなさい! さっさとその汚い手を引き剥がすのよ!)
男が、僕の小さな背中を容赦ない力任せに突き飛ばした。抗う術を持たない小さな体は、無様に地面を何度も転がり、冷たい泥溜まりの中に顔を深く突っ込む。鼻をつく不快な土の匂い。膝を激しく擦りむいた熱い痛み。けれど、それ以上に「心」の奥底で、何かが修復不可能に千切れる鈍い音が聞こえた。
(……やだ、行きたくない。お母さん、お願い、手を離さないで。置いていかないで……)
震える手で泥にまみれながら母親の裾を掴もうとするが、女は汚い害虫でも見るような目でその手を無造作に振り払った。二人は、差し出されたずっしりと重たい金貨の袋を愛おしそうに抱え込むと、一度も振り返ることなく、歓喜に震えて笑いながら夜の闇の中へと消えていった。
残されたのは、巨大で冷徹な石造りの門の前に、ただ呆然と立ち尽くす小さな影ひとつ。門の向こう側からは、長年の実験と教育で感情を完全に喪失した瞳をした大人たちが、僕をひとりの「人間」としてではなく、ただの「兵器」、あるいは「代えの利く便利な道具」として冷酷に見つめていた。
(今日からお前は、親にすら捨てられた名もなきゴミではない。この国の至宝、最高位魔導師『レリル』として育ててやる。幸運に感謝しろ)
突きつけられたその言葉は、祝福などではなく、未来永劫を縛り付ける呪いのような改名宣告だった。 「レリル」という名は、彼を一個の尊厳ある人間として認めるための呼び名などではなく、国が厳重に管理する「高出力の戦略魔導兵器」に割り振られた、ただのシリアルナンバーに過ぎなかったのだ。
絶望。 底の見えない、光の一筋も差さない真っ暗な孤独。 愛されることを、守られることを信じていた純粋な子供の心は、この瞬間、触れれば指が凍りつくような冷たい氷の塊へと変質した。
「なぜ、自分だけがこんな目に遭わなければならないのか」
「どうして、誰も助けてはくれないのか」
行き場を失った無数の問いが、ドロドロとした黒く濁った憎悪となって、小さな胸の中に一滴ずつ溜まっていく。
「は、ぁ……がはっ……、おえっ……!」
装置の不気味な振動がようやく止まり、僕は現実の冷たい石台の上に、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。 全身の毛穴から脂汗が吹き出し、麻痺した指先が自分の意思とは無関係に痙攣を繰り返している。
今、この目に、この脳に焼き付いたのは、紛れもなく「レリル」の記憶だ。あの大魔法使いとして世界に仇なし、恐れられた男の、血と泥に塗れた始まりの欠片。 親に売られ、人としての尊厳を無惨に剥ぎ取られ、「レリル」という冷たい記号を無理やり押し付けられた一人の子供。あんな風に世界中のすべてに裏切られたのなら、心を硬く閉ざして化け物になる以外、一体どうやってあの地獄を生き延びられたというのだろうか。
激痛の生々しい余韻と、今見た記憶のあまりの凄惨さに、胃の底から熱い吐き気がこみ上げてくる。 霞む視界の端で、鮮やかに輝く赤い魔石を重そうに抱えたヨハンが、冷たく立ち去っていく足音が遠くに聞こえた。彼はまだ知らない。自分が「見るだけで吐き気がする」と蔑んだその忌まわしい名前が、かつてどれほど無惨に元の名を奪われ、暴力的に上書きされた悲鳴の結果だったのかを。
僕は動かない体を丸め、凍える石の上でただ必死に、震える呼吸を繰り返した。 レリルの記憶は、決して消えない冷たい澱のように、僕の心の奥底に重く、重く沈み込んで離れなかった。
2
あなたにおすすめの小説
お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?
麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。
姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました
彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。
姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。
悪役の僕 何故か愛される
いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ
王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。
悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。
そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて…
ファンタジーラブコメBL
不定期更新
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】
リトルグラス
BL
人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。
転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。
しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。
ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す──
***
第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20)
**
【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~
蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。
転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。
戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。
マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。
皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた!
しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった!
ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。
皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。
俺の婚約者は悪役令息ですか?
SEKISUI
BL
結婚まで後1年
女性が好きで何とか婚約破棄したい子爵家のウルフロ一レン
ウルフローレンをこよなく愛する婚約者
ウルフローレンを好き好ぎて24時間一緒に居たい
そんな婚約者に振り回されるウルフローレンは突っ込みが止まらない
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる