44 / 74
第2章
第43話:違和感
しおりを挟む
それからも、俺はまるで取り憑かれたかのように、毎週欠かさずあの塔へと通い詰め、レリルと対話を重ねた。
どんな些細な食べ物が口に合うのか、陽の射さぬこの閉ざされた空間で、一体何を考え、どのようにして長い時間をやり過ごしているのか。一つ一つの、時に無遠慮で、時に不器用な俺の問いかけに対し、彼は初めのうちは酷く戸惑い、警戒していたものの、次第にその薄い唇を開き、凪いだ湖面のような静かさで答えてくれるようになっていった。
だが、言葉を交わし、その魂の欠片に触れるたび、俺の中にある違和感は拭い去りようのないほど強固に、そして巨大に膨れ上がっていった。
凄惨な戦場で対峙し、あるいは王都の喧騒の中で醜聞として耳にしていた「大魔導師レリル」という男は、己の才に溺れて傲慢を極め、他人の命を道端の石ころほどにも思わぬ、冷酷非道な化け物だったはずだ。
だが、今、俺の目の前で、小さな火に当たりながら穏やかに微笑むこの男は、あまりにも繊細で、驚くほど思慮深く、そして――触れれば粉々に砕けてしまいそうなほど、痛々しいまでに脆い。
(ひょっとして、これが……虚飾を剥ぎ取った、本来の彼の姿なのか……?)
だが、彼が過去に犯したとされる数々の凶行を、ただの聞き間違いとして片付けるわけにもいかない。首輪を嵌める際、彼が虚ろな目で放ったあの「何も知らない」という言葉の真意。
それが、処罰を免れるための卑劣な演技なのか、あるいは俺の想像も及ばぬ深い闇が潜んでいるのか。疑念のすべてを完全に拭い去ることは、この地の守護を任された領主としての立場が、どうしても許さなかった。
そうして、胸の内に解消できぬ違和感の澱を抱えたまま、無情にも日々は淡々と過ぎ去り、ついに二度目の魔力搾取の刻限がやってきてしまった。
一ヶ月前、全身を弓のようにしならせ、逃げ場のない激痛に絶叫し、その端正な顔を苦悶に歪めていた彼の姿が、最悪の残像となって脳裏をよぎる。
前回までは、それを「罪人への正当な義務」であり、彼自身の犯した罪への「不可避な償い」なのだと、冷徹に切り捨てることができた。だが、今はもう、その時とは俺の心が決定的に違っていた。
彼の存在を疎ましい大罪人ではなく、守るべき、そして大切にしたいと願い始めた今の俺にとって、この逞しい両手で、彼に身を切るような苦痛を直接与えるという行為は、自身の臓腑を素手で抉られるよりも、遥かに残酷で耐えがたい責め苦だった。
(……すまない。本当に、許してくれ。だが、これだけは、今の俺の力ではどうすることもできないんだ……)
せめて、ほんの少しでも、彼の心身にかかる重荷を減らしたい。
俺は、罪人を括り付けるための冷たい石の祭壇ではなく、自ら運び込んだばかりの、柔らかな革張りのソファへと彼を座らせた。魔力を奪われ、空っぽになった身体がすぐに栄養を求められるよう、温かな食事の準備も万全に整える。
魔力抽出の詠唱が終わり、その反動で糸が切れた人形のように気を失ったレリルの蒼白な顔を見て、俺の全身から血の気が一気に引いた。以前よりは、俺が持ち込んだ食材のおかげで僅かに血色が戻っていたとはいえ、閉じた瞼の下にあるその身体は、まだあまりにも細く、羽毛のように軽い。
「頼む、レリル。目を覚ましてくれ……! レリル!」
祈るような、あるいは己の罪を許しを乞うような切実な思いで、俺は彼をこの太い腕の中に抱きかかえ、その意識が戻るのを必死に待ち続けた。
それから数秒か、あるいは数時間にも感じられる永劫の時間の後、彼はようやく微かに身じろぎし、意識を取り戻した。
だが、その様子は明らかに異常だった。
彼は焦点の合わぬ目で虚空を見つめ、何かにひどく怯えるように身を震わせると、俺の顔を認識した瞬間に――言葉にならない悲鳴を上げ、まるで幼子のように大粒の涙を流して泣き出してしまったのだ。
かつてのレリルなら、決して見せるはずのない、魂の深淵に触れた者の絶望的な泣き顔。
とてつもない罪悪感の荒波が俺の胸に押し寄せ、己の不甲斐なさと、彼を救い出せないこの世界の不条理さに、俺の心は無惨にも押し潰されそうになっていた。
どんな些細な食べ物が口に合うのか、陽の射さぬこの閉ざされた空間で、一体何を考え、どのようにして長い時間をやり過ごしているのか。一つ一つの、時に無遠慮で、時に不器用な俺の問いかけに対し、彼は初めのうちは酷く戸惑い、警戒していたものの、次第にその薄い唇を開き、凪いだ湖面のような静かさで答えてくれるようになっていった。
だが、言葉を交わし、その魂の欠片に触れるたび、俺の中にある違和感は拭い去りようのないほど強固に、そして巨大に膨れ上がっていった。
凄惨な戦場で対峙し、あるいは王都の喧騒の中で醜聞として耳にしていた「大魔導師レリル」という男は、己の才に溺れて傲慢を極め、他人の命を道端の石ころほどにも思わぬ、冷酷非道な化け物だったはずだ。
だが、今、俺の目の前で、小さな火に当たりながら穏やかに微笑むこの男は、あまりにも繊細で、驚くほど思慮深く、そして――触れれば粉々に砕けてしまいそうなほど、痛々しいまでに脆い。
(ひょっとして、これが……虚飾を剥ぎ取った、本来の彼の姿なのか……?)
だが、彼が過去に犯したとされる数々の凶行を、ただの聞き間違いとして片付けるわけにもいかない。首輪を嵌める際、彼が虚ろな目で放ったあの「何も知らない」という言葉の真意。
それが、処罰を免れるための卑劣な演技なのか、あるいは俺の想像も及ばぬ深い闇が潜んでいるのか。疑念のすべてを完全に拭い去ることは、この地の守護を任された領主としての立場が、どうしても許さなかった。
そうして、胸の内に解消できぬ違和感の澱を抱えたまま、無情にも日々は淡々と過ぎ去り、ついに二度目の魔力搾取の刻限がやってきてしまった。
一ヶ月前、全身を弓のようにしならせ、逃げ場のない激痛に絶叫し、その端正な顔を苦悶に歪めていた彼の姿が、最悪の残像となって脳裏をよぎる。
前回までは、それを「罪人への正当な義務」であり、彼自身の犯した罪への「不可避な償い」なのだと、冷徹に切り捨てることができた。だが、今はもう、その時とは俺の心が決定的に違っていた。
彼の存在を疎ましい大罪人ではなく、守るべき、そして大切にしたいと願い始めた今の俺にとって、この逞しい両手で、彼に身を切るような苦痛を直接与えるという行為は、自身の臓腑を素手で抉られるよりも、遥かに残酷で耐えがたい責め苦だった。
(……すまない。本当に、許してくれ。だが、これだけは、今の俺の力ではどうすることもできないんだ……)
せめて、ほんの少しでも、彼の心身にかかる重荷を減らしたい。
俺は、罪人を括り付けるための冷たい石の祭壇ではなく、自ら運び込んだばかりの、柔らかな革張りのソファへと彼を座らせた。魔力を奪われ、空っぽになった身体がすぐに栄養を求められるよう、温かな食事の準備も万全に整える。
魔力抽出の詠唱が終わり、その反動で糸が切れた人形のように気を失ったレリルの蒼白な顔を見て、俺の全身から血の気が一気に引いた。以前よりは、俺が持ち込んだ食材のおかげで僅かに血色が戻っていたとはいえ、閉じた瞼の下にあるその身体は、まだあまりにも細く、羽毛のように軽い。
「頼む、レリル。目を覚ましてくれ……! レリル!」
祈るような、あるいは己の罪を許しを乞うような切実な思いで、俺は彼をこの太い腕の中に抱きかかえ、その意識が戻るのを必死に待ち続けた。
それから数秒か、あるいは数時間にも感じられる永劫の時間の後、彼はようやく微かに身じろぎし、意識を取り戻した。
だが、その様子は明らかに異常だった。
彼は焦点の合わぬ目で虚空を見つめ、何かにひどく怯えるように身を震わせると、俺の顔を認識した瞬間に――言葉にならない悲鳴を上げ、まるで幼子のように大粒の涙を流して泣き出してしまったのだ。
かつてのレリルなら、決して見せるはずのない、魂の深淵に触れた者の絶望的な泣き顔。
とてつもない罪悪感の荒波が俺の胸に押し寄せ、己の不甲斐なさと、彼を救い出せないこの世界の不条理さに、俺の心は無惨にも押し潰されそうになっていた。
2
あなたにおすすめの小説
お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?
麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。
姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました
彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。
姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。
悪役の僕 何故か愛される
いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ
王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。
悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。
そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて…
ファンタジーラブコメBL
不定期更新
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】
リトルグラス
BL
人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。
転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。
しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。
ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す──
***
第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20)
**
【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~
蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。
転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。
戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。
マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。
皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた!
しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった!
ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。
皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。
俺の婚約者は悪役令息ですか?
SEKISUI
BL
結婚まで後1年
女性が好きで何とか婚約破棄したい子爵家のウルフロ一レン
ウルフローレンをこよなく愛する婚約者
ウルフローレンを好き好ぎて24時間一緒に居たい
そんな婚約者に振り回されるウルフローレンは突っ込みが止まらない
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる