虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

文字の大きさ
66 / 74
第3章

第65話:別人

しおりを挟む
 館に戻り、灯りも点けぬまま、荒い吐息を吐きながら執務室の硬い椅子に深く身を沈めた。 

 一人、沈黙と闇の中に置かれると、先ほど塔で向けられたレリルの――いや、彼のあの瞳が、網膜の裏側に焼き付いて離れない。悲しげに揺れながらも、一切の迷いなく己を捨て去ろうとする覚悟を宿した、あの透き通るような双眸。

(……彼は、彼は断じて、あの『大罪人レリル』などではない)

 最近、俺の中で燻り続けていたその疑念は、もはや疑いようのない絶対的な確信へと変わっていた。 

 かつて王都で「悪逆非道」の名を欲しいままにし、自らの力を誇示するためだけに数多の人間の命を塵芥のように散らしてきたという、あの傲慢で冷酷な魔導師。そんな男が、見ず知らずの領民の安寧のために、そして自分を監視し、鎖に繋ぎ、毎月魔力を搾り取り続けているこの俺のために、自らを冷たい石に変えてまで領地を救おうとするはずがないのだ。

 彼は、一体何者なんだ。どこから来て、何のために俺の前に、あの絶望的な塔の中に現れた。 

 自分の正体を隠す気がないのか、それともあまりに世間知らずで隠し方を知らないのか、彼は戸惑うほどに無防備で、あまりにも純粋すぎた。だが、そんな正体や過去の経歴など、今となってはどうだっていい。 

 彼は、俺が連れてきた過去の化身などではなく、ただの「レリル」という名の一人の男として、俺の隣に座り、不器用にスープを啜り、俺のつまらない冗談に困ったように笑っていた。俺が惹かれ、命を懸けて守りたいと願ったのは、その「今」という一瞬を懸命に生きている彼自身なのだ。

 本来、彼にはこの領地を救う義理など微塵もないはずだ。これまでの人生で国に売られ、大人たちに虐げられ、そして今、この俺にすら「資源」として利用され、塔の中に閉じ込められ続けているというのに。自分を裏切り続けたこの理不尽な世界を、どうして「救いたい」などと、聖者のような、あまりにも自己犠牲的な言葉を口にできるのか。

「彼は……彼は、どこまで救いようのないお人好しなんだ……っ」

 何も語らぬまま、ただ慈しむように俺を見つめていた彼に。そして、彼が抱える絶望の欠片さえ聞き出せず、あまつさえ彼に死を選ばせようとしている自分に、底知れぬ無力感だけが募っていった。俺がこの手で搾取し、すり減らしてきた彼の命を、今度は俺を護るための防波堤として使い捨てさせるなど、そんな屈辱的なことは、たとえこの身が魔物に食い破られようとも、死んでも許容できるわけがなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?

麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。

姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました

彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。 姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

悪役の僕 何故か愛される

いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ 王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。 悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。 そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて… ファンタジーラブコメBL 不定期更新

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】

リトルグラス
BL
 人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。  転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。  しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。  ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す── ***  第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20) **

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

俺の婚約者は悪役令息ですか?

SEKISUI
BL
結婚まで後1年 女性が好きで何とか婚約破棄したい子爵家のウルフロ一レン ウルフローレンをこよなく愛する婚約者 ウルフローレンを好き好ぎて24時間一緒に居たい そんな婚約者に振り回されるウルフローレンは突っ込みが止まらない

処理中です...