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2 融け、積もりゆく心
5 もうひとつの密会場所
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ソコロフ領とアナトリエ領の境界線にほぼ平行に、北へ四半刻。
獣道すらない白樺林を分け入っていく。
早くも夜の入りで、村方面に人の気配もしない。小屋へ行くのは久しぶりであさってな方向に案内してしまっているかもと焦り始めた頃。
氷を纏った枝の合間に、木造の三角屋根が現れた。
(残っていた)
霧が立ち込め、違う世界に迷い込んだような、幻想的な雰囲気だ。
「到着した」
戸を開ける。中は二間四方もない。隅に張った蜘蛛の巣が凍っている。
「何だか癒されるな。周りはあの仔たちの主食の地衣が多そうだし」
後をついてきたエリセイは、いそいそと小屋を見回した。
仮眠用の寝台の板が抜けないか、手で確かめてから腰掛ける。さらに濃灰の外套を敷布のように置き、目くばせでこちらを呼んだ。
「……それだと君が寒いだろう」
さすがに固辞し、寝台の向かいの暖炉に、今刈ったばかりの白樺の枝を入れる。
しかしろくに乾かせていないので、火打石に反応しない。予想はしていたが唸らざるを得ない。
「だからスフェンにこっちに来てほしいんだよ。人肌に勝る暖房具はない」
「妙な言い方をするな。いざとなったらヴィトを中に入れる」
「白か。またもふらせてもらうのも悪くない」
脚を投げ出してくつろぐエリセイは、楽観的だ。実際にヴィトを入れたら身動きが取れなくなるのに。
一気に徒労に思えて、暖炉を離れ、荷から蒸留酒の小瓶を二本掘り出す。
「身体の中から温まれ」
エリセイは、こちらの手ごと瓶を受け取った。
引き寄せられ、結局隣に座らされる。
してやったりの表情を向けてきたが、寝台が派手に軋むや真顔になった。
一拍遅れの吹き出し笑いを乾杯代わりに、酒を煽る。
(毒の心配はしないのだな。本当にわたしを信用してくれている……)
蒸留酒は度数が高く、ひと口で喉から腹にかけて熱くなった。同じく酒を流し込むエリセイの喉仏に、つい目が吸い寄せられる。
「これ何かで燻してるか? 甘い匂いがする」
「いや、典型的な製法だ」
はっと前に向き直った。
この間、彼の背中に敬意を感じて以来、どうも過剰に目で追ってしまう。まるで初対面時の彼だ。
「うーん、燻しの達人を自負してたがまだまだか……?」
エリセイはこちらの気も知らず、熱い息とともに疑問を零す。
自分も視界がとろんと滲んだ。
城の食料庫にあったのを積んだだけだが、たまたまひと手間加えたものだったのかもしれない。
(酒の回りが早い)
酔いを醒まさんと、軽く首を振る。
隅の小さな棚が目に入った。
寝台と暖炉の他は、この棚があるきりだ。器などの日用品が残っている。
(父がふらりと放牧から帰ってきそうだ)
父が育てていた馴鹿は生活のために一頭また一頭と売り、父も母も精霊界に旅立って久しいにもかかわらず……、やはり酔っている。
「あの置物は何だ?」
エリセイが、こちらの視線を追ったのか棚を指差した。
薄暗い中、再度目を凝らすと――今の家にあるのと同じ、木製の厨子だ。
ここにも母の形見があったとは。腕を伸ばして手に取る。
「母がつくった、お守りのようなものだ」
エリセイは「へえ」と掌を覗き込んできた。肩で押されて寝台から落ちかける。
無言で踏ん張る。
「これ、丸屋根に鷹が留まってるな。聖堂の意匠と同じだ」
「そう、なのか?」
「うん。ちなみに丸屋根は太陽を表してる」
知らなかった。エリセイはたまにこうして貴族の教養を見せてくる。
聖堂は緩衝地帯の南、アナトリエ領にある。
とはいえ厨子も聖堂も精霊王を祀るものだから、同じ意匠でもおかしくはない。
「中は人型像か。母君は手先が器用なんだな」
エリセイが感嘆を口にした。
像の顔立ちや身体つきは、男とも女ともつかず、絶妙に「人間」でなく「人型」だと感じる。
「ああ。よく村の女性たちに装身具をつくってくれとせがまれていた」
「俺もこのお守りが欲しい。アナトリエにはこういう型のものはない」
「ひと足遅かったな。母はもう精霊界へ旅立っている。寿命が並より少々短かったんだ」
熱烈にねだられたが、さらりと却下した。
母の場合は枕もとで見送れたから、父のときより気持ちの整理がついている。
「……っ!」
ただエリセイにはそう見えなかったのか、酒瓶を床に置き、大きな手でこちらの膝をさすってきた。摩擦熱で火がつく勢いだ。
「よければこの御形見を俺に貸してくれないか」
さらには真剣な顔で頼み込みもする。
そんな芸術品でもないのに。でも廃屋に等しいこの小屋に置いておくよりは、と了承した。
「それで、わざわざ移動してまで話したいこととは?」
獣道すらない白樺林を分け入っていく。
早くも夜の入りで、村方面に人の気配もしない。小屋へ行くのは久しぶりであさってな方向に案内してしまっているかもと焦り始めた頃。
氷を纏った枝の合間に、木造の三角屋根が現れた。
(残っていた)
霧が立ち込め、違う世界に迷い込んだような、幻想的な雰囲気だ。
「到着した」
戸を開ける。中は二間四方もない。隅に張った蜘蛛の巣が凍っている。
「何だか癒されるな。周りはあの仔たちの主食の地衣が多そうだし」
後をついてきたエリセイは、いそいそと小屋を見回した。
仮眠用の寝台の板が抜けないか、手で確かめてから腰掛ける。さらに濃灰の外套を敷布のように置き、目くばせでこちらを呼んだ。
「……それだと君が寒いだろう」
さすがに固辞し、寝台の向かいの暖炉に、今刈ったばかりの白樺の枝を入れる。
しかしろくに乾かせていないので、火打石に反応しない。予想はしていたが唸らざるを得ない。
「だからスフェンにこっちに来てほしいんだよ。人肌に勝る暖房具はない」
「妙な言い方をするな。いざとなったらヴィトを中に入れる」
「白か。またもふらせてもらうのも悪くない」
脚を投げ出してくつろぐエリセイは、楽観的だ。実際にヴィトを入れたら身動きが取れなくなるのに。
一気に徒労に思えて、暖炉を離れ、荷から蒸留酒の小瓶を二本掘り出す。
「身体の中から温まれ」
エリセイは、こちらの手ごと瓶を受け取った。
引き寄せられ、結局隣に座らされる。
してやったりの表情を向けてきたが、寝台が派手に軋むや真顔になった。
一拍遅れの吹き出し笑いを乾杯代わりに、酒を煽る。
(毒の心配はしないのだな。本当にわたしを信用してくれている……)
蒸留酒は度数が高く、ひと口で喉から腹にかけて熱くなった。同じく酒を流し込むエリセイの喉仏に、つい目が吸い寄せられる。
「これ何かで燻してるか? 甘い匂いがする」
「いや、典型的な製法だ」
はっと前に向き直った。
この間、彼の背中に敬意を感じて以来、どうも過剰に目で追ってしまう。まるで初対面時の彼だ。
「うーん、燻しの達人を自負してたがまだまだか……?」
エリセイはこちらの気も知らず、熱い息とともに疑問を零す。
自分も視界がとろんと滲んだ。
城の食料庫にあったのを積んだだけだが、たまたまひと手間加えたものだったのかもしれない。
(酒の回りが早い)
酔いを醒まさんと、軽く首を振る。
隅の小さな棚が目に入った。
寝台と暖炉の他は、この棚があるきりだ。器などの日用品が残っている。
(父がふらりと放牧から帰ってきそうだ)
父が育てていた馴鹿は生活のために一頭また一頭と売り、父も母も精霊界に旅立って久しいにもかかわらず……、やはり酔っている。
「あの置物は何だ?」
エリセイが、こちらの視線を追ったのか棚を指差した。
薄暗い中、再度目を凝らすと――今の家にあるのと同じ、木製の厨子だ。
ここにも母の形見があったとは。腕を伸ばして手に取る。
「母がつくった、お守りのようなものだ」
エリセイは「へえ」と掌を覗き込んできた。肩で押されて寝台から落ちかける。
無言で踏ん張る。
「これ、丸屋根に鷹が留まってるな。聖堂の意匠と同じだ」
「そう、なのか?」
「うん。ちなみに丸屋根は太陽を表してる」
知らなかった。エリセイはたまにこうして貴族の教養を見せてくる。
聖堂は緩衝地帯の南、アナトリエ領にある。
とはいえ厨子も聖堂も精霊王を祀るものだから、同じ意匠でもおかしくはない。
「中は人型像か。母君は手先が器用なんだな」
エリセイが感嘆を口にした。
像の顔立ちや身体つきは、男とも女ともつかず、絶妙に「人間」でなく「人型」だと感じる。
「ああ。よく村の女性たちに装身具をつくってくれとせがまれていた」
「俺もこのお守りが欲しい。アナトリエにはこういう型のものはない」
「ひと足遅かったな。母はもう精霊界へ旅立っている。寿命が並より少々短かったんだ」
熱烈にねだられたが、さらりと却下した。
母の場合は枕もとで見送れたから、父のときより気持ちの整理がついている。
「……っ!」
ただエリセイにはそう見えなかったのか、酒瓶を床に置き、大きな手でこちらの膝をさすってきた。摩擦熱で火がつく勢いだ。
「よければこの御形見を俺に貸してくれないか」
さらには真剣な顔で頼み込みもする。
そんな芸術品でもないのに。でも廃屋に等しいこの小屋に置いておくよりは、と了承した。
「それで、わざわざ移動してまで話したいこととは?」
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