【完結】番になれなくても

加賀ユカリ

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第一章

7.運命の番さん

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 和樹はあの日、貴斗の顔を見るのが怖くてそのまま家に帰った。

 何度もスマホが鳴ったが、全て無視した。
 貴斗からの着信も、メッセージも、怖くて開けなかった。

 数日が経った。
 和樹が学校を休んだその日、貴斗が家の前までやってきた。そして、インターホン越しに彼は静かに言った。

『和樹……』
「近所迷惑だ、帰ってくれ」
『出てくるまでここにいる。頼むから話をさせてほしい』

 貴斗は頑固な人間だ。言ったことはやり遂げる。
 きっと、本当に玄関の前に居座るつもりだ。

 和樹は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を手のひらで拭った。

 本当は会いたくなんかなかった。泣き腫らした顔を絶対に見せたくなんかなかった。
 けれど、ずっと玄関の前に立ち続ける貴斗の姿も近所の目線も無視できず、和樹は渋々玄関の扉を開けた。

「和樹……!」

 外に出た瞬間、貴斗に腕を引き寄せられる。

「……っ、和樹、ごめん。不安にさせて。ちゃんと話すから聞いてくれ」
「……謝ること意味わかんねーよ。別に恋人でもないのに……」
「和樹は恋人じゃなくても、こんな顔になるくらい俺のことを想ってくれるの?」
「……うるさい」

 貴斗は和樹の頬を両手で包み込み、泣き腫らした目元に何度も唇を落とした。

「や、やめろ……」
「なんで?」
「もういいだろ、部屋に戻る……」
「あの日のことさ、俺に聞かないの?」
「……っ!」

 その言葉を聞いた瞬間、和樹の動きが止まった。

 あの日──貴斗が運命の番の少年と出会った時だ。

「……運命の番さんによろしく。俺のことは別に気にしなくていいから」
「なんでそんなこと言うんだ?」
「は?運命の番なんだろ?こんな所にいたら、番さんに嫌われるぞ」

 そう言いつつも、まともに貴斗の顔を見ることは出来なかった。

 貴斗は和樹の両手を包み込むと、口を開いた。

「和樹……一緒に、ある場所に来て欲しいんだ」

 ◇

 向かった先は、街の喫茶店だった。

 店内の奥に座っていたのは、可愛らしい容姿をした少年と落ち着いた雰囲気の同年代の男子。
 二人の姿を見た瞬間、和樹の体は反射的に強ばった。

(あいつ……貴斗の“運命の番”!?)

 “運命の番”はオメガらしい可愛い容姿をしており、まさに貴斗にお似合いの相手である。

(なんでここにいるんだ……貴斗と連絡を取り合ってるということか?)

 和樹の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

 少年がこちらに気づき、優しく微笑んだ。しかし、隣の男子はやや呆れたように言った。

 「まだ説明してないのかよ、貴斗。最低だな、お前」

(……説明?)


 和樹が混乱していると、少年が和樹に向かって丁寧に頭を下げた。

「こんにちは、僕は橘奏汰たちばなそうたって言います。あの、僕は貴斗さんと番になるつもりはないんです」
「え……?二人は……その、運命の番で──」
「僕には直紘なおひろくんっていう恋人がいるんです。まだ番ではないけど、将来を約束しているんです」

(運命の番、なのに?……二人は結ばれるべきなのに?)

 和樹の頭は、奏汰の言葉を上手く処理できなかった。

「僕、まだ十六歳で……両親が厳しくて、十八歳までは番契約は控えろって言われてて」

「……あと二年だな」と横の男が捕捉する。


 和樹は、奏汰の隣に座る男に視線を向けた。

「この方が、そのアルファ……ですか?」
「俺は、奏汰の幼なじみの直紘。高二でお前たちと同い年だ。貴斗、お前マジでこいつに何も言わずに連れてきたのかよ?」

 直紘は貴斗を睨むようにして言った。

「俺が説明するより、直接会って話す方が早いと思っただけだ」
「お前の脳ミソ、ほんとどうなってるんだよ……」
「うるせぇよ」

 険悪な雰囲気になる貴斗と直紘に、奏汰が慌てて止めに入る。

「直紘くん、もう……喧嘩しないでよ!和樹さん、ごめんなさい」
「い、いえ……」

 貴斗が和樹の隣に座り、まっすぐと見つめる。

「和樹。俺は運命の番がいたとしても、お前を選ぶ。……それは奏汰さんも同じだ」
「……僕も、直紘くんを選びます。だから誤解しないで欲しいんです。僕、隣の県に住んでて今後会うことも多分ないですし……」


 (……二人は、運命の番なのに?)

 和樹は二人の言葉を信じることが出来なかった。


 “運命の番である二人は結ばれるべきである”

 そう、互いの本能は告げているはずだ。

 和樹は、運命の番と結ばれた兄を知っている。

『俺はあいつと出会って、人生が変わった。オメガに生まれてよかったって初めて思えたんだ』

 そう言って笑う兄が脳裏に浮かぶ。
 貴斗も運命の番もそうあるべきなのに。

 しかし、和樹の心の奥には別の気持ちも住み着いていた。


「……奏汰さん。ひとつ、聞いてもいいですか?」

 和樹の声は震えていた。けれど、目だけはまっすぐ奏汰を見ている。

「はい、なんでも」
「その……本能って抗えるんですか?」

 和樹の質問に、その場の空気が張り詰めた。

 運命の番という強烈なフェロモンの結びつき。
 本来なら、理屈の通じない圧倒的な引力に従うことが自然とされている。

 それに、抗えるのか──?

 奏汰は目を丸くし、それからふっと微笑んだ。

「抗う……というより“選ぶ”だと思います」
「選ぶ……?」
「はい。確かに番の相手といると落ち着くし、惹かれる部分もあります。でも、僕はそれだけで人生を決めたくないんです。……僕は、自分の気持ちを大切にしたいから」

 和樹は小さく息を呑んだ。

「……じゃあ、貴斗って、いい匂い……しますか?」
「え?」
「おい、こいつ奏汰に何言ってんだ?」

 奏汰の隣に座る直紘から鋭い視線を向けられ、貴斗には困惑した顔を向けられた。
 けれども和樹は、奏汰の顔をまっすぐ見つめたままだった。

「俺はベータだし、貴斗の匂いが分かりません。……汗かいたら普通に臭いし」
「和樹……」
「……でも、奏汰さんは……違いますよね?」

 沈黙の時間が少し続いた後、奏汰は口を開いた。

「はい。正直言うと、します。安心するような、落ち着く匂いです。……でも、それだけです」

 和樹はわずかに眉をひそめた。

「それだけ……?」
「いい匂いがするだけ、です。でも、僕が一緒に居たいと思ったのは直紘くんだけ。匂いよりも気持ちの方がずっと大事ですから」
「……」

 和樹は膝の上にある手をぎゅっと握った。
 “運命の番”──本能に抗えるなんて、思ってもみなかった。

 けれど、目の前にいるのは──実際に抗い、自分の想いを選んだオメガだ。
 そしてその隣には、彼の手を握るアルファがいる。

 誰でもない。
 “運命の番”でもない。
 ただ、“好きな人”を選んだ彼らの姿が眩しかった。


「……俺は、貴斗をいい匂いだって言える奏汰さんが羨ましいです。貴斗に相応しいのは、きっとあなたのような人だと思います。でも……」

 和樹の声がわずかに震える。

「それでも俺は、貴斗の隣に居たいって思う。貴斗に相応しくなくても、そう思うんです」

 奏汰はゆっくりと優しい微笑みを浮かべた。

「その気持ち、分かります。僕だって直紘くんの隣に居たいって思っていますから」
「奏汰さん……」

 貴斗も同じように優しい微笑みを和樹に向けた。

「和樹。俺は運命の番がいようが、お前を選ぶ。それだけは変わらない」
「貴斗……」

 黙って見ていた直紘が口を開いた。

「……もう、いいか?俺は、こんなアルファと奏汰が一緒にいる空間に居たくない。奏汰、行くぞ」

 直紘が立ち上がる。奏汰もすぐに席を立ち、和樹と貴斗に頭を下げた。

「今日は来て下さりありがとうございました。こんなタイミングだったけど……僕、会えてよかったです」

 そうして奏汰と直紘は店から立ち去った。
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