異世界でも保育士やってます~転生先に希望条件が反映されてないんですが!?~

こじまき

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26 上司はいない

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「あらエマちゃん、こぼれちゃったねぇ」

おやつの時間、エマちゃんがコップに入っていたミルクをこぼしてしまった。お着換えとして預かっている服に着替えてもらう。

「手伝おうか?」
「うん」

最初のこの世界に来たとき「可愛い」と思った民族衣装。

ワンピースの上部にあみあみの紐がついていて、それでウエストを締めなきゃいけない。あとスカート部分のリボンベルトを結ぶのも、まだ四歳のエマちゃんには難しかったりする。とくに冬は手がかじかんじゃってさ。

子どもが民族衣装着てるのは、めちゃくちゃ可愛いんだけどね。ふと「クリスタちゃんがサイズアップしたら、今度は何色のお洋服を買おうかな」なんて考える。

「あらら、ブラウスも濡れちゃってるね。脱ごうか」
「うん」

エマちゃんがブラウスを脱いだ瞬間、私は息をのんだ。

背中にいくつもの痣と、古い傷。

実際に園児さんの身体で見たことはないけど、大学の授業で見た写真に似てる。

私は無理やり顔に笑顔を貼り付けた。

「エマちゃん、この傷どうしたの?」
「…転んだの」

大学では「転んでも、背中に傷はつきにくい」と習った。

「そっか。じゃあ、困ってることとや嫌なことはない?」
「今はない」
「今は、ないんだね。今じゃなかったら、ある?」
「言っちゃだめなの。約束したから」
「…そか」

私はエマちゃんを着替えさせて、汚れてしまった服を洗って干す。暖炉がパチパチ燃えるリビングに干しておけば、お迎えの時間までには乾くだろう。

約束の時間ぴったりにお迎えに来たエマちゃんのお母さんは、物静かな人だ。冬の間はカウベルフェルトでお針子をしている。

「エマちゃんのお母さん、お帰りなさい。今日はミルクをこぼして服が汚れたので、お着換えしています」
「あ…はい。ありがとうございます」
「あの、お母さん…エマちゃんの背中…」

エマちゃんのお母さんはビクッと身体を硬直させた。

「転んだんです」
「エマちゃんにもそう聞きました」

なんて言ったらいい?何を聞いて、どうすればいい?私に何ができる?

「その…ええと…傷に効く薬がうちにあるので、必要だったら言ってくださいね」
「ありがとうございます」

エマちゃんが帰ってからも、私はずっともやもやしていた。

前の世界だったら、園児さんの身体に不自然な傷を見つけたら、まず主任と園長先生に相談して、園から警察や児童相談所に相談するっていうフローが決まってる。

だけどここには判断と対応を委ねられる主任も園長先生もいないし、児童相談所もない。警察っぽい組織はあるけど、対応してくれる可能性は低い。

だったら私が動くしかない。

動いてどうなるかわからないから、すごく怖い。でもそれ以上に、放っておくほうが怖いんだもん。

私は帰宅したテオくんに留守番を頼んで、村の反対側にあるエマちゃんの家まで歩いた。「遅い時間にごめんなさい」と謝る私を、お母さんは戸惑いながらも家に入れてくれた。

「やっぱりその…背中の傷が気になってしまって。転んでも、背中に傷がつくことってあまりないと聞いたから」

お母さんは何も答えない。

「私に何かできることはないでしょうか?」
「何もありません」
「お母さん、でも…」
「できることは何もないの…!耐えるしか…」

エマちゃんのお母さんの目から涙がこぼれ、ぽつりぽつりと言葉がこぼれる。今カウンティ・タウンに出稼ぎに行っているエマちゃんのお父さんは、お酒に酔うとエマちゃんのお母さんとエマちゃんに暴力を振るうのだそうだ。

「だけど普段は優しい人なの」
「わかります。でも、何度も繰り返しているんですよね?」

正直言って、ちゃんと治療を受けないと改善するとは思えない。そしてこの世界にちゃんとして治療プログラムがあるとも思えない。離れないと、いつかお母さんもエマちゃんも大きな怪我をするか、命の危険にさらされてしまう可能性がある。

「でもあの人から離れてどうするの!?女一人になったら私は生きていけないし、エマを育ててもいけない。それこそ命の危機だわ」
「ご実家は…」
「結婚するときに勘当されたの。どこにも行ける場所なんてない。女が一人で働いて子どもを育てるなんてできないし」

前の世界にいた私だったら、「病院に行け」「警察に行け」「児童相談所に行け」「何とか実家に連絡しろ」というくらいで、きっと何も自分では動けなかった。

でも今は違う。なんのしがらみも常識もないんだから。「こんなことしていいのかな」って考えて、結局何もしないままなのは嫌だ。

「うちで暮らせばいいじゃないですか」
「…え?」
「うちで暮らせばいいですよ。部屋は空いてますし、保育園とりんご園を手伝ってくれるならお給料も払います」
「そんな…そんなことできるわけ…」
「できますって。だって別に…夫婦が別々に住んじゃいけないとか、法律で決まってるわけじゃないですよね?旦那さんが怒鳴り込んできたら、私が怒鳴り返しますし!」

「あのエンツォさんにも言い返したんですから」と私が胸を叩くと、エマちゃんのお母さんはふっと笑った。初めてこの人の笑った顔を見た気がする。

「サティさんにそこまでご迷惑はかけられません」
「いや、でも…!」
「助けてほしいって、家族に手紙を書いてみます。サティさんがそこまで言ってくれるのに、自分で何もしないわけにはいきません」

二週間後、エマちゃんとお母さんは、荷物をまとめてお母さんの実家へと向かった。

「父も母も、勘当はやりすぎたとずっと後悔していたみたいなんです」
「良かったですね」
「ええ、サティさんのおかげです」
「ううん、お母さんが勇気を出したおかげですよ」

私は「元気でね」とエマちゃんをぎゅっと抱きしめた。幸せな未来が待っていますように。
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