婚約破棄?はい、どうぞお好きに!悪役令嬢は忙しいんです

ほーみ

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 夕刻の風が、広い中庭の噴水の水面をゆるりと揺らしていた。学院行事の喧騒はようやく収まり、学生達は自室へ戻ったり、恋人と散歩に出たり、静かなひとときを過ごしている。
 その中で、わたくし――レティシア・アルフォードは、温かい紅茶を片手に、図書館裏の小さな庭でひっそりと本を読んでいた。

 ……読んでいた、はずなのだが。

「レティシア嬢、また一人でお茶を?」
「また、とはなんですの。わたくしはもともと一人で本を読むのが好きなのですわ」

 声の主――学院でも顔を見る者が少ないと噂される、隠れ人気の公爵家三男イサークが、隣のベンチに腰を下ろした。金色の髪を無造作に結い、けれど整った横顔は完璧な彫刻のよう。
 最近よく話すようになってしまったせいで、わたくしは心の中の平穏を失いつつある。

「しかし、またエドワード殿下が探していたぞ」
「……はぁ。懲りない方ですわね、あの殿下」
「君が無視するからだろう?」

 無視している……自覚はある。けれど殿下のほうこそ、断罪の場で堂々と『婚約破棄だ!』と宣言したのだから、いまさらわたくしを追う理由などないはずなのだ。
 それなのに、なぜか毎日のように話しかけてきては、妙にしんみり謝罪してきたり、意味の分からない言い訳を重ねてきたりしている。

 ――それを思い出しただけで、頭痛がする。

「本当に、なんのつもりなんでしょうね」
「さあ? 後悔……では?」
「後悔するようなこと、されてませんけれど?」

 イサークが小さく笑った。
 からかうのはやめていただきたい。

「まあ、君がどうしてもというのなら、殿下を追い払うくらいの手伝いはするが?」
「……言いましたわね?」

 顔をあげて見つめると、彼は肩をすくめて言った。

「もちろん。君は忙しいんだろう? 悪役令嬢として」
「悪役令嬢は忙しいのです。ええ、とても。ですから殿下に構っている暇などありませんわ」
「了解した。では、ひとつ作戦でも考えるか」

 なんとなく――胸がくすぐったくなる。
 味方が増えたような、そんな気がした。



 翌日、学院の食堂はいつも以上にざわついていた。
 原因は、わたくしのすぐ前に立つ男だ。

「レティシア、昨日は話しかけてもらえなくて……」
「殿下、食堂のど真ん中で話しかけるのをやめていただけます?」
「いや、君と話したいのだ!」

 元・婚約者のエドワード殿下が、どうしても、と言わんばかりにわたくしに迫ってくる。
 ――無理。恥ずかしい。注目の的。やめて。

「殿下はステラ嬢とご一緒にいらした方が、周囲のためにもなりますわ」
「それは……」

 殿下の視線が、ちらりと背後にいるステラ嬢へ向かう。
 ステラ嬢はあの日の断罪以降、殿下との距離が明らかに開いている。殿下がわたくしを追い回し、ステラ嬢はそれを追いかける――奇妙な逆転現象が起きていたのだ。

「レティシア様、お話がありますの」
 柔らかい声で近づいてきたのは、そのステラ嬢本人だった。

 学院内では『新たな聖女』だの『男たらし』だの色々噂されているが、実際に対すると、とても気弱で繊細な少女のように見える。

「わたくし、殿下に婚約破棄をさせるつもりなど一切なかったのです。ただ……殿下が、勝手に……」

 殿下がなにか言い返そうとしたが、ステラ嬢が意外にも鋭く言葉を重ねた。

「殿下、あなたがレティシア様を傷つけたのは事実です。ですから……責任は取るべきですわ」
「レ、レティシアのほうを……追うという意味では?」
「違います!」

 食堂中が静まり返った。
 ステラ嬢の声が響き渡ったせいだ。

「責任は、『レティシア様を二度と困らせないこと』ですわ!」

 ……なんという正論。
 そしてなんという恥。

「と、というわけですので、わたくしはこれで失礼しますわね……」

 ステラ嬢は耳まで真っ赤にして走り去っていった。
 わたくしは息を吐き、殿下に言い放った。

「……聞きましたでしょう? そういうことですわ」
「レティシア、本当に……本当にすまなかった」
「謝罪は、もう結構です」

 わたくしが背を向けようとしたその時。

「レティシア嬢は、もう殿下のものではありませんよ」

 静かな声。
 振り返ると、イサークが食堂の出入口に立っていた。

「……誰だ、貴様は」
「ただの友人です。レティシア嬢の、今は」

 殿下の顔が固まった。
 周囲の視線が一斉にわたくし達に注がれる。

「ゆ、友人……だと?」
「ええ。とても有意義な時間を過ごさせてもらっています。殿下の悩み相談よりは、ずっとね」

 あのイサークが、人前でここまで煽るなんて――珍しい。
 けれどわたくしの胸は、なぜか少しだけ弾んだ。

「さ、行きましょうか。レティシア嬢」
「え、ええ」

 わたくしはイサークに手首を軽く取られ、そのまま食堂を出る。
 その背中に向けて、殿下が何か叫んだようだったが、聞こえないふりをした。



「……本気で驚きましたわ。あんな場で、そんなことを言うなんて」
「必要だったからな」

 静かな廊下を歩きながら、イサークは淡々と続ける。

「君は強いが、一人で全部背負う必要はない」
「……背負っているつもりはありませんけれど」
「強がるなよ」

 彼がふっと微笑む。
 それが優しくて、胸がまた少し痛んだ。

「イサーク様、あなたは……どうしてそんなにわたくしに構うのです?」
「言っただろう。悪役令嬢は忙しいんだろう?」
「はい、忙しいですわ」
「なら、助ける理由にはなる」

 さらりとした言葉なのに、心の奥に落ちてしまう。

 ――恋というものは、こんなふうに生まれるのかしら。

 考えた瞬間、恥ずかしさが込み上げてきて、わたくしは慌てて話題を変える。

「そ、そういえば……その、作戦とおっしゃってましたわね?」
「ああ。殿下に“追わせないようにする作戦”だ」

 イサークの声色が、わずかに冗談めいた響きを帯びる。

「一番簡単なのは、『君に恋人がいるように見せかける』ことだ」
「……え?」
「偽装だよ。もちろん、本物の恋人役が必要だが」

 心臓が大きく脈打った。
 イサークは何気ない顔で続ける。

「君さえよければ、俺がなるが?」
「なっ……!」

 そんなことを、なぜ当たり前のように……!

「こ、困りますわ! そんな……わたくしたち、まだ全然……」
「冗談だと思うか?」
「っ……!」

 冗談だと思いたい。
 でも――目が笑っていない。

「答えは急がなくていい。ただ、殿下に捕まりたくないなら、効果的な手だ」
「……考えさせていただきますわ」

 声が震えていた。
 気づかれたかもしれない。



 その日の夜。
 寮の窓から見える庭園で、ひとり物思いにふけっていた。

 恋人役――などという言葉を言われる日が来るなんて、思いもしなかった。

「本物……になったらどうするのかしら」

 つい呟いてしまった。
 自分の顔が熱い。

 その時だった。

「レティシア嬢?」

 静かな声がした。
 振り向くと、月明かりの中、イサークが庭へと続く階段を上ってくるところだった。

 どうしてここに……と問う前に、彼は口を開いた。

「返事を、聞きにきた」
「は、早すぎません!?」
「気になって眠れそうになかった」

 心臓が跳ねた。

「君に、『恋人のふりをさせてほしい』と言った理由を……もう少し説明しておこうと思って」

 イサークはわたくしから数歩手前で立ち止まり、
わずかに視線を落とした。

「俺は君を助けたいと思った。殿下から逃げられるように、じゃない」
「……では?」
「君が、俺を見てくれる理由が欲しかった」

 その言葉は、月の光よりも静かに、強く胸に落ちた。

「偽装でも、演技でも。最初はそれで十分だ。けれど……いずれ、本物になればいい」

 息が止まりそうになる。
 こんな、直球の言葉を言う人だとは思っていなかった。

「レティシア嬢。――“恋人役”を引き受けてくれるか?」

 わたくしは震える声で答えようとした。
 けれど、その瞬間――

「レティシアっ!!」

 聞きたくなかった声がした。
 見れば、息を切らしたエドワード殿下が歩み寄ってくる。

「イサーク、貴様……! レティシアから離れろ!!」
「殿下。あなたには関係のない話ですわ」

 わたくしが言い切った瞬間。
 イサークが一歩、わたくしの隣に寄った。

 殿下の目が見開かれる。

「まさか……レティシア、本当に……そいつと……」
「殿下。わたくしは――」

 言おうとした、そのとき。

 イサークが、わたくしの手をとった。

「レティシア嬢は俺の――」

 そこで言葉が遮られる。

 殿下が叫んだからだ。

「いやだ!! レティシア、君は……君はまだ俺の……!」

 夜の空気が一瞬にして凍りつく。
 殿下の言葉は、断罪の日よりもずっと醜く、ずっと痛かった。

 だって――

 ――“まだ”なんて言われる覚えは、一度もないのだから。

「殿下。わたくしは……」

 その瞬間、殿下の背後で別の影が揺れた。
 ステラ嬢が涙をこぼしながら、こちらを見つめていた。

 場の空気がさらに複雑に歪んでいく。
 夜風が冷たく、遠くで鐘が鳴った。
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