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「……行方不明、ですって?」
報告書に目を通したわたくしは、思わず声を漏らした。
数日前に王都を出たエドワード殿下が、そのまま消息を絶ったという。
目撃証言も曖昧で、追跡していた騎士団も痕跡を見失ったそうだ。
「ええ。最後に彼を見たのは、南部の交易路沿い。
廃教会に立ち寄ったあと、姿を消したとのことです」
報告を終えた副官が下がると、レオン殿下は静かに机を指で叩いた。
その瞳は深紅。けれど、今は炎のように冷たかった。
「……厄介なことになるかもしれない」
「彼が、何かを企んでいると?」
「おそらく。君を失った彼が、“自分を失わない方法”を探すなら――復讐しかない」
わたくしは紅茶のカップを置いた。
微かに手が震える。怒りなのか、不安なのか、自分でも分からなかった。
「復讐、ですか。……婚約破棄をしたのは、彼の方なのに」
「人は、罪を認めるより他人を責める方を選ぶものだ」
レオン殿下の声には、静かな憤りが混じっていた。
まるで、わたくし以上にエドワード殿下を軽蔑しているようだった。
「安心しろ。私が必ず、君を守る」
その一言が胸に落ちた瞬間、息が詰まった。
ああ――この人の“守る”という言葉は、ただの優しさではない。
覚悟を伴う、誓いのような響きなのだ。
「……ありがとうございます、レオン」
そう言って微笑むと、殿下の目が一瞬、柔らかく揺れた。
けれど次の瞬間――
「ただし、条件がある」
「……条件?」
「危険な場所へ、一人で行かないこと。もう二度と、あの男と会わないこと」
わたくしは眉を上げた。
それは命令のようで、どこか嫉妬の香りがした。
「……殿下、もしかして――嫉妬なさってます?」
「……君が気づかないとでも?」
即答された。
その声音があまりに真剣で、思わず笑いそうになったけれど、彼の表情を見た瞬間、笑みが凍る。
本当に怒っているのだ。静かに、だが確実に。
「君の過去の男が、君の名を呼んでいた。……それが、気に入らない」
「っ……!」
レオン殿下が机を回り込み、すぐそばまで歩み寄ってくる。
紅い瞳が、まるで逃がさないと言わんばかりにわたくしを捕らえる。
「レオン……近いですわ」
「逃げるな」
低い声に、背筋が震えた。
彼の手が、椅子の背に添えられる。
わたくしの髪が彼の胸に触れるほどの距離。
「……嫉妬なさっても、困りますの。わたくしはもう――貴方の側にいるのですから」
その言葉に、レオン殿下の表情が少しだけ緩む。
「それでも、怖いんだ。
君があの男に、まだ“情”を残しているのではないかと」
わたくしは静かに息を吸った。
そして、彼の胸に手を置いた。
「……あの人を、愛していたことは確かです。
でも――もう終わりましたの。
わたくしが惹かれているのは、今ここにいる“貴方”ですわ」
レオン殿下の瞳が見開かれる。
次の瞬間、彼はわたくしを抱き寄せた。
「……そんなことを、簡単に言うな」
「え?」
「君がそう言うと、理性が壊れそうになる」
彼の低い囁きが耳をくすぐる。
心臓が暴れるように打つ。
ほんの少し動くだけで、彼の息が首筋をかすめた。
「レ、レオン……っ」
「私の名を、もっと呼んでくれ」
「無理ですっ……勤務中、ですのにっ……!」
彼が小さく笑う。
ほんの一瞬、空気が甘く揺れた。
――と、その時。
扉が叩かれた。
「殿下、至急です!」
まただ。
まるで世界がわたくしたちを邪魔するかのように。
レオン殿下は小さく息をつき、抱擁をほどいた。
「入れ」
入ってきたのは、宰相補佐官のリース。
彼女は淡い金髪をまとめ、冷静な声で報告を始めた。
「レオン殿下、廃教会の件ですが……。奇妙なことが判明しました。
あの場所、すでに“誰か”に占拠されています。しかも、旧王家の紋章を掲げて」
「旧王家……?」
「はい。つまり、王位継承を拒否された“別系統の血”を持つ者たちです」
空気が張りつめた。
それはつまり――王国転覆を狙う反乱の可能性。
レオン殿下は眉をひそめた。
「まさか、エドワードが……?」
「直接確認はできませんでしたが、彼の馬が現場近くで見つかりました」
――間違いない。
彼は王家を裏切り、闇の同盟に手を貸したのだ。
夜、王都郊外。
霧の立ち込める廃教会では、かすかな灯りがゆらめいていた。
蝋燭の光の中に立つのは、ボロの外套を纏った男――エドワード殿下。
「……レオン・アゼリア。アイリスを奪った男、か」
その瞳はかつての柔らかい金色ではなく、煤けた灰のように濁っていた。
彼の前に立つのは、黒衣の女。
「復讐の力をお求めですか、殿下」
「そうだ。彼女を――アイリスを取り戻す。
あの男を殺してでも」
「代償は、大きいですわよ」
「構わない。
……アイリスを失った時点で、私はすでに何も持っていない」
女は微笑んだ。
そして、彼の手に黒い指輪を差し出す。
「これは、“影の盟約”の証。あなたの血で契約なさい。
そうすれば――すべてを覆す力が、あなたのものに」
エドワード殿下はためらわず指を噛み、血を垂らした。
黒い指輪が、じわりと赤く輝く。
「アイリス……必ず、迎えに行く」
闇がその言葉を飲み込み、教会に風が走る。
一方その頃、宮廷では。
レオン殿下が地図を広げ、作戦会議を開いていた。
「廃教会を包囲する。だが――直接乗り込むのは私と、アイリスだ」
「殿下!? 危険すぎます!」
リースが叫ぶ。
けれど殿下は首を横に振った。
「彼女は彼の標的だ。……だが同時に、決着をつける権利を持つ唯一の人間でもある」
その言葉に、わたくしは息をのんだ。
「殿下、わたくしを囮に?」
「違う。君自身の“復讐”を終わらせるために、私が隣にいる」
その瞳が、まっすぐにわたくしを射抜く。
嘘も迷いもない。
――この人は本気だ。
そして、わたくしも。
「……分かりました。必ず終わらせますわ」
わたくしの声に、レオン殿下は静かに頷いた。
その手が伸びてきて、そっとわたくしの頬に触れる。
「君が無事に戻ったら、その時こそ……本当の“答え”を聞かせてくれ」
「“答え”、ですか?」
「私が君に求めているのが、愛か、執着か――君の唇で、確かめたい」
その言葉に、頬が熱くなった。
まるで火のように。
「……っ、レオン、それは――」
「返事は帰ってからでいい」
彼は背を向け、外套を羽織った。
その背中は夜の中でもまぶしいほどに強く、美しかった。
――そして、わたくしたちは闇の教会へ向かう。
そこには、失われた過去と、終わらせるべき愛が待っている。
愛も、憎しみも、まだ終わらない。
だって、誰も“本当のざまぁ”を見ていないのだから。
報告書に目を通したわたくしは、思わず声を漏らした。
数日前に王都を出たエドワード殿下が、そのまま消息を絶ったという。
目撃証言も曖昧で、追跡していた騎士団も痕跡を見失ったそうだ。
「ええ。最後に彼を見たのは、南部の交易路沿い。
廃教会に立ち寄ったあと、姿を消したとのことです」
報告を終えた副官が下がると、レオン殿下は静かに机を指で叩いた。
その瞳は深紅。けれど、今は炎のように冷たかった。
「……厄介なことになるかもしれない」
「彼が、何かを企んでいると?」
「おそらく。君を失った彼が、“自分を失わない方法”を探すなら――復讐しかない」
わたくしは紅茶のカップを置いた。
微かに手が震える。怒りなのか、不安なのか、自分でも分からなかった。
「復讐、ですか。……婚約破棄をしたのは、彼の方なのに」
「人は、罪を認めるより他人を責める方を選ぶものだ」
レオン殿下の声には、静かな憤りが混じっていた。
まるで、わたくし以上にエドワード殿下を軽蔑しているようだった。
「安心しろ。私が必ず、君を守る」
その一言が胸に落ちた瞬間、息が詰まった。
ああ――この人の“守る”という言葉は、ただの優しさではない。
覚悟を伴う、誓いのような響きなのだ。
「……ありがとうございます、レオン」
そう言って微笑むと、殿下の目が一瞬、柔らかく揺れた。
けれど次の瞬間――
「ただし、条件がある」
「……条件?」
「危険な場所へ、一人で行かないこと。もう二度と、あの男と会わないこと」
わたくしは眉を上げた。
それは命令のようで、どこか嫉妬の香りがした。
「……殿下、もしかして――嫉妬なさってます?」
「……君が気づかないとでも?」
即答された。
その声音があまりに真剣で、思わず笑いそうになったけれど、彼の表情を見た瞬間、笑みが凍る。
本当に怒っているのだ。静かに、だが確実に。
「君の過去の男が、君の名を呼んでいた。……それが、気に入らない」
「っ……!」
レオン殿下が机を回り込み、すぐそばまで歩み寄ってくる。
紅い瞳が、まるで逃がさないと言わんばかりにわたくしを捕らえる。
「レオン……近いですわ」
「逃げるな」
低い声に、背筋が震えた。
彼の手が、椅子の背に添えられる。
わたくしの髪が彼の胸に触れるほどの距離。
「……嫉妬なさっても、困りますの。わたくしはもう――貴方の側にいるのですから」
その言葉に、レオン殿下の表情が少しだけ緩む。
「それでも、怖いんだ。
君があの男に、まだ“情”を残しているのではないかと」
わたくしは静かに息を吸った。
そして、彼の胸に手を置いた。
「……あの人を、愛していたことは確かです。
でも――もう終わりましたの。
わたくしが惹かれているのは、今ここにいる“貴方”ですわ」
レオン殿下の瞳が見開かれる。
次の瞬間、彼はわたくしを抱き寄せた。
「……そんなことを、簡単に言うな」
「え?」
「君がそう言うと、理性が壊れそうになる」
彼の低い囁きが耳をくすぐる。
心臓が暴れるように打つ。
ほんの少し動くだけで、彼の息が首筋をかすめた。
「レ、レオン……っ」
「私の名を、もっと呼んでくれ」
「無理ですっ……勤務中、ですのにっ……!」
彼が小さく笑う。
ほんの一瞬、空気が甘く揺れた。
――と、その時。
扉が叩かれた。
「殿下、至急です!」
まただ。
まるで世界がわたくしたちを邪魔するかのように。
レオン殿下は小さく息をつき、抱擁をほどいた。
「入れ」
入ってきたのは、宰相補佐官のリース。
彼女は淡い金髪をまとめ、冷静な声で報告を始めた。
「レオン殿下、廃教会の件ですが……。奇妙なことが判明しました。
あの場所、すでに“誰か”に占拠されています。しかも、旧王家の紋章を掲げて」
「旧王家……?」
「はい。つまり、王位継承を拒否された“別系統の血”を持つ者たちです」
空気が張りつめた。
それはつまり――王国転覆を狙う反乱の可能性。
レオン殿下は眉をひそめた。
「まさか、エドワードが……?」
「直接確認はできませんでしたが、彼の馬が現場近くで見つかりました」
――間違いない。
彼は王家を裏切り、闇の同盟に手を貸したのだ。
夜、王都郊外。
霧の立ち込める廃教会では、かすかな灯りがゆらめいていた。
蝋燭の光の中に立つのは、ボロの外套を纏った男――エドワード殿下。
「……レオン・アゼリア。アイリスを奪った男、か」
その瞳はかつての柔らかい金色ではなく、煤けた灰のように濁っていた。
彼の前に立つのは、黒衣の女。
「復讐の力をお求めですか、殿下」
「そうだ。彼女を――アイリスを取り戻す。
あの男を殺してでも」
「代償は、大きいですわよ」
「構わない。
……アイリスを失った時点で、私はすでに何も持っていない」
女は微笑んだ。
そして、彼の手に黒い指輪を差し出す。
「これは、“影の盟約”の証。あなたの血で契約なさい。
そうすれば――すべてを覆す力が、あなたのものに」
エドワード殿下はためらわず指を噛み、血を垂らした。
黒い指輪が、じわりと赤く輝く。
「アイリス……必ず、迎えに行く」
闇がその言葉を飲み込み、教会に風が走る。
一方その頃、宮廷では。
レオン殿下が地図を広げ、作戦会議を開いていた。
「廃教会を包囲する。だが――直接乗り込むのは私と、アイリスだ」
「殿下!? 危険すぎます!」
リースが叫ぶ。
けれど殿下は首を横に振った。
「彼女は彼の標的だ。……だが同時に、決着をつける権利を持つ唯一の人間でもある」
その言葉に、わたくしは息をのんだ。
「殿下、わたくしを囮に?」
「違う。君自身の“復讐”を終わらせるために、私が隣にいる」
その瞳が、まっすぐにわたくしを射抜く。
嘘も迷いもない。
――この人は本気だ。
そして、わたくしも。
「……分かりました。必ず終わらせますわ」
わたくしの声に、レオン殿下は静かに頷いた。
その手が伸びてきて、そっとわたくしの頬に触れる。
「君が無事に戻ったら、その時こそ……本当の“答え”を聞かせてくれ」
「“答え”、ですか?」
「私が君に求めているのが、愛か、執着か――君の唇で、確かめたい」
その言葉に、頬が熱くなった。
まるで火のように。
「……っ、レオン、それは――」
「返事は帰ってからでいい」
彼は背を向け、外套を羽織った。
その背中は夜の中でもまぶしいほどに強く、美しかった。
――そして、わたくしたちは闇の教会へ向かう。
そこには、失われた過去と、終わらせるべき愛が待っている。
愛も、憎しみも、まだ終わらない。
だって、誰も“本当のざまぁ”を見ていないのだから。
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