婚約破棄されたけど、今さら泣かれても遅いですわ?

ほーみ

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 舞踏会の夜から、季節が三度巡った。
 アレンと結ばれた私は、隣国ヴァルティアの新たな宰相夫人として忙しい毎日を送っている。
 外交文書の翻訳や、貴族間の調整など、以前の「王太子妃候補」という名ばかりの立場よりも、ずっと充実していた。

「エリシア、今日の議題、完璧だ」
「ありがとう、アレン。あなたの補佐をしていると時間があっという間ですわ」

 穏やかに微笑む彼に、胸が温かくなる。
 婚約破棄を言い渡されたあの日の痛みは、もう遠い過去のようだった。
 けれど、その過去が再び私の前に現れるとは、このとき思いもしなかった。

 ──ある日、隣国との合同会議。
 出席者の名簿に、その名を見つけた瞬間、息が止まった。

「……レオン・アルディナ王太子殿下」

 私がかつて愛した人。
 そして、私を「平凡でつまらない女だ」と切り捨てた男。

 ヴァルティアとアルディナ王国の関係は冷えきっていたが、アレンの尽力で、ようやく両国首脳が会談することになったのだ。

 会場に入った瞬間、視線が絡む。
 あの冷たく光る金の瞳──今は、どこか濁っていた。

「……エリシア」
「お久しぶりですわ、殿下。どうぞお座りくださいませ」

 微笑みながらも、私の手は少し震えていた。
 隣ではアレンがさりげなく手を取って、指先を重ねてくれる。
 それだけで、落ち着きを取り戻せた。

 会談は形式的に進んだ。
 だが、休憩時間に入ると、レオンが人目をはばからず私に近づいてきた。

「エリシア……元気そうだな」
「ええ。おかげさまで、毎日幸せですの」

 笑って答えると、彼の表情が一瞬だけ歪んだ。
 それは懐かしさでも、後悔でもなく──焦燥だった。

「君が……アレン・ヴァルティアと結婚したと聞いて、信じられなかった。あの時の俺は……」
「ええ、あなたは私を“役立たず”だとおっしゃいましたわ」

 あの夜の言葉が、今でも耳に残っている。
 冷たい大広間の中、彼が吐き捨てたあの一言。
 『お前のような女では、王妃は務まらない』──。

「間違っていたんだ。俺は……君を失ってから気づいた。どれだけ君が俺を支えてくれていたか」
「それを、今さらおっしゃるのですか?」

 思わず声が低くなった。
 過去を悔やむ彼の顔は確かに本気だった。
 でも、だからといって、戻ることなどできはしない。

「私はもう、あなたの婚約者ではありません。今は、アレンの妻ですの」
「そんなことは分かっている……だが、もし──もしやり直せるなら」
「やり直す? あの日、私の人生を踏みにじっておいて?」

 唇が震える。
 私を見下ろしていた男が、今は哀れにも泣きそうな顔で縋ってくる。
 皮肉なものだ。人は、失ってからしか本当の価値に気づけない。

「……エリシア」
「殿下。あなたがどれほど悔やもうと、あの日の私の涙は戻りませんわ」

 きっぱりと言い切った瞬間、背後で扉が開いた。
 アレンがゆっくりと入ってきて、私の腰に手を回す。
 そのまま、私を抱き寄せて微笑んだ。

「話は済んだか?」
 その穏やかな声に、レオンの表情が一変した。
 彼は唇を噛み、拳を握りしめる。

「君は……彼のものになったんだな」
「ええ。最初から、私を対等な人間として見てくれたのはアレンだけでした」

 その言葉に、レオンは完全に沈黙した。
 私はそっと礼をして、その場を後にした。

 ──夜。会談を終えた私たちは、ヴァルティア宮のバルコニーで風にあたっていた。
 満天の星の下、アレンが静かに囁く。

「君は強いな。俺なら、あんな男の前であんなに堂々とはできない」
「強いというより……終わった恋を、美しく葬りたかっただけですわ」

 アレンがくすっと笑う。
 「それも、君らしいな」と。

 そして、ゆっくりと私の頬を両手で包み、囁いた。

「エリシア。俺は、君を誰よりも幸せにする。二度と泣かせない」
「もう泣きませんわ。だって、あなたがそばにいますもの」

 唇が触れた瞬間、心の奥底で凍りついていた何かが、ようやく溶けていくのを感じた。
 レオンの涙も、過去の痛みも、すべて風に流れていった。

 あの日、捨てられた私は、確かに“終わった”のだ。
 けれど今は違う──。
 私はもう、誰かの付属ではない。
 自分の人生を選び、愛され、そして愛している。

 遠くで鐘が鳴る。
 新しい夜明けの音だった。

 ──ざまぁ、ですわね。
 もう泣いても、遅いのですもの。

 そして私は、愛する人の腕の中で静かに微笑んだ。
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