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目を覚ましたとき、見慣れぬ天蓋が視界に広がっていた。
薄いシルクのカーテンが揺れ、淡い陽光が部屋を照らしている。柔らかな寝具に沈み込んだ身体が、まだ夢の中にあるようで現実感がない。
……でも、これは夢じゃない。
昨日まで、私は祖国の王都で婚約者に裏切られ、家から追い出されるようにして逃げてきた。辿り着いた先で――隣国の公爵、エドガー様に拾われたのだ。
「お目覚めですか?」
低く、落ち着いた声が響いた。
カーテンの向こうから現れたのは、背の高い男性――エドガー様。黒髪に冷たい灰色の瞳、整った顔立ちをしているのに、表情は硬い。初めて会ったときもそうだったが、その視線は氷のように冷ややかで、簡単に人を寄せ付けない。
なのに――あのとき、私が路地裏で倒れた瞬間、迷わず抱き上げてくれた。
「……お加減は?」
「だ、大丈夫です。ご迷惑を……」
「迷惑ではありません。あなたをここに連れてきたのは、私の意思ですから」
そう言って、ベッド脇の椅子に腰かける。
距離が近い。思わず心臓が跳ねるのを感じて、布団の端をぎゅっと握った。
「なぜ……私なんかを?」
「“私なんか”、ですか」
エドガー様の目がわずかに細められた。その灰色の瞳に射抜かれると、息が詰まる。
「あなたは……“誰かの捨てられた女”ではない。私が見つけた、大切な人です」
その言葉に、思わず顔が熱くなる。
昨日まで、“不要”だと突きつけられていた私が――大切な人? 信じられない。でも、その真剣な声音は冗談とは思えなかった。
「それに……あの王太子には借りがあります。あなたを奪ったと知れば、きっと面白くないでしょうね」
その口元に、ほんのわずか笑みが浮かぶ。冷酷と呼ばれる所以なのだろう。
けれど、私に向けられる視線は、不思議と冷たくない。
数日後。私は公爵邸で簡単な礼儀作法を学びながら過ごしていた。
元々貴族令嬢だったので礼儀は心得ているが、ここは隣国。細かいマナーや言葉遣いが違う部分も多い。
そんなある日、廊下でメイドの一人から耳打ちされた。
「奥様――あっ、まだそうじゃありませんけど――公爵様、夜会への招待を受けられたそうです。あなたも同行なさるとか」
「えっ、私も?」
「はい。ですが……お気をつけください。この国の貴婦人方は、皆さま公爵様を狙っておりますから」
……まあ、そうでしょうね。
エドガー様は地位も容姿も完璧。冷たく人を寄せつけない性格さえ、女性たちにとっては”攻略したい難攻不落の城”なのだろう。
案の定、その夜会での視線は刺さるようだった。
エドガー様の隣に立つ私を、周囲の女性たちが好奇と嫉妬の入り混じった目で見てくる。
「まあ、どちらの方?」
「最近拾われた令嬢ですってよ」
「拾われた? まあ……物好きね」
――耳に入ってしまう。
下を向きそうになった瞬間、エドガー様が私の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。
「紹介しよう。彼女は――私の伴侶だ」
会場がざわめいた。
伴侶、って……まだ正式な婚約もしていないのに? 驚く私をよそに、エドガー様は涼しい顔をして杯を傾けている。
その後も、私に話しかけてくる男性は一人もいなかった。いや、近寄れなかったというべきだろう。公爵様の視線が、あまりにも牽制の意味を帯びていたから。
「……あの、伴侶って」
「事実になる予定です。問題がありますか?」
「い、いえ……」
「ならばよし」
さらりと告げるその声音に、心臓がまた跳ねた。
――私はこの冷酷公爵に、確実に心を奪われ始めている。
しかし平穏は長くは続かなかった。
ある日、公爵邸に一人の使者が訪れる。祖国から――王太子の密使だった。
「公爵閣下。この度は……我が国の姫、いや、元婚約者をお預かりいただき感謝いたします。ですが、彼女をお返しいただきたい」
返す、ですって?
思わず口を開きかけたが、その前にエドガー様の低い声が響く。
「断る。彼女はすでに私の保護下にある」
「しかし――」
「――返す気はない。もし力ずくで奪おうとするなら、この国を敵に回すことになるが?」
使者の顔色が変わった。
そうだ、この人はただの公爵ではない。隣国の軍を統べる最高司令官。彼を敵に回すのは、国そのものを敵に回すことと同じ。
使者は何も言えず、足早に去っていった。
「……私のために、そこまで」
「当然だ。あなたを再びあの男のもとに返すくらいなら、この国と戦争になっても構わない」
――その言葉に、胸の奥が熱くなる。
でも同時に、私の中でひとつの不安が芽生えた。祖国は、きっと諦めない。あの王太子も……。
そして、その不安は的中することになる。
数日後、王都からの正式な文書が届いたのだ――“花嫁交換の申し出”という名の、宣戦布告に近い内容だった。
薄いシルクのカーテンが揺れ、淡い陽光が部屋を照らしている。柔らかな寝具に沈み込んだ身体が、まだ夢の中にあるようで現実感がない。
……でも、これは夢じゃない。
昨日まで、私は祖国の王都で婚約者に裏切られ、家から追い出されるようにして逃げてきた。辿り着いた先で――隣国の公爵、エドガー様に拾われたのだ。
「お目覚めですか?」
低く、落ち着いた声が響いた。
カーテンの向こうから現れたのは、背の高い男性――エドガー様。黒髪に冷たい灰色の瞳、整った顔立ちをしているのに、表情は硬い。初めて会ったときもそうだったが、その視線は氷のように冷ややかで、簡単に人を寄せ付けない。
なのに――あのとき、私が路地裏で倒れた瞬間、迷わず抱き上げてくれた。
「……お加減は?」
「だ、大丈夫です。ご迷惑を……」
「迷惑ではありません。あなたをここに連れてきたのは、私の意思ですから」
そう言って、ベッド脇の椅子に腰かける。
距離が近い。思わず心臓が跳ねるのを感じて、布団の端をぎゅっと握った。
「なぜ……私なんかを?」
「“私なんか”、ですか」
エドガー様の目がわずかに細められた。その灰色の瞳に射抜かれると、息が詰まる。
「あなたは……“誰かの捨てられた女”ではない。私が見つけた、大切な人です」
その言葉に、思わず顔が熱くなる。
昨日まで、“不要”だと突きつけられていた私が――大切な人? 信じられない。でも、その真剣な声音は冗談とは思えなかった。
「それに……あの王太子には借りがあります。あなたを奪ったと知れば、きっと面白くないでしょうね」
その口元に、ほんのわずか笑みが浮かぶ。冷酷と呼ばれる所以なのだろう。
けれど、私に向けられる視線は、不思議と冷たくない。
数日後。私は公爵邸で簡単な礼儀作法を学びながら過ごしていた。
元々貴族令嬢だったので礼儀は心得ているが、ここは隣国。細かいマナーや言葉遣いが違う部分も多い。
そんなある日、廊下でメイドの一人から耳打ちされた。
「奥様――あっ、まだそうじゃありませんけど――公爵様、夜会への招待を受けられたそうです。あなたも同行なさるとか」
「えっ、私も?」
「はい。ですが……お気をつけください。この国の貴婦人方は、皆さま公爵様を狙っておりますから」
……まあ、そうでしょうね。
エドガー様は地位も容姿も完璧。冷たく人を寄せつけない性格さえ、女性たちにとっては”攻略したい難攻不落の城”なのだろう。
案の定、その夜会での視線は刺さるようだった。
エドガー様の隣に立つ私を、周囲の女性たちが好奇と嫉妬の入り混じった目で見てくる。
「まあ、どちらの方?」
「最近拾われた令嬢ですってよ」
「拾われた? まあ……物好きね」
――耳に入ってしまう。
下を向きそうになった瞬間、エドガー様が私の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。
「紹介しよう。彼女は――私の伴侶だ」
会場がざわめいた。
伴侶、って……まだ正式な婚約もしていないのに? 驚く私をよそに、エドガー様は涼しい顔をして杯を傾けている。
その後も、私に話しかけてくる男性は一人もいなかった。いや、近寄れなかったというべきだろう。公爵様の視線が、あまりにも牽制の意味を帯びていたから。
「……あの、伴侶って」
「事実になる予定です。問題がありますか?」
「い、いえ……」
「ならばよし」
さらりと告げるその声音に、心臓がまた跳ねた。
――私はこの冷酷公爵に、確実に心を奪われ始めている。
しかし平穏は長くは続かなかった。
ある日、公爵邸に一人の使者が訪れる。祖国から――王太子の密使だった。
「公爵閣下。この度は……我が国の姫、いや、元婚約者をお預かりいただき感謝いたします。ですが、彼女をお返しいただきたい」
返す、ですって?
思わず口を開きかけたが、その前にエドガー様の低い声が響く。
「断る。彼女はすでに私の保護下にある」
「しかし――」
「――返す気はない。もし力ずくで奪おうとするなら、この国を敵に回すことになるが?」
使者の顔色が変わった。
そうだ、この人はただの公爵ではない。隣国の軍を統べる最高司令官。彼を敵に回すのは、国そのものを敵に回すことと同じ。
使者は何も言えず、足早に去っていった。
「……私のために、そこまで」
「当然だ。あなたを再びあの男のもとに返すくらいなら、この国と戦争になっても構わない」
――その言葉に、胸の奥が熱くなる。
でも同時に、私の中でひとつの不安が芽生えた。祖国は、きっと諦めない。あの王太子も……。
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