ジ・エンドブレイカー

アックス☆アライ

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第二章 奪い合う世界

36話 前夜の出来事②

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 コウミが一つの決断をする少し前の事。
 主庭を駆け抜けたフェンネルは、後継者達が消えたあの秘密の庭へと来ていた。
 森の様な外庭を走り抜けて来たからか彼女の白い寝間着には、靴元で跳ね上がった泥が点々とした後を残し、眼の利かない中で木々にぶつかったのか、所々煤けた様な汚れが付いていた。
 荒々しい呼吸を整えながら、フェンネルは中央のサクラの木へ歩み寄った。そして、おもむろに右腕を振り被ると、そのまま勢い良く木の幹に打ち付けた。
 若い女性であるフェンネルの胴に比べてもその幹周りは細く、その背丈は二倍程も高い。横に広がる枝木は、直ぐそばに立つ彼女の事をすっぽりと覆っている。その為、フェンネルに叩かれただけで、大きく揺さぶられた事を頭上から伝えてきた。
 続け様に右手で叩く。それによって木が揺れる。叩く、揺れる。数度、繰り返された。
 痛い。
 再び手を振り上げた時に、蓄積された鈍い痛みを右手から感じた。
 本能がそれを避け様とする。打ち下ろす拳が狙いから逸れ、ささくれた樹皮に手の甲が擦れた。

 「痛!」

 思わず自分の右手を掴んだ。皮膚が剥け、ピンク色の真皮が顕わになると、そこに血が滲み始めた。
 やりきれない。どうしようもない。考えれば居ても立っても居られず、走り出してしまう。そして、痛んで帰って来る。
 これが自分の本当の姿なのだ。
 大魔導士の孫娘として生まれ、確かな才能に裏打ちされた魔導の力。領主の娘としての地位。生まれながらにして、この世界の誰もが羨むようなものを兼ね備えて来た。しかし、そうであっても、フェンネルは自分の事を良く理解していた。
 一皮剥けば、同じ赤い血の出る人間なのだ。
 フェネルは、先程まで怒りをぶつけていたサクラの木にしがみ付く。そして泣いた。
 そこには誰も居ないので、誰にも見せた事が無いくらい大きな声で泣いた。

 「どうしよう。どうすればいい。お爺様、お父様、私はどうしたらいいの?」

 戦いたくなかった。あれだけ嫌っていた争いが、自分の目の前に迫って来ている。
 それなら戦わなければいい。自分の愛する者をここに留め、一歩も外に出なければいい。
 だが、領主の一族としての責任が、彼女自身にそう判断する事を許さなかった。

 「アイディ……。後継者はどこに居るの? 私を導いて。……私を一人にしないで」

 悲痛な思いが次々と口から零れて行く。
 抑え切れなかった感情が、涙と言葉と共に身体から零れ落ち小さくなる。そうして行くと病から小康を得た様にフェンネルは落ち着きを取り戻し始め、ぼんやりと虚空を眺め始めた。
 何も決められない、自分だけがそこに残っていた。そうして、無駄に時間だけが過ぎて行った。
 やがて、視界の端に何某かの光が射したのに気が付く。フェンネルは空を見上げた。
 そこには、上空目掛け飛び上がる彗星の様なものがあった。

 「あれは……?」

 得体の知れないものを見て言葉をついた。すると、彗星は上空で瞬く光る靄の中に飛び込んだ。靄はその周囲を巻き込む様に螺旋を描いて行った。
 その光景を見て、フェンネルは口元を抑えた。
 「そんな……、あれは、シェリルが、彼女が破壊したはずなのに」

 かつて国中を騒がせた災厄の大魔法陣。それを破壊しに赴いて行った英雄の再来シェリル・ヴァーサ。
 彼女は帰って来なかった。しかし、災厄の大魔法陣はその形骸を失い、現在では、残滓が靄となって上空に残っている。国中の人々、そして、フェンネル自身。シェリル・ヴァーサの偉業が成された事を疑う事は無かったのだった。
 それが今、目の前で息を吹き返す様に、形を成そうとしているのだ。
 しかし、フェンネルが恐怖したのは束の間だった。
 描かれた螺旋はすぐさま形を崩し、普段通り夜空に浮かぶあの光る靄へと戻っていた。
 今のは幻か、そうでなければ、夢を見ているのだろうか。フェンネルは空を眺め続けながらそう考えた。

 「シェリル……。ひょっとして、貴方はまだ、戦っているの……?」

 その質問に答えは無い。
 代わりに、誰かの話す声が頭上で聞こえた。

 「見て、ノーマ! 咲いたわ!」

 女の子の声。フェンネルは声のする方を見た。目の前のサクラの枝先に、不自然にぼんやりとした淡い光が灯っている。

 「本当だ! ちゃんと咲いたよ!」

 フェンネルは目を擦る。泣き跡で霞んだ視界をハッキリとさせ、そこに何があるのかを良く見ようとした。
 サクラの枝の周りに、二人の女の子らしき姿が見えた。女の子達は薄水色の大きな羽を広げながら、一輪の花を囲む様にして空中を舞っていた。

 「やったー! ばんざーい! 春が来たよ。ここにも漸く、春が来たんだ!」

 ノーマがアリーナに飛び付いた。

 「もう、ノーマ。春ならとっくに来ているじゃない。貴方は騒ぎたいだけでしょ」
 「そんな事は無いよ。ここには今来たんだよ。アイディのサクラの木の様に、ここにも春が来る事を知らせているんだ」

 ノーマはそう言うと、身体を離しアリーナの顔を見つめた。

 「笑ってアリーナ。森は燃えてしまったけど、それでも季節は巡って来たんだ。君だって嬉しいだろ?」

 アリーナは目に涙を溜めた。そして、今度はノーマの事を抱きしめ返した。

 「ええ、ノーマ。私も嬉しい。ここにも春が来たのね」

 逃れてきた二人に取って、安らぐ時が訪れた。
 それは、固い冬芽に覆われながら春が来るのを待ち続けた木花の様に。その時の訪れと共に、開花せずにはいられなかったサクラの花の様に。この庭に来てから人目をはばかり続けた彼女達にとって、何も気にせずに喜び合う瞬間だった。
 偶然その場に立ち会ったフェンネルには、彼女たちの心情を理解する事はまだできない。

 「双子の後継者。日々喜のお師匠様が話していた」

 それでも、待ち侘びた者の出現は、やりきれない思いでいた彼女の胸中に、花の様な彩りを加え始める。

 「日々喜……」

 フェンネルの視界が、再び霞んで行った。
 未だに目を覚ます事の無い、自分の従者の功績を理解し、感謝の気持ちが溢れて行った。

 「ありがとう」

 喜び合っていたノーマとアリーナは、フェンネルの呟く様な言葉を聞きつけそちらの方を向いた。

 「あーあ。とうとう見つかっちゃった」
 「ノーマがいけないのよ。大きな声を出すんだから」

 窮地に立たされるイバラの現状など知る由も無い。そんな様子で二人は笑い合った。そして、涙を拭うフェンネルの下に舞い降りて来た。
 人に対してあれだけ警戒していたにもかかわらず、ノーマとアリーナは旺盛な好奇心を顕わに、フェンネルの顔をしげしげと眺めまわした。
 フェンネルが何か言おうと口を開いた。

 「待って!」

 アリーナはそれを止めた。

 「何も言わないで。貴方の事、知っている気がするの」

 フェンネルはそう言うアリーナの事を見つめ続けた。その隙に、ノーマはフェンネルの後ろに回り込み彼女の髪を触り始める。

 「綺麗な髪の色。ほら、ここだけ若葉の様な色をしている。僕達が作った糸の様だ」

 許しを得る事も無く、ノーマはフェンネルの髪の毛を勝手に編み始めた。子供の様な悪戯にフェンネルは戸惑った表情を見せる。アリーナは落ち着かせるようにフェンネルの顔に手を添えた。

 「それにこの目の色。アイディと同じオレンジ色をしてる」

 領域を支配するルーラーの影響とは、様々な所に現れるものであった。特に、支配を受け入れる種族にはその傾向が現れる事がある。魔導士としての才能豊かな者は、その生誕と共に領域の支配者から祝福を受ける。
 フェンネルの髪の色、眼の色は正しくイバラ領のルーラー、アイディ・クインからの祝福を受けた証だった。

 「フェンネル……。そう、貴方がフェンネル・フォーリアムね」

 アリーナの言葉にフェンネルは頷く。

 「今までどこに隠れていたのフェンネル。貴方が来てくれるのをずっと待っていたのに」
 「私は隠れて何て……」

 フェンネルの髪を弄びながらノーマが口を挟む。

 「それでも、来てくれなかっただろ? ダメだよ、ちゃんと自分で探しに来なくちゃ。こんな出会い方、本当はいけない事なんだから」
 「いけない事?」

 アリーナがフェンネルの右手を取る。

 「アイディから教わった事。それが、私達からの歩み寄り。何をするかは貴方が決め、力を添えるかは私達が決める」

 アリーナはそう言いながら、フェンネルの傷ついた手の甲を撫でた。すると、不思議な事に傷がみるみると治って行った。乾いた血の跡も、擦り剝けた皮膚も、傷つく前の状態に戻って行った。

 「これは、特別な出会いよ」
 「そう、特別! 日々喜に免じて、今回は特別!」

 自分の右手を確かめているフェンネルにアリーナとノーマはそう言った。

 「さあ、フェンネル。貴方の話を聞かせて。貴方の頼みなら、どんな事でも一つだけ聞いてあげる」
 「一つだけ?」

 アリーナは頷いて答えた。

 「アイディからそう言われてるの。フェンネルが来たら、ちゃんと頼みを聞いてあげてって」
 「一つだけだよ。二人いるからって、二つも頼んじゃダメだからね」

 ノーマが一言付け加えた。
 フェンネルは、胸元で手を合わせた。そのまま、祈るような姿勢を取りながら目を瞑った。
 慎重に言葉を選ぶように考えた。自分がここで望む最大の願いは何であるのか。
 よからぬ者を追い払いたい。イバラの憲兵達と共に戦ってほしい。自分を救って欲しい。

 「良く考えてフェンネル。これが特別な出会いだって事を。貴方だけの力で、私達は歩み寄った訳じゃない。こうなる事を沢山の人が望んだ結果なのよ」

 アリーナの言葉を聞き、フェンネルの頭の中に自分と関わった沢山の人達の顔が浮かんだ。日々喜やオレガノ、キリアンやリグラ。自分の事を心配し続けるサルヴィナやローリ、マウロ。そして、イバラ領の人達の事を思った。
 すると、自然と願いが言葉となった。

 「アリーナ・プティ、ノーマ・プチャ。二人がイバラ領の新たなルーラーとなってくれますように。どうか、お願いします」

 ケラケラと笑い合う二人の声を聞いて、フェンネルは目を開けた。

 「あーあ。これでもう、遊べなくなっちゃう」

 ノーマが残念そうに言いながら、フェンネルの頭から手を離した。

 「仕方ないわノーマ。フェンネルに頼まれた以上、断っちゃダメなんだから」

 アリーナそう言うと、フェンネルに優しく微笑んだ。

 「フェンネル・フォーリアム。貴方がそう望むなら、私達がこのイバラの新たなルーラーになりましょう。イバラに住む人達、人の営みに寄り添う存在として」

 ノーマとアリーナは、フェンネルの頭上へと浮かび上がり、サクラの枝木の中へと消えて行こうとした。

 「怖がらないでフェンネル。イバラの営みを守る者には、常に私達が付いてる」
 「その通り! だから、戦ってフェンネル・フォーリアム。ここには、君が守らなくちゃならないものが沢山あるだろ」

 重なる枝木の中へ二人の姿が完全に吸い込まれ見えなくなると、それまで朧げに灯っていた明かりも消えた。そこには一本の木の前に座り込むフェンネルだけが残された。
 フェンネルはサクラの木を見上げ続ける。先程と同様に、ぼんやりと虚空を眺める訳ではなく、そこにハッキリとした目標の様なものを見据えていた。
 枝木の間から夜空が見える。
 規則的に波打つ光る靄には、輝きの薄まる隙間に僅かな青色が射し始め、その存在をさらに曖昧とさせた気がした。
 直に夜が明ける。
 フェンネルは立ち上がった。同時に鼻をすすった。
 昼に訪れたパルルの話しでは、日の出と共にモンスターが街へ攻めて来る。
 最早、泣いてる暇はない。フェンネルは、屋敷を目指し再び走り出した。
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