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求めあう心
しおりを挟む今はまだ、起こっている現実の全てを受け止め理解する事が出来ず、美月は促されるままシャワーを使った。
けれど、着替えとして用意された代物を手に取り、呆然と立ち尽くす。
艶やかな光沢を放つ薄い布地。
それはシルクのネグリジェだった。
同じ生地の下着も用意されていて、それはすごく嬉しいというかありがたいのだけれど。
そんな姿で神崎の前に出るという事に抵抗を感じ、美月は周りを見回した。
先ほどまで身につけていたドレスは一体どこへいったのか、見当たらない。
他にある物といえばバスタオルかバスローブ位。
かといってバスタオル1枚で彼の前に出るなど論外だし、紐1本しめただけのローブ姿を晒す勇気などある筈もなく。
仕方なく、ボタンをきっちりとめるシャツタイプのネグリジェを身につけ、美月は覚悟を決めてバスルームを出た。
入れ違いに神崎がバスルームに消える。
美月は広い室内に1人取り残された気分になった。
何かする事がある訳でもなく、ぼうっと広い室内を見渡す。
確かスイートルームだとフロントの男性が言っていた。
なるほど、20畳ほどある室内には柔らかそうなソファとテーブル、その奥にはミニバーがあり、高い天井にはシャンデリアが煌めいている。
そしてバスルームとは別の扉。
あそこが恐らくベッドルームなのだろう…と何気なくドアを開け、美月は部屋の中央に置かれた大きなベッドに思わず息を呑んだ。
大の大人が3人寝転んでもまだゆとりがありそうな天蓋付きのベッドは、とてもロマンティックで素敵だったけれど。
存在感がありすぎるほどのそのベッドの他に、寝具の類は見当たらず…。
「ど…どうしよう」
「何が?」
不意に耳に届いた神崎の声に、美月の身体はビクッと小さく震えた。
「あ…神崎、さん」
いつの間に出てきていたのか。
美月が敢えて選ばなかったバスローブを着た神崎がそこにいた。
「こっちにおいで、美月」
「…」
美月の困惑が伝わったのだろう。
「何もしない、話がしたいだけだ」
自分の隣ではなく向かいのソファに差すと、神崎は安心させるように柔らかく微笑んだ。
「あ…の」
口を開きかけ、自分が何を訊ねたいのかそれさえも分からずに美月は口を閉じた。
混乱しきっているせいで頭がろくに回らない。
「さっきのプロポーズ。
あれは、冗談…ですよね?」
——少しばかり性質が悪い気もする。
強引過ぎる事も否めない。
それでも…冗談であればいい。
そうでなければ、取返しのつかない事になる。
そんな不安がむくむくと頭をもたげ、内心笑い飛ばしてくれる事を期待しながら、美月は神崎の顔を凝視した。
戸惑い、恐れ、不安、困惑。
どれをとっても心の中に渦巻く感情は、マイナスな物でしかない。
『神崎』の名と、その背景にある物の1つ1つが、美月を萎縮させるのに十分過ぎるほどなのだ。
『身分違い』
そんな単語がすんなり浮かぶほど、彼と自分とでは住む世界も価値観も、何もかもが違うのだ。
神崎の傍にいた美月は身に沁みていた。
大きすぎるほどの屋敷も、オーダーメイドのスーツも。
ついでに言うなら、この豪華なスイートルームも。
何もかもが、彼女の日常には存在しない物だった。
まして、彼はあの神崎グループのトップに立つ身。
どう考えたって自分なんかと釣り合いの取れる筈がない。
それなのに…。
「親父の望む結婚も生き方も、俺には出来ない。
俺が一生共に在りたいのは美月だけだ。
その為なら、今の生活の全てを捨てても構わないと思っている。
今の地位にも生活にも、何の未練はないんだ。
美月とそれらを比べる事なんて、到底できっこないんだから」
追い打ちをかけるような告白。
最高の殺し文句に、今死んでも良いかも…と美月はボンヤリ考えた。
ところが現実には、大好きな空色の瞳にじっと見つめられていて。
その瞳の奥に紛れもない欲を感じ、思わず目を伏せた。
「美月は…俺が嫌いなのか?
こういうの、迷惑?」
視線を逸らしたせいで、彼の表情が苦しげに歪んだ事には気付かなかった。
それでも寂しさの混じった切ない囁き声に
「迷惑なんてそんな…。
私なんかじゃ釣り合わないと思ってはいますけど。
それにはるかさんとの事もありますし、ここで断ったりしたら、貴方の将来が…」
つい、美月の口から本音が飛び出してしまった。
ハッと口に手を当てたけれど、もう遅い。
——なんて…事。
これじゃ自分の気持ちを打ち明けたも同然じゃないの。
あれほど彼を忘れようと…必死にやってきたのに。
唇を噛みしめた美月の隣にさり気なく移動すると、神崎は彼女の手を握り締めた。
「そんなに自分を過小評価するな。
俺は、本城 美月を選んだのだし、君じゃなければダメなんだ。
これは決して一時の気の迷いなんかじゃない。
だから自分に自信を持ってくれ。
そんな申し訳無さそうな顔しないで、笑っててくれよ」
「いえ、あのですね……」
何とか言い繕おうとしていた筈なのに。
不意に、はるかの腰に手を沿えエスコートしていた神崎と、その隣で艶やかに微笑んでいた彼女を思い出し、美月はグッと唇を噛みしめた。
胸の中に苦い、とても嫌な物が急激に広がっていく。
「…なに?」
まるで駄々をこねる子どもを窘めるような眼差しに、思わずカチンときた。
「だって…満更でもなさそうな感じで、はるかさんの腰に手を添えてらして。
あんな…あんなにピタリと寄り添って」
胸いっぱいに蟠る嫌な物に煽られるように、美月はドンと神崎の胸を叩いていた。
「美月……もしかして、妬いてくれてる?」
こっちは胸一杯に広がるどす黒い嫌な感情を持て余し、イライラしているというのに。
キッと睨みつけた美月の視線など気にも留めず
「……キスしても?」
神崎は感極まったようにギュッと強く抱きしめ、そして美月の頬に手を添えると妙に晴れ晴れとした表情でそう訊ねた。
あまりにも嬉しそうな様子に毒気を抜かれ、返事をする事も頷く事も出来ず、美月は目を瞬かせた。
「No、とは言われなかったからな。
承諾と取るぞ」
そんな様子に神崎はフッと目元だけで笑い、頤に指をかけた。
美月が思わず目を伏せるのと同時に、啄ばむようなキスが降ってきた。
唇だけでなく、鼻の頭に、頬に、額にそして瞼にとキスの雨が降り注ぎ、彼女はくすぐったくて首を竦めた。
「まさか君が妬いてくれてたなんて、思いもしなかったから。
ヤキモチなんて俺だけだと思っていた。
君の周りに仕事と称して群がる男どもを、どれだけぶん殴りたかった事か。
だけど今の君を見て、少なからずホッとしたよ」
甘く優しい声色が一変する。
「美月、君の事は俺が全力で守る。
君との事を必ず周りに認めさせてみせるから」
神崎の真摯な声に、美月の目から雫がポロリと零れた。
「何で泣くの?」
「嬉しくて。…でも」
「でも?」
「……怖くて」
唐突に、全てを置き去りにして逃げ出してきてしまった事を思い出す。
取返しのつかない事をしてしまったのだと、今更ながら恐れが全身を掛け抜け、美月はぶるっと身体を振るわせた。
そんな美月を包み込むように腕の中に閉じ込め、神崎は
「怖がらなくていい、悪いのは全て俺だ。
俺が自分の意思をはっきり示さなかったから、勝手に話が進み君にも嫌な思いをさせた」
と低い声でそう言った。
「だって…私、とんでもない事を……」
「君は何もしちゃいないだろ?
君を強引に車に乗せたのも、ここへ連れ込んだのも俺だ。」
「でも……」
なおも言葉を紡ごうとする美月の頬を両手でそっと挟み、神崎は
「俺達の未来の為に、前に進むんだ。
一緒にいられるように…これからもずっと。
明日親父に話しを付けに行こう。
野々村家にも謝罪に行かなければならないが、一緒に来て欲しい。
大丈夫、俺が傍にいる。
美月の事は俺が守るし、君のために戦うから」
決意を秘めた声でそう告げた。
神崎の真摯な言葉に美月はぎゅっと目を瞑り、考え込むように眉を潜めた。
——幸せに、なりたい。
神崎さんと一緒にいられれば、それだけでいい。
彼の傍らにあり続ける事が、私の幸せなのだから。
そうありたいと願うのは我儘なのだろうか?
決して許されない事?
でも……彼は一緒に謝りに行こう、と言ってくれたけれど。
謝って済むとは到底思えない。
彼の父親とて、私達の事を決して認めはしないだろう。
目前に立ちはだかる途轍もなく高い壁に、美月の心は再び挫けそうになる。
「大丈夫、俺がいる」
「神崎さん…」
目を開けると、愛しげに自分を見つめる神崎の顔がすぐ傍にあった。
それだけで美月は縮こまっていた心が少しずつ解れていくのが感じられた。
——この人と一緒なら、どんなに辛くてもどんな困難でも乗り越えられる、気がする。
「幸せに、なりたいんです」
望んでいた返事ではなかったのか、神崎は器用に片方だけ眉を跳ね上げた。
「神崎さんと一緒にいられる事が、私の幸せなんです。
だから…私も一緒に戦わせてください」
美月の言葉に、神崎は喘ぐように息を吐き出した。
「全く…」
君にはいつも、驚かされる。
苦笑混じりの言葉に、美月もようやく微笑む事が出来た。
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