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【第3部】13章 切り裂く刃
10話 黒い来訪者
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会食――という名の母のおしゃべり大会――のあと。
母に「もう少し司祭様に愛想良くしなさいよ」というありがたい小言をいただいてからあたしは自室へ戻った。
(疲れた……)
夜の11時。
鏡に映る自分の顔は冴えない。
食事は2時間ほどのものだったけれど、本当に疲れた。
なんだかあたしの身体からもあの煙が湧き出たし……あれって一体何なのかしら?
母が何か言う度に誰かから出ていた。人を……母を不快に思う気持ちか何かだろうか。
そうだとしたら、あれは一体どこへ行っているのだろう。
それに父の様子も気になる。
疲労というより、まるで何かに取り憑かれているような――。
「お疲れのようですね?」
「……ヒッ!?」
後ろから声がしたと思ったら、真後ろにイリアスが立っているのが鏡越しに見えた。
幻ではなく、実際にそこにいる――司祭のローブでない普通の黒い服を着て、左手には布に包まれた瓶、そして右手にはぶどうが乗ったお皿を持っている。
ドアが開いた気配なんて、なかった……。
「なっ……ど、どうして……」
「転移魔法ですよ。この屋敷は魔石の防護が甘いようで助かります」
「…………」
王侯貴族の屋敷、銀行などの重要な場所は、門柱に影の魔石で出来た珠が設置してある。
転移魔法の魔力は避雷針のようにそれに吸い取られ、設置場所より内側には侵入できないようになっているのだ。
しかしイリアスの言った通り、サンチェス伯の屋敷にはそういったものはない。
これも母がサンチェス家を馬鹿にする要因のひとつになっていて……。
(ちがう! そんなのどうでもいい!!)
「誰か! 誰か……っ」
「屋敷の者は皆催眠で眠っていますよ」
「な……」
「すぐに帰りますから安心してください。貴女にも誰にも危害を加えるつもりはありませんよ」
「……あなたは、何者なの!? どうやってミランダ教に入り込んで――」
「『入り込む』だなんて酷いな。僕は昔から敬虔なミランダ教徒……今の地位も自分で獲得したものです。光の塾は副業ですよ」
イリアスがテーブルにぶどうのお皿と瓶を置き、イスを引いて勝手に腰掛けた。
「副業、ですって……」
「ええ。司教と言っても、存外やることは少ないのですよ。先代が作ってくれていたマニュアルに則って指導をするよう部下に命じて……僕自身は大体聖銀騎士団に随伴するか、あとは造園業なんかをやっています。あなた方の砦からも、よく土を買い取っていましたよ」
そう言いながらイリアスはぶどうを一粒ちぎって吸い込み……その都度、喉仏がゆっくりと上下する。
「美味しいですね、ここのぶどう」
「……」
端正な顔立ちだけれど、ずっと張り付いた笑みが不気味で気持ち悪い。
こんな人にうちのぶどうを褒められたって嬉しくともなんともない。
「……どうしてあたしを聖女候補に」
「貴女が優秀だからですよ」
「え……?」
「ここ数ヶ月間、聖銀騎士の報告書に貴女のことがよく記されていました。強力な解呪の魔法に光の守護方陣、さらにその中で防護の魔方陣まで張れるそうじゃないですか。それから……先日アルゴスの目を通して見ましたが、弱く不完全であったとはいえ貴女の祈りの力で土塊の動きが停止しました。あれはなかなか出来ることではありません」
「…………あんなこと」
結局、中にいる魂達は救えなかった。
何も癒やすことも出来ず、昇天していくのを見るしか出来なかった。
「祈りは力、祈りは縛り」――あたしの祈りは、彼らの魂を縛るだけだったのに。
「……そういうわけで、貴女を推薦したことには何の企てもありません。司祭として正統な評価を下しただけのことです」
ぶどうの粒がどんどんイリアスの口に吸い込まれ、お皿に皮が積み上がっていく。
ただの食事風景なのに、どうしてこんなに嫌悪感が募るのだろう。
「まあでも、全く何もないというわけでもありませんね。聖銀騎士のセルジュ様をご存じでしょう?」
「セルジュ様……?」
「彼は僕の仲間なのですが、どうも僕に疑念を抱いているようなのです。……アーテの事件に光の塾の案件、ほか数件続く変死事件について僕が見解を述べると『随分と造詣が深くていらっしゃいますね』などと……参りました」
「……それが何だと言うの」
「司祭としての仕事で少しでも信用を得ておきたくて」
「……あたしはあなたの『仕事しているアピール』に使われたということ?」
「はは、そんな身も蓋もない言い方を」
イリアスがニコニコ顔でまたぶどうをむしり、口に放り込む。
「ああ、美味しい。……ぶどうは味もさることながら、何よりこの形が美しい。粒は全て同じ形に見えて、少しずつちがっている。完全な球などひとつもなく、それらが房に実ってひしめき合い……」
そこで一旦言葉を切ると彼はぶどうの粒を親指と人差し指でつまみグッと力を込め、ブチュリと潰した。
「まるで、歪な人間社会の縮図そのものではありませんか?」
その粒を口に放り込んでから潰した際指に流れ落ちた果汁を舐めとる。
粒を、果汁を飲み込むと、都度都度喉仏がゴクリと上下する。
そして……。
「この不完全さに、僕はどうしようもなく心惹かれるんです」
まるで麻薬でも飲み込んだかのように恍惚とした顔をこちらに向け、ニタリと笑う――。
「何なの、あなた!! 何をしに来たの、帰って!!」
おぞましく気持ちの悪い言葉の連続に感情を抑えられず、今まで出したこともないような金切り声が出てしまう。
理解をする気がひとつとして起こらない。会話をしているようで、こちらの言葉も意思もまるで通じない。
昨日今日抱いたこの暗い気持ちを全部ぶつけてしまいたくなる。
あたしは怒りの感情をそこまで抱いたことがない。
怒りの発露は難しい。呼吸も声も身体の震えも、まるで初めて魔法を発動した時のように制御ができない。
攻撃魔法を習っていないけれど、今杖を持っていたら魔力が暴走しているかもしれない。
「ああ、申し訳ありません。司祭としてひとつ、貴女に忠言をしておきたくて」
「……忠言?」
「はい。この屋敷で、闇の武器が生まれつつあるようですよ」
「!!」
「貴女も見たでしょう? 貴女の父上や召使いから立ち上る薄黒い瘴気を。あれは全て、この屋敷のどこかにある武器に吸い込まれています。集まった瘴気は武器を黒く染めあげ、いずれ束や刃などに禍々しい紋様が浮かび上がります」
「闇の……紋章」
「その通り。放っておくと大変なことになります。完成も時間の問題ではないでしょうか」
「…………」
――あの瘴気が、闇の武器の元に?
「放っておくと大変なことに」といっても、何をどうすれば……。
「確実に食い止める方法を教えてさしあげましょう」
「ひっ……!」
イリアスがあたしの眼前に立ち、あたしの頬を撫でながら顔を接近させニコリと笑う。
「あれの元凶を断てばいいんですよ」
「元凶……?」
「分かっているでしょう? ルイーザ・サンチェス……あなたの母上です」
「…………な、なんで」
「自分は闇も咎も一切背負わず、人の心に汚泥を撒き散らしなすりつける。良いことは自分のおかげ、悪いことは他人のせい。あの方は"愚か"の完成形と言えます。……アーテはどうしようもない蛆虫でしたが、あの方はさしずめ蝿ですね」
「…………蝿」
「そう、蝿です。ブンブン、ワンワンと羽音を響かせて、耳障り、目障り……殺すことも叩きのめすことも容易だが、しかしそうするほどではない。それを自分は無敵の絶対正義であると勘違いしているのです」
「…………」
「馬鹿につける薬はありません。そして馬鹿は死んでも治りません。しかし、死ねば少なくとも静かにはなります」
母親がこの上ない侮辱をされているのに怒りも否定の言葉も沸いてこない。
それどころか自分の考えを言語化されたようで、スッとしてしまってすらいる。
それを見てイリアスはまた笑みを浮かべながら、最初にテーブルに置いた瓶の布に手をかけた。
「これは貴女のお母様からいただいた品ですが……嫌いなので、お返ししますね」
「なっ……そ、それは!」
封を解かれ現れたのは、カラスの絵が描かれたラベルが貼られたワイン――"カラスの黒海"。
それを黒髪ノルデン人に送ることは、彼らを蔑み貶める差別的な意味合いを持つ。
「こ、これを……母が」
「はい。『ぶどうとワインがお好きだと聞いたので』と言って」
「そんな……!」
サンチェス伯領はぶどうの産地だ。当然ワインも作っている。
でもこの品はサンチェス伯領で作られたものではない。
他に良い地酒がいくらでもあるはずなのに……。
「全く恐ろしい方ですよ、あなたの母上は。この僕からすら瘴気を沸き立たせるのですから」
「も、申し訳……ありません……」
「貴女には何の咎もありませんので、お気になさらず。むしろ僕の方こそ、闇の武器の作成に力を貸してしまい申し訳ないと詫びなければいけません」
「…………」
情けなくて恥ずかしくて悲しい。
――頭が重い。身体からまたあの瘴気が湧き上がり、部屋のドアに吸い込まれていく。
「……さあ、それでは僕はこれで失礼します」
そう言うとイリアスは踵を返し、バルコニーに続く窓を開け放った。カーテンがブワリと揺れ、冷たい風が吹き込んでくる。
バルコニーへと足を進めたイリアスは「そうそう」と言いながらこちらを振り向く。
「貴女のお仲間の男性3人、聖銀騎士が身柄を拘束しましたよ」
「なっ!? ど、どういうこと!」
「僕の計画に必要だったので。まあ殺しはしませんし、すぐに解放されますから安心して下さい。では、さようなら」
「ま、待っ……!!」
あたしの言葉を待つことなく、イリアスはうやうやしくお辞儀をしながら転移魔法でかき消えた。
◇
「もう! 何なのよ!!」
行き場のない怒りをテーブルに叩き付ける。
置き去りにされたぶどうのお皿とワインの瓶がガタッと音を立てた。
今の時間は何だったのだろう?
最初から最後まで、あの人の演説を聴かされているだけだった。
心に黒いものをひたすらに落とされて、最後の最後に……。
『貴女のお仲間の男性3人、聖銀騎士が身柄を拘束しましたよ』
『僕の計画に必要だったので』
「……ジャミル、君……」
あまりのことに、ここ数日呼びたくても呼んでこなかった彼の名前を思わず呼んでしまう。
――身柄を拘束? どうして急にそんなことになるの?
どうして彼がそんな目に遭わないといけないの?
今彼はどうしているんだろう。
本当にすぐ解放されるの?
イリアスの計画って一体何?
何も分からないし、何もできない。
不安ばかりが募っていく。
母に「もう少し司祭様に愛想良くしなさいよ」というありがたい小言をいただいてからあたしは自室へ戻った。
(疲れた……)
夜の11時。
鏡に映る自分の顔は冴えない。
食事は2時間ほどのものだったけれど、本当に疲れた。
なんだかあたしの身体からもあの煙が湧き出たし……あれって一体何なのかしら?
母が何か言う度に誰かから出ていた。人を……母を不快に思う気持ちか何かだろうか。
そうだとしたら、あれは一体どこへ行っているのだろう。
それに父の様子も気になる。
疲労というより、まるで何かに取り憑かれているような――。
「お疲れのようですね?」
「……ヒッ!?」
後ろから声がしたと思ったら、真後ろにイリアスが立っているのが鏡越しに見えた。
幻ではなく、実際にそこにいる――司祭のローブでない普通の黒い服を着て、左手には布に包まれた瓶、そして右手にはぶどうが乗ったお皿を持っている。
ドアが開いた気配なんて、なかった……。
「なっ……ど、どうして……」
「転移魔法ですよ。この屋敷は魔石の防護が甘いようで助かります」
「…………」
王侯貴族の屋敷、銀行などの重要な場所は、門柱に影の魔石で出来た珠が設置してある。
転移魔法の魔力は避雷針のようにそれに吸い取られ、設置場所より内側には侵入できないようになっているのだ。
しかしイリアスの言った通り、サンチェス伯の屋敷にはそういったものはない。
これも母がサンチェス家を馬鹿にする要因のひとつになっていて……。
(ちがう! そんなのどうでもいい!!)
「誰か! 誰か……っ」
「屋敷の者は皆催眠で眠っていますよ」
「な……」
「すぐに帰りますから安心してください。貴女にも誰にも危害を加えるつもりはありませんよ」
「……あなたは、何者なの!? どうやってミランダ教に入り込んで――」
「『入り込む』だなんて酷いな。僕は昔から敬虔なミランダ教徒……今の地位も自分で獲得したものです。光の塾は副業ですよ」
イリアスがテーブルにぶどうのお皿と瓶を置き、イスを引いて勝手に腰掛けた。
「副業、ですって……」
「ええ。司教と言っても、存外やることは少ないのですよ。先代が作ってくれていたマニュアルに則って指導をするよう部下に命じて……僕自身は大体聖銀騎士団に随伴するか、あとは造園業なんかをやっています。あなた方の砦からも、よく土を買い取っていましたよ」
そう言いながらイリアスはぶどうを一粒ちぎって吸い込み……その都度、喉仏がゆっくりと上下する。
「美味しいですね、ここのぶどう」
「……」
端正な顔立ちだけれど、ずっと張り付いた笑みが不気味で気持ち悪い。
こんな人にうちのぶどうを褒められたって嬉しくともなんともない。
「……どうしてあたしを聖女候補に」
「貴女が優秀だからですよ」
「え……?」
「ここ数ヶ月間、聖銀騎士の報告書に貴女のことがよく記されていました。強力な解呪の魔法に光の守護方陣、さらにその中で防護の魔方陣まで張れるそうじゃないですか。それから……先日アルゴスの目を通して見ましたが、弱く不完全であったとはいえ貴女の祈りの力で土塊の動きが停止しました。あれはなかなか出来ることではありません」
「…………あんなこと」
結局、中にいる魂達は救えなかった。
何も癒やすことも出来ず、昇天していくのを見るしか出来なかった。
「祈りは力、祈りは縛り」――あたしの祈りは、彼らの魂を縛るだけだったのに。
「……そういうわけで、貴女を推薦したことには何の企てもありません。司祭として正統な評価を下しただけのことです」
ぶどうの粒がどんどんイリアスの口に吸い込まれ、お皿に皮が積み上がっていく。
ただの食事風景なのに、どうしてこんなに嫌悪感が募るのだろう。
「まあでも、全く何もないというわけでもありませんね。聖銀騎士のセルジュ様をご存じでしょう?」
「セルジュ様……?」
「彼は僕の仲間なのですが、どうも僕に疑念を抱いているようなのです。……アーテの事件に光の塾の案件、ほか数件続く変死事件について僕が見解を述べると『随分と造詣が深くていらっしゃいますね』などと……参りました」
「……それが何だと言うの」
「司祭としての仕事で少しでも信用を得ておきたくて」
「……あたしはあなたの『仕事しているアピール』に使われたということ?」
「はは、そんな身も蓋もない言い方を」
イリアスがニコニコ顔でまたぶどうをむしり、口に放り込む。
「ああ、美味しい。……ぶどうは味もさることながら、何よりこの形が美しい。粒は全て同じ形に見えて、少しずつちがっている。完全な球などひとつもなく、それらが房に実ってひしめき合い……」
そこで一旦言葉を切ると彼はぶどうの粒を親指と人差し指でつまみグッと力を込め、ブチュリと潰した。
「まるで、歪な人間社会の縮図そのものではありませんか?」
その粒を口に放り込んでから潰した際指に流れ落ちた果汁を舐めとる。
粒を、果汁を飲み込むと、都度都度喉仏がゴクリと上下する。
そして……。
「この不完全さに、僕はどうしようもなく心惹かれるんです」
まるで麻薬でも飲み込んだかのように恍惚とした顔をこちらに向け、ニタリと笑う――。
「何なの、あなた!! 何をしに来たの、帰って!!」
おぞましく気持ちの悪い言葉の連続に感情を抑えられず、今まで出したこともないような金切り声が出てしまう。
理解をする気がひとつとして起こらない。会話をしているようで、こちらの言葉も意思もまるで通じない。
昨日今日抱いたこの暗い気持ちを全部ぶつけてしまいたくなる。
あたしは怒りの感情をそこまで抱いたことがない。
怒りの発露は難しい。呼吸も声も身体の震えも、まるで初めて魔法を発動した時のように制御ができない。
攻撃魔法を習っていないけれど、今杖を持っていたら魔力が暴走しているかもしれない。
「ああ、申し訳ありません。司祭としてひとつ、貴女に忠言をしておきたくて」
「……忠言?」
「はい。この屋敷で、闇の武器が生まれつつあるようですよ」
「!!」
「貴女も見たでしょう? 貴女の父上や召使いから立ち上る薄黒い瘴気を。あれは全て、この屋敷のどこかにある武器に吸い込まれています。集まった瘴気は武器を黒く染めあげ、いずれ束や刃などに禍々しい紋様が浮かび上がります」
「闇の……紋章」
「その通り。放っておくと大変なことになります。完成も時間の問題ではないでしょうか」
「…………」
――あの瘴気が、闇の武器の元に?
「放っておくと大変なことに」といっても、何をどうすれば……。
「確実に食い止める方法を教えてさしあげましょう」
「ひっ……!」
イリアスがあたしの眼前に立ち、あたしの頬を撫でながら顔を接近させニコリと笑う。
「あれの元凶を断てばいいんですよ」
「元凶……?」
「分かっているでしょう? ルイーザ・サンチェス……あなたの母上です」
「…………な、なんで」
「自分は闇も咎も一切背負わず、人の心に汚泥を撒き散らしなすりつける。良いことは自分のおかげ、悪いことは他人のせい。あの方は"愚か"の完成形と言えます。……アーテはどうしようもない蛆虫でしたが、あの方はさしずめ蝿ですね」
「…………蝿」
「そう、蝿です。ブンブン、ワンワンと羽音を響かせて、耳障り、目障り……殺すことも叩きのめすことも容易だが、しかしそうするほどではない。それを自分は無敵の絶対正義であると勘違いしているのです」
「…………」
「馬鹿につける薬はありません。そして馬鹿は死んでも治りません。しかし、死ねば少なくとも静かにはなります」
母親がこの上ない侮辱をされているのに怒りも否定の言葉も沸いてこない。
それどころか自分の考えを言語化されたようで、スッとしてしまってすらいる。
それを見てイリアスはまた笑みを浮かべながら、最初にテーブルに置いた瓶の布に手をかけた。
「これは貴女のお母様からいただいた品ですが……嫌いなので、お返ししますね」
「なっ……そ、それは!」
封を解かれ現れたのは、カラスの絵が描かれたラベルが貼られたワイン――"カラスの黒海"。
それを黒髪ノルデン人に送ることは、彼らを蔑み貶める差別的な意味合いを持つ。
「こ、これを……母が」
「はい。『ぶどうとワインがお好きだと聞いたので』と言って」
「そんな……!」
サンチェス伯領はぶどうの産地だ。当然ワインも作っている。
でもこの品はサンチェス伯領で作られたものではない。
他に良い地酒がいくらでもあるはずなのに……。
「全く恐ろしい方ですよ、あなたの母上は。この僕からすら瘴気を沸き立たせるのですから」
「も、申し訳……ありません……」
「貴女には何の咎もありませんので、お気になさらず。むしろ僕の方こそ、闇の武器の作成に力を貸してしまい申し訳ないと詫びなければいけません」
「…………」
情けなくて恥ずかしくて悲しい。
――頭が重い。身体からまたあの瘴気が湧き上がり、部屋のドアに吸い込まれていく。
「……さあ、それでは僕はこれで失礼します」
そう言うとイリアスは踵を返し、バルコニーに続く窓を開け放った。カーテンがブワリと揺れ、冷たい風が吹き込んでくる。
バルコニーへと足を進めたイリアスは「そうそう」と言いながらこちらを振り向く。
「貴女のお仲間の男性3人、聖銀騎士が身柄を拘束しましたよ」
「なっ!? ど、どういうこと!」
「僕の計画に必要だったので。まあ殺しはしませんし、すぐに解放されますから安心して下さい。では、さようなら」
「ま、待っ……!!」
あたしの言葉を待つことなく、イリアスはうやうやしくお辞儀をしながら転移魔法でかき消えた。
◇
「もう! 何なのよ!!」
行き場のない怒りをテーブルに叩き付ける。
置き去りにされたぶどうのお皿とワインの瓶がガタッと音を立てた。
今の時間は何だったのだろう?
最初から最後まで、あの人の演説を聴かされているだけだった。
心に黒いものをひたすらに落とされて、最後の最後に……。
『貴女のお仲間の男性3人、聖銀騎士が身柄を拘束しましたよ』
『僕の計画に必要だったので』
「……ジャミル、君……」
あまりのことに、ここ数日呼びたくても呼んでこなかった彼の名前を思わず呼んでしまう。
――身柄を拘束? どうして急にそんなことになるの?
どうして彼がそんな目に遭わないといけないの?
今彼はどうしているんだろう。
本当にすぐ解放されるの?
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何も分からないし、何もできない。
不安ばかりが募っていく。
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