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第一章 学園入学
幻想的なお茶会
しおりを挟むリンジー嬢たちの案内をしていた侍女に先導されて三人の令嬢がクラゲの部屋に入ってきた。
薄暗い室内に不安そうな顔のミーシャ嬢を庇うように立つアンネマリー嬢に思わず笑みが溢れる。
リンジー嬢は興味深そうに部屋の中を見回していて、白いテーブルクロスを掛けてセッティングされた円形のテーブルに着いている俺たちを見つけてアクアマリンのような瞳を瞬かせた。
「あら、アルバート様とロベルタ様はお二人ともずいぶんくつろいでいらっしゃるのね?」
おっとりと言いながら近づいてくるリンジー嬢を迎えるため席を立って、空いた席の椅子を引く。
その椅子に腰を下ろしながら、リンジー嬢がまだ入り口付近に立っている2人を呼ぶ。
「こちらでお茶を頂けるようですわ。素敵なお庭をたくさん歩いたからわたくし、ちょうど喉が渇いていましたの。お二人もいらっしゃらない?」
当たり前のように席に着くリンジー嬢に拍子抜けしたような顔をした2人も空いた席に腰を下ろした。
そしてあたりを見回す。
「私、このような展示……、動物なのかしら? 初めて見ましたわ。最初は少し気持ちが悪いような気もしたのですけど、見ていると気持ちがゆったりとして穏やかな気持ちになれますわ」
ミーシャ嬢は日頃から何のとは言わないけれどストレスが溜まっているのか、クラゲ水槽に心を癒されているようだ。
「今日はまだ春先なので外の日差しも穏やかでしたけど、それでも歩き回ると少し汗ばみますもの。ここは涼しくてひと休みするのにとてもいいわ。完成してもカフェのように座ってお茶のいただけるスペースになるのかしら? わたくしとても気に入りましたわ。家族やお友達も誘って驚かせてみたいわ」
リンジー嬢はクラゲがとても気に入ったらしくまた来ようと決めたようだ。
「海の生き物を生きたまま王都まで運ぶのは大変なんじゃないかしら? ラプサ伯爵家にはノウハウがあるのかな? うちの領地から王都まで新鮮な魚が運べるなら新しい商機も見えるんだけど……」
アンネマリー嬢は他の2人の令嬢とは少し視点が違う。
「ああ、確かに。生きたままここまで運んでくるのは大変だろうな。ラプサ伯爵のように利益を度外視した趣味人でなければ難しいだろう」
そんなアンネマリー嬢とロベルタは、リード侯爵の領地に大きな港があるからか新鮮な魚を王都に運べないか思案しているようだ。
「アルバート様もご家族をお誘いになりますの?」
ぼんやりと淡く光るクラゲの水槽を眺めていたミーシャ嬢に訊かれて思わず苦笑する。
「自分の家族は美しいものを鑑賞するよりも身体を鍛えるのを優先する人たちですから。……母は、話を聞けば来たがるかもしれませんね。兄の婚約者やリンジー嬢を誘って」
「アルバート様のお母様とリンジー様は仲がよろしいの?」
そう言ったミーシャ嬢の声は少し羨望の色が載っていた。
「アルバート様のお母様は、お子様が男子ばかりで女の子との交流に飢えていらっしゃるのですわ。見た目は理想の淑女なのですけど、お家ではミケルセン侯爵よりもお強いんですの。わたくしにも護身術を教えてくださるのですけど……初めの頃は筋肉痛で身体が痛くて数日は動けなくて……『これが噂に聞く姑の洗礼かしら?』と思ったものですわ」
けれど、相変わらずおっとりとした口調ながらも将来の姑との仲を聞かされたミーシャ嬢は何度か瞬きをして、「そうですの……」と言った後には瞳に戸惑いの色が感じられた。
何となく自分の家が普通ではない気はしていたけれど、ミーシャ嬢の憐憫の乗った視線を見るとリンジー嬢が可哀想な目に遭っているのかと不安になる。
「リンジー嬢。もし辛いようなら訓練に参加しなくても構わないよ?」
「いいえ? わたくしとても楽しんでいますの。出来なかったことができるようになるのは達成感がありますし、乗馬も教えていただきましたからアルバート様と遠乗りもできるでしょう?」
俺と、と言ってはいるけれどリンジー嬢がアンネマリー嬢と一緒に乗馬の練習をしているのを知っているので、きっと2人で遠乗りに出かけたりするのだろう。
「リンジー様は乗馬もなさるのですか?」
ミーシャ嬢が驚いた声で訊いてきた。
貴族令嬢はあまり乗馬などをしないので驚いているのだと思う。
「ええ、横乗りは安定感が悪いので少し怖いでしょう? それをアルバート様のお母様が乗馬用にキュロットのようになったドレスを作られて跨がって乗れるようになったので落ちそうな恐ろしさが無いのです。馬車で行くには狭く、殿方の馬に同乗させていただくのはちょっと……ということってありますでしょう? そんな時に自分で馬に乗れると便利ですし、何より馬で走るのは気持ちがいいですわ」
自分の母が乗馬用のドレスを作っているとは知らなかったけれど、言われてみればうちの家門は男性も女性も馬に乗っている気がする。
「ミーシャ様はお忙しくしていらっしゃるのでしょうか? お時間と興味がおありなら一緒に練習いたしませんか?」
「まあ、私もリンジー様も爵位を継ぐ身ではありますけど、後継教育はだいぶ進んでいますし、領地を回るのに馬に乗れれば便利ですわね。……それにしても、リンジー様はおっとりしておとなしい方だと思っていたので少し意外ですわ」
「うふふ。普段はのんびりしていますけど、何か起こった時に何も出来なくて足手纏いになるのは伯爵家を継ぐものとして情けないですから出来ることはしているのですわ」
リンジー嬢はのんびりとした普段の口調ながらも、なかなか骨のある発言をした。
そういう彼女だから、安心して秘密を共有することができるのだ。
「そう、ですわね。婿が来るからといって私が遠慮して領地を婿の好きにさせる必要など、よく考えれば全くありませんわ。私の大切な領地なのですもの。私が治めなくて誰が治めるのか、と。目が覚めましたわ」
そう言って顔を上げたミーシャ嬢の目がこれまで見たことがない程に炯々と輝いている。
どうやら何か覚醒したらしい。
「ねぇ、リンジー様。領主教育はどのようなことを学ばれていらっしゃいますの?」
今までの厳格な高位貴族らしい姿を捨て去って、ミーシャ嬢はリンジー嬢の両手を取って問い詰めている。
それを見たアンネマリー嬢がそれまで話をしていたロベルタを放置して素早く駆け寄ると2人の手を上から握り込んだ。
「まあ! よく考えると私たち三人とも家を継ぐ嫡女ですね! 是非とも一緒に勉強したり身体を鍛えたりしませんか? ミーシャ様には失礼になってしまうでしょうか?」
唐突にアンネマリー嬢に放置されたロベルタが俺のそばにやってきて苦笑する。
「さすがアンネマリー嬢だな。僕と話をしながらもリンジー嬢の様子は見逃さない」
「お前だってそうだろう?」
蜂蜜色の瞳を甘く緩めて俺を見るロベルタに返事した。
「お前に執着されてる自覚は十分にある。何をしていてもお前が見つけてくれるという信頼があるから安心できる」
「君は……、」
それだけ言って、ロベルタは大きなため息をついて愛おしいものを見るように俺をじっと見て目を細める。
「今度は2人で来よう」
「もう少し暑い時期が良いな。……殿下に振り回されてきっと疲れている。ここに来て癒されよう」
2人の距離は誰が見ても普通の友人同士。
それでも気持ちは重なっているとちゃんと伝わっている。
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