39 / 59
第四章 底なしの沼のような
母の意見
しおりを挟むリンジー嬢に赤い薔薇を土産に渡して見送ってからしばらく、頭の中が飽和したような状態で何も考えられなかった。
そのくらい、リンジー嬢の視点は今まで自分の持っていた王弟像と違うものを俺に見せてきた。
「女性の視点……」
それは自分には持ち得ないものだ。
王弟も男性なのだから男性的な考え方をするだろう、というのとは全く違う。
同じ林檎を縦に切るか横に切るか、で全く違うものに見える、ということなのだ。
夕食の後、以前と同じように親父に時間を作ってもらい、今回は兄も一緒に執務室へ向かう。
「なるほど、お前の婚約者は女にしておくのは惜しい逸材だな」
「父上、しかしそれが『女性の視点』だというのなら男にしてしまっては意味がないのでは?」
相変わらずの父と兄の会話だ。
「確かに、自分がコーエン殿下だったら、と考えればイザベルと組むなどあり得ん選択だな」
口の端を歪めて、牙を剥く寸前の虎のような顔で親父が鼻で笑う。
「お互いがお互いを利用している、というのはありえるでしょうね」
そう言ったのは兄だ。
「では、リンジー嬢の見方でイザベルのことも考えてみるか?」
ニヤリと笑って言った親父に、俺はひとつ提案してみた。
「もし可能なら、女性ということで母上にも一緒に考えていただけないでしょうか?」
普通は政治の話に夫人は巻き込まない。
その上、これから話をしようとしているのは娼婦の気持ちを考えることだ。
非常識なことは分かっているけれど、母上なら自分たちが気づかなかったことに気づく可能性がある。
「……なるほど。そうだな。ヘルミーネにも聞いてみるか」
そう言うと、親父はベルを鳴らして執事を呼ぶと、母を連れてくるように言った。
やってきた母は怪訝そうに俺たちを見渡して、空いていたひとり掛けのソファに腰を下ろした。
「勢揃いでどうしたのです? これでは仲間はずれにされたマティアスが拗ねてしまいますよ」
そうは言われても、流石に十歳のマティアスを入れるわけにはいかない。
親父はこれまでの事情を簡単に説明し、母上の意見も聞きたいと頼んだ……のに、なぜか俺は今、説教をされている。
「婚約者同士のお茶会でなぜそんな生臭い話をしているのです? もっと楽しい話題選びがあるでしょう?」
そう言われると返す言葉もないのだが……
「まあ、いいではないか。それにアルバートの相手はオールドマンの後継なのだ。政治の話もできんようでは困るではないか」
と、親父にとりなされて説教は終わった。
「イザベル様ですか……」
母は大きなため息をついて、淑女らしくなくソファに深く腰を沈めて背もたれに体重をかけた。
「イザベル様がなぜ娼館で働くことになったのかは存じませんけど、好きこのんで娼婦になったわけではないでしょうね。
そして、銀髪を珍しがられて色々な客がついたのでしょうけど、娼婦を王家の姫に見立てるような輩がまともな人間とは思えません。きっと無体な目に遭っていたのではないかしら」
それはそうだろう。
王家の姫を陵辱したい、と考えるような男がまともだとは思えない。
「そして、幼いコーエン殿下の元へ連れて行かれて子を作るように言われた。
どう思うかしら?
まともな女性なら、そんな幼い子供を陵辱することに嫌悪するでしょうけど……、イザベル様は王家の姫に見立てられて散々な目に遭ってきたわけですから、もしかしたら、良い意趣返しになると思ったかもしれないわね。
女性だって、皆が同じことを考えるわけではないから、私にはイザベル様がどんなお気持ちでコーエン殿下とのお子を成したのかわかりませんけど……王家の子を産んでも、側妃という地位を与えられても、正式に妃として扱われないのだから苛立つ気持ちはわかるわ。
それが正当なものでないとしてもね。
周知の事実だけど、正妃がいなくなれば自分が正妃に繰り上がるだろうと、正妃を殺しても側妃のまま。
ただ離宮に住んでいるだけで何の権力もない。
おまけに自分の生んだ息子は正妃の生んだ息子に能力は全くかなわなくて、自分におもねる貴族はたくさんいるけれど領地を持たない貧乏貴族ばかり」
そこまで言って母上は大きく息を吐いた。
「正直言って、全くわからないわ。もし私がイザベル様ならとっくの昔に懐剣で胸を突いて死んでるわ。それなのにイザベル様は離宮から必死に自分の派閥を作って王宮を支配しようとしている。
とてつもなく図太い女ね。
娼婦から妃に成り上がって、贅沢がしたい、みんなに崇められたい、褒められたい。
今まで自分を見下してきた人間を踏み躙りたい。
特に、自分を妃にしたのに自分を愛さない、見向きもしない陛下のことは殺したいくらいに憎んでいるんじゃないかしら?
コーエン殿下には多少の共犯意識みたいなものがあるかもしれないわね。
使えるものは我が子でも使う。
権力を行使できるような立場になったら私たちは多分、粛清されるでしょうね。
生まれながらの高位貴族なんて、イザベル様が一番妬ましくて堪らない存在でしょうから」
そこまで言って、母上は目の前に置かれていたブランデーの入った紅茶を一気に飲み干した。
「歯に絹着せず言えば、アレは到底理解できない化け物だわ。でも、彼女は誰かの描いた絵の中で暴れているだけで、筋書きは別の人間が描いているはず。
強欲で、執念深くて、したたかではあるだろうけど頭の良い女とは思えないもの。
最終的には、利用されて踊らされている哀れな女なのでしょうね……」
「なるほど。側妃イザベルは誰かの描いた筋書きの上で踊っているとお前は思うのだな?」
親父が母上に確認するように訊いている。
「それはそうじゃないかしら? イザベル様は学がない。そして学ぶ気もない。
少しでも考える頭があれば、貴族のルールくらいは学ぶし、将来的に自分が権力を握りたいなら、まずはカスパル殿下に優秀な教師をつけて、完璧な王太子に育てているはず。
それができれば、陛下に愛されなくても、“国王の母”という地位は手に入るのだから。
それすらしない、というのは本当に学がなくて、何が最善なのかもわからないのよ。
贅沢をしたいから、宝石をくれる人を優遇する。していることはそれだけよ。
餌をくれる人に尾を振る犬と変わらないわ。
そんな女に綿密な計画を立てるような頭があるかしら?」
母上の話を聞けば、側妃イザベルは無学で哀れな女にしか見えなくなる。
そして、
「側妃イザベルはカスパル殿下にきちんとした教育をしなかったけど、側妃イザベルを操っている人物も、カスパル殿下に国王になるに相応しい教育をしなかったということですよね? それは、操りやすく育てるためでしょうか? それともカスパル殿下を国王にする気が無かったのでしょうか?」
ふと気がついたことを口にした。
「以前、お前がラプサ伯爵から聞いてきた話からすると、ミズーリ侯爵は自分の娘を王妃にして、カスパル殿下を傀儡にする計画だったようだが、このところのカスパル殿下の暴走は廃太子されるほどだから、ミズーリ侯爵の思惑からは外れているだろうな。何とか聖女を使って、カスパル殿下をもう一度、立太子させようとしとるみたいだが……」
「以前のカスパル殿下は、優秀ではなかったですが、暴走したりするようなことはありませんでした。国王として戴きたくない、と思わせるようになったのは最近になってからです。……それまで上手く取り繕っていたのならわかりませんが、学園で王弟殿下と頻繁に会うようになってから、のように思います」
俺は思わず兄を見る。
俺はおかしくなったカスパル殿下しか知らない。けれど、以前は優等ではないが失格でもない程度の評価を得ていたということなのだろう。
「そして、今日のリンジー嬢の話を聞いてしっくりきたのは、王弟殿下はカスパル殿下のことも恨んでいるのではないか、という推測です。
ずっと、王弟殿下はカスパル殿下を庇っているように見えるけれど、所詮子供騙しに過ぎない、とか、危険な魔剣である『ヘヴンズ・ヴァーディクト』をなぜカスパル殿下に渡したのか、とか、その辺りの疑問が解けるように思うのです。
王弟殿下は、王家と自分を現在の状況に追いやった者たちを憎んでいる。
リンジー嬢の言葉を借りれば『殺してやりたいくらい』。
王弟殿下には守りたいと思うような大切なものがないのだと思います。
自分の子供であるカスパル殿下は自分の罪の象徴。
自分の子を産んだ側妃イザベルは自分を陵辱した相手。
陛下は、不幸な幼い自分に気づかず助けてくれなかった薄情な人間。
守りたいものがないのなら、何もかも壊してしまうことに何の躊躇もないし、誰が巻き込まれようと気にしないのではないでしょうか?」
兄の推測は、静かになった父の執務室にポトリと落ちた水滴のような波紋を広げた。
681
あなたにおすすめの小説
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【本編完結】死に戻りに疲れた美貌の傾国王子、生存ルートを模索する
とうこ
BL
その美しさで知られた母に似て美貌の第三王子ツェーレンは、王弟に嫁いだ隣国で不貞を疑われ哀れ極刑に……と思ったら逆行!? しかもまだ夫選びの前。訳が分からないが、同じ道は絶対に御免だ。
「隣国以外でお願いします!」
死を回避する為に選んだ先々でもバラエティ豊かにkillされ続け、巻き戻り続けるツェーレン。これが最後と十二回目の夫となったのは、有名特殊な一族の三男、天才魔術師アレスター。
彼は婚姻を拒絶するが、ツェーレンが呪いを受けていると言い解呪を約束する。
いじられ体質の情けない末っ子天才魔術師×素直前向きな呪われ美形王子。
転移日本人を祖に持つグレイシア三兄弟、三男アレスターの物語。
小説家になろう様にも掲載しております。
※本編完結。ぼちぼち番外編を投稿していきます。
【完結】悪役令嬢モノのバカ王子に転生してしまったんだが、なぜかヒーローがイチャラブを求めてくる
路地裏乃猫
BL
ひょんなことから悪役令嬢モノと思しき異世界に転生した〝俺〟。それも、よりにもよって破滅が確定した〝バカ王子〟にだと?説明しよう。ここで言うバカ王子とは、いわゆる悪役令嬢モノで冒頭から理不尽な婚約破棄を主人公に告げ、最後はざまぁ要素によって何やかんやと破滅させられる例のアンポンタンのことであり――とにかく、俺はこの異世界でそのバカ王子として生き延びにゃならんのだ。つーわけで、脱☆バカ王子!を目指し、真っ当な王子としての道を歩き始めた俺だが、そんな俺になぜか、この世界ではヒロインとイチャコラをキメるはずのヒーローがぐいぐい迫ってくる!一方、俺の命を狙う謎の暗殺集団!果たして俺は、この破滅ルート満載の世界で生き延びることができるのか?
いや、その前に……何だって悪役令嬢モノの世界でバカ王子の俺がヒーローに惚れられてんだ?
2025年10月に全面改稿を行ないました。
2025年10月28日・BLランキング35位ありがとうございます。
2025年10月29日・BLランキング27位ありがとうございます。
2025年10月30日・BLランキング15位ありがとうございます。
2025年11月1日 ・BLランキング13位ありがとうございます。
α主人公の友人モブαのはずが、なぜか俺が迫られている。
宵のうさぎ
BL
異世界に転生したと思ったら、オメガバースの世界でした。
しかも、どうやらここは前世の姉ちゃんが読んでいたBL漫画の世界らしい。
漫画の主人公であるハイスぺアルファ・レオンの友人モブアルファ・カイルとして過ごしていたはずなのに、なぜか俺が迫られている。
「カイル、君の為なら僕は全てを捨てられる」
え、後天的Ω?ビッチング!?
「カイル、僕を君のオメガにしてくれ」
この小説は主人公攻め、受けのビッチング(後天的Ω)の要素が含まれていますのでご注意を!
騎士団長子息モブアルファ×原作主人公アルファ(後天的Ωになる)
なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?
詩河とんぼ
BL
前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?
悪役の僕 何故か愛される
いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ
王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。
悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。
そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて…
ファンタジーラブコメBL
不定期更新
婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした
水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。
婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。
しかし、それは新たな人生の始まりだった。
前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。
共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。
だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。
彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。
一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。
これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる