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2話
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––––八時間前。
「~~!!」
まだ早朝の陽も出ぬ前だというのに、階下から声が聞こえてくる。
私は眠気を覚まし、顔を洗って部屋を出る。
「また来たのね、ローザ」
アロルドの邸宅に朝早くからやって来たのは、彼が白い結婚を終えて結婚する予定の公爵家の令嬢だ。
名はローザ、珍しい紫色の髪は社交界でも注目の的であり、父親譲りの吊り気味の琥珀色の瞳は自信に溢れた様子を表している。
二十歳の若さと、その家柄ゆえの傲慢さが態度に滲み出ているのが私の印象だ。
「あら、セシーリア。今日も朝早くからご苦労様ね」
「貴方が今日もアロルドを呼び出して騒いでいるから、眠れなかっただけよ」
「ふふ、それは悪い事をしたわね。でもアロルドと早く会いたい気持ちが昂ったのよ。許してちょうだい」
毎日、毎日、勘弁してほしいものだ。
アロルドを連れ出すローザのせいで、伯爵家の執務は私が行う事が常になっている。
一応……これも妻の役割でもあり、領主業自体はむしろ喜々としてやりたいぐらいなので問題はない。
でも寝不足の原因がこの女であるのは不満だ。
「朝からごめんなさいね。でも私は家柄に恵まれて、アロルドにも真に愛されているから……書面上だけの関係である貴方に文句は言えないわよね」
公爵家の地位があるというのも面倒だ。
おかげでこんな朝早くの応対に使用人たちに手間をかけさせてもいる。
また特別手当を出してあげないと。
「時間だけは考えていただけると助かるわ」
「うふふ、優しいのねセシーリア。なんだか嬉しい! お姉様って呼んでもいいかしら? もう長い付き合いなのだからそう呼んでもいいわよね?」
「勘弁して」
「そう言わないで、お姉様? アロルドをあと少しだけお願いね?」
癇に障るような、挑発するような物言いは牽制のつもりだろう。
同性として私を警戒しつつも余裕を見せつけたいのだ。
まぁ、間違っても彼に恋情を抱く事はないが。
「ローザ、来ていたのか?」
そう言っている間に、ガウンを着こんだアロルドがやってくる。
すっ飛んでいくローザは彼に抱き着いた。
「アロルド、会いたかったわ」
「俺もだよ」
ローザを抱き返して、熱い接吻をする二人。
朝から見せられるこちらの身にもなってほしい……
とはいえ、これでローザが騒ぐのも終わるだろうから部屋に戻ろう。
「起こしてごめんなさいね、お姉様? でも……もうすぐこの家も私と彼の暮らす場所になるから、荷物ぐらいはまとめておいてね」
「ローザ、あまり言いすぎるな。ほら……行こう?」
「でもお姉様があまりにも可哀想だから。三年間も愛された自覚もないなんて、女性として……ね? 私ってもしかして嫉妬されてるかな? 嫉妬しないでよ、お姉様?」
嫉妬なんてするはずがない。
だが明らかに小ばかにするような態度、物言いにただ黙って過ごすのもいい加減うんざりだ。
あと一カ月の我慢でいい、それで私もこの家を出られる。
和解金は支払われて、その三割を私が得る事は父も承諾済み。
三年程度で自由に暮らす事が出来るなら、もうそれでいい。
「とはいえ、この数カ月でローザもなにを焦っているのかしら」
私が朝食を食べ、執務のために部屋に戻れば近くの部屋から情事の乱れた声が聞こえてくる。
わざわざローザが執務室に近い部屋で愛し合うのを望んだのだろう。
「私にアロルドは渡さないという行動なのだろうけど……どうして急に」
分かりやすいアピールに辟易しつつ、今日も執務をこなす。
実はこれらの仕事は好きだったりする。
元より領主業とは責任が重いものだが、結果が出れば分かりやすく数字に表れる。
領民からの悩み、不安を聞き、改善していく事が出来た時は達成感にも満たされるものだ。
それに……領地運営のために各地に出向けるのは私にとってある得があり––––
「~っ!」
とはいえ、それらは時たま聞こえてくる情事の声が無ければの話だが……
集中している際の雑音ほどに耳障りなものはない。
「はぁ」
あと少し、あと一か月だけだ。
そう……言い聞かせてきたのに……
◇◇◇
そして今、貴方はやり直したいと言うのだ。
「頼む、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ!」
その夜、ローザが帰路に就いた後にアロルドは私を呼び出した。
なにかと思えば、突然頭を下げてふざけた事をのたまう。
「なにを言っているのですか、突然……」
「言葉通りに受け取ってほしい。俺は君との白い結婚の合意を破棄したい。正式な婚姻関係を続けたい」
「はぁ?」
冗談であっても腹立たしい。
なのにアロルドはその蒼い眼差しを、真剣だと訴えるようにまっすぐ向ける。
「公爵家は俺から説得しよう。その伝手も、手段も用意している」
「アロルド、ふざけないで……すでに合意済みの話を反故できないわ」
「だが、だがそれでも俺はしかるべき対応をとって……三年前にすべきだった贖罪を果たし、君と関係を築いていきたいんだ」
「どういうことなのその心変わりは。ふざけないで」
「聞いてくれ、俺は……この三年間で、君の事を女性として好ましいと思っている」
は?
はぁぁ?
「私は一切の恋情はないので必要ないです」
「っ! セシーリア。頼む、この気持ちは本当なんだ。君との別れが、今はこんなにも苦しい……」
なにを言い出すんだ、この男は……
「~~!!」
まだ早朝の陽も出ぬ前だというのに、階下から声が聞こえてくる。
私は眠気を覚まし、顔を洗って部屋を出る。
「また来たのね、ローザ」
アロルドの邸宅に朝早くからやって来たのは、彼が白い結婚を終えて結婚する予定の公爵家の令嬢だ。
名はローザ、珍しい紫色の髪は社交界でも注目の的であり、父親譲りの吊り気味の琥珀色の瞳は自信に溢れた様子を表している。
二十歳の若さと、その家柄ゆえの傲慢さが態度に滲み出ているのが私の印象だ。
「あら、セシーリア。今日も朝早くからご苦労様ね」
「貴方が今日もアロルドを呼び出して騒いでいるから、眠れなかっただけよ」
「ふふ、それは悪い事をしたわね。でもアロルドと早く会いたい気持ちが昂ったのよ。許してちょうだい」
毎日、毎日、勘弁してほしいものだ。
アロルドを連れ出すローザのせいで、伯爵家の執務は私が行う事が常になっている。
一応……これも妻の役割でもあり、領主業自体はむしろ喜々としてやりたいぐらいなので問題はない。
でも寝不足の原因がこの女であるのは不満だ。
「朝からごめんなさいね。でも私は家柄に恵まれて、アロルドにも真に愛されているから……書面上だけの関係である貴方に文句は言えないわよね」
公爵家の地位があるというのも面倒だ。
おかげでこんな朝早くの応対に使用人たちに手間をかけさせてもいる。
また特別手当を出してあげないと。
「時間だけは考えていただけると助かるわ」
「うふふ、優しいのねセシーリア。なんだか嬉しい! お姉様って呼んでもいいかしら? もう長い付き合いなのだからそう呼んでもいいわよね?」
「勘弁して」
「そう言わないで、お姉様? アロルドをあと少しだけお願いね?」
癇に障るような、挑発するような物言いは牽制のつもりだろう。
同性として私を警戒しつつも余裕を見せつけたいのだ。
まぁ、間違っても彼に恋情を抱く事はないが。
「ローザ、来ていたのか?」
そう言っている間に、ガウンを着こんだアロルドがやってくる。
すっ飛んでいくローザは彼に抱き着いた。
「アロルド、会いたかったわ」
「俺もだよ」
ローザを抱き返して、熱い接吻をする二人。
朝から見せられるこちらの身にもなってほしい……
とはいえ、これでローザが騒ぐのも終わるだろうから部屋に戻ろう。
「起こしてごめんなさいね、お姉様? でも……もうすぐこの家も私と彼の暮らす場所になるから、荷物ぐらいはまとめておいてね」
「ローザ、あまり言いすぎるな。ほら……行こう?」
「でもお姉様があまりにも可哀想だから。三年間も愛された自覚もないなんて、女性として……ね? 私ってもしかして嫉妬されてるかな? 嫉妬しないでよ、お姉様?」
嫉妬なんてするはずがない。
だが明らかに小ばかにするような態度、物言いにただ黙って過ごすのもいい加減うんざりだ。
あと一カ月の我慢でいい、それで私もこの家を出られる。
和解金は支払われて、その三割を私が得る事は父も承諾済み。
三年程度で自由に暮らす事が出来るなら、もうそれでいい。
「とはいえ、この数カ月でローザもなにを焦っているのかしら」
私が朝食を食べ、執務のために部屋に戻れば近くの部屋から情事の乱れた声が聞こえてくる。
わざわざローザが執務室に近い部屋で愛し合うのを望んだのだろう。
「私にアロルドは渡さないという行動なのだろうけど……どうして急に」
分かりやすいアピールに辟易しつつ、今日も執務をこなす。
実はこれらの仕事は好きだったりする。
元より領主業とは責任が重いものだが、結果が出れば分かりやすく数字に表れる。
領民からの悩み、不安を聞き、改善していく事が出来た時は達成感にも満たされるものだ。
それに……領地運営のために各地に出向けるのは私にとってある得があり––––
「~っ!」
とはいえ、それらは時たま聞こえてくる情事の声が無ければの話だが……
集中している際の雑音ほどに耳障りなものはない。
「はぁ」
あと少し、あと一か月だけだ。
そう……言い聞かせてきたのに……
◇◇◇
そして今、貴方はやり直したいと言うのだ。
「頼む、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ!」
その夜、ローザが帰路に就いた後にアロルドは私を呼び出した。
なにかと思えば、突然頭を下げてふざけた事をのたまう。
「なにを言っているのですか、突然……」
「言葉通りに受け取ってほしい。俺は君との白い結婚の合意を破棄したい。正式な婚姻関係を続けたい」
「はぁ?」
冗談であっても腹立たしい。
なのにアロルドはその蒼い眼差しを、真剣だと訴えるようにまっすぐ向ける。
「公爵家は俺から説得しよう。その伝手も、手段も用意している」
「アロルド、ふざけないで……すでに合意済みの話を反故できないわ」
「だが、だがそれでも俺はしかるべき対応をとって……三年前にすべきだった贖罪を果たし、君と関係を築いていきたいんだ」
「どういうことなのその心変わりは。ふざけないで」
「聞いてくれ、俺は……この三年間で、君の事を女性として好ましいと思っている」
は?
はぁぁ?
「私は一切の恋情はないので必要ないです」
「っ! セシーリア。頼む、この気持ちは本当なんだ。君との別れが、今はこんなにも苦しい……」
なにを言い出すんだ、この男は……
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