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人界編
雪の日の裏:side.亘
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日向の次期当主から声がかかったのは、日暮れすぐの事だった。
とある地域で異常現象とも言える、この時期には有り得ない大雪が降り出したのだ。
人界の常識に当てはまらないことが起こった場合、裏に鬼や妖がいる場合が多い。
武官数名が偵察に向かう事になり、俄に里がざわつき始める。
通常、結界の綻びでない限り、守り手の護衛役が動くことはない。守り手と共に動くのが常だ。
しかし、その日はいつもと違った。
今の主である奏太の父御から本家に連絡が入り、まさに異常現象が起こっている地へ、昼間に奏太が向かった事が発覚したからだ。
妙な事に巻き込まれていないとも限らない。念の為、奏太の様子を見てこい、というのが次期当主の命だった。
「出掛けているとは聞いていたが、まさか的を射るように異常が起こった日に異常が起こった地へ行くとは。奏太様は何か良くないものにでも取り憑かれているのではないか? 疫病神とか」
雪の降り出した地域へ向かいながら、亘はそう声に出す。
出掛ける度に、妙なことに巻き込まれるのは不憫ではあるが、ここまで偶然が重なると、もはや感心してしまう程だ。
背にとまる汐は、亘の言葉に困ったような声で応じる。
「呑気な事を言っている場合じゃないでしょう。ご無事でいらっしゃれば良いけれど」
「ああ見えて意外に肝は座っているし、いざという時には御自身で動けるようになられている。急ぐに越したことはないが、きっと大丈夫だろう」
「……御自身で動けるようになったからこそ、平気でご無理をなさるのが心配なの。妖界の戦へ飛び込んで行こうとされた様に」
汐の言葉に、亘は否定も肯定もできず唸り声をあげた。
汐の怒りを再燃させる事になりかねないので言わないが、確かに妖界での戦の際、奏太は感情や思いつきで予期せぬ行動を起こす部分がやたらと目についた。あの戦で、何度肝を冷やしたことか。
それに、例の友人達と共に行ったと聞いたが、何かを守ろうとする意識が働いたときが厄介だ。白月を救おうと、捨て身で刀を持つ敵の前に飛び出したのは、忘れたくても忘れられない。
「……まあ、急ぐに越した事はないな……」
亘は先程よりも実感のこもった声でそう繰り返した。
しばらく飛ぶと、次第に暗い雲が立ち込め始め、チラチラ雪が舞う付近に差し掛かる。つい先程まで暖かく晴れていた空からチラチラ雪が降ってくるのは、確かに異常だ。
しかも、進むに連れ次第に雪の粒は大きさを増していく。
「視界が悪くなる前に見つけてしまいたいが……」
そう呟きながら周囲を見渡した時だった。山々が広がる眼下。少し先で、見覚えのある鳶が、何かを背に乗せて下降していくのが目に入った。
「あれは、喬《きょう》か?」
「そのようね。偵察で遣わされたのだと思うけど、でも、背に乗っているのは……」
亘は落下していく喬に目を凝らす。偵察で来る場合、身軽さが失われるため、飛べぬ者を乗せて来ることは殆ど無い。
では、一体何を……そう思ったところで、背に乗る何かが向きを変え、亘はその者の姿をはっきり捉えた。
赤黒い肌、筋肉のついたしっかりした体つき、頭に生えた一本の角。
「鬼だ!」
亘は声を上げた。
しかも、ただ乗せて下降しているのではない。覆い被さられる様に翼を取られて落下しているのだ。
このままでは、地面に叩きつけられる。
「汐、先に奏太様の元へいけ! あとで追いかける!」
亘はそう言うと、汐の返事も待たずに直滑降で喬の元へ向かう。
翼をとる鬼を喬から引き剥がすことが先決だ。
フラフラと落ちていく鳶を、加速度的に下降し追いかけ、グングン鬼の背に迫る。
―――あと少し。
木々のてっぺんに差し掛かる直前、亘は何とか鬼の背を掴んだ。
しかし鬼を引き剥がすまでにはいたらず、翼をバサリと羽ばたかせて落下の勢いを僅かに殺すことしかできない。三つ巴の状態でガサガサガサっと音を立てて木の枝を折りながら地面に落下した。
亘は人の姿に瞬時に代わり、鬼の背を掴んだまま地面に押し付け、動きを封じた。
「喬! 無事か!?」
しかし喬は、妙な方向に曲がった翼を地面につけて伏し、首の辺りから血を大量に流したまま動かない。
亘の下にいる鬼の口から血が滴っているところを見るに、首元に食いつかれたのだろう。しかし、鬼に翼がある訳でもないのに、何故上空で襲われるような事になったのか。
喬の様子は気にかかるものの、亘はひとまず鬼を始末するために鷲爪を振り上げる。そして鬼の首に向け容赦なくそれを振り下ろした。
想像以上に硬い皮膚を突き破り、血が飛び散る。更に爪を押し込み横に引き裂くと、何とか亘の抑えを振り払おうとしていた抵抗が途切れた。
亘はホッと息を吐き、喬の安否を確かめようと目を向ける。
その時だった。背中に強烈な痛みが走ったのだ。
自分が鬼に向かって攻撃を仕掛けたはずが、まるで自分の鉤爪をそのまま背に突き立てられ一直線に切り裂かれたような痛みに、思わず呻き声が漏れる。
同時に鬼を捕らえていた手が緩み、状況を理解できぬまま体がぐらりと揺れる。降りしきる雪で濡れた地面に体が落ちたとき、ようやく自分の背を切り裂いた者の姿が映り理解した。
そこには、つい先程始末したばかりの者と似た風体のもう一体の鬼が、冷え冷えとした目でこちらを見下ろしていた。
つまり、何処からか迷い込んで来ていた鬼は、一体ではなく二体いたということだ。
自分の油断が招いた自体に、亘はギリと奥歯を噛む。
背が痛むだなどと言っていられない。亘は、パッと手を振り、サアっと現れた刀を握る。素早く体を起こし体制を整え、鋭い爪を血で染める鬼と向き合あうと、不意に背後から、
「……もう、終わりだ……」
と呟くような震え声が聞こえた。
鬼から目をできるだけ離さないようにしながら声の主の方向に意識を向けると、蹲り震える男が視界の端に映った。チラと見えたその姿と声音に、亘は心当たりがあった。それは、喬と同様、里の武官―――
「樹《いつき》、一体何があった!?」
亘はその男の名を呼ぶ。しかし樹は戦意を失い、震えて蹲ったままブツブツと何事かを呟いているだけで、返事をしようとしない。
「……何故急に暴れ出したのだ……先程までは順調だったのに……もう、終わりだ。俺も殺される。鬼に殺されずとも、逃げ帰れば玉雲《たまぐも》様に……」
……急に暴れ出した? それに、玉雲とは……
樹の呟きに、亘は引っ掛かりを覚える。
しかし、今はそれどころではない。鬼はこちらをじっと見て亘の隙を狙っているのだ。
焼けつくような背中の痛みに脂汗がでるし、寒さのせいでいつもより僅かに動きが鈍くなっている。それに、いつの間にか大粒に変わった雪で視界が悪い。
それでも、ここで退けば、ここに居る誰かは必ず犠牲になる。
「樹! しっかりしろ!」
亘は無理やり喉を押し広げ、声を張り上げた。
樹が戦えるようになれば二対一。樹だってそれ程弱い訳では無い。手負いの亘一人で戦うよりも、この場を容易に切り抜けられるはずだ。
しかし、樹は亘の呼びかけに首を横に振るう。
「無駄だ。俺達は失敗したんだ。何れにせよ、殺される!」
樹の言う失敗が何に対するものなのか、亘にはわからない。ただ、喚き震えるだけの樹を頼りにすることが出来ないということだけはわかった。
苦い思いが込み上げるが、使い物にならないような者を当てにする方が危険だ。思考を切り替えて一人で鬼を抑える方法を見出した方が良い。
亘は樹を思考から切り離し、鬼の出方を探る。すると、目の前の鬼が舌舐めずりをしてニタリと笑った。
―――来る。
亘は反射的に刀を構え迎え撃つ態勢をとる。直後、鬼はダンと一歩を踏み出し瞬時に亘との間合いを詰めた。
相手の武器は、鬼自身の鋭い爪と牙だ。鬼はギラリと光る牙を見せつけながら、素手で刀を抑えようと両手を突き出す。
先程の鬼の皮膚の硬さを思えば、刀で斬りつけるのは容易ではない。亘はそれを刀の背で受け流し、そのまま突っ込んできた鬼に体当たりして態勢を崩した。
ドっと鬼の体が地面に落ちる。しかし鬼は器用に受け身を取って地面でくるりと回り、こちらに攻撃を仕掛けられる態勢で再び亘に向き合った。
ただ、亘がその隙を見逃す訳がない。その時には既に間合いを詰め、鬼の頭上で刀を振り上げていた。更にそのまま、その切っ先を鬼に向かって思い切り振り下ろす。
が、それに気づいた鬼の反応の方が早かった。
鬼は再びくるりと地面を転がり、亘の刃を間一髪で躱す。
空振った切っ先が虚しく地面に突き刺さった。
その途端、ズキっと背中に痛みが走った。常であれば、亘が鬼一体に隙を見せる様な事はない。しかし、不意打ちで食らった初撃が思いの外効いていたのだろう。
足元がほんの僅かに揺れ、グラッと重心が動く。
鬼はその隙を逃すまいと、低姿勢からそのまま亘の体の下に潜り込んだ。
鬼がその爪をキラと光らせながら下から上へ突き上げようとするのが目に入る。
亘はグッと踏ん張り鬼の爪を刀身で受け止めようと水平にかざした。
しかし、揺れた体を立て直そうとした、そのほんの一瞬のせいで攻撃を加えようとする鬼への反応が遅れた。
かざした刃を擦るように、小さくカッという音が聞こえたものの、鬼の爪は止まることなく亘の胸にブスリと深く突き刺さる。
ゴフっと何かが喉から口にせり上がってくるのを亘はグッと堪える。
相手が攻撃を加えた瞬間にできる隙が、こちら側の攻撃チャンスになることを亘は知っていたからだ。
ツウと口元から血が滴るのも無視して、亘は自分の胸に深く突き刺さる爪と手をググっと片手で掴むと、もう片方で持っていた刀をパッと消し、その手を鷲爪に変える。
その動作はほんの一瞬。
素早く肘を引くと、爪を取られて動きがほんの僅かに鈍った鬼の喉に向けて思い切り突き出した。
鬼の喉笛に亘の爪が突き刺さると、そこから鮮血が溢れ出す。亘はそれをものともせず、無慈悲にその喉を横に掻っ切った。
鬼の体が、持ち主を失った抜け殻のようにぐらりと揺れる。
崩れ落ちる鬼の姿を確認しながら、亘は奥歯を噛みしめ未だ胸元に突き刺さったままの鬼の爪を引き抜いた。その途端、堰き止められていた血がドっと体外に流れ出す。
それと共に、フラリと視界が揺れる。足元が覚束なくなり、トトっと千鳥足のように数歩後ろに下がる。背に向かって倒れそうになる体を支えようと堪えると、逆にグラッと体が前に揺れ、そのまま亘は地面に膝をついた。更にその勢いで、上半身までもが地面に倒れる。
頬が冷たく濡れた地面につくと、無惨にも鬼に首を切り裂かれた同胞の姿が目に入った。
……喬は、駄目か。
樹はどうなっただろうか。それに、亘はまだ奏太の無事を確かめられていない。汐は奏太を見つけられただろうか。
しかし、亘にはもう、それを確かめる力も残っていない。
「……ああ……クソ……」
そう、小さく悪態をつく。
まぶたが重い。目がかすむ。もう指先一つ動かすこともできない。
冷たい雪が自分の上に容赦なく降り注ぐ中で、亘は眠るようにその意識を手放した。
とある地域で異常現象とも言える、この時期には有り得ない大雪が降り出したのだ。
人界の常識に当てはまらないことが起こった場合、裏に鬼や妖がいる場合が多い。
武官数名が偵察に向かう事になり、俄に里がざわつき始める。
通常、結界の綻びでない限り、守り手の護衛役が動くことはない。守り手と共に動くのが常だ。
しかし、その日はいつもと違った。
今の主である奏太の父御から本家に連絡が入り、まさに異常現象が起こっている地へ、昼間に奏太が向かった事が発覚したからだ。
妙な事に巻き込まれていないとも限らない。念の為、奏太の様子を見てこい、というのが次期当主の命だった。
「出掛けているとは聞いていたが、まさか的を射るように異常が起こった日に異常が起こった地へ行くとは。奏太様は何か良くないものにでも取り憑かれているのではないか? 疫病神とか」
雪の降り出した地域へ向かいながら、亘はそう声に出す。
出掛ける度に、妙なことに巻き込まれるのは不憫ではあるが、ここまで偶然が重なると、もはや感心してしまう程だ。
背にとまる汐は、亘の言葉に困ったような声で応じる。
「呑気な事を言っている場合じゃないでしょう。ご無事でいらっしゃれば良いけれど」
「ああ見えて意外に肝は座っているし、いざという時には御自身で動けるようになられている。急ぐに越したことはないが、きっと大丈夫だろう」
「……御自身で動けるようになったからこそ、平気でご無理をなさるのが心配なの。妖界の戦へ飛び込んで行こうとされた様に」
汐の言葉に、亘は否定も肯定もできず唸り声をあげた。
汐の怒りを再燃させる事になりかねないので言わないが、確かに妖界での戦の際、奏太は感情や思いつきで予期せぬ行動を起こす部分がやたらと目についた。あの戦で、何度肝を冷やしたことか。
それに、例の友人達と共に行ったと聞いたが、何かを守ろうとする意識が働いたときが厄介だ。白月を救おうと、捨て身で刀を持つ敵の前に飛び出したのは、忘れたくても忘れられない。
「……まあ、急ぐに越した事はないな……」
亘は先程よりも実感のこもった声でそう繰り返した。
しばらく飛ぶと、次第に暗い雲が立ち込め始め、チラチラ雪が舞う付近に差し掛かる。つい先程まで暖かく晴れていた空からチラチラ雪が降ってくるのは、確かに異常だ。
しかも、進むに連れ次第に雪の粒は大きさを増していく。
「視界が悪くなる前に見つけてしまいたいが……」
そう呟きながら周囲を見渡した時だった。山々が広がる眼下。少し先で、見覚えのある鳶が、何かを背に乗せて下降していくのが目に入った。
「あれは、喬《きょう》か?」
「そのようね。偵察で遣わされたのだと思うけど、でも、背に乗っているのは……」
亘は落下していく喬に目を凝らす。偵察で来る場合、身軽さが失われるため、飛べぬ者を乗せて来ることは殆ど無い。
では、一体何を……そう思ったところで、背に乗る何かが向きを変え、亘はその者の姿をはっきり捉えた。
赤黒い肌、筋肉のついたしっかりした体つき、頭に生えた一本の角。
「鬼だ!」
亘は声を上げた。
しかも、ただ乗せて下降しているのではない。覆い被さられる様に翼を取られて落下しているのだ。
このままでは、地面に叩きつけられる。
「汐、先に奏太様の元へいけ! あとで追いかける!」
亘はそう言うと、汐の返事も待たずに直滑降で喬の元へ向かう。
翼をとる鬼を喬から引き剥がすことが先決だ。
フラフラと落ちていく鳶を、加速度的に下降し追いかけ、グングン鬼の背に迫る。
―――あと少し。
木々のてっぺんに差し掛かる直前、亘は何とか鬼の背を掴んだ。
しかし鬼を引き剥がすまでにはいたらず、翼をバサリと羽ばたかせて落下の勢いを僅かに殺すことしかできない。三つ巴の状態でガサガサガサっと音を立てて木の枝を折りながら地面に落下した。
亘は人の姿に瞬時に代わり、鬼の背を掴んだまま地面に押し付け、動きを封じた。
「喬! 無事か!?」
しかし喬は、妙な方向に曲がった翼を地面につけて伏し、首の辺りから血を大量に流したまま動かない。
亘の下にいる鬼の口から血が滴っているところを見るに、首元に食いつかれたのだろう。しかし、鬼に翼がある訳でもないのに、何故上空で襲われるような事になったのか。
喬の様子は気にかかるものの、亘はひとまず鬼を始末するために鷲爪を振り上げる。そして鬼の首に向け容赦なくそれを振り下ろした。
想像以上に硬い皮膚を突き破り、血が飛び散る。更に爪を押し込み横に引き裂くと、何とか亘の抑えを振り払おうとしていた抵抗が途切れた。
亘はホッと息を吐き、喬の安否を確かめようと目を向ける。
その時だった。背中に強烈な痛みが走ったのだ。
自分が鬼に向かって攻撃を仕掛けたはずが、まるで自分の鉤爪をそのまま背に突き立てられ一直線に切り裂かれたような痛みに、思わず呻き声が漏れる。
同時に鬼を捕らえていた手が緩み、状況を理解できぬまま体がぐらりと揺れる。降りしきる雪で濡れた地面に体が落ちたとき、ようやく自分の背を切り裂いた者の姿が映り理解した。
そこには、つい先程始末したばかりの者と似た風体のもう一体の鬼が、冷え冷えとした目でこちらを見下ろしていた。
つまり、何処からか迷い込んで来ていた鬼は、一体ではなく二体いたということだ。
自分の油断が招いた自体に、亘はギリと奥歯を噛む。
背が痛むだなどと言っていられない。亘は、パッと手を振り、サアっと現れた刀を握る。素早く体を起こし体制を整え、鋭い爪を血で染める鬼と向き合あうと、不意に背後から、
「……もう、終わりだ……」
と呟くような震え声が聞こえた。
鬼から目をできるだけ離さないようにしながら声の主の方向に意識を向けると、蹲り震える男が視界の端に映った。チラと見えたその姿と声音に、亘は心当たりがあった。それは、喬と同様、里の武官―――
「樹《いつき》、一体何があった!?」
亘はその男の名を呼ぶ。しかし樹は戦意を失い、震えて蹲ったままブツブツと何事かを呟いているだけで、返事をしようとしない。
「……何故急に暴れ出したのだ……先程までは順調だったのに……もう、終わりだ。俺も殺される。鬼に殺されずとも、逃げ帰れば玉雲《たまぐも》様に……」
……急に暴れ出した? それに、玉雲とは……
樹の呟きに、亘は引っ掛かりを覚える。
しかし、今はそれどころではない。鬼はこちらをじっと見て亘の隙を狙っているのだ。
焼けつくような背中の痛みに脂汗がでるし、寒さのせいでいつもより僅かに動きが鈍くなっている。それに、いつの間にか大粒に変わった雪で視界が悪い。
それでも、ここで退けば、ここに居る誰かは必ず犠牲になる。
「樹! しっかりしろ!」
亘は無理やり喉を押し広げ、声を張り上げた。
樹が戦えるようになれば二対一。樹だってそれ程弱い訳では無い。手負いの亘一人で戦うよりも、この場を容易に切り抜けられるはずだ。
しかし、樹は亘の呼びかけに首を横に振るう。
「無駄だ。俺達は失敗したんだ。何れにせよ、殺される!」
樹の言う失敗が何に対するものなのか、亘にはわからない。ただ、喚き震えるだけの樹を頼りにすることが出来ないということだけはわかった。
苦い思いが込み上げるが、使い物にならないような者を当てにする方が危険だ。思考を切り替えて一人で鬼を抑える方法を見出した方が良い。
亘は樹を思考から切り離し、鬼の出方を探る。すると、目の前の鬼が舌舐めずりをしてニタリと笑った。
―――来る。
亘は反射的に刀を構え迎え撃つ態勢をとる。直後、鬼はダンと一歩を踏み出し瞬時に亘との間合いを詰めた。
相手の武器は、鬼自身の鋭い爪と牙だ。鬼はギラリと光る牙を見せつけながら、素手で刀を抑えようと両手を突き出す。
先程の鬼の皮膚の硬さを思えば、刀で斬りつけるのは容易ではない。亘はそれを刀の背で受け流し、そのまま突っ込んできた鬼に体当たりして態勢を崩した。
ドっと鬼の体が地面に落ちる。しかし鬼は器用に受け身を取って地面でくるりと回り、こちらに攻撃を仕掛けられる態勢で再び亘に向き合った。
ただ、亘がその隙を見逃す訳がない。その時には既に間合いを詰め、鬼の頭上で刀を振り上げていた。更にそのまま、その切っ先を鬼に向かって思い切り振り下ろす。
が、それに気づいた鬼の反応の方が早かった。
鬼は再びくるりと地面を転がり、亘の刃を間一髪で躱す。
空振った切っ先が虚しく地面に突き刺さった。
その途端、ズキっと背中に痛みが走った。常であれば、亘が鬼一体に隙を見せる様な事はない。しかし、不意打ちで食らった初撃が思いの外効いていたのだろう。
足元がほんの僅かに揺れ、グラッと重心が動く。
鬼はその隙を逃すまいと、低姿勢からそのまま亘の体の下に潜り込んだ。
鬼がその爪をキラと光らせながら下から上へ突き上げようとするのが目に入る。
亘はグッと踏ん張り鬼の爪を刀身で受け止めようと水平にかざした。
しかし、揺れた体を立て直そうとした、そのほんの一瞬のせいで攻撃を加えようとする鬼への反応が遅れた。
かざした刃を擦るように、小さくカッという音が聞こえたものの、鬼の爪は止まることなく亘の胸にブスリと深く突き刺さる。
ゴフっと何かが喉から口にせり上がってくるのを亘はグッと堪える。
相手が攻撃を加えた瞬間にできる隙が、こちら側の攻撃チャンスになることを亘は知っていたからだ。
ツウと口元から血が滴るのも無視して、亘は自分の胸に深く突き刺さる爪と手をググっと片手で掴むと、もう片方で持っていた刀をパッと消し、その手を鷲爪に変える。
その動作はほんの一瞬。
素早く肘を引くと、爪を取られて動きがほんの僅かに鈍った鬼の喉に向けて思い切り突き出した。
鬼の喉笛に亘の爪が突き刺さると、そこから鮮血が溢れ出す。亘はそれをものともせず、無慈悲にその喉を横に掻っ切った。
鬼の体が、持ち主を失った抜け殻のようにぐらりと揺れる。
崩れ落ちる鬼の姿を確認しながら、亘は奥歯を噛みしめ未だ胸元に突き刺さったままの鬼の爪を引き抜いた。その途端、堰き止められていた血がドっと体外に流れ出す。
それと共に、フラリと視界が揺れる。足元が覚束なくなり、トトっと千鳥足のように数歩後ろに下がる。背に向かって倒れそうになる体を支えようと堪えると、逆にグラッと体が前に揺れ、そのまま亘は地面に膝をついた。更にその勢いで、上半身までもが地面に倒れる。
頬が冷たく濡れた地面につくと、無惨にも鬼に首を切り裂かれた同胞の姿が目に入った。
……喬は、駄目か。
樹はどうなっただろうか。それに、亘はまだ奏太の無事を確かめられていない。汐は奏太を見つけられただろうか。
しかし、亘にはもう、それを確かめる力も残っていない。
「……ああ……クソ……」
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