【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~

御崎菟翔

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妖界編

閑話 ― side.翠雨 : 戦のあと―

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 白月を救い出し人界の者達を温泉地から送り出したその日、羊が住む小屋から少し離れた場所にある、岩壁の窪みを利用したもう一つの小屋の周囲に天幕が張られ、しばらく白月が療養するための場所として整えられた。

 山羊七の家は狭い上に、鬼の住まいになど、と強硬な反対意見が上がったため、この場所を白月が指定したのだ。

 周囲に天幕を張ったのは、その小屋が、白月が妖界に来たばかりの頃に白月自身が手作りした家だったため、あちこちに隙間があく粗末な作りだったからだ。
 竹を地面に突き刺し立てかけただけの壁や扉、半分に割っただけの竹を並べた床、囲炉裏とも言い難い焚き火のあと。

 この様な場所に白月様を……と眉を顰めるような者もいたが、翠雨はその小屋を、懐かしく思いながら眺めていた。

 自分が何者かも知らぬまま、元いた場所の記憶もなかったあの頃、それでも白月は前向きに、無邪気に、この温泉を見つけたことを喜び、ここに住むのだと意気込んでいた。

「見てみて!私とカミちゃんの家だよ!」

 完成とは言い難い、これが家かと思うような作りの小屋を前に、白月は自慢げにそう言った。
 この様な場所に住むつもりかと、自分もまた、表情の出ない紙人形の姿で眉を顰めたのを思い出し、翠雨は苦笑する。


 白月との旅は、貴族家の者として自由を制限された生活を送っていた翠雨にとって、目に映る全てのものが色鮮やかに見え、とにかく新鮮で驚きに満ちたものだった。

 自分を相棒と呼んでくれる白月との時間は心地よく、自分に課された役目を忘れる程に楽しいものであった。本来の自分のままに過ごせたのは、喋れぬ紙人形だった故だろうが、自分はこんなにも自由になれるのかと、何度もそう思ったものだ。

 白月を帝位に就かせ、窮屈な生活を強い、自分もまた、立場を弁え白月と一定の距離を置く。
 宮中で白月に会うたびに、何とも味気無く色褪せた生活になってしまったものだと、いつもそう思っていた。

 その肩に乗り、共にこの世を見て回った時のような鮮やかさは失われ、またあの時のように旅が出来たらと思ってしまう。

 ただ、その退屈な日常でさえ、翠雨にとってはあまりに貴重な日々だったのだということを、白月を失って、まざまざと思い知らされることとなった。


 京を焼かれ、そこへ戻るという白月を、翠雨はどうしても引き止めたかった。絶対に手放してはならぬという思いが、心のなかに押し寄せた。

 その手を離せば、二度と白月が戻ってくることはない。あの時、翠雨は白月の表情を見て、そう悟った。

 しかし、白月は、陽の気を込めた手で翠雨の手首を握り、自からその手を離させた。

 その瞬間、翠雨の周囲から、一切の色が消え失せた。色褪せたと思っていたその淡い色さえも、全てが黒く塗りつぶされてしまった。
 もう、戻って来ぬのだと。側にいることすら叶わぬのかと。絶望が押し寄せた。

 陽の気と陰の気を併せ持つ者を帝と仰ぎ仕えるのは世のためなのだと、翠雨はそう思いこんでいた。しかし、ある意味、自分自身にそう言い聞かせていただけなのかもしれない。
 それは、帝を僭称する兄を敵と見定めて戦に臨んだあの時に、危険とわかっていても白月を戦場に向かわせねばならなかった、自分への言い訳だったのかもしれない。

 白月を失った今頃になって、彼女に仕えるのはそれ以上に自分の為であったのだと、そう思い知ったのだ。

 自分は白月をこんなにも心の拠り所にしていたのかと、こんなにも白月に心を寄せていたのかと、目の前から白月が消えて、初めて気づいた。
 そして気づいた時には、白月はもう手の届かぬ所へ行ってしまっていた。

 人界の者の協力を得て、再び白月は翠雨の手の届く場所に戻ってきた。
 それが、どれほど幸福なことか。翠雨は、ボロボロの小屋を眺めて、それを噛み締めた。


 夜半頃、何となく眠れずに、白月の小屋のある天幕に足が向く。
 紅翅に外出禁止を言い渡された璃耀はともかく、どうせ、白月を守る女性陣に追い返されるのが関の山なのだが、それでも、白月がそこに居るのだということを確認したかった。

 天幕の外を守る近衛が翠雨に頭を下げるのを横目に、

「入るぞ。」

と声をかけて中に入る。
 すると、紅翅、凪、桔梗が困ったような表情で、白月のいる小屋の扉を見つめていた。

「どうした。」
「……白月様が、どうも眠れぬようなのです。」

 凪が心配を滲ませる声音で翠雨に答える。

「あれ程のお怪我を負ったのです。しっかり体を休めて頂かなくてはならぬのに……」
「いろいろあったのだ、そういうこともあろう。よく眠れるよう、薬をご用意すれば良かろう。」

 翠雨が言うと、凪は眉尻を下げる。

「それが、そのようにしようと紅翅殿をお呼びしたのですが、薬は不要だと仰って……」
「診察だけでもさせていただこうとしたのですが、中にも入れて下さらず、どうしたものかと思っていたのです。」

 紅翅も困ったようにそう言った。
 翠雨は訝しげに片方の眉を下げる。それから、小屋の扉の前に進み、

「白月様。」

と静かに声をかけた。すると、

「……全部聞こえてるよ、カミちゃん。」

という、半分呆れたような声が中から返ってくる。

「ならば、薬をお飲みください。御身体を休めねばならぬのはお分かりでしょう。」

 翠雨がため息をつきつつそう言うと、白月からクスっと笑う声が聞こえてきた。

「まるで璃耀みたいな言い方だね。」
「あれと一緒にしないでください。」

 ムッとして言い返すと、白月からは更に笑いが返ってくる。

「……中に入っても?」
「……出来たら、一人にしてもらいたいんだけど……」
「前回、白月様が一人にしてほしいと仰った時には大変だったのだと、璃耀が零していましたよ。」
「へえ。二人でそんな話もするんだ。喧嘩ばっかりかと思ってた。」
「璃耀が話そうとしないので、命じて無理矢理話させたのです。」

 そこまで言うと、翠雨はもう一度、ハアと息を吐く。
 多分、このままでは永遠に中に入れて貰えないだろう。

「紅翅、薬を。」

 そう言って手を差し出すと、紅翅は手に持っていた小さな小瓶を翠雨に渡す。
 翠雨はそれを、白月のいる小屋の扉の隙間から中へ突っ込んだ。

「飲まないったら。」

 白月はそう言うが、翠雨はお構いなしだ。
 さらに、懐から紙人形を取り出すと、掌からぽたりと水滴を垂らして紙人形の姿に乗り移る。

 それから、小瓶と同様に、自分の体も扉の隙間からするりと滑り込ませた。

 背後から、

「翠雨様!」

と咎めるような女性陣の声が聞こえてくる。

 誰も中に入れてもらえず薬を飲ませることもできずに困っていたくせに、翠雨が薬を中に運び込むのを咎めるとは、いったいどういうことか。

 翠雨は引き留めようとする者たちを無視して中に入ると、紙人形のまま、先程の薬の瓶を白月の方に転がした。

「一人にしてって言ったのに……」

 焚き火跡の側にある粗末な座椅子の上で、白月は膝を抱えながら仕方の無さそうな顔をする。

 それでも、白月は翠雨を邪険に追い払ったりはしない。いや、“翠雨“ のままならそうしたかもしれないが、“紙太” だからこそ、そこに居ることが許されるのだろう。
 かつての相棒であった紙人形の姿だからこそ。

 翠雨はそのまま、竹で凸凹した床を、コトンコトンと音を立てながら瓶を押していき、グイグイと白月に押し付ける。

 すると、白月はハアと息を小さく吐いて瓶を持ち上げて、翠雨とは逆の方向に瓶をコトリと置いた。

 想定と違う行動に白月を見上げると、白月は困ったような顔をしたあと、小さく、

「……寝るのが怖いの。」

と、呟いた。

「……寝て起きたら、全部なくなってるんじゃないかって、それが怖いの……記憶がなくなって、皆がいなかったらどうしようって……
 きっと、そんなことないんだけど、死にかけて、泣きそうな亘の顔を見たら、結として死んだ時の事を思い出しちゃって……
 亘にはああ言ったけど、全てを失って、目が覚めたら何も知らない場所に記憶もなく放り出されてたことが、今になって、心底怖くなったの……
 もし同じことが起きたら……皆との事を忘れて、また一人ぼっちになったらって……
 少なくとも、識は、薬と遼を使ってそうさせるつもりだったみたいだし……」

 ……薬。
 白月が薬を飲みたがらない理由の一つがそれか。寝るのも怖い、薬を飲むのも怖い。だから、薬を飲ませ寝かせようとする紅翅達を遠ざけるのか。

 そう思っていると、

「……それに……」

と白月が続ける。

 しかし、白月はそこまで言うと、言うかどうか躊躇うように言葉を切った。
 先を促そうと、トントンと白月の足を叩く。すると、白月は眉尻を下げて翠雨を見た。

「……一人くらい、遼の死を悼んであげないと、可哀想でしょ。」

 その瞳には、少なからず悲しみが浮かんでいるように見えた。

 恐らく、妖界の者たちにも戦に加わった人界の者たちにも、遼の死を悼むものはいない。
 一方的に奪われたのだ。翠雨自身も、きっとあの者を赦す日は生涯訪れないだろう。死んでホッとした気持ちが大半。残りも憎しみと憤りが占めている。
 白月もそうだと思っていた。あのような目にあったのは、遼と識のせいだ。白月もまた、奪われ傷つけられた。
 だから、白月がそんな顔をするとは思いもしなかった。

 じっと白月の顔を見上げていると、白月は苦笑する。

「ごめん。カミちゃん達に言うべきことじゃないとは思ったんだけど……カミちゃんがその姿だと、ついつい余計な事まで喋っちゃうんだよねぇ……」

 翠雨も、紙人形の姿の自分と二人でいるときは、普段より白月が饒舌になることを知っている。いや、饒舌というより、心情を吐露することが増えるのだ。

 それは、白月が璃耀にさえ見せない、唯一の部分だ。この時だけは、自分が白月の一番近くに居られる。そんな気さえしてくる。

 一緒に遼の死を悼むことは出来ない。それでも、自分が近くにいることで、白月の中にある悲しみを、少しは軽くすることができるだろうか……

 翠雨はぴょんと跳ねながら、白月の肩によじ登る。かつて定位置であったその場所に座ると、そっと白月の頬に触れた。

 白月の頬は、あの頃触れていたふわふわした毛並みではなく、するりとした絹のような肌だ。
 あの頃とは違う。
 でも、あの頃と変わらず、翠雨はこの方が愛おしくて堪らない。
 白月を一度失い、そのことに気づいてしまった。
 この方の中にある悲哀も含めて、自分が支えになりたいと心底思う。

 執拗に愛する者を取り戻そうとした遼という男の狂気も、失い後悔の涙を流した亘という者の悲しみも、翠雨には理解できてしまう。
 それだけ、この方を失いたくないと思ってしまっている。
 世のためではなく、自分のために。

 ただ、この方はきっと、誰のものにもならないのだろう。この方が背負う宿命故に。それが無性にもどかしい。

 翠雨は優しく触れていたその手に思い切り力を込め、白月の頬をぐりっと突いた。

「痛っ!急に何、カミちゃん!」

 声を上げる白月を無視して、翠雨はピョンと肩から飛び降りると、逆側に避けられていた薬の瓶を、もう一度白月の方に押しやった。

 目の下のくまや顔色を見るに、無理矢理にでも寝かせた方がいい。体も回復していないのに、このままでは、今以上に体を壊してしまうだろう。
 眠れば、少しは人界の柵からも逃れられるかもしれない。
 もう、失いたくないのだ。二度と。

 翠雨は、薬を受け取ろうとしない白月に、ピリっと片手を光らせて見せる。
 これは陽の気ではなく帯電だ。つまり、旅の途中に何度か白月達に試したように、陽の気の有無関係なく痛みを伴う。

 白月の表情がヒクッと引き攣ったのが見えた。

 その状態のまま、もう片方の手で、ポンポンと瓶を叩くと、白月はハァー、と深く息を吐いた。

「わかった。飲めばいいんでしょ。飲めば。その代わり、せめて私が寝るまでここに居て。それから、私が起きる前にここに来てよ。その姿で。初めて会ったあの時みたいに。」

 紅翅や凪がその場にいれば、目を剥いて反対しそうな言葉だ。
 実際、扉の向こうから、

「白月様!」

という鋭い声が響いてくる。

 でも、あの頃を思えば不思議なことではない。こうして、たった二人で旅を始めたのだから。

 翠雨が大きく頷くと、白月はようやく薬の瓶に口をつけた。




――――――――――――――――――――

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 これにて、閑話含め、妖界編は終了となります。

 ただ、「結界の守護者」は、舞台を人界に戻し、まだまだ続いていきます。

 1月開催のキャラ文芸大賞にエントリー中です。もしよろしければ、執筆の励みになりますので、応援いただけたら嬉しいです!

 引き続き、結界守護者、お楽しみいただけたら幸いです。
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