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第一章 愛と家族
14. 堕胎告知 The Abortion Annunciation
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――エレクトラの刃は振り下ろされた。だが父親の手によってそれは防がれた。エレクトラは目の前に立つ最愛の夫を見つめる。その、空色をしたサファイアの瞳を――。
◇◆◇
「オイディプス……。何をしている?危うくお前を傷つけてしまうところだったぞ。心からお前を愛しているおれの心じゃあお前の肌に傷1つつかないと分かっていても。いい気分じゃあない。
……だいじょうぶか?……怪我をしたのか……?」
慌てて憎悪を投げ捨て、夫に駆け寄る妻。
「ああ、ありがとう。エレクトラ。俺は怪我1つしていない。お前が自分を守るよりも先に、俺を愛の心で守ってくれたからな。でも、もう少し、自分のことを大事にしろ。俺より先に自分の身を案じてくれ。」
「何を言ってる。自分よりも大切なお前だから、守るんだ。自分を守ってお前に怪我でもされちゃあ、おれは一生自分を許せないだろう。おれの身体が2つに裂かれるよりも、お前にかすり傷1つでもつくほうが、おれには痛いんだ。おれのこころはいたむんだ。わかってくれ。」
「……あぁ、そうだな、そんなお前だからこそ、俺はお前を愛しているし、お前も俺を愛していると確信できる。」
「おいおい!オイディプスよ!そんな当たり前のことを言うな!もしお前が愛されてるか不安に思うんだったらおれが、お前の妻であるおれが、何千回だって叫んでやる!愛しているぞ……この世の何よりも。」
「ああ、痛いほど伝わってくるとも。でも俺だってお前を愛してるんだ。お前が傷つけば、お前の夫の胸はいとも容易く引き裂かれる。……このことをこころに刻んでくれ。」
「!……ふふっ、ああ、刻むとも。“お前の言葉”は全部、出会ってからずっと全部、このこころに刻まれていとも。」
エレクトラが愛おしそうに胸に手を当てる。
アイが言ったように、夫をよく守る妻と、妻を甲斐甲斐しく支える夫の、“理想の夫婦の姿”がそこにはあった。
ひまりは信じられなかった。この夫への慈愛に満ちた妻が、子どもを憎悪で殺そうとした母親と、同じ女だとは。
◇◆◇
「それにしても、どうした?オイディプス。なんでここへ来た。危ないから離れていろといったよな?」
「あぁ、お前の判断をできるだけ尊重しようとは思ったんだがな。気がついてないみたいだから、言いに来た。アイを見てみろ。」
「アイ……?」
エレクトラが存在を忘れていた息子の方へ眼をやると、アイの身体が変異しきっていた。人間体へと――。
「ちっ、こいつ。こいつのせいで全てが台無しだ。ご破算だ。おれたちがどれほど苦労してこの聖別の儀を設けたか、こいつには想像もできねぇんだろう!」
苛立たしげに吐き捨てる妻の手を握って、オイディプスは提案する。
「落ち着け……。まだやりようはある。アイは完全に人間体になってしまったが……。それも、アニマ・アニマに。」
その言葉を受けて、エレクトラがアイをよく見てみると、確かにアイの身体に女性の特徴が現れ始めていた。
「クソっ!」
「大丈夫だ。幸い儀式に参列しているのは両家の者だけだ。この結果を知る者は、春日家やつらと俺たちだけだ。つまり――。」
「コイツらの口さえ塞げば、どうとでもなるなぁ……!やっぱりお前は最高だぜぇ……愛してるぜぇオイディプスよ……!いや、最高じゃあなくたって愛してるんだがな!」
「そんな当たり前のことを言うな。」
ひまりは恐怖した、ミルヒシュトラーセ家の人間なら、不知火陽炎連合の末端なんて文字通り消してしまえるのだろう。しかし、真に恐ろしかったのはそんなことではなかった。囁くように愛し合う2人には、アイなど眼中になく、きっとこの子も一緒に殺されるのだろうと思ったからだ。実の親に。
◇◆◇
「聞いてただろう、しゅんじつ。俺達とまた手を組んで、やり直そうじゃないか。俺たちの仲だろう?」
アイを助けに戻る前に愛情を与えていったひまりのおかげで、しゅんじつは動けるまでに回復していた。いつの間にか、アイとひまりを庇うように立っている。
「……オイディプス様。いや、オイディプス。今度は貴族同士の政治じゃなく、お前ら夫婦の昔馴染みとして話させてもらう。
手を組んでもいいが、条件がある。ウチの家族に手を出すな。出そうともするな。2度と。
そう誓え、エレクトラ。」
「アァ~、悪かったよ。我を失ってたんだ。もうオマエの家族を殺そうなんてしねぇよ。お互いこんなクソみてぇな立場になる前からの、旧い仲だしなぁ。
それにオマエを敵に回したら、昔からどんなにクソめんどくさかったか、さっきの殺り合いで思い出したよ。おれとオイディプスが手を組んでも、オマエを相手取るのはめんどくせぇからなぁ。」
「黙れ。そんな言葉はではなく、誓え。俺は誓う。俺、
《春日春日》は……今度、《お前が俺の家族に何かしようとしたら、必ず殺す。》」
しゅんじつが心で剣を創り出し、エレクトラの首にあてる。
「わかったよ。わかった。誓う、おれ、
《エレクトラ・アガメムノーンナ・フォン・ミルヒシュトラーセ》は、2度と《春日春日の家族には手は出さない。》」
エレクトラも創り出した刃をしゅんじつの首にあてがいながら、宣言する。お互い首に心をあてられても、それを相手が振り降ろすことは決してないという、深く旧い信頼があるようだった。そして、お互いの心が消えていく。
◇◆◇
「それと、アイ君もだ。もっと大切にしてやれ。」
「それはウチの問題だろぉ?他人の家に首を突っ込むな。」
そこにオイディプスが割って入る。
「さて、事態を収めようじゃないか。まず、ここでは聖別の儀は起きなかった。
アイと春日春日は、お互い別の人間と聖別の儀を行い、2人とも、アニムス・アニムスになった。そして――」
今まで黙って行く末を見守っていたひまりが声を上げる。
「オイディプス様……まさか……人間体になったアイちゃんを、“獣神体として育てる”つもりじゃありませんよね……?」
この場で唯一の人間体であるひまりだけが、その残酷さを真に理解していた。
「黙ってろクソ女、気安くおれの夫に話しかけんじゃあねぇ、人間体の分際でよぉ。」
「エレクトラ、次俺の妻を侮辱したら、どうなるか……わかっているな……?」
「チッ……わーったよ、わかった。で、オイディプス続きは?」
「もちろん、アイが人間体であることは隠して、獣神体として育てるつもりだ。幸いこころをもつものであるアイを信奉するものは近頃増えている。容易くアイが獣神体だと信じるだろう。」
「……!おそれながら申し上げます!ですが、それがどんなに残酷なことか分かってるんですか!?オイディプス様!力を持たない人間体が、万能の存在である獣神体として生きるなんて、獣神体として社会に扱われるなんて!人間体にそんなことが耐えられるわけがない!」
「テメェ……。」
「いい、エレクトラ。そうだな。確かに人間体は一般的に子を産む力以外の全ての能力で、獣神体に劣っている。ノーマルの子供にさえもな。
だが、アイはこころをもつものだし、見た目もむしろ獣神体でないとおかしいぐらいに――」
美しい、と言おうとして、側に妻がいることに思い至ったオイディプスは、言葉を選びなおす。
「――整っている。まぁ獣神体だと誤魔化せないくらい、男性体でも女性体でも華奢で女性的なのは玉に瑕だが……。
まぁこころをもつものの能力を使って、獣神体のフリをすることはできるだろう。それがどれだけコイツにとってつらいことかは、この際、脇においておこう。」
「っ!そんなの――」
「――やらせて下さい。わたくしに。」
ひまりに抱き抱えられていたアイが口を開く。
◇◆◇
「アイちゃん!もう大丈夫なの?」
「はい、ありがとうございます。ひまりさん。貴女のそのお優しいこころには、何度も救われてしまいますね。
それに両性具有者の男性体に蓄積された痛みや傷は、女性体に引き継がれないみたいです。女性体になった時に、男性体だった時に受けた傷は消えていました。
……お父さま、どうかわたくしに、その役目を……。」
アイはまだ醜く生にしがみついているのだった。いや、醜く親の愛情を欲しているのだった。
先ほどまで心から死ぬ気になれたのに。やっと自殺する覚悟ができたのに。親から愛させるかもしれないという、甘い蜜を垂らされただけで、すぐまたそれにしがみつくのだった。“蜘蛛の糸”が切れてもうおしまいだとおもっていたのに。お父さまはまた、糸を垂らしてくれた。
「アイ、テメェ自分がさっき何したか分かってるよなぁ……?テメェが負けを認めなきゃあ、テメェがまたおれの期待を裏切らなきゃあ、こんな面倒なことにはならなかったのによぉ……!」
ひまりに抱きかかえられたアイの顔面に、怒りを込めた蹴りを入れようとするエレクトラ。しかし、それはしゅんじつによって防がれる。
「そんなにアイ君を責めないであげてくれ、この子はさっき俺たちの娘を殺すことだってできたのに、しなかった。そうすれば、自分がどうなってしまうか分かったうえで……。
こんなに自分を犠牲にしてまで、人のことを思える人間がいるか?まずはそれを褒めてあげたらどうだ、エレクトラ。」
「黙れ。部外者が口を出すんじゃあねぇよ。
アイ、いいか。今度こそおれの役に立てよ。今回の儀式は、産まれてから迷惑しかかけねぇテメェにやったチャンスだったんだ。お前はおれとオイディプスのお前への愛情を裏切った。親の期待を裏切ったんだ。使える息子になるって、役に立つっつったのによぉ。だから、それがお前を生かしてる唯一の理由だったんだ。
今度ヘマしやがったら――」
「――自殺します。親の期待にも応えられず、生きているだけで迷惑を撒き散らすわたくしのような、穀潰しは。死んだほうが世のためです。だから、今度こそは、絶対に、お母さまとお父さまの期待を裏切らないと、この命に誓います。もし、破ったら――」
「――死ね。ああ、それでいい。2度とヘマすんじゃねぇぞ。」
幼い子におつかいを頼むように、死ねと要求する母。
「はい!」
おかあさんが頼ってくれたのがうれしくてのしかたがない子どものように、応えるアイ。
◇◆◇
「そして、分かってるだろうな?もうお前はおれの息子じゃねぇ。おれの愛情に背いたんだからな。」
「……は……い。」
「お前はたった今から、アイ・“サクラサクラ―ノヴナ”・フォン・ミルヒシュトラーセだ。勘当されてミルヒシュトラーセの名を奪われないだけ感謝しろ。」
「……はぃ……。ありがとう……ございます。」
「アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセよ、おれは最初からお前はみたいな、塵、産んじゃあいねぇ。もうおれはテメェの母親でもねぇし、テメェはおれの子でもねぇ。
やっとテメェの気色のワリィ家族ごっこともオサラバだ。気分いいぜぇ。
だが、お前はまだミルヒシュトラーセだ。おれの役にたたなきゃならねぇのは変わらねぇ。分かってるよなぁ……?」
「はい……。」
エレクトラが心の剣を創り出し、低く垂らす。
「ここに、頸をあてがえ。正式に告知してやる。
――《堕胎告知》だ……。」
◇◆◇
――おかあさまのこどもじゃなくなる?いやだ、こわい、こわい。だれかたすけて。たすけて、おとうさま、おかあさま――
「何をしてる?!さっさと動け人間野郎が!こんな簡単なこともできねぇのか!?」
アイは屠殺場に引き摺られる豚のように、母に髪を掴んで引き摺られる。抵抗してはだめだと知っていのに、アイの身体は拒んでいた。おかあさまが、おかあさまでなくなるのを。
「いっいや……!……たすけて。」
その絶望色の声を聞いたのは、アイの父と母だけだった。そして、アイが助けを求めたのも、世界でその2人だけだった。だが、その人物こそが、アイを殺すものなのに。なんで自分が助けをもとめているかもわからない、ただたすけてほしかった。
「跪け。」
アイの足に蹴りを入れて、無理やり跪かせる。
「お前に《堕胎告知》を与えてやろう――」
さっきどうなってもいいからと儀式で負けを認めたのに、今になってこわかった。どうしょうもなく。俯いたら髪が降りて周りが見えなくなったたので、髪と地面だけの世界に逃避した。
でも、現実は逃がしてはくれない。
「お前から“エレクトラーヴナ”を剥奪し――」
頸に冷たい刃を感じる。叫んで逃げ出したかった、頭を掻きむしって許してくれと叫びたかった。
――こわいこわいこわいこわいこわいたすけてたすけてたすけてだれかたすけてゆるしてたすけて――
「…………たすけてよぉ……」
助けてくれる“家族”などこの世のどこにもいない。
「――ここに、お前はもう、おれの息子じゃなくなった。
じゃあな、愛する価値のない元、息子よ――。
お前は今から、
“アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”だ。」
――こうして、《堕胎告知》が下された。
◇◆◇
「オイディプス……。何をしている?危うくお前を傷つけてしまうところだったぞ。心からお前を愛しているおれの心じゃあお前の肌に傷1つつかないと分かっていても。いい気分じゃあない。
……だいじょうぶか?……怪我をしたのか……?」
慌てて憎悪を投げ捨て、夫に駆け寄る妻。
「ああ、ありがとう。エレクトラ。俺は怪我1つしていない。お前が自分を守るよりも先に、俺を愛の心で守ってくれたからな。でも、もう少し、自分のことを大事にしろ。俺より先に自分の身を案じてくれ。」
「何を言ってる。自分よりも大切なお前だから、守るんだ。自分を守ってお前に怪我でもされちゃあ、おれは一生自分を許せないだろう。おれの身体が2つに裂かれるよりも、お前にかすり傷1つでもつくほうが、おれには痛いんだ。おれのこころはいたむんだ。わかってくれ。」
「……あぁ、そうだな、そんなお前だからこそ、俺はお前を愛しているし、お前も俺を愛していると確信できる。」
「おいおい!オイディプスよ!そんな当たり前のことを言うな!もしお前が愛されてるか不安に思うんだったらおれが、お前の妻であるおれが、何千回だって叫んでやる!愛しているぞ……この世の何よりも。」
「ああ、痛いほど伝わってくるとも。でも俺だってお前を愛してるんだ。お前が傷つけば、お前の夫の胸はいとも容易く引き裂かれる。……このことをこころに刻んでくれ。」
「!……ふふっ、ああ、刻むとも。“お前の言葉”は全部、出会ってからずっと全部、このこころに刻まれていとも。」
エレクトラが愛おしそうに胸に手を当てる。
アイが言ったように、夫をよく守る妻と、妻を甲斐甲斐しく支える夫の、“理想の夫婦の姿”がそこにはあった。
ひまりは信じられなかった。この夫への慈愛に満ちた妻が、子どもを憎悪で殺そうとした母親と、同じ女だとは。
◇◆◇
「それにしても、どうした?オイディプス。なんでここへ来た。危ないから離れていろといったよな?」
「あぁ、お前の判断をできるだけ尊重しようとは思ったんだがな。気がついてないみたいだから、言いに来た。アイを見てみろ。」
「アイ……?」
エレクトラが存在を忘れていた息子の方へ眼をやると、アイの身体が変異しきっていた。人間体へと――。
「ちっ、こいつ。こいつのせいで全てが台無しだ。ご破算だ。おれたちがどれほど苦労してこの聖別の儀を設けたか、こいつには想像もできねぇんだろう!」
苛立たしげに吐き捨てる妻の手を握って、オイディプスは提案する。
「落ち着け……。まだやりようはある。アイは完全に人間体になってしまったが……。それも、アニマ・アニマに。」
その言葉を受けて、エレクトラがアイをよく見てみると、確かにアイの身体に女性の特徴が現れ始めていた。
「クソっ!」
「大丈夫だ。幸い儀式に参列しているのは両家の者だけだ。この結果を知る者は、春日家やつらと俺たちだけだ。つまり――。」
「コイツらの口さえ塞げば、どうとでもなるなぁ……!やっぱりお前は最高だぜぇ……愛してるぜぇオイディプスよ……!いや、最高じゃあなくたって愛してるんだがな!」
「そんな当たり前のことを言うな。」
ひまりは恐怖した、ミルヒシュトラーセ家の人間なら、不知火陽炎連合の末端なんて文字通り消してしまえるのだろう。しかし、真に恐ろしかったのはそんなことではなかった。囁くように愛し合う2人には、アイなど眼中になく、きっとこの子も一緒に殺されるのだろうと思ったからだ。実の親に。
◇◆◇
「聞いてただろう、しゅんじつ。俺達とまた手を組んで、やり直そうじゃないか。俺たちの仲だろう?」
アイを助けに戻る前に愛情を与えていったひまりのおかげで、しゅんじつは動けるまでに回復していた。いつの間にか、アイとひまりを庇うように立っている。
「……オイディプス様。いや、オイディプス。今度は貴族同士の政治じゃなく、お前ら夫婦の昔馴染みとして話させてもらう。
手を組んでもいいが、条件がある。ウチの家族に手を出すな。出そうともするな。2度と。
そう誓え、エレクトラ。」
「アァ~、悪かったよ。我を失ってたんだ。もうオマエの家族を殺そうなんてしねぇよ。お互いこんなクソみてぇな立場になる前からの、旧い仲だしなぁ。
それにオマエを敵に回したら、昔からどんなにクソめんどくさかったか、さっきの殺り合いで思い出したよ。おれとオイディプスが手を組んでも、オマエを相手取るのはめんどくせぇからなぁ。」
「黙れ。そんな言葉はではなく、誓え。俺は誓う。俺、
《春日春日》は……今度、《お前が俺の家族に何かしようとしたら、必ず殺す。》」
しゅんじつが心で剣を創り出し、エレクトラの首にあてる。
「わかったよ。わかった。誓う、おれ、
《エレクトラ・アガメムノーンナ・フォン・ミルヒシュトラーセ》は、2度と《春日春日の家族には手は出さない。》」
エレクトラも創り出した刃をしゅんじつの首にあてがいながら、宣言する。お互い首に心をあてられても、それを相手が振り降ろすことは決してないという、深く旧い信頼があるようだった。そして、お互いの心が消えていく。
◇◆◇
「それと、アイ君もだ。もっと大切にしてやれ。」
「それはウチの問題だろぉ?他人の家に首を突っ込むな。」
そこにオイディプスが割って入る。
「さて、事態を収めようじゃないか。まず、ここでは聖別の儀は起きなかった。
アイと春日春日は、お互い別の人間と聖別の儀を行い、2人とも、アニムス・アニムスになった。そして――」
今まで黙って行く末を見守っていたひまりが声を上げる。
「オイディプス様……まさか……人間体になったアイちゃんを、“獣神体として育てる”つもりじゃありませんよね……?」
この場で唯一の人間体であるひまりだけが、その残酷さを真に理解していた。
「黙ってろクソ女、気安くおれの夫に話しかけんじゃあねぇ、人間体の分際でよぉ。」
「エレクトラ、次俺の妻を侮辱したら、どうなるか……わかっているな……?」
「チッ……わーったよ、わかった。で、オイディプス続きは?」
「もちろん、アイが人間体であることは隠して、獣神体として育てるつもりだ。幸いこころをもつものであるアイを信奉するものは近頃増えている。容易くアイが獣神体だと信じるだろう。」
「……!おそれながら申し上げます!ですが、それがどんなに残酷なことか分かってるんですか!?オイディプス様!力を持たない人間体が、万能の存在である獣神体として生きるなんて、獣神体として社会に扱われるなんて!人間体にそんなことが耐えられるわけがない!」
「テメェ……。」
「いい、エレクトラ。そうだな。確かに人間体は一般的に子を産む力以外の全ての能力で、獣神体に劣っている。ノーマルの子供にさえもな。
だが、アイはこころをもつものだし、見た目もむしろ獣神体でないとおかしいぐらいに――」
美しい、と言おうとして、側に妻がいることに思い至ったオイディプスは、言葉を選びなおす。
「――整っている。まぁ獣神体だと誤魔化せないくらい、男性体でも女性体でも華奢で女性的なのは玉に瑕だが……。
まぁこころをもつものの能力を使って、獣神体のフリをすることはできるだろう。それがどれだけコイツにとってつらいことかは、この際、脇においておこう。」
「っ!そんなの――」
「――やらせて下さい。わたくしに。」
ひまりに抱き抱えられていたアイが口を開く。
◇◆◇
「アイちゃん!もう大丈夫なの?」
「はい、ありがとうございます。ひまりさん。貴女のそのお優しいこころには、何度も救われてしまいますね。
それに両性具有者の男性体に蓄積された痛みや傷は、女性体に引き継がれないみたいです。女性体になった時に、男性体だった時に受けた傷は消えていました。
……お父さま、どうかわたくしに、その役目を……。」
アイはまだ醜く生にしがみついているのだった。いや、醜く親の愛情を欲しているのだった。
先ほどまで心から死ぬ気になれたのに。やっと自殺する覚悟ができたのに。親から愛させるかもしれないという、甘い蜜を垂らされただけで、すぐまたそれにしがみつくのだった。“蜘蛛の糸”が切れてもうおしまいだとおもっていたのに。お父さまはまた、糸を垂らしてくれた。
「アイ、テメェ自分がさっき何したか分かってるよなぁ……?テメェが負けを認めなきゃあ、テメェがまたおれの期待を裏切らなきゃあ、こんな面倒なことにはならなかったのによぉ……!」
ひまりに抱きかかえられたアイの顔面に、怒りを込めた蹴りを入れようとするエレクトラ。しかし、それはしゅんじつによって防がれる。
「そんなにアイ君を責めないであげてくれ、この子はさっき俺たちの娘を殺すことだってできたのに、しなかった。そうすれば、自分がどうなってしまうか分かったうえで……。
こんなに自分を犠牲にしてまで、人のことを思える人間がいるか?まずはそれを褒めてあげたらどうだ、エレクトラ。」
「黙れ。部外者が口を出すんじゃあねぇよ。
アイ、いいか。今度こそおれの役に立てよ。今回の儀式は、産まれてから迷惑しかかけねぇテメェにやったチャンスだったんだ。お前はおれとオイディプスのお前への愛情を裏切った。親の期待を裏切ったんだ。使える息子になるって、役に立つっつったのによぉ。だから、それがお前を生かしてる唯一の理由だったんだ。
今度ヘマしやがったら――」
「――自殺します。親の期待にも応えられず、生きているだけで迷惑を撒き散らすわたくしのような、穀潰しは。死んだほうが世のためです。だから、今度こそは、絶対に、お母さまとお父さまの期待を裏切らないと、この命に誓います。もし、破ったら――」
「――死ね。ああ、それでいい。2度とヘマすんじゃねぇぞ。」
幼い子におつかいを頼むように、死ねと要求する母。
「はい!」
おかあさんが頼ってくれたのがうれしくてのしかたがない子どものように、応えるアイ。
◇◆◇
「そして、分かってるだろうな?もうお前はおれの息子じゃねぇ。おれの愛情に背いたんだからな。」
「……は……い。」
「お前はたった今から、アイ・“サクラサクラ―ノヴナ”・フォン・ミルヒシュトラーセだ。勘当されてミルヒシュトラーセの名を奪われないだけ感謝しろ。」
「……はぃ……。ありがとう……ございます。」
「アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセよ、おれは最初からお前はみたいな、塵、産んじゃあいねぇ。もうおれはテメェの母親でもねぇし、テメェはおれの子でもねぇ。
やっとテメェの気色のワリィ家族ごっこともオサラバだ。気分いいぜぇ。
だが、お前はまだミルヒシュトラーセだ。おれの役にたたなきゃならねぇのは変わらねぇ。分かってるよなぁ……?」
「はい……。」
エレクトラが心の剣を創り出し、低く垂らす。
「ここに、頸をあてがえ。正式に告知してやる。
――《堕胎告知》だ……。」
◇◆◇
――おかあさまのこどもじゃなくなる?いやだ、こわい、こわい。だれかたすけて。たすけて、おとうさま、おかあさま――
「何をしてる?!さっさと動け人間野郎が!こんな簡単なこともできねぇのか!?」
アイは屠殺場に引き摺られる豚のように、母に髪を掴んで引き摺られる。抵抗してはだめだと知っていのに、アイの身体は拒んでいた。おかあさまが、おかあさまでなくなるのを。
「いっいや……!……たすけて。」
その絶望色の声を聞いたのは、アイの父と母だけだった。そして、アイが助けを求めたのも、世界でその2人だけだった。だが、その人物こそが、アイを殺すものなのに。なんで自分が助けをもとめているかもわからない、ただたすけてほしかった。
「跪け。」
アイの足に蹴りを入れて、無理やり跪かせる。
「お前に《堕胎告知》を与えてやろう――」
さっきどうなってもいいからと儀式で負けを認めたのに、今になってこわかった。どうしょうもなく。俯いたら髪が降りて周りが見えなくなったたので、髪と地面だけの世界に逃避した。
でも、現実は逃がしてはくれない。
「お前から“エレクトラーヴナ”を剥奪し――」
頸に冷たい刃を感じる。叫んで逃げ出したかった、頭を掻きむしって許してくれと叫びたかった。
――こわいこわいこわいこわいこわいたすけてたすけてたすけてだれかたすけてゆるしてたすけて――
「…………たすけてよぉ……」
助けてくれる“家族”などこの世のどこにもいない。
「――ここに、お前はもう、おれの息子じゃなくなった。
じゃあな、愛する価値のない元、息子よ――。
お前は今から、
“アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”だ。」
――こうして、《堕胎告知》が下された。
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☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
MP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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