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第一章 愛と家族
15. パンドラの箱の底の残りもの No longer Human.
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“アイ・エレクトラーヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”
が死んで、
“アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”
となってから、
色々なことがあった。
◇◆◇
まずアイとはるひは無事に回復し、アイは身体に人間体の特徴が、はるひは獣神体の特徴が現れ始めた。アイの戦闘能力の大部分ははるひに吸収され、はるひは腕力や体格、身長までもが大幅に成長した。
そして、ほとんどの能力を奪われたアイに残されたものは、子を孕む能力だけだった。はるひが成長したように、アイの男性体はより筋肉がつかないようになり、女性体は乳房などの発達が確認された。どちらも人間体となった影響が大きかった。
そして、エレクトラ、オイディプス、しゅんじつが結託し、アイの性別が獣神体、それもアニムス・アニムスになったと対外的には発表した。こころをもつものでありながら、最高の性別と言われるアニムス・アニムスということで、よりアイを偶像として信奉する向きも増えた。
◇◆◇
かくして、アイのほんとうの性別は、きょうだいであるシュベスターたちにも秘匿されることとなった。以前アイの性別が不知火陽炎連合に筒抜けだったのは、シュベスターからしらぬいに情報が漏れていたのではないか、と疑われたからだ。
兄姉たちは、アイがアニムス・アニムスになったことを甚く喜んでくれたが、褒められるたびにアイの胸が罪悪感から張り裂けそうになるのだった。
アイがエレクトラの子でなくなったのを知った兄姉の反応こそは様々だったが、異口同音に『アイが自分たちの弟であることは何も変わらない』と言ってくれた。
アイは完全に両性具有者となり、第一の性を男性体にも女性体にも変化させられようになったが、オイディプスのアイに対する、息子に対する父親としての接し方は変わらなかった。これはしゅんじつも言っていたように、第一の性しかない地域で生まれた者特有の、“第一性偏重主義”がそうさせるのだった。彼らからすれば、むしろ第二の性にばかりこだわっている奴らのほうがおかしいとのことだ。
◇◆◇
アイとはるひの関係は大きく変わった。以前はアイをかわいくて、きれいな自らの懸想する人だと思っていたはるひは、アイを見る目が変わった。どのように変わったのかは本人にしか分からない。いや、変わったというより以前は薄氷の下に隠れていた感情が表出しただけかもしれない。
はるひをよき友と思っていたアイは、以前は自分のほうが高かった上背も追い越されて、多くの能力を吸収され、どうやっても力では敵わない存在となったはるひにも、怯えることはなかった。無理やりお互いに対する悪感情を吐き出さされたあとでも、以前のような関係でいられると勘違いしていた。はるひの自分を見る目に、憎悪とも執着ともつかない妖しい光が宿っていることにも気がつかなかった。
◇◆◇
そんなことを考えいたので、アイは春日家に聖別の儀の際の全ての非礼を詫びに出向くことにした。
でもその前に、自分と関わりのある人たちに会いたいと思った。それが性別が変わり生まれ変わったせいなのか、淋しさからなのか、エレクトラ様との繋がりを失った今、自分が確かに誰かと繋がっていることを確かめたかったのか、或いはその全てが理由なのか、アイには分からなかった。
◇◆◇
「お兄さま……。」
「どうしたぁ?アイ、辛気臭ェツラぁしてよ。……腹でもいてぇのか?」
「いえ……。」
「どうしたんだよ?」
「いえ、なんとなくお兄さまとお話をしたくなって……。」
「おうおう!かわいいこというじゃあねぇか。かわいい、……弟?いや今は妹だな、明らかに。」
「ふふっ、確かにいまのあいは女性の体ですけど、いつでも男性体にも戻れますし、おにいさまの好きなほうでいいですよ?」
「うん?うーん。どっちでもいいな!安心しろ!俺は“親父みてぇーに”相手が弟か妹で態度を変えたりはしねぇからよ。そーゆーのお前、いちばん苦手だろ?」
「おにいさま……!おにいさまは、なんでもあいのことをお見通しなのですね。」オニイサマ!
「でもやっぱアイは弟かな!じゃねぇと俺とお前のたった2人しかいない男兄弟の絆が揺らいじまうだろぉ?」
「ふふっ、そうかも……しれませんね?おにいさま!」
「おおー、おとうとよ~!……なんだこれ。じゃあ兄弟らしく……男の兄弟って何すんだ?」
「たたかいごっことか?ですかね?」
「ふーむ、じゃあお前が魔物でー」
「あ!あいも!人間がいいのですが!」
「ん?そうか?じゃあ人間と人間が争ってる……。」
「「……。」」
「……なんか、むなしいですね。」
「じゃあ本でも読むかぁ?」
「おにいさまが!書物を!?なんと!」
「テメェー、お兄様をおちょくっていいと思ってんのかぁ?そういうのはシュベスターの役割だろぉ?」
「……おにいさまが!書物をっ!!なんと!!!」ナントッ!
「てめぇー!まてぇー!くすぐりの刑だぁぁああぁああ!!」
「きゃあー!」
「「アハハっ!」」
◇◆◇
「アイちゃんアイちゃん」チョイチョイ
「エゴおねえさま。どうされましたか?」
「捕まえたっ!」ガバッ
「わあっ」
「すりすり~!」スリスリ!
「どっどうされたのですか?」
「いや~、最近アイちゃん忙しくてなかなか会ってくれなかったし、お姉ちゃん寂しかったよぉ~よよよ~!」ヨヨヨー!
「すっすみません。さいきんなんだか、いろいろあって。」
「そうだよね~。プシュケーになったと思ったらセラフィタ!お次はアニムス・アニムス!カタカナ多すぎでしょ!早口言葉かしらぁ~?」
「……おねえさまは、あいの……あいが……せいべつだとか、いろいろ変わったこと、どう思っておられますか……?」
「ん~?あんまり気にしてないかなぁ~アイちゃんはアイちゃんだしね~。」
「おねえさま……!」
「あっでも妹が増えたのはうれしいかも!着せ替えとかできるし!シュベちゃんはさしてくれなかったしね~?」
「な、なるほど?でも、前からしてましたよね?おねえさまのちいさい頃の服を着たり。」
「まぁ、前からアイちゃん可愛かったしね~。それに、アイちゃんどこか女の子に憧れがあるみたいだったし。」
「おねえさま……!」
「せっかく両性になったんだし!スカート履き散らかしちゃいましょ!」
「……はいっ!」
◇◆◇
「あ……アイ、その、あー、なんだ。元気か?」
「おねえさま。はい、あいは元気です。」
「そうか、……そうか。」
「……?どうかされたのですか?」
「ん?ああ、きょ、今日はいい天気だな?」
「はい……そうです、ね?」
「こんなにも天気がいいと、何したくなるよな?」
「?……は、い?」
「天気がいいと!!」ガァ!
「!!」ビクッ!
「何が!したくなる!?」
「???」
「何がっ!シタクナル?オマエハ?」
「なんでカタコトなんですか?……ええっと、わたくしは読書がしたくなりますね?」
「違う。」
「ちがう!?……ええっとお散歩もいいですよね……?」
「違う。そうじゃない。まず誰とだ?」
「そうじゃない??だれと???ええと、おにい――」
「違う。」
「???……エゴおね――」
「違う。」
「えっと、おねえさま、と?」
「そうだ。」ウンウン
「いっしょ……に?」
「ああ、そうだな。」ウンウン
「あいがしたいこと?」
「そうだ!」ソウダッ!
「おはな――」
「――しではなくて?」
「ええっと、おひる――」
「――ね、もいいがっ!捨てがたいがっ!ヒントはお!だ。」グッ!
「お、お、お、お?……おお?お~?」
「きが……?」
「え?……お着替え?ですか?あいがしたいことが?」
「そうだ!」ソウダッ!
「なる、ほどぉ?」??
「エゴペーにそれはそれは自慢されたんだ。この服を着たアイちゃんはかわいかった、あのフリフリを着たアイちゃんはかわいかった。」
「なる……ほど?それで、おねえさまも、したいと……?」
「おまえが!したいだろう?なぁ?ん?」ン?
「そう、ですね。したかったかも、したい……したい、です……?」
「そうだろうそうだろう!こんなこともあろうかとお前に着せる服を見繕ってきたんだ!こいっ!」コイィ!
「なんだか……しあわせそうですね?おねえさま?」
「うっ、まぁ、そうだな。す、すまん。今日の私はちょっと……き、気持ち悪かった……よな?」ホオポリポリ
「?、いいえ!おねえさまはいつでもかっこいいですよ!」パァァ
「うぐっ……そ、そうか、かっこいいか。フフッ、そうかそうか。」フフフ
「はいっ!」ハイッ!
「それは、ゲアーターよりもか?」
「えっ……ええと、どっちもかっこいい、ですよ?」
「比べたら!よりかっこいいのは!ど……どっちだ?」
「え、う、ううん。ええと。」アワアワ
「おい、弟をいじめんなよ。シュベスター。」ビシッ
「げ、ゲアーター……きさま。私はアイをいじめてなどおらん!そんなやつがいたら私がぶっ飛ばしてやるっ!」カッ
「でも確かに、アイちゃんを困らせてはいたわよね~。ね、アイちゃん、ねー。」ネー
「えっとえっと」エットエット!
「エゴペーぇえええ……!キサマぁあ……元はと言えばきさまがぁぁぁあ。」
「ひっ、おねえ……さま?」ヒッ
「あ、アイ違うぞ、お前に怒っているんじゃない!断じて違う!」
「必死過ぎてキモいぞ。」
「まあまあ、それがシュベちゃんのかわいいところじゃない?」
「うーん、そういう考えたもあるか、今後の参考にさせてもらおう。ありがとう、エゴペー。」フムフム
「どういたしまして~ゲアーター。」イェイ!ハイタッチ!
「というか貴様らっ!いつから見ていたんだ!覗き見とは趣味が悪いぞ!」
「いや、最初から堂々と2人で見ていたぞ、エゴペーにいたっては堂々と写真まで撮る胆力だ。見習わねば。」
「あらあら、照れるわね~。でもそうよ?シュベちゃんがアイちゃんのことしか見てないから気がつかないのよ?お姉ちゃんと!」ビシィッ!
「お兄ちゃんは!」ビシィッ!
「「かなしい……。」」ピエン……
「黙れ!またからかいおって!」ガァァ!
「まあまあ、おねえさま」クイクイッ
「どうした?アイ袖を引っ張って?」フフフッ
「扱いちがくね?」
「まあ、下の子はかわいいものよ~、特にシュベちゃんは下にアイちゃんしかいないから~。愛情の全部がアイちゃんにいくのね~」シミジミ
「えっ……その理論でいくと俺は?」エッ
「……ドンマイっ!せいぜい私たち下の子をかわいがることね~。」ドンマイッ!
「あ!アイは!おにいさまがだいすきです!」
「アイ~!」グリグリ
「それに!アイは一番下なので!全部の愛情が上にいきます!」マスッ!
「ナゾ理論ねぇ~。でも、ありがとう。アイちゃん。」
「アイ、上にいくということはつまり、アイ、上の中でもすぐ真上の者のほうがよりアイの愛情に近い、という、な?アイ、理論がな?立てられるな。うん。」QED!
「これまたナゾ理論ね~。うん?じゃあゲアーターはもしかして、私のことをいちばんに……!」ハッ!
「やれやれ……バレちゃあしょうがねぇ。愛してるぜぇ、エゴペー」キラキラー
「えっ」ドキリ
「勝手にちちくりあってろ。アイ、行くぞ。だ、だっこしてやろう。うん。つまづくと危ないからな。」ヒョイ
「わわっ、ありがとう、ございます。」ワーイ!
「で、何する?」
「よし、こうしよう、お前らは帰る。私とアイは遊ぶ。挟み撃ちの形になるな。」キリッ
「シュベちゃんは賢いでちゅね~。でもせっかく4人全員が集まれたんだし、みんなで何がしましょうよぉ。こんな機会めったにないんだし。」
「で、何する?」
「よし、こうしよう、お前らは帰る。私とアイは遊ぶ。二手に分かれて迎え撃つんだ。」キリリッ
「あれ?デジャヴ?」
「アイ、お前何がしたい?お兄様に言ってみな!」
「えっでも……みなさんのしたいことで」
「アイちゃん!遠慮しないの!下の子は上の子を問答無用で屈服させる――ワガママ――って最強の心があるの――」
「おまっ、エゴペー!それはミルヒシュトラーセ家の最高機密だぞっ!最後の秘密兵器なのに!」
「ええ、でも埃をかぶった兵器に何の意味があると言うの?たとえお父様と戦うことになっても、私はこの兵器の存在を秘匿させたりしない。」キッ
「……お前にそこまで言われちゃあ、兄の立つ瀬がねぇな。分かったよお母様は俺が食い止める。やるかっ!」オッシャア
「……ええ、プランМね。プランMilchstraße《ミルヒィシュトゥラーセェィ》」イイハツオンー
「いや、ここはむしろ、プランAだ。プランミルヒシュトラーセ……。」AMANOGAWA!
「おにいさま、エゴおねえさま……?」ハラハラ
「下の子の最強のワガママ、なるほどプランMだな。よし!プランМを行使する。私も妹だ、その権利がある。ではこうしよう!お前らは帰る。私とアイは遊ぶ。プランМだっ!」キリリリィ
「えっこわ……急に何いってんだシュベスター……?」ドンビキッ
「えっ……ぷ、プランМって何?……わたしこわいわ。」プククッ
「???」エッ?エッ?
「貴様らァアァァアァア!!そこにぃ……なおれ!!!」
◇◆◇
兄姉たちに元気をもらい、春日家に謝罪に赴く決心がついた。罪悪感が始終アイを押し付けていた。
しかし、門を開いてすぐに土下座しようとするアイを制止して、『よくきたな』と言ってくれる。
しゅんじつもひまりもやさしかった。『お互い様だから気にしなくていいのよ』、と。性別を偽って生きることに協力してくれるとも、一緒に学校に通うようになるはるひに、しっかりとアイを守るように言いつけてくれるとも、言ってくれた。
はるひの人生の重荷になるから、と遠慮したら、番同士の獣神体が人間体を守ることは、獣神体の責任だといって押し通されてしまった。番でいるのが申し訳ないから解消したいとも言い出せなかった。
ひまりにいたっては、『同じ人間体として困ったことがあれば何でもいってね』、と『本当のおかあさんだと思ってね』とも言ってくれた。しゅんじつも『はるひの人間体になるのなら、うちの家族になるのも同然だ』、と言ってくれた。
そのしあわせが恐ろしかった。ほんとうは責めてほしかった。詰ってほしかった。そうしたら許されるような気がしたから。でも与えられたのは罰ではなく、しあわせだった。
――しあわせは逃げない。しあわせがわたくしから逃げたことはない。いつもわたくしがしあわせから逃げるんだ。しあわせが恐ろしくなるのです。
◇◆◇
しあわせに追い詰められた、ある秋の午後の昼下がり、紅葉の黄色の降りしきるなか、ベンチに座って息を吐く。地を覆いつくす紅葉の海に、飛び込んでしまおうかと、浮いた足をゆらゆらさせながら考える。
山吹色に塗りつぶされた世界に独り座っていると、“桜の森の満開の下”ですべてを投げ出したことを思い出す。あの桜色のなかで消えてしまえたなら。舞い散る桜の花弁がひと刹那この眼を覆ったとき、それが視界から去ったときに、わたくしも一緒に虚しくなってしまえたなら。しあわせだったんだろうか。
花が永遠に咲くのなら、それはうつくしいのだろうか?青嵐にさらされ、踊り散ることがないのなら。色を失った人の往く道を自らの亡骸で彩らないのなら。人々は花をうつくしいと愛でるのだろうか。愛するのだろうか。もし、移ろいを知らない花弁よりも、徒花にこそ一瞬の永遠を見るのなら。人々のこころに深く根を挿すのならば。わたくしはそうなりたいのだろうか?
もし、今度こそおかあさまのために生きることが叶うなら。わたくしはそうしたいのだろうか?もしまた、“おかあさまの夢”と、“わたくしの愛する人々の安寧”が、二律背反となったとき。わたくしは、どうするのだろう。どうするべきなのだろうか。
人々の善意を食いつぶしながら生きるべきか、人々に迷惑をかけないで死ぬべきか。
おかあさまの人生を奪いながら生きるべきか、自分の人生を全うして死ぬべきか。
やさしくしてくれる人たちを蔑ろにしながら生きるべきか、彼らに報いて死ぬべきか。
“生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ”。
膝を抱えてそこに頭を埋める。暗闇の泥濘に浸っていた。暫くして葉を踏みしめる確かな足取りを聞いた。ぎしりと音を立ててベンチが軋む。わたくしが座ってもこの木は音の一つもたてなかったくせに。音のしたほうを見なくてもわかる。吐く息が白く染まる。
◇◆◇
「かげろう……。」
「……アイ様。」
かげろうも獣神体になってしまった。かげろうもはるひも随分と大きく成長してしまった、わたくしだけを取り残して。たぶん最初からそうだったのだろう。だけど同じように三人で笑い合えると、無邪気に勘違いしていた頃が懐かしい。性別が決まる前から、わたくしなんぞ二人の友には値しなかったのに。しあわせな思い違いだった。
紅葉を散らし、暗い地の色を暴いて去る色なき風に凍えてしまう。そうして小さくなって震えていると、ふわりと肩になにかをかけられる。
……あたたかい。それを幼子のようにぎゅっと抱きしめてしまう。
「アイ様、ここは冷えます。どこかあたたかいところへ参りましょう。せめてあちらの陽だまりのなかにでも。」
「……やだ。」
陽だまりがこわい。明るさがこわい。太陽がこわい。木漏れ日がこわい。それはわたくしと他の人との違いを暴きたてるものだからだ。
でも、日陰もこわい。暗闇もこわい。夜の帳もこわい。花曇りもこわい。それはわたくしと皆との境界であるからだ。
人と居るのがこわいのに、独りでいるのもいやだ。ほんとうに生きることに向いていない。人間に向いていない。太陽に向いていない、向日葵のようだ。そのくせ、向日葵のようにうつくしくもない。
「アイ様が、わがままを言って下さるのははじめてですね……?不思議といい心持ちです。」
「わがままじゃないもん。あいは獣神体だから平気だもん。こんな寒さ平気だもん。あいはつよいんだもん。」
唯一の友にさえ性別を偽るわたくしは……。
「……不思議ですね。アイ様は獣神体となられて、以前より強くなられたのは分かっているつもりですが、この地の刈安色と空の浅葱色に押し込められた貴方は、天に溶けてしまいそうな儚さがある。」
「あいはつよいんだよ。泣いたりしないし……男だから泣いちゃいけないんだよ?獣神体なんだから、弱音なんて吐いちゃいけないし。」
「ふふっ、おかしいですね?以前シュベスター様に講義をして頂いたとき、貴方が言ったのですよ?性別に強い弱いもない、ただ違いがあるだけだと。
……自分の性別が変わって、その御心までもが変わってしまったわけではないでしょう?貴方は、自分が強い立場にたった途端に弱きを蔑ろにするような方ではない。」
「かげろうは、あいを買いかぶりすぎだよ。あいは生まれてからたくさんひどいことをしてきたし、自分のこころを汚すようなことだってした。はるひちゃんにだってひどいことをしたんだよ。あなたの大切な幼馴染に。」
「たしかに近頃アイ様とはるひのやつが仲たがいをしていることは知っています。一度の大きな喧嘩が原因だとも、詳しくは誰も教えてくれませんが。
でも、人間を定義するのは、何も最悪の瞬間ってわけでもないでしょう?ずっと人にやさしく生きてきた人間が、たった一度追い詰められた絶望の淵で悪態を吐いたら、その人はひどい人になるんでしょうか?その人の長い人生の中で、“最悪の人間だった瞬間”が、その人のすべてを決定づけるのでしょうか?みんながみんなが地獄の“聖書の中のヨブ”の様には生きられないのです。」
「あいだってそう思うよ!人間を定義するのは、“最悪の瞬間”じゃない。ましてや、“最高の瞬間”なんかでもない。自分が幸せな時にだけ人にやさしくするなんて、誰でもできるんだから!
でも人間の本性が表れるのは、“つらいとき”だと思う、“不幸せなとき”だと思うんだ。自分がつらいときに人にやさしくできるのが、ほんとうにやさしい人だってそう思うんだ。あいは自分が追い詰められた途端に、人を傷つけるような人間なんだよ……?」
「アイ様、俺はそうは思いません。その人がどんな人間かを定義するのは、普段の、“なにげない日常”だと思うんです。だって、人生のほとんどはなんでもない日々なんですから。
アイ様の言う通り、自分に余裕がある時だけ善人になる人も、自分に余裕がない時に人に当たり散らす人間もいると思うんです。でも彼らだって普段は、普通の人間なんです。いらいらしてるときに、舌打ちをしてしまったからって、それで貴方が悪人になるわけじゃない。これまでの人生全てに黒い光が射すわけでもない。だって人生とはそんな一つの行動で変わるほど柔くはないのですから。
人生とは大樹です。大樹のような積み重ねなのです。年輪を一つまた一つと積み重ねていくのです。その樹が生き生きとした葉を蓄えるかなんて、うつくしい花を咲かせるかなんて、我々のあずかり知るところではありません。それはきっと寿命が来たときにのみ分かるものでしょうから。
だから、いま貴方が人生に絶望しているからといって、これまでの幸せだった瞬間瞬間が意味を失うわけではありません。ありえません。今貴方が希望に満ちた人生を歩んでいるからといって、かなしい思い出を殺す必要などないのです。そのどちらもが今の貴方を創り上げたものなのですから。
なんて……すこし説法臭かったですかね?アイ様に少しでも近づこうと日系地獄人の書物を読んでみたのです。」
「ううん。ありがとう。もう少し考えてみるよ。あいがこの命をどうゆうふうに使いたいのか、おかあさまのために使いたいのか、それとも……ってね。」
◇◆◇
前で紅葉の葉が踏みしめられる音がした。膝から顔を離して、眼を開くとかげろうがベンチの前に跪いていた。
「お礼なんてとんでもない。アイ様が地獄の学問を愛していたから、俺は地獄のことを知ろうと思ったのです。大好きな人の、大好きなものを、好きになりたかったから。だから、もし今のおれの言葉がアイ様の助けとなったのなら、それは他ならぬアイ様の手柄ですよ。」
両手でわたくしの手を取り、そこに口づけを落とす。いたずらっぽくかげろうが笑う。まだ三人で何も知らずに笑い合っていたときのような笑みだ。少なくとも成長してもかげろうはあの日々の面影を失わなかったらしい。
「でも伝えてくれたのは、教えてくれたのは、かげろうでしょ?……だから、ありがとう。」
精一杯笑みを作ってみる。
うまくできただろうか?
かげろうが少しの間、眼を見開いて固まったあと、眼をそらしてしまう。
うまくできなかったのかな……?
そしてわたくしの右手の甲に額を押し付けて、言う。
「やはり、おれはアイ様には笑っていて欲しいのです。……これはアイ様の笑顔がみたいという、俺の、自分勝手な欲望です。でも――」
かげろうの足元にあった黄色が紅に染まっていく。そしてゆっくりとすべての紅葉が刈安色から、朱色へと転じていく。獣神体になったかげろうの心のなせる業だろう。それに見惚れていると、かげろうがこころを伝う。
「アイ様の笑顔のためならば、おれはいつ何時でも、世界の色さえ紅く染め上げてみせましょう。
世界中が貴方のことを、太陽に向いていない向日葵だと、太陽に背く月だと、そう言い張っても、
俺がただ一人、貴方は太陽に向いていると、貴方こそが太陽であると、叫びましょう。
――ここに、誓います。」
なんで、かげろうは、太陽に向いていない、こんなわたくしに――。
「……例えば、もしわたくしが……」
――ほんとうは人間体だったとしても――?
「……ほんとうはかげろう思ってるような人じゃなくても?」
「勿論です……貴方はおれの、太陽、なのですから――。」
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
パンドラ公国のマンソンジュ軍士官学校には、“人間体潰し”として、多くの人間体から恐れられる生徒がいた。
いくらパンドラ公国には種族的に優れた獣神体至上主義の機運がかあるからといって、能動的にわざわざ人間体に危害を加えようとするものは少ない。相手が人間体といえど、罪に問われる可能性があるからだ。勿論被害者の人間体が悪いと断じ、加害者に同情的な世論にはなりやすいので、可能性があるに留まるのだが。
なので、基本的には皆獣神体も普通の男女も、自然に、文化的に差別をするだけだった。
しかし、この人間体潰しは入学して以来、人間体を見つけ出しては、恐喝や暴言、時には暴力をふるい、1人また1人と学園から追い出していた。そうした経緯もあり、人間体潰しと呼ばれるようになり、人間体には恐れられるように、人間体以外の性別の者からは畏敬の目で見られるようになった。その者の名は――。
◇◆◇
「酷いじゃない!幾ら私が人間体だからって!寄ってたかってこんな事をしてもいいと思ってるの?!」
学園のトイレで、1人の女生徒が叫んでいた。数人のノーマルの男女に囲まれ、文房具を壊され、弁当をトイレに投げ捨てられたらしい、服に隠れているお腹には痣もできていた。
「黙れ、劣等種。この学園に紛れ込んだだけじゃなく、試験で不正までしやがって……。」
彼女を追い詰めている内の1人が吐き捨てるように言った。周りの者も同調する。
「そうよ!じゃなきゃ私たちノーマルが人間体なんかに負けるわけがない!人間体なだけじゃ飽き足らず、心まで醜いなんて!」
問い詰めらた女生徒はしどろもどろになりながら答える。
「わ、私は……不正なんか。ただ……獣神体にもノーマルにも負けないように、頑張っただけなのに……。」
その一言がノーマルたちの逆鱗に触れた。
「ふざけるな!負けないように……?」
「あんたたち人間体は生まれたときから負けてるの!劣ってるの!!」
「人間体のくせにノーマルに勝とうだなんて!!」
「調子に乗らないで!!」
「ただでさえ何でもできる獣神体のせいで俺たちノーマルが割を食ってるっていうのに!」
「こんなんじゃだめだ!やっぱり2度と調子に乗らないよう、もっと痛めつけないと……!」
「社会の仕組みが分かってない馬鹿な人間体に教えてやろう!」
「2度と学校に来れないように……!」
最初は何とか反論した女生徒だったが、あまりの悪感情に晒され、ただ頭を抱え助けを祈るばかりになった。ノーマルたちが今にも彼女に襲いかかろうとしたとき、喧騒を切り裂く冷たい声がした。
◇◆◇
「……何を、しているんですか?」
トイレの入り口からしたその声はおおよそ大きいとは言えないのに、全てを黙らせる温度をしていた。全員が振り返り入り口の方を見る。窓際に追い詰められ、蹲った女生徒にはその生徒の姿は見えなかったが、声だけでも先ほどまでの屈辱を忘れ、ただ恐怖するには十分だった。
足音が近づいてきて、人波が自然と割れていく。皆の怯えを表すように、必要以上に離れるノーマルたち。女生徒の目には、この学校指定の靴と靴下が見えた。ゆっくりと顔を上げる。
そこには、この世の者とは思えないほどうつくしい、しかしこの世の全てを軽蔑した眼をした、生徒が立っていた。体格も華奢で上背も低いのに、その子より遥かに大きな生徒さえ、怯え切っていた。スカートとネクタイの色から見るに、女生徒と同じ1年生のようだった。彼女は制服着て、肩にかかった黒いコートには腕章が付いていた。
「質問に答えて頂けますか?皆さんは、この生徒に何をしていたんでしょうか?」
皆言葉を失っていたが、ノーマルの内の1人がやっとのことで口を開く。
「こ、コイツが……コイツが人間体のくせに調子に……調子に乗っていたから……」
「そうよ!……それに、テストで不正も……!」
この子には誤解されたくなくて、違うと心から叫びたかったが、こわくて言葉が出ない。
「なるほど。それで皆さんが教育、していたと……そうですね?」
その子が言葉をこぼすたびに、皆震え上がる。
「そ、そうです……。」
上級生であろうノーマルでさえ、畏まった言葉遣いだ。学年など超越した美とおそろしさが、その子にはあった。
「なるほど……ふむ。」
「コイツが悪いんです!コイツが――」
《黙れ。》
ちいさな呟きだったが、絶大な圧があった。獣神体の放つ圧だろう。ノーマルが皆黙り込むなか、女生徒だけは、目の前の子のことを、自分を救いに現れた天使だと思った。祈りが通じて、私を助けに来てくれたのだろうと――。
「皆さん、よくできましたね。いい子です。」
――天使は、天使ではなかった。
「……ですが、いただけません。人間体を粛清するのは、わたくしたち、獣神体至上主義委員会に任せて下さらないと。勝手な判断で私刑を行ってはいけません。
……分かりましたね?2度と、ですよ?」
その子の獣神体としての圧が強すぎて、ノーマルたちは言葉を発せない。その様子をみて、天使が舌打ちをする。
「チッ……全員……返事。」
「「は、ハイ!!」」
皆が慌てて返事をする。
「……よろしい、ではこの不正を働いたという、不届きな人間体はわたくしが直接この手で懲罰致します……。皆さんは解散してください。」
その子が黒い手袋に覆われた手で女生徒を指さす。すき間からのぞく肌の白さで、髪の黒さと手袋の黒が強調されている。その手袋は、人間体なんぞには触れたくないという、彼女の心を物語っているようだった。
「あ、あの……そのコートに腕章……貴女はまさか……。」
女生徒も噂には聞いたことがあった。夜のように黒い長髪、黒いコートに黒い手袋、雪のように白い肌、天使のように愛らしく、美しい顔。人間体潰しは、天使のような見目麗しい……悪魔だと。
「うん?……ああ、そうですね。お初にお目にかかります。わたくしはこの学校の1年生。
そして、獣神体至上主義委員会の委員長でもあります――」
天使の微笑みに、空色の、サファイアの瞳。
「――アイ・ミルヒシュトラーセと、申します。」
が死んで、
“アイ・サクラサクラ―ノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ”
となってから、
色々なことがあった。
◇◆◇
まずアイとはるひは無事に回復し、アイは身体に人間体の特徴が、はるひは獣神体の特徴が現れ始めた。アイの戦闘能力の大部分ははるひに吸収され、はるひは腕力や体格、身長までもが大幅に成長した。
そして、ほとんどの能力を奪われたアイに残されたものは、子を孕む能力だけだった。はるひが成長したように、アイの男性体はより筋肉がつかないようになり、女性体は乳房などの発達が確認された。どちらも人間体となった影響が大きかった。
そして、エレクトラ、オイディプス、しゅんじつが結託し、アイの性別が獣神体、それもアニムス・アニムスになったと対外的には発表した。こころをもつものでありながら、最高の性別と言われるアニムス・アニムスということで、よりアイを偶像として信奉する向きも増えた。
◇◆◇
かくして、アイのほんとうの性別は、きょうだいであるシュベスターたちにも秘匿されることとなった。以前アイの性別が不知火陽炎連合に筒抜けだったのは、シュベスターからしらぬいに情報が漏れていたのではないか、と疑われたからだ。
兄姉たちは、アイがアニムス・アニムスになったことを甚く喜んでくれたが、褒められるたびにアイの胸が罪悪感から張り裂けそうになるのだった。
アイがエレクトラの子でなくなったのを知った兄姉の反応こそは様々だったが、異口同音に『アイが自分たちの弟であることは何も変わらない』と言ってくれた。
アイは完全に両性具有者となり、第一の性を男性体にも女性体にも変化させられようになったが、オイディプスのアイに対する、息子に対する父親としての接し方は変わらなかった。これはしゅんじつも言っていたように、第一の性しかない地域で生まれた者特有の、“第一性偏重主義”がそうさせるのだった。彼らからすれば、むしろ第二の性にばかりこだわっている奴らのほうがおかしいとのことだ。
◇◆◇
アイとはるひの関係は大きく変わった。以前はアイをかわいくて、きれいな自らの懸想する人だと思っていたはるひは、アイを見る目が変わった。どのように変わったのかは本人にしか分からない。いや、変わったというより以前は薄氷の下に隠れていた感情が表出しただけかもしれない。
はるひをよき友と思っていたアイは、以前は自分のほうが高かった上背も追い越されて、多くの能力を吸収され、どうやっても力では敵わない存在となったはるひにも、怯えることはなかった。無理やりお互いに対する悪感情を吐き出さされたあとでも、以前のような関係でいられると勘違いしていた。はるひの自分を見る目に、憎悪とも執着ともつかない妖しい光が宿っていることにも気がつかなかった。
◇◆◇
そんなことを考えいたので、アイは春日家に聖別の儀の際の全ての非礼を詫びに出向くことにした。
でもその前に、自分と関わりのある人たちに会いたいと思った。それが性別が変わり生まれ変わったせいなのか、淋しさからなのか、エレクトラ様との繋がりを失った今、自分が確かに誰かと繋がっていることを確かめたかったのか、或いはその全てが理由なのか、アイには分からなかった。
◇◆◇
「お兄さま……。」
「どうしたぁ?アイ、辛気臭ェツラぁしてよ。……腹でもいてぇのか?」
「いえ……。」
「どうしたんだよ?」
「いえ、なんとなくお兄さまとお話をしたくなって……。」
「おうおう!かわいいこというじゃあねぇか。かわいい、……弟?いや今は妹だな、明らかに。」
「ふふっ、確かにいまのあいは女性の体ですけど、いつでも男性体にも戻れますし、おにいさまの好きなほうでいいですよ?」
「うん?うーん。どっちでもいいな!安心しろ!俺は“親父みてぇーに”相手が弟か妹で態度を変えたりはしねぇからよ。そーゆーのお前、いちばん苦手だろ?」
「おにいさま……!おにいさまは、なんでもあいのことをお見通しなのですね。」オニイサマ!
「でもやっぱアイは弟かな!じゃねぇと俺とお前のたった2人しかいない男兄弟の絆が揺らいじまうだろぉ?」
「ふふっ、そうかも……しれませんね?おにいさま!」
「おおー、おとうとよ~!……なんだこれ。じゃあ兄弟らしく……男の兄弟って何すんだ?」
「たたかいごっことか?ですかね?」
「ふーむ、じゃあお前が魔物でー」
「あ!あいも!人間がいいのですが!」
「ん?そうか?じゃあ人間と人間が争ってる……。」
「「……。」」
「……なんか、むなしいですね。」
「じゃあ本でも読むかぁ?」
「おにいさまが!書物を!?なんと!」
「テメェー、お兄様をおちょくっていいと思ってんのかぁ?そういうのはシュベスターの役割だろぉ?」
「……おにいさまが!書物をっ!!なんと!!!」ナントッ!
「てめぇー!まてぇー!くすぐりの刑だぁぁああぁああ!!」
「きゃあー!」
「「アハハっ!」」
◇◆◇
「アイちゃんアイちゃん」チョイチョイ
「エゴおねえさま。どうされましたか?」
「捕まえたっ!」ガバッ
「わあっ」
「すりすり~!」スリスリ!
「どっどうされたのですか?」
「いや~、最近アイちゃん忙しくてなかなか会ってくれなかったし、お姉ちゃん寂しかったよぉ~よよよ~!」ヨヨヨー!
「すっすみません。さいきんなんだか、いろいろあって。」
「そうだよね~。プシュケーになったと思ったらセラフィタ!お次はアニムス・アニムス!カタカナ多すぎでしょ!早口言葉かしらぁ~?」
「……おねえさまは、あいの……あいが……せいべつだとか、いろいろ変わったこと、どう思っておられますか……?」
「ん~?あんまり気にしてないかなぁ~アイちゃんはアイちゃんだしね~。」
「おねえさま……!」
「あっでも妹が増えたのはうれしいかも!着せ替えとかできるし!シュベちゃんはさしてくれなかったしね~?」
「な、なるほど?でも、前からしてましたよね?おねえさまのちいさい頃の服を着たり。」
「まぁ、前からアイちゃん可愛かったしね~。それに、アイちゃんどこか女の子に憧れがあるみたいだったし。」
「おねえさま……!」
「せっかく両性になったんだし!スカート履き散らかしちゃいましょ!」
「……はいっ!」
◇◆◇
「あ……アイ、その、あー、なんだ。元気か?」
「おねえさま。はい、あいは元気です。」
「そうか、……そうか。」
「……?どうかされたのですか?」
「ん?ああ、きょ、今日はいい天気だな?」
「はい……そうです、ね?」
「こんなにも天気がいいと、何したくなるよな?」
「?……は、い?」
「天気がいいと!!」ガァ!
「!!」ビクッ!
「何が!したくなる!?」
「???」
「何がっ!シタクナル?オマエハ?」
「なんでカタコトなんですか?……ええっと、わたくしは読書がしたくなりますね?」
「違う。」
「ちがう!?……ええっとお散歩もいいですよね……?」
「違う。そうじゃない。まず誰とだ?」
「そうじゃない??だれと???ええと、おにい――」
「違う。」
「???……エゴおね――」
「違う。」
「えっと、おねえさま、と?」
「そうだ。」ウンウン
「いっしょ……に?」
「ああ、そうだな。」ウンウン
「あいがしたいこと?」
「そうだ!」ソウダッ!
「おはな――」
「――しではなくて?」
「ええっと、おひる――」
「――ね、もいいがっ!捨てがたいがっ!ヒントはお!だ。」グッ!
「お、お、お、お?……おお?お~?」
「きが……?」
「え?……お着替え?ですか?あいがしたいことが?」
「そうだ!」ソウダッ!
「なる、ほどぉ?」??
「エゴペーにそれはそれは自慢されたんだ。この服を着たアイちゃんはかわいかった、あのフリフリを着たアイちゃんはかわいかった。」
「なる……ほど?それで、おねえさまも、したいと……?」
「おまえが!したいだろう?なぁ?ん?」ン?
「そう、ですね。したかったかも、したい……したい、です……?」
「そうだろうそうだろう!こんなこともあろうかとお前に着せる服を見繕ってきたんだ!こいっ!」コイィ!
「なんだか……しあわせそうですね?おねえさま?」
「うっ、まぁ、そうだな。す、すまん。今日の私はちょっと……き、気持ち悪かった……よな?」ホオポリポリ
「?、いいえ!おねえさまはいつでもかっこいいですよ!」パァァ
「うぐっ……そ、そうか、かっこいいか。フフッ、そうかそうか。」フフフ
「はいっ!」ハイッ!
「それは、ゲアーターよりもか?」
「えっ……ええと、どっちもかっこいい、ですよ?」
「比べたら!よりかっこいいのは!ど……どっちだ?」
「え、う、ううん。ええと。」アワアワ
「おい、弟をいじめんなよ。シュベスター。」ビシッ
「げ、ゲアーター……きさま。私はアイをいじめてなどおらん!そんなやつがいたら私がぶっ飛ばしてやるっ!」カッ
「でも確かに、アイちゃんを困らせてはいたわよね~。ね、アイちゃん、ねー。」ネー
「えっとえっと」エットエット!
「エゴペーぇえええ……!キサマぁあ……元はと言えばきさまがぁぁぁあ。」
「ひっ、おねえ……さま?」ヒッ
「あ、アイ違うぞ、お前に怒っているんじゃない!断じて違う!」
「必死過ぎてキモいぞ。」
「まあまあ、それがシュベちゃんのかわいいところじゃない?」
「うーん、そういう考えたもあるか、今後の参考にさせてもらおう。ありがとう、エゴペー。」フムフム
「どういたしまして~ゲアーター。」イェイ!ハイタッチ!
「というか貴様らっ!いつから見ていたんだ!覗き見とは趣味が悪いぞ!」
「いや、最初から堂々と2人で見ていたぞ、エゴペーにいたっては堂々と写真まで撮る胆力だ。見習わねば。」
「あらあら、照れるわね~。でもそうよ?シュベちゃんがアイちゃんのことしか見てないから気がつかないのよ?お姉ちゃんと!」ビシィッ!
「お兄ちゃんは!」ビシィッ!
「「かなしい……。」」ピエン……
「黙れ!またからかいおって!」ガァァ!
「まあまあ、おねえさま」クイクイッ
「どうした?アイ袖を引っ張って?」フフフッ
「扱いちがくね?」
「まあ、下の子はかわいいものよ~、特にシュベちゃんは下にアイちゃんしかいないから~。愛情の全部がアイちゃんにいくのね~」シミジミ
「えっ……その理論でいくと俺は?」エッ
「……ドンマイっ!せいぜい私たち下の子をかわいがることね~。」ドンマイッ!
「あ!アイは!おにいさまがだいすきです!」
「アイ~!」グリグリ
「それに!アイは一番下なので!全部の愛情が上にいきます!」マスッ!
「ナゾ理論ねぇ~。でも、ありがとう。アイちゃん。」
「アイ、上にいくということはつまり、アイ、上の中でもすぐ真上の者のほうがよりアイの愛情に近い、という、な?アイ、理論がな?立てられるな。うん。」QED!
「これまたナゾ理論ね~。うん?じゃあゲアーターはもしかして、私のことをいちばんに……!」ハッ!
「やれやれ……バレちゃあしょうがねぇ。愛してるぜぇ、エゴペー」キラキラー
「えっ」ドキリ
「勝手にちちくりあってろ。アイ、行くぞ。だ、だっこしてやろう。うん。つまづくと危ないからな。」ヒョイ
「わわっ、ありがとう、ございます。」ワーイ!
「で、何する?」
「よし、こうしよう、お前らは帰る。私とアイは遊ぶ。挟み撃ちの形になるな。」キリッ
「シュベちゃんは賢いでちゅね~。でもせっかく4人全員が集まれたんだし、みんなで何がしましょうよぉ。こんな機会めったにないんだし。」
「で、何する?」
「よし、こうしよう、お前らは帰る。私とアイは遊ぶ。二手に分かれて迎え撃つんだ。」キリリッ
「あれ?デジャヴ?」
「アイ、お前何がしたい?お兄様に言ってみな!」
「えっでも……みなさんのしたいことで」
「アイちゃん!遠慮しないの!下の子は上の子を問答無用で屈服させる――ワガママ――って最強の心があるの――」
「おまっ、エゴペー!それはミルヒシュトラーセ家の最高機密だぞっ!最後の秘密兵器なのに!」
「ええ、でも埃をかぶった兵器に何の意味があると言うの?たとえお父様と戦うことになっても、私はこの兵器の存在を秘匿させたりしない。」キッ
「……お前にそこまで言われちゃあ、兄の立つ瀬がねぇな。分かったよお母様は俺が食い止める。やるかっ!」オッシャア
「……ええ、プランМね。プランMilchstraße《ミルヒィシュトゥラーセェィ》」イイハツオンー
「いや、ここはむしろ、プランAだ。プランミルヒシュトラーセ……。」AMANOGAWA!
「おにいさま、エゴおねえさま……?」ハラハラ
「下の子の最強のワガママ、なるほどプランMだな。よし!プランМを行使する。私も妹だ、その権利がある。ではこうしよう!お前らは帰る。私とアイは遊ぶ。プランМだっ!」キリリリィ
「えっこわ……急に何いってんだシュベスター……?」ドンビキッ
「えっ……ぷ、プランМって何?……わたしこわいわ。」プククッ
「???」エッ?エッ?
「貴様らァアァァアァア!!そこにぃ……なおれ!!!」
◇◆◇
兄姉たちに元気をもらい、春日家に謝罪に赴く決心がついた。罪悪感が始終アイを押し付けていた。
しかし、門を開いてすぐに土下座しようとするアイを制止して、『よくきたな』と言ってくれる。
しゅんじつもひまりもやさしかった。『お互い様だから気にしなくていいのよ』、と。性別を偽って生きることに協力してくれるとも、一緒に学校に通うようになるはるひに、しっかりとアイを守るように言いつけてくれるとも、言ってくれた。
はるひの人生の重荷になるから、と遠慮したら、番同士の獣神体が人間体を守ることは、獣神体の責任だといって押し通されてしまった。番でいるのが申し訳ないから解消したいとも言い出せなかった。
ひまりにいたっては、『同じ人間体として困ったことがあれば何でもいってね』、と『本当のおかあさんだと思ってね』とも言ってくれた。しゅんじつも『はるひの人間体になるのなら、うちの家族になるのも同然だ』、と言ってくれた。
そのしあわせが恐ろしかった。ほんとうは責めてほしかった。詰ってほしかった。そうしたら許されるような気がしたから。でも与えられたのは罰ではなく、しあわせだった。
――しあわせは逃げない。しあわせがわたくしから逃げたことはない。いつもわたくしがしあわせから逃げるんだ。しあわせが恐ろしくなるのです。
◇◆◇
しあわせに追い詰められた、ある秋の午後の昼下がり、紅葉の黄色の降りしきるなか、ベンチに座って息を吐く。地を覆いつくす紅葉の海に、飛び込んでしまおうかと、浮いた足をゆらゆらさせながら考える。
山吹色に塗りつぶされた世界に独り座っていると、“桜の森の満開の下”ですべてを投げ出したことを思い出す。あの桜色のなかで消えてしまえたなら。舞い散る桜の花弁がひと刹那この眼を覆ったとき、それが視界から去ったときに、わたくしも一緒に虚しくなってしまえたなら。しあわせだったんだろうか。
花が永遠に咲くのなら、それはうつくしいのだろうか?青嵐にさらされ、踊り散ることがないのなら。色を失った人の往く道を自らの亡骸で彩らないのなら。人々は花をうつくしいと愛でるのだろうか。愛するのだろうか。もし、移ろいを知らない花弁よりも、徒花にこそ一瞬の永遠を見るのなら。人々のこころに深く根を挿すのならば。わたくしはそうなりたいのだろうか?
もし、今度こそおかあさまのために生きることが叶うなら。わたくしはそうしたいのだろうか?もしまた、“おかあさまの夢”と、“わたくしの愛する人々の安寧”が、二律背反となったとき。わたくしは、どうするのだろう。どうするべきなのだろうか。
人々の善意を食いつぶしながら生きるべきか、人々に迷惑をかけないで死ぬべきか。
おかあさまの人生を奪いながら生きるべきか、自分の人生を全うして死ぬべきか。
やさしくしてくれる人たちを蔑ろにしながら生きるべきか、彼らに報いて死ぬべきか。
“生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ”。
膝を抱えてそこに頭を埋める。暗闇の泥濘に浸っていた。暫くして葉を踏みしめる確かな足取りを聞いた。ぎしりと音を立ててベンチが軋む。わたくしが座ってもこの木は音の一つもたてなかったくせに。音のしたほうを見なくてもわかる。吐く息が白く染まる。
◇◆◇
「かげろう……。」
「……アイ様。」
かげろうも獣神体になってしまった。かげろうもはるひも随分と大きく成長してしまった、わたくしだけを取り残して。たぶん最初からそうだったのだろう。だけど同じように三人で笑い合えると、無邪気に勘違いしていた頃が懐かしい。性別が決まる前から、わたくしなんぞ二人の友には値しなかったのに。しあわせな思い違いだった。
紅葉を散らし、暗い地の色を暴いて去る色なき風に凍えてしまう。そうして小さくなって震えていると、ふわりと肩になにかをかけられる。
……あたたかい。それを幼子のようにぎゅっと抱きしめてしまう。
「アイ様、ここは冷えます。どこかあたたかいところへ参りましょう。せめてあちらの陽だまりのなかにでも。」
「……やだ。」
陽だまりがこわい。明るさがこわい。太陽がこわい。木漏れ日がこわい。それはわたくしと他の人との違いを暴きたてるものだからだ。
でも、日陰もこわい。暗闇もこわい。夜の帳もこわい。花曇りもこわい。それはわたくしと皆との境界であるからだ。
人と居るのがこわいのに、独りでいるのもいやだ。ほんとうに生きることに向いていない。人間に向いていない。太陽に向いていない、向日葵のようだ。そのくせ、向日葵のようにうつくしくもない。
「アイ様が、わがままを言って下さるのははじめてですね……?不思議といい心持ちです。」
「わがままじゃないもん。あいは獣神体だから平気だもん。こんな寒さ平気だもん。あいはつよいんだもん。」
唯一の友にさえ性別を偽るわたくしは……。
「……不思議ですね。アイ様は獣神体となられて、以前より強くなられたのは分かっているつもりですが、この地の刈安色と空の浅葱色に押し込められた貴方は、天に溶けてしまいそうな儚さがある。」
「あいはつよいんだよ。泣いたりしないし……男だから泣いちゃいけないんだよ?獣神体なんだから、弱音なんて吐いちゃいけないし。」
「ふふっ、おかしいですね?以前シュベスター様に講義をして頂いたとき、貴方が言ったのですよ?性別に強い弱いもない、ただ違いがあるだけだと。
……自分の性別が変わって、その御心までもが変わってしまったわけではないでしょう?貴方は、自分が強い立場にたった途端に弱きを蔑ろにするような方ではない。」
「かげろうは、あいを買いかぶりすぎだよ。あいは生まれてからたくさんひどいことをしてきたし、自分のこころを汚すようなことだってした。はるひちゃんにだってひどいことをしたんだよ。あなたの大切な幼馴染に。」
「たしかに近頃アイ様とはるひのやつが仲たがいをしていることは知っています。一度の大きな喧嘩が原因だとも、詳しくは誰も教えてくれませんが。
でも、人間を定義するのは、何も最悪の瞬間ってわけでもないでしょう?ずっと人にやさしく生きてきた人間が、たった一度追い詰められた絶望の淵で悪態を吐いたら、その人はひどい人になるんでしょうか?その人の長い人生の中で、“最悪の人間だった瞬間”が、その人のすべてを決定づけるのでしょうか?みんながみんなが地獄の“聖書の中のヨブ”の様には生きられないのです。」
「あいだってそう思うよ!人間を定義するのは、“最悪の瞬間”じゃない。ましてや、“最高の瞬間”なんかでもない。自分が幸せな時にだけ人にやさしくするなんて、誰でもできるんだから!
でも人間の本性が表れるのは、“つらいとき”だと思う、“不幸せなとき”だと思うんだ。自分がつらいときに人にやさしくできるのが、ほんとうにやさしい人だってそう思うんだ。あいは自分が追い詰められた途端に、人を傷つけるような人間なんだよ……?」
「アイ様、俺はそうは思いません。その人がどんな人間かを定義するのは、普段の、“なにげない日常”だと思うんです。だって、人生のほとんどはなんでもない日々なんですから。
アイ様の言う通り、自分に余裕がある時だけ善人になる人も、自分に余裕がない時に人に当たり散らす人間もいると思うんです。でも彼らだって普段は、普通の人間なんです。いらいらしてるときに、舌打ちをしてしまったからって、それで貴方が悪人になるわけじゃない。これまでの人生全てに黒い光が射すわけでもない。だって人生とはそんな一つの行動で変わるほど柔くはないのですから。
人生とは大樹です。大樹のような積み重ねなのです。年輪を一つまた一つと積み重ねていくのです。その樹が生き生きとした葉を蓄えるかなんて、うつくしい花を咲かせるかなんて、我々のあずかり知るところではありません。それはきっと寿命が来たときにのみ分かるものでしょうから。
だから、いま貴方が人生に絶望しているからといって、これまでの幸せだった瞬間瞬間が意味を失うわけではありません。ありえません。今貴方が希望に満ちた人生を歩んでいるからといって、かなしい思い出を殺す必要などないのです。そのどちらもが今の貴方を創り上げたものなのですから。
なんて……すこし説法臭かったですかね?アイ様に少しでも近づこうと日系地獄人の書物を読んでみたのです。」
「ううん。ありがとう。もう少し考えてみるよ。あいがこの命をどうゆうふうに使いたいのか、おかあさまのために使いたいのか、それとも……ってね。」
◇◆◇
前で紅葉の葉が踏みしめられる音がした。膝から顔を離して、眼を開くとかげろうがベンチの前に跪いていた。
「お礼なんてとんでもない。アイ様が地獄の学問を愛していたから、俺は地獄のことを知ろうと思ったのです。大好きな人の、大好きなものを、好きになりたかったから。だから、もし今のおれの言葉がアイ様の助けとなったのなら、それは他ならぬアイ様の手柄ですよ。」
両手でわたくしの手を取り、そこに口づけを落とす。いたずらっぽくかげろうが笑う。まだ三人で何も知らずに笑い合っていたときのような笑みだ。少なくとも成長してもかげろうはあの日々の面影を失わなかったらしい。
「でも伝えてくれたのは、教えてくれたのは、かげろうでしょ?……だから、ありがとう。」
精一杯笑みを作ってみる。
うまくできただろうか?
かげろうが少しの間、眼を見開いて固まったあと、眼をそらしてしまう。
うまくできなかったのかな……?
そしてわたくしの右手の甲に額を押し付けて、言う。
「やはり、おれはアイ様には笑っていて欲しいのです。……これはアイ様の笑顔がみたいという、俺の、自分勝手な欲望です。でも――」
かげろうの足元にあった黄色が紅に染まっていく。そしてゆっくりとすべての紅葉が刈安色から、朱色へと転じていく。獣神体になったかげろうの心のなせる業だろう。それに見惚れていると、かげろうがこころを伝う。
「アイ様の笑顔のためならば、おれはいつ何時でも、世界の色さえ紅く染め上げてみせましょう。
世界中が貴方のことを、太陽に向いていない向日葵だと、太陽に背く月だと、そう言い張っても、
俺がただ一人、貴方は太陽に向いていると、貴方こそが太陽であると、叫びましょう。
――ここに、誓います。」
なんで、かげろうは、太陽に向いていない、こんなわたくしに――。
「……例えば、もしわたくしが……」
――ほんとうは人間体だったとしても――?
「……ほんとうはかげろう思ってるような人じゃなくても?」
「勿論です……貴方はおれの、太陽、なのですから――。」
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
パンドラ公国のマンソンジュ軍士官学校には、“人間体潰し”として、多くの人間体から恐れられる生徒がいた。
いくらパンドラ公国には種族的に優れた獣神体至上主義の機運がかあるからといって、能動的にわざわざ人間体に危害を加えようとするものは少ない。相手が人間体といえど、罪に問われる可能性があるからだ。勿論被害者の人間体が悪いと断じ、加害者に同情的な世論にはなりやすいので、可能性があるに留まるのだが。
なので、基本的には皆獣神体も普通の男女も、自然に、文化的に差別をするだけだった。
しかし、この人間体潰しは入学して以来、人間体を見つけ出しては、恐喝や暴言、時には暴力をふるい、1人また1人と学園から追い出していた。そうした経緯もあり、人間体潰しと呼ばれるようになり、人間体には恐れられるように、人間体以外の性別の者からは畏敬の目で見られるようになった。その者の名は――。
◇◆◇
「酷いじゃない!幾ら私が人間体だからって!寄ってたかってこんな事をしてもいいと思ってるの?!」
学園のトイレで、1人の女生徒が叫んでいた。数人のノーマルの男女に囲まれ、文房具を壊され、弁当をトイレに投げ捨てられたらしい、服に隠れているお腹には痣もできていた。
「黙れ、劣等種。この学園に紛れ込んだだけじゃなく、試験で不正までしやがって……。」
彼女を追い詰めている内の1人が吐き捨てるように言った。周りの者も同調する。
「そうよ!じゃなきゃ私たちノーマルが人間体なんかに負けるわけがない!人間体なだけじゃ飽き足らず、心まで醜いなんて!」
問い詰めらた女生徒はしどろもどろになりながら答える。
「わ、私は……不正なんか。ただ……獣神体にもノーマルにも負けないように、頑張っただけなのに……。」
その一言がノーマルたちの逆鱗に触れた。
「ふざけるな!負けないように……?」
「あんたたち人間体は生まれたときから負けてるの!劣ってるの!!」
「人間体のくせにノーマルに勝とうだなんて!!」
「調子に乗らないで!!」
「ただでさえ何でもできる獣神体のせいで俺たちノーマルが割を食ってるっていうのに!」
「こんなんじゃだめだ!やっぱり2度と調子に乗らないよう、もっと痛めつけないと……!」
「社会の仕組みが分かってない馬鹿な人間体に教えてやろう!」
「2度と学校に来れないように……!」
最初は何とか反論した女生徒だったが、あまりの悪感情に晒され、ただ頭を抱え助けを祈るばかりになった。ノーマルたちが今にも彼女に襲いかかろうとしたとき、喧騒を切り裂く冷たい声がした。
◇◆◇
「……何を、しているんですか?」
トイレの入り口からしたその声はおおよそ大きいとは言えないのに、全てを黙らせる温度をしていた。全員が振り返り入り口の方を見る。窓際に追い詰められ、蹲った女生徒にはその生徒の姿は見えなかったが、声だけでも先ほどまでの屈辱を忘れ、ただ恐怖するには十分だった。
足音が近づいてきて、人波が自然と割れていく。皆の怯えを表すように、必要以上に離れるノーマルたち。女生徒の目には、この学校指定の靴と靴下が見えた。ゆっくりと顔を上げる。
そこには、この世の者とは思えないほどうつくしい、しかしこの世の全てを軽蔑した眼をした、生徒が立っていた。体格も華奢で上背も低いのに、その子より遥かに大きな生徒さえ、怯え切っていた。スカートとネクタイの色から見るに、女生徒と同じ1年生のようだった。彼女は制服着て、肩にかかった黒いコートには腕章が付いていた。
「質問に答えて頂けますか?皆さんは、この生徒に何をしていたんでしょうか?」
皆言葉を失っていたが、ノーマルの内の1人がやっとのことで口を開く。
「こ、コイツが……コイツが人間体のくせに調子に……調子に乗っていたから……」
「そうよ!……それに、テストで不正も……!」
この子には誤解されたくなくて、違うと心から叫びたかったが、こわくて言葉が出ない。
「なるほど。それで皆さんが教育、していたと……そうですね?」
その子が言葉をこぼすたびに、皆震え上がる。
「そ、そうです……。」
上級生であろうノーマルでさえ、畏まった言葉遣いだ。学年など超越した美とおそろしさが、その子にはあった。
「なるほど……ふむ。」
「コイツが悪いんです!コイツが――」
《黙れ。》
ちいさな呟きだったが、絶大な圧があった。獣神体の放つ圧だろう。ノーマルが皆黙り込むなか、女生徒だけは、目の前の子のことを、自分を救いに現れた天使だと思った。祈りが通じて、私を助けに来てくれたのだろうと――。
「皆さん、よくできましたね。いい子です。」
――天使は、天使ではなかった。
「……ですが、いただけません。人間体を粛清するのは、わたくしたち、獣神体至上主義委員会に任せて下さらないと。勝手な判断で私刑を行ってはいけません。
……分かりましたね?2度と、ですよ?」
その子の獣神体としての圧が強すぎて、ノーマルたちは言葉を発せない。その様子をみて、天使が舌打ちをする。
「チッ……全員……返事。」
「「は、ハイ!!」」
皆が慌てて返事をする。
「……よろしい、ではこの不正を働いたという、不届きな人間体はわたくしが直接この手で懲罰致します……。皆さんは解散してください。」
その子が黒い手袋に覆われた手で女生徒を指さす。すき間からのぞく肌の白さで、髪の黒さと手袋の黒が強調されている。その手袋は、人間体なんぞには触れたくないという、彼女の心を物語っているようだった。
「あ、あの……そのコートに腕章……貴女はまさか……。」
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「うん?……ああ、そうですね。お初にお目にかかります。わたくしはこの学校の1年生。
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戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
1×∞(ワンバイエイト) 経験値1でレベルアップする俺は、最速で異世界最強になりました!
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23年5月22日にアルファポリス様より、拙著が出版されました!そのため改題しました。
今後ともよろしくお願いいたします!
トラックに轢かれ、気づくと異世界の自然豊かな場所に一人いた少年、カズマ・ナカミチ。彼は事情がわからないまま、仕方なくそこでサバイバル生活を開始する。だが、未経験だった釣りや狩りは妙に上手くいった。その秘密は、レベル上げに必要な経験値にあった。実はカズマは、あらゆるスキルが経験値1でレベルアップするのだ。おかげで、何をやっても簡単にこなせて――。異世界爆速成長系ファンタジー、堂々開幕!
タイトルの『1×∞』は『ワンバイエイト』と読みます。
男性向けHOTランキング1位!ファンタジー1位を獲得しました!【22/7/22】
そして『第15回ファンタジー小説大賞』において、奨励賞を受賞いたしました!【22/10/31】
アルファポリス様より出版されました!現在第四巻まで発売中です!
コミカライズされました!公式漫画タブから見られます!【24/8/28】
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最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
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高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
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転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
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