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【1】死んだ後にも労働が待っていた
しおりを挟むどうやらおれは死んだ、らしい。
もう『らしい』としか言えないのだけれど、とりあえず覚えているのは、異常な倦怠感とふらつく視界と、踏み外した階段の錆びた鉄の色くらいだ。死んだ実感なんか微塵もない。
目のまえに、自分の死体が横たわっていれば別だろうけどさ。なんと無残な死体の代わりにおれの視界に広がっていたのは、見たこともないあからさまな『異世界』だった。
……わぁ、異世界転生ってホントにあるんだぁ。
というのが、第一の感想。
そのあとの本音は、『せっかく死んだのにまだ生きなきゃいけないの?』だったわけだけど、……苦節二十五年、基本的に生きてて楽しいことなんかパッと思い浮かばない人生だったんだから、まあ、おれの落胆については許してほしいと思う。
命を粗末にしていたつもりはない。それなりに、普通に、そこそこ死ぬのは嫌だなと思っていた筈だ。
でも心のどっかで『いまぽっくり死んだら楽かなぁ』と思うことは少なくなかった。あんまり思いだしたくないから割愛するけど、うん、そうね、まあまあクソみたいな人生だったもので。
天国とは言わずとも、せめて労働からは解放されたかった。心の底からそう思う。
人付き合いとか、金とか、仕事とか、体調とか。そういうの全部に気を使いながら生きるの、向いてない。しんどい。しんどいのに、向いてないのに、神様はおれに第二のチャンスを与えてくださったみたいだ。
……全然、嬉しくないのだけれど。
体感時間五分程、がっつり絶望したところでおれは、ようやく自分が立つ部屋を観察する気持ちになった。
嬉しくなくても、しんどくても、現実ってやつは大概待ってはくれないものだ。嫌だ嫌だと泣き喚いてどうにかなるとは思えない。人生何事も、初動が大事だ。
できれば地球がいいなぁ、ほら、異世界って言ってもさ、たぶんいろんなパターンあるでしょ? 並行世界とか。未来とか過去とか。知らんけど。知らんけど、文化は同じか想像できる範囲のものがいい。意志の疎通ができない場合、最悪二度目の人生十分で終了の可能性もありえるだろう。
まず安心したのは、目の前に立つ現地人らしき人物が、ほぼ人間と同じ見た目をしていたことだ。
ほぼっていうか人間だ。どうみても人間だ。
手足のバランスも同じ。顔のバランスも同じ。ちょっと西洋人っぽいけど、ついでに目とか金色に光ってるしなんか後ろの黒い方、やたらとイケメンだけど、デカい芋虫とかカブトムシとかエビみたいなのが出てきたら泣いちゃうと思ったから本当に心からホッとした。
イケメンは怖い。イケメンは近寄りたくない。イケメンは大体おれを不幸にする。イケメンに優しくされた記憶はないし、数々のイケメンのせいでおれの人生はボロボロだった。
だからイケメン絶許マンなんだけど、うん、まあいいよ。イケメンでもいい。虫でも甲殻類でもミミズでもモンゴリアンデスワームでもないんだから、及第点どころか満点だ。イケメンだからあの黒い方にはお近づきになりたくないけどな。
黒髪で黒い服を纏い、偉そうに腕組みしているイケメンの手前には、灰色の服のお兄さんが立っている。
すらっとしていて、背が高い。吊り上がった目元のせいで狐顔っぽいけれど、物腰が穏やかそうな感じだった。
穏やか狐お兄さんは、すっと右足を踏み出すと滑らかに腰を落とし、また元の姿勢に戻る。この世界のお辞儀なのかもしれない。
さて目が覚めたら、知らない世界に一人ぼっちだった。
映画とか漫画でよく見るシチュエーションだ。最初の一言はどうするべきか。
ここはどこ? とか、あんたたちは誰? とか、選択肢は山ほどある。
でもおれは変に冷静になっちゃってて、とりあえず自分の身体のどこにも傷がないこと、不調がないことを確かめた後にまず、絶対にこれだけは頷いてくれという言葉を口にした。
「……ことば、つうじます?」
「はい、もちろんです」
オーケー即答だ!
やった! 勝った! いや何と勝負してんのかわかんないけどとりあえず! とりあえずこの人たちには言葉があるし文明があるし意思の疎通がたぶんできる!
ホッとしすぎてガッツポーズすらできず、ふう、と息を吐いてしまった。日本人だからね、なんていうか、オーバーリアクションには慣れていない。
お兄さんはまず名前を名乗った。名を名乗る礼儀的な文化もあるらしい。いきなり食材にされるような場所じゃなくて良かったと心底思う。
「ようこそ、外の方。わたしはイエリヒという名前です。召喚獣であるあなたの来訪を、『色の種族』は歓迎し、あなたの魂を召喚した罪を、『色の種族』は謝罪します」
「しゃざ……え?」
「我々はあなたの意志を尊重しませんでした。そのため、謝罪は必要だと考えます。加えて、あなたには今世において、労働をしなくてはなりません。詳しい説明は後程行うこととなるでしょう。……まずはいくつかのわたしの質問に、あなたは答えるよう要求します」
なんかエキサイト翻訳みたいな喋り方するな……。と思っていたけれど、後々これは意志の疎通を優先したふんわり魔術がこなした適当な翻訳だ、ということを知った。
なんとなく発音が不安定で、読み上げソフトみたいにカタカタしているところがある。
召喚獣は召喚者の意志を理解しなくてはいけない。だから、召喚者に限り言葉が通じるようになっているらしい。
言われてみれば確かに、わからんでもない。ドヤっと召喚したケルベロスに、『戦え!』が通じず自分が食われたら困るし、悪魔と契約する時にお互い何を言っているのかわからなけりゃ署名もできない。
ていうかおれの扱い、召喚獣なの?
どうみても獣って感じじゃないけど。そこはふんわり翻訳が、おれが知ってる言葉の中で一番それっぽいものをチョイスしただけかもしれないけれど……まあ、いい。とりあえずは、エキサイト翻訳さんに答えることが先だ。
「質問します。あなたの名前は何ですか?」
「……最上春伊」
「ありがとうございます。ハルイ、あなたは雌雄どちらですか?」
「え。……ええと、男、というか、雄、です」
……ゲイだけど。たぶん趣向じゃなくて身体的なことを訊かれているんだろうし、男です! で正解だろう。
「ありがとうございます。質問します。あなたの種族は何ですか?」
「種族? あー……人類? ってことかな?」
「ジンルイ。それは、チキュウという惑星の、ニンゲンという種族という意味ですか?」
「あ、はい」
なんか妙に詳しいな。先人が居るんだろうか。ていうか『ファイナルアンサー?』みたいな雰囲気を出してくんの、何。チキュウのニンゲン様は、一体この世界で何をやらかしたんだろう。
ものすごいどきどきしながら肯定の言葉を返すと、しばらく放心していたエキサイト翻訳さんことイエリヒさんは、ぱああっと笑顔になってものすごく嬉しそうに後ろの黒いイケメンに『チキュウジンの男性です!』とご報告していた。
歓迎されているっぽい。
とはいえ、おれを歓迎しているのは、イエリヒさんだけかもしれない。
ご報告を聞いた黒い男は、片眉を若干跳ね上げ、小さく息を吐いただけだった。……その仕草がどんな感情を表しているのか、残念ながらまったくわからない。
嫌そうな顔を隠さないイケメンは、かったるそうに口を開く。その半開きでも格好いい唇から流れ出してきたのは、おれの知らない言葉だった。
……成程おれは、イエリヒさんの言葉しかわからない、ということか。おれの召喚者は、黒い男ではなく、イエリヒさんなのだろう。
イエリヒさんは通訳よろしく、男の言葉を聞き終わってからおれの方に向き直る。
「黒館様の疑問を伝えます。ハルイは、外の世で死亡しました。自らの死因を、覚えていますか?」
「…………あー。覚えて、うーん……覚えてる、かな、たぶん」
「多分?」
「実はあんまり記憶がなくて。階段……高いところから、落ちたんだろうなぁってことしかわかんないんだけど、えーと、たぶん過労? だったのかもなぁって思う。いや栄養失調か睡眠不足だったのかも……」
「それはつまり、自己の体調不良を原因とする事故、ということ?」
「うん、はい。そうかな。そうです。恥ずかしい話なんですけど、たぶんおれ、働きすぎて自分の身体がもうふらふらだったの、気が付いてなかったみたいで」
そういや昨日(かどうかはわからんけど、とりあえず階段から落ちた前の日)は二時間しか寝れなかった。
夜勤から帰ってツレのメシ作ったらもう朝で、眠いなんて愚痴を言う余裕もなく次のバイトに走って行かなきゃいけない時間だった。
ちゃんとしたメシ食ったの、いつだっけ?
金がないから、外食は牛丼チェーン店が精いっぱいだったし、米炊いて握り飯作って三食それを食ってたりしたし。同居人の飯は隙間時間に作っても、自分はそれを食う時間なんてなかった。余裕があればタッパに詰めたりするくらい。
おまえ痩せすぎててきもちわりーからセックスする気も失せるわ、なんて言われてちょっと泣いたのいつだっけ? 三か月前だっけ?
もう別れちまった方が精神的にも体力的にも絶対良かったのに、喧嘩になるのが面倒でずるずると同居してたのが悪い。わかっていたけど、もうどうしようもないことだ。
おれの遺体、どうなるのかなぁ。
たぶんツレは、葬式とか上げてくんないだろう。おれのことを気持ち悪いって勘当した母親は、遺骨受け取ってくれんだろうか。せめて弟と妹には、死んだことくらい伝えてほしいけど。
……やばい、ちょっと悲しくなってきた。
いまのおれの身体が何で出来ているかさっぱりわからないけれど、悲しいと涙が出るシステムは人間のときのまま採用されているらしい。滲み始めた視界に気が付き、慌てて息を吸う。
吸って、吐く。この世界に満ちている気体が酸素なのか二酸化炭素なのか知らんけど、とりあえず吸って吐く。
ちょっとだけ落ち着いて顔を上げると、やっぱり不機嫌そうな男がじっとおれを見つめていた。
一言、二言。ぼそぼそと何事かを呟く。
勿論おれにはわからない言葉だ。
「……なんすか」
イエリヒさんに通訳を求めたものの、柔和な顔に困ったような苦笑を浮かべて、彼は首を横に振る。
「黒館様は、あなたに通訳しなくてもいい、と言いました。よってわたしは黒館様の言葉をハルイには言いません」
「……伝えたくない言葉なら、言わなきゃいいのに」
「ハルイ」
だめだよ、というようなイエリヒさんの視線に、思わず口を閉じる。といっても黒館某様はおれの言葉がわからずとも、文句を言われたことは察したらしい。ものすごく目を細めて不機嫌そうな顔で睨んでくる。ふつうにこわい。イケメンはこれだから嫌だ。
黙り込むおれと黒男の間で、イエリヒさんはしばらくわたわたしていた。
けれど、諦めたようにため息をついて、気を取り直し、質問を再開する事に決めたらしい。
「ハルイ、わたしはあなたに、さらに質問をします」
そしてこの質問こそが、おれのこの世界における召喚獣の責務を決める、大変重要な質問だったわけだ。
イエリヒさんの顔は、まるで祈るかのようだった。
そうであってほしい、そうにちがいない、たのむ、そうだと言ってくれ――というモノローグが背景に見える。
「ハルイは、料理ができますか?」
「…………え、あ、はい」
おれがさくっと答えたあとのイエリヒさんの満面の笑顔を、そして後ろの男のちょっとびっくりしたような顔を、たぶんおれは今生忘れないと思う。
さてこれが、召喚獣モガミハルイが料理人として生きることになる今世の第一日目のことだった。
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