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ナタクロス監獄
しおりを挟むハートフェルトの荷馬車が王都の門をくぐろうとした、その瞬間だった。
どこからともなく、土煙と共に灰色の影が迫る。狼の群れだ。
門の上から外を監視していた門番が絶叫した。
「魔物襲来! 閉門だ、閉門しろ!」
検問に並んでいた商人や旅人たちは顔色を変え、我先にと門の内側へ駆け込む。
「何が来たんだ⁉︎」
「知らん! おい商人、馬車を動かせ! 門を閉められん!」
「はい、あっ——しまった!」
轅先を馬とつなぐヨークが外れている。ハートフェルトは慌てて叫んだ。
「すみません、誰か手を——」
助けに出ようとした門番の手を、門衛長が掴む。
「もういい。門は開けたまま迎撃だ!」
「は、はい!」返事は立派だが、その声にはわずかな震えがあった。
門衛長は周囲の兵に怒鳴る。
「武器を持って並べ! ここから先には一歩も通すな!」
だが、相手はいつも威張り散らす農民や商人ではない。
迫るのは、牙を剥き出しにした魔物の群れ——恐怖が、兵の顔に浮かんでいた。
「おい、中央はお前が——」
「いや、新人を——」
くだらない押し付け合いをしている間に、狼たちは目前まで迫っていた。
「馬鹿どもが、どけ!」
門衛長が大股で前へ出る。背筋はまっすぐ、視線は狼の群れを真っ直ぐに射抜く。
「ただの狼だろうが。俺が王都を守る」
守衛から大剣と盾を受け取り、兜をかぶる。
——元冒険者らしい、その背中には確かな自信があった。
先頭を走るのは、一際大きな漆黒の狼。
牙狼ルナ。鋭い金色の瞳が、門衛長だけを射抜いていた。
背後に連なる数十匹の狼は、鋒矢の陣形を保ち、一糸乱れず突撃してくる。
空はにわかに曇り、風に湿った匂いが混じる。雲間を稲光が走り、雷鳴が低く響く。
「ワオォーン!」
ルナが門衛長の目前で急停止し、天を仰いで遠吠えを上げた。背後の群れは動かない。
『手を出すな、俺の獲物だ。セレナ様の許可は得た』
ルナは口元をわずかに吊り上げ、次の瞬間、大地を蹴った。
空気を裂く音とともに、ルナの巨体が宙を舞う。
爪が盾を叩いた瞬間——鋼鉄が紙細工のように粉々になった。
門衛長の瞳に怯えが走る。だが踏みとどまり、剣を突き出す。
それを狙ったかのように、ルナのもう片方の爪が剣を撫でた。
ポキリ、と乾いた音を立てて折れる。
「嘘だろう——!」
その叫びが終わる前に、兜は天高く舞い、門衛長の体は地面へ叩きつけられた。
ルナは振り返り、群れに短く命じる。
『主人が待ってる、行くぞ!』
狼たちは倒れた男の脇を駆け抜け、ルナの背に続いた。
ハートフェルトは倒れた門衛長に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
気を失っているだけだと分かった。——叩く瞬間、ルナが爪を引っ込めたのを見たからだ。
※
「匂いは嗅いだか? 追跡だ!」
カフェ前の通りにいた狼たちは、セレナの号令で三方向へ散開した。
雷鳴を恐れ家に籠もる者もいたが、道にはまだ行き交う人々や馬車があった。
馬車の馬は、迫る足音に耳を伏せ、立ち止まって嘶く。
「おい、どうした!」御者が鞭を振るうも、動かない。
その間に、灰色の影が横切った。狼たちだ。
「ひ、ひぃぃ……」御者の顔は青ざめたまま固まった。
※
「ワオーン!」
ルナからの遠吠えが、カフェ店主の居場所を告げた。
「さあ、行くよ、ハンマー」
「セレナ様、馬に——」
「私とどっちが早いか競争だ」
王国の西側。川の中央に聳えるナタクロス監獄が、灰色の岸壁の上にそびえている。
河岸には狼の群れが整列していた。
「ここで匂いが途切れてる!」
追いついたきたハンマーが、レイラに話す。
「獣人族の男たちを捕らえて監獄へ……魔物との戦争が始まったからでしょう」
「はぁ? 関係ないでしょ、彼らは」
セレナの眉が険しくなった。
川向こうの岸壁——距離も高さもある。
「一度退いて——」ハンマーの声を無視し、セレナは叫んだ。
「行くよ!」
セレナと狼たちは一斉に川へ飛び込み、激しい流れをかき分けて進む。
あっという間に対岸へ渡ると、船着場から階段を駆け上がった。
監獄の門は固く閉ざされている。
「開けてくれない?」
門上の兵が睨み下ろす。
「お前何者だ。許可は? その狼は何だ!」
「私はセレナ。許可なんてない。後ろの狼は私の眷属だ」
その言葉に、門の向こうでざわめきが起きる。
「まだ開けないの?」
門上には弓を構えた兵が並び、声を張り上げた。
「待たせたな、狼の魔物。答えはこれだ!」
矢の雨が降り注ぐ。
「疾風剣!」
セレナの剣が見えぬ速さで閃き、矢は空中でぱらぱらと折れ、足元に落ちた。
「じゃあ、今度は私の番ね。威力は最低にするけど……死んだら知らないわよ」
剣先を天に掲げる。
——風が止む。空が重く沈み、雲が渦を巻く。
湿った空気が肌に張り付き、門上の兵たちの喉が同時に鳴った。
閃光が雲間を走る。耳を打つ雷鳴が一拍遅れて轟く。
「雷剣!」
眩い稲妻が剣先から迸り、枝分かれしながら門上の兵たちを包んだ。
轟音と光の中、兵たちは悲鳴を上げる間もなく膝をつき、煙が漂った。
※
船着き場から小舟を盗み出したハンマーは、天から落ちる稲光を見上げてつぶやいた。
「おいおい……戦闘が始まっちまった。急がねえと」
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