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神々の遊戯 ※
しおりを挟む赤目博士は、前に並ぶ複数のディスプレイを無言で見つめ、それぞれの表示を順に確認していく。
「ふうん……死角に逃げ込んだのね。まあ、構わないわ。それで――状況は?」
モニターに映っていたのは、魔物による新たな侵攻ルートの展開を予測するシミュレーションだった。仮想戦力と配置図の赤線が、淡々と人族の拠点を突き破っていく。
「やっぱり早すぎたかしら。でも……何度も試算した結果よ。これが正解のはず」
人族と魔物。両者の戦力は今や均衡し、拮抗点は刻一刻と移ろい始めていた。
東部に広がりつつある魔物の勢力、西部を固める人族の防衛線――戦争の火種は積み重ねられていく。
均衡。それは安定ではなく、臨界へと至る不穏の予兆。
「まあ……あの人が無事なら、どう転んでも構わない。私の領分じゃないもの」
赤目は静かに画面から目を逸らす。
今、彼女が意識を向けるべきは、別の存在だった。手に余るほどの制御困難な個体。彼女が唯一、意のままにできない相手。
「碧、翠――お願いね」
短く告げ、モニターのスイッチを落とした。
※
オーガ王の居城は、巨大な地下空洞の奥底に築かれていた。天井からは鈍く輝く鉱石の光が照り、重い空気が淀んでいる。
「王よ、これは……神の意志です」
「いま進軍せねば、我らオーガは臆病者と見なされましょうぞ」
軍師トルドと戦狂バルドが、王ゴルドに詰め寄っていた。
ゴルドはしばし黙し――やがて、重く口を開く。
「……ならば、任せよう」
その声音に、苛立ちと諦念がないまぜになっていた。
(クロガミ様のご指示とはいえ……わしは、自分の種族を滅ぼすつもりはない)
それが、王としての偽らざる本音だった。だが、その思いを察する者は誰一人いない。
軍師も、戦狂も、ただ前進することしか考えていない。
(なぜ、考えようとしない……?)
腹の奥で怒りが煮えたぎっていたが、ゴルドの表情は微動だにしない。
「アイツらは民の人気者だからな。……表立って異を唱える者もおらん。まったく、情けない側近どもめ」
沈黙を断ち切るように、彼は命じる。
「バルド、まずはお前の第一軍を出せ」
「それでは、少なすぎます」
即座にトルドが反発する。
「……では、アズーリア村のオークどもにも協力を要請せよ。アルドもいる。戦力は整う。もちろん、後続の軍勢も編成する」
「ふん、我らだけで充分だがな」
「……ありがとうございます」
不満げなバルドに対し、トルドは礼を忘れない。
やがて御前会議が終わると、ゴルドは気配を消すようにして寝所へと戻っていった。誰にも気づかれぬよう、そっと扉を閉める。
「どっちが勝とうが構わん……全てが潰れた先に、わしの権力だけが残ればよい」
勝っても負けても、自らが得をするように仕組んだ王は、声もなく笑みを漏らした。
※
アズーリア村は、勝利の熱気に包まれていた。
人族の侵攻を退け、捕虜と戦利品は積み上げられ、広場には歓声と火の宴が絶えなかった。
だが、村の長・ドルムは沈痛な面持ちを浮かべていた。戦勝の熱とは真逆の、重い沈黙が彼の周囲だけに満ちていた。
「……困ったな。オーガ王から、進軍の要請が届いた。人族の領域へ踏み込め、とな」
「反対です。そんな約束はしていません。この村を守ることが条件だったはずです!」
側近ザルムが、抑えた怒気を滲ませて抗議する。
「問題は、アルド殿だ。あの魔術師が、どう出るか……」
オーガ王から派遣された魔術師、アルド。
共に戦ってきたが、王や本国と連絡を取る素振りは一度もない。自らの意志で動いているようでいて、どこか浮世離れしていた。
戦利品に興味を示すこともなく、魔道具を手に取っては、気に入らなければ無造作に放り捨てて立ち去る。
冷たい眼差し。気まぐれな挙動。どれも、目的を測りかねる。
「どうした? 浮かない顔をしているな」
背後からかかった声に振り返ると、そこにはいつの間にかアルドが立っていた。
「ひ、ひぃっ……!」
ザルムは思わず声を漏らすが、アルドは少年のように笑った。
「はっはっは……いい顔をするな。愉快だ」
その笑みは、どこまでも底が知れなかった。
「お主たちは、ここに留まるといい。約定に含まれていないのだろう? ならば、好きにすればよい」
「……それでは、アルド殿は?」
「ここにいるのも飽いた。骨のある敵も来ぬ。わしは――行くよ」
その一言に、オークたちは胸を撫で下ろした。だが――ザルムだけは、黙っていなかった。
「アルド殿、どうか……私を随行させていただけませんか」
その一声がなければ、次に名乗り出たのはドルムだったろう。
未来を読んだザルムは、一歩、先んじた。
「ふむ……案外、生き延びるのは、お前のような奴かもしれんな」
アルドは小さく笑みを浮かべた。
オーク王亡き今、次期後継候補の四人のうち、一人はセレナに惨殺され、一人は再起不能の重傷。残る者に天啓は未だ降りていない。
そして彼らは、上に立つ者が自ら前線に立ち、下に命を強いて戦わせないという奇妙な倫理を保っていた。
「……レベルの差、能力の差が大きすぎるこの現実では、それが最も合理的なのかもしれんな」
アルドは、オークたちと共に暮らす中で、その生ぬるさの背後に、神の実験のような意図を感じ取り始めていた。
「男は囮に。女はゴブリンへの贄として提供する。それで、ゴブリン王も動くだろう」
ザルムは、今回は少数の部下しか連れて行かぬつもりだった。その分の交渉材料だ。兄・ドルムが取り次いでくれるはずだ。
「……過去の歴史において、魔物が最終的に勝利を収めた例はない」
だが、そんなことを知らぬ知識階級の魔族など、存在しない。
――これは、神々の遊びだ。
アルドはその言葉を呟き、周囲に誰もいないことを確認すると、静かに、深く、息を吐いた。
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