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微笑む狼と沈黙の王子たち
しおりを挟むセレナは、ルナと狼たちと共に、北方の地から王都を目指して走っていた。
吹きつける風の匂いに、微かに血の気配が混じる。牙を持つ者たちが、すでに戦の兆しを感じているのだ。王都への道は、静かにざわめき始めていた。
「そこに、私の兄さんたちが居るわ。あとリアナとハートフェルトも」
走りながら、セレナはノクスと通信を続ける。魔力を通した念話には、どこか焦燥が滲んでいた。
「わかった。王都の貧民街の大倉庫ね。知ってるわ、ハンマーでしょ?」
「顔だけでも出して欲しいの!」
ノクスの声に、どこか切実なものが宿る。妹としての願いであり、牙狼王女としての直感でもある。
王都は、何かが動き始めている――その気配を、獣たちは肌で感じ取っていた。
彼女たちは、王都へ向かう途中、各地に点在する魔物の小さな森を経由して進む。これは、狼たちの訓練でもあった。生きた戦場での実戦――牙狼の眷属にとっては、それが最高の学びなのだ。
「え? じゃあ何、その聖女を救出に行くの?」
「うん。そうみたい。これから救出隊のメンバーを決めるって。それと牙狼の森なんだけど」
「どうしたの?」
「死者の軍団が、境界に集まってきてる。もうすぐ戦争が始まるわ」
その言葉に、ルナの瞳が鋭く光る。
「じゃあ、急いで帰らないとね。楽しみだわ!」
戦闘狂の牙狼王女は微笑んだ。獣の王族にとって、戦いは血を騒がせる儀式のようなもの。
死の匂いが漂うほどに、命は鮮烈に煌く。
※
王都にいる冒険者たちは、セドリック王子の傘下に入ることになった。そして、その部隊はウエストグレン方面に進軍していく。
その列の中には、あれほど協力を拒否していた上位ランクの冒険者の姿も、すでに引退していた者の姿もあった。
「これで、魔物の討伐も問題なく終わるだろう」
王都の雰囲気は、討伐軍を送り出したことで一気に落ち着きを取り戻していた。いや、正確には――すでに戦勝気分へと変わりつつあった。
「そんなに簡単なものではない。馬鹿な王国民どもだ」
セドリックは王城の高台から、その様子を眺めていた。民衆の楽観と浮かれぶりに、憐れみとも軽蔑ともつかぬ眼差しを向けて。
その彼の元には、火山の被害状況が届いていた。
「それじゃあ、南部の半島に行く道は全て分断されているのか?」
「はい、火の川が流れて地震が起きております。近隣住民は全て避難させましたが……」
火山の噴火は、ただの災害ではなかった。
南部の半島――その付け根にある南公爵家、ヴァルステイア家の侯都との連絡が途絶えている。
この王国には、潤沢な資金も食糧もある。それは、前回の魔物との大戦において被害が少なかったこと、そして王国がその後も成長を続けてこれたことの証明だった。
だが、その繁栄の足元を揺るがすかのように、火山は地を裂き、情報の道を断った。
そして何よりも重大なのは――ヴァルステイアの先にある聖王国や都市国家との連絡が途絶えていることだった。
「もし、その火の川が静まった後、魔物が出てきたら……その魔物は、こちらに行くか? それとも南へ向かうのか……」
セドリックの視線が、火山のある南方へと流れる。
できることなら、魔物と都市国家が戦闘して、互いに消耗しあった後に、そこへ攻め込みたい。血を流すのは他国でよい。王国は、収穫だけを奪えばいい。
彼はすでに、王都に残した半分の冒険者たちに防衛陣地を作らせ、様子をうかがう態勢を整えていた。
「母様がうるさいからな。ヴァルステイアのこととなると。でも、兄が行っていると話をしたら、静かになるだろう」
兄――ライオネル。もし彼が、ソラリス様と共に帰ってきたら、自分の立場は一時的に後退するだろう。
だが、それで良い。敵対しているわけではない。次の機会を狙えばいいのだ。
今は、火山が火を吹き、地形を変えている。焦る必要はない。打てる手は限られている以上、最も効果的な一手を待つべきだ。
その時、王国第三騎士団の副団長、女騎士ネスレが控えから声をかけた。
「そろそろ会議の時間です」
「そうだな、行こうか」
セドリックは火山の煙にくもる空を見上げた。大地を焼き尽くすその赤は、今なお王国の南を照らし続けている。
「セドリック様、妹のこと、ありがとうございます」
整ってはいるが、無骨で毅然とした男らしい顔立ちの女騎士。彼女の妹――アゼリアのことだ。
二人は王国では名の知れた姉妹だが、母が違う。姉ネスレの母は正妻であり、アゼリアは側室の娘。
「ああ、美しいアゼリアを死なす訳にはいかんからな」
その言葉を聞いたネスレの顔が、ふっと曇る。
血筋では正統の姉であるはずの自分が、なぜか常に比較され、そして何かを許されていないような気がしていた。
「そんな顔をするな。お前を大切に思っているよ」
セドリックは、何気なく彼女を抱き寄せた。
「こんなところで何を!」
彼女は怒ったように、だがその頬を赤らめて王子を突き放した。
王子はその反応に気づき、満足げに微笑む。
「可愛い奴だな」
体制派の第一王子でも、反体制の第二王子でもない。第三王子の自分についてきてくれているのは、ひねくれている彼でも嬉しいことだ。
ノクスフォード家は、四大侯爵家だが、政治闘争には関与しない。権力にも固執しないし、実力主義だ。宰相に、優秀なフェニックスを引き上げると、引退してしまう現当主。彼女たちの父。
「魔物との戦いが最優先」
セドリックは、無能な宰相と臆病な国王の待つ会議室へと向かっていた。
その足取りは軽くも重くもなく、ただ計算通りの時間に、計算された姿勢で。彼にとってこの会議は、何かを期待する場ではなく、何かを見定めるための儀式に過ぎない。
※
同じ頃。
ライオネル王子と第一騎士団は、王国の南部にある聖王国で、ソラリス聖女の捕縛を試みていた――だが、それは失敗に終わった。
「くそっ。考えられる幹線道は封鎖しろ」
静かに、慎重に動いたつもりだった。軍の規模も縮小し、移動経路も極限まで抑えた。
それでも、彼女には逃げられた。
密偵すら網をかけることができなかった。あらゆる追跡をすり抜け、彼女たちは霧のように消えた。
そして、その直後だった。火山が噴火したのは――
「ライオネル様、遠征は中止して王都に戻りましょう」
第一騎士団の副団長が進言してくる。まっとうな判断だ。だが、団員たちの顔に浮かぶ怯えと不安――それが、ライオネルの苛立ちを刺激した。
「これが、第一騎士団の胆力か……」
ライオネルは、呆れていた。いや、それ以上に虚しさを感じていた。
彼らは、エリートだ。王国随一の名門貴族の子息たちで構成された選ばれし騎士団。
だが――戦場で真に頼れるのは、そういう輩ではないことを、彼は知っていた。
弟たちの率いる騎士団の方が、ずっと無骨で、実戦的な武人が多い。彼らは命令に従い、恐れず剣を振るう。
だが第一騎士団は違う。彼らは誇りを持って戦うが、誇りを守るために戦場を避ける。
「危険に晒してはいけない騎士団とは……全く使えないな」
声には、皮肉よりもむしろ、諦念が滲んでいた。
この国に真に必要な軍とは何か――この緊急事態の中で、それが皮肉にも浮き彫りになっていた。
もはや、ヴァルステイア公爵領に戻るしかない。
道は火山によって断たれ、彼らの任務も崩れた。だが、それでも王子である以上、次の一手を選ばねばならない。
「道の閉鎖と捜索は中止だ。火山の噴火の状況を収集しよう」
この災厄がただの自然現象ではないことは、ライオネル自身が一番よく理解していた。
あまりに出来すぎている。火山の噴火のタイミングも、聖女の逃走も、全てが一つの計略に見えるほどに。
彼は、空を見上げた。南の空に昇る火山灰が、王国の未来をくすませていた。
戦火はまだ始まっていない。だが、それはもう――遠くない。
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