シシルナ島物語 少年薬師ノルド/ 荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣

織部

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蠱惑の魔剣

祝祭の夜、舞い降りた者

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ふふふはははは……見逃すとはな。後で悔やむだろう」
 抑えようとしても、愉悦が声となって溢れ出してしまう。胸の奥で煮えたぎる高揚が、もはや抑えきれなかった。

 想定外の乱入者が現れ、ガレアは奪われたが、ラゼルは我が身の無事を祝った。
 島民から見れば、島主を殺そうとしたドラガン、サガンをラゼルが討った英雄。

 しかし同時に、島主はサルサの手先と思しき女に奪われた――そう映るだろう。
 全てが計算通りではなかったが、まだ手はある。
「島主代行として宣言する。私は……」
 だが、誰も彼を見ていなかった。冒険者も、警備員すらも。

「へ?」
 島民たちの視線は、遥かなる天空を仰いでいる。
「ああ、グリフィンの行方を追っているのか……」
 グリフィンが消え去るのを待とうとしたが、民衆は空を見つめたままだ。風が頬を撫で、髪を巻き上げる。夜の海から吹き上げる潮風が、かすかに塩と祈りの香を運んでくる。

 風の島よ、精霊の島よ
 穏やかな海を抱く島よ
 今、歌い出すは精霊の歌
 光を導く、エリスのしもべ

 シシルナ島の讃美歌を、観衆の中の一人の青年が歌い出した。声は震えていたが、確かに空へと届く。やがて呼応するように、老いも若きも声を合わせ、島全体が一つの大合唱となった。

「くそっ、これでは俺の声が届かない……!」
 ラゼルの声に込めた誘導と支配のスキルが、音の洪水の中に溶けて消えていく。
「早く、いなくなれ! 奴らは敵だろう!」

 ラゼルもゆっくりと首をあげた。
「どこに……グリフィンが飛んでいるんだ?」
 そこにいたのは、島主を攫った女の操る小さな一匹とはまるで別の、巨大なグリフィン。上空からゆるやかに円を描き、光の帯を残して降下してくる。

「おい、攻撃の準備だ!」
 ラゼルは冒険者たちに命じた。
 あいつに襲わせるつもりなのか……。
 逃げるか? いや、今こそ全島民を支配する千載一遇の好機だ。

 ラゼルは歪んだ笑みを浮かべ、声を張り上げる。その声は夜空を震わせた。
 冒険者たちはやっとのことで反応し、弓を構え、詠唱を始めた――だが、やがて手が止まった。
 再び雲が月を隠す。
 激しい風が吹き、灯が消え、あたりは闇に包まれた。

 風の島よ、精霊の島よ
 命を紡ぐ大地の力
 目覚めし王よ、我らを守れ
 天へ祈りを、捧げる時

「唄うのをやめろ! 俺の全力のスキルを見せてやろう!」
 ラゼルは長い演唱を始めた。
 天空から、その唄に応えるように、美しい女性の透き通った声が響く。夜空の奥底から、まるで天が開かれるように光が零れ落ちる。

 天には数えきれぬほどの精霊の子らの光が舞い、風が鳴き、海が震えた。
「ありがたや! ありがたや!」
「なんたる奇跡だ……!」
「この島にいる全ての妖精すら、現れている……!」

 数年前のシシルナ島の奇蹟が、再び訪れた。いや、それ以上だった。その場に立ち会った者すら息を呑み、誰もが神々しさに膝を折る。

 光の波が天を覆い尽くし、無数の妖精の羽音すら地上に降り注ぐ。風・土・火・水・光――五属性の輝きが空に虹を描いた。

「この島は俺のものだとでも主張したいのか、愚かな精霊王よ。譲り受けろと、蠱惑の魔剣に言われている」
 ラゼルは歪んだ笑いを漏らし、支配の魔術を放つ。

 だが――民衆は天を見上げたまま、膝をつき祈りを捧げていた。冒険者や警備員すらも、武器を捨て両手を組み合わせる。
「……なぜだ、なぜ効かぬ!」
 ラゼルの喉が焼けるように叫ぶ。だが答える者はいない。

「祝福」
 光の粒が、この一帯に降り注ぐ。
 彼の放った魔術を打ち消し、さらに全ての者にかかっていたラゼルの支配や誘導すら消し去った。
 妖精の羽音――違う。グリフィンの比翼の音、違う。

 もっと大きく、荘厳で、原初の鼓動のような響き。
 降下してきたのは、偉大な存在。
「ドラゴン!」
「いや、違う。そんなもんじゃない……聖光を統べる古き竜!」
「星々を繋ぎし光竜……!」

 人々は顕現した存在に名を与える。その声は恐れではなく、畏敬に満ちていた。
「くそっ、なぜあいつがここにいる! お前たち、俺を守れ!」

 だが誰も彼を見ない。ステージに倒れるドラガンとサガンの遺体を、民たちは丁寧に降ろしていた。主の来るべき場所を清めるように。

 ラゼルは諦め、逃げ出そうとした。
「あら、どこに行くの? せっかく会えたのに」
 ラゼルがあいつと呼んだ聖女ネフェルの声。
 彼女は竜の背から軽やかに飛び降り、月光に包まれながらステージに立った。

「この子の名はアストレイルよ! 方向音痴のせいで、すっかり遅れてしまったわ」
 ネフェルは一瞬、悲しげに目を伏せた。その刹那、竜の咆哮が会場を揺るがす。

「久しぶりね、島人のみんな。この島は精霊の島。そして精霊の王により、島主はこの島を任されているわ。それは他の何者でもない」
 誰もが、彼女の言葉に静かに耳を傾けた。風が止まり、炎がゆらめく。

「それとこの地には、我が王妹アマリの命を救ってくれたサルサのサナトリウムがあるわ。決して犯してはいけない場所よ。心に刻んで頂戴」
 島民たちは深く頷いた。

 アマリも恐る恐るドラゴンから飛び降りた。
 ネフェルは大切な宝を抱くように、両手でしっかりと受け止める。
「姉ちゃん!」
「だって危ないでしょ。もう一度、讃美歌を唄いましょう。そして――『祝福』を」

 かっこよく降りたかったアマリは頬を膨らませたが、胸を張って再び歌い出す。彼女の声が、夜風に乗って島中に広がった。

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! 変な呪文を使いやがって!」
 ラゼルは全身の魔力が抜け落ちるのを感じ、よろめきながらポーションをあおる。

 魔力が戻ると同時に、彼は本気で逃走を始めた。
 聖女ネフェルは一瞬、その姿を視界に捉えたが、振り返らずに民衆へと向き直った。

「私が始末したいところだけど……」
 彼女は静かに微笑む。
「この島のことは、この島の民に任せましょう」
 そして、二度目の夏の祝祭は幕を閉じた。

「魔剣が手元にあったなら、こんなことにはならなかった。あの聖女すら、処分できていたはずだ」
 広場から命からがら抜け出したラゼルは、魔剣の封印されているダンジョンへと一目散に向かった。
 誰にも見つからぬように。隠れながら逃亡者のように。

「これでは、まるで犯罪者じゃないか。せめて奴隷たちでも連れてくるんだった」
 その時になってようやく、彼女たちのことが頭をよぎる。

「我の元に集え……」
 契約の約定を唱えかけて、やめた。
「蠱惑の魔剣を取り返してからだ。奴隷にも見張りがついているだろう。魔剣の場所を知られるような間抜けな真似は、せん」

 彼は歯を食いしばり、夜の森を駆け抜けた。

 その足跡の向こうで、遠く――まだシシルナ島の讃美歌が響いていた。
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