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最終章 牙狼の王
再会の庭
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庭に影が落ちた瞬間、胸が詰まった。
聖女ネフェルの竜、アストレイル。その背に、いくつかの人影が見える。
その中に彼がいると悟るまでに、ほんのわずかな間があった。
扉を開けると、芝生の上に懐かしい光景が広がっていた。
先に飛び降りたリコが、昔のままの声で笑っている。
「わぁ……久しぶりね」
ああ、その声だ。
それだけで、離れていた年月が一気に胸へ押し寄せてくる。
この島を出てから、あの子たちは一度も戻らなかった。
「セラ母さん、ただいまぁ」
気づけば、視界が滲んでいた。
抱きついてきたリコの体温が、確かにここにいるのだと教えてくれる。
「元気そうね、リコ」
それ以上の言葉は、喉の奥でほどけて消えた。
足元では、ヴァルが尻尾を大きく振っている。
その無邪気さに、思わず小さく息が漏れた。
「……母さん、ただいま」
声の方を向く。
そこに立っていたのは、いつの間にか大人になったノルドだった。
背も、肩幅も、もうセラよりずっと大きい。
それでも――その目だけは、昔のままだ。
「お帰り」
そう言って、手を取る。
ためらうような指先を引き寄せ、胸に抱きとめた。
失ったと思っていた時間は、失われてなどいなかった。
ただ、こうして戻ってくるのを――
彼女は、待っていただけなのだ。
*
アストレイルは飛び立たず、療養所の庭に翼を畳んで身を横たえていた。
巨大な体を地に預けたまま、サナトリウムの方を気遣うように、じっと見つめている。
「サルサ様、姉の具合はどうですか?」
アマリの問いに、サルサは穏やかに微笑んだ。
「セラが看病してくれているよ。ネフェルの病室へ行こう」
「私は、食事の準備をしてきますね」
そう言い残し、セラは調理場へ向かった。
扉を開けると、ネフェルが横たわり、静かに眠っている。
穏やかな寝顔だった。
「……はぁ? お姉ちゃん、なんかふくよかじゃない?」
布団をめくり、アマリは遠慮なく全身に触れる。
「うん、太ってる」
リコも真似をして頷いた。
「サルサ様、これはどういうことですか?」
ノルドが思わず声を上げる。
「いや、見ての通りさ。セラがね、スープやジュースを飲ませていたんだが」
偉大なる聖女は、何も与えずとも、溜め込んだ膨大な魔力に守られているらしい。
意識は戻らぬままでも、スープやジュースを欲しがる仕草だけは見せるのだという。
「だから、慌てて量を減らしたのよ!」
そこへ、セラが海鮮のスープを載せたワゴンを押して戻ってきた。
その匂いに、ネフェルの顔がわずかに向く。
「食いしん坊ね、お姉ちゃん」
安心したアマリは微笑み、自らスープを口元へ運ぶ。
「まるで赤ちゃんね」
そう言ったリコのお腹が、「くぅ」と小さく鳴った。
「みんなの分も作ってあるわ。食堂で食べましょう。……話があるんでしょう?」
セラの言葉に、空気が少しだけ引き締まった。
※
ノルドは、どこから話そうか逡巡していた。
「帝国の東、大森林の森の村に、獣人族がいたわ、セラ母さんのこと知ってた」
「え?」
リコは、悩むことなく話し始める。
ノルドが、詳しく話すと、最初は嬉しそうな顔をしていたが、「ノルド王」と呼ばれるという件になると、途端に厳しい顔になった。
「覚悟していただろう? ノルドは獣王国の王族の子。しかも、王の指名をされていた。彼らの気持ちを考えれば……」
事情を知るサルサが、セラを宥めた。
「そうですね。そのつもりでしたが、いざとなると……怖いんです」
この島を出る時から、獣王国の政争に巻き込まれること、暗殺者につけ狙われること。
それは、セラも想定内だった。あえて、彼らを探さず、もし知っても連絡もつけなかった。
「聖王国での、ノルドの居場所を考えたら、獣王国も手を出してこないと思って安心していましたが、ノルドが生きていることが広がると……」
「母さん、僕には彼らに対する責任が有ります。そのことから、逃げるつもりもありません」
「……」
セラは、目を見開いた。
「セラ、ノルドは強い。それに私がついてるのよ!」
ビュアンが現れて、セラの肩に座った。
「わかりました。ノルド王の仰せのままに」
セラは、ノルドに跪き、臣下の礼を取った。
「母さん、やめて下さい。貴女が私の母であることに変わりはありません」
ノルドは、慌てて彼女を立たせた。
「私は、お妃様の話を貴方にしませんでした。知性と慈愛を備えたあの人のことを。ごめんなさい」
彼女だって話したかったんだ。だけど、口にしなかった。ノルドは理解していた。
「狼人族たちに聞きました。とても母さんと仲が良かったと」
「ええ。仲が良いなんて。あの方がいなければ私は生きていない」
「人生を棒に振り、僕を育ててくれた。それだけで、恩は返せてますよ」
そして、自分がいなければ、今頃、グラシアスと楽しく暮らしていただろう。きっと、子供も産んだだろうと。
「お妃様のこと、聞いてくれる。ノルド」
「もちろんです」
そして、二人は静かに抱き合った。
二人の会話が、一段落するのを待って、サルサが言った。
「ここに来たのは、別の理由もあるんだろ。教えてくれないか?」
ノルドは、手術室へ移り、狼の魔術師の死体を取り出した。
聖女ネフェルの竜、アストレイル。その背に、いくつかの人影が見える。
その中に彼がいると悟るまでに、ほんのわずかな間があった。
扉を開けると、芝生の上に懐かしい光景が広がっていた。
先に飛び降りたリコが、昔のままの声で笑っている。
「わぁ……久しぶりね」
ああ、その声だ。
それだけで、離れていた年月が一気に胸へ押し寄せてくる。
この島を出てから、あの子たちは一度も戻らなかった。
「セラ母さん、ただいまぁ」
気づけば、視界が滲んでいた。
抱きついてきたリコの体温が、確かにここにいるのだと教えてくれる。
「元気そうね、リコ」
それ以上の言葉は、喉の奥でほどけて消えた。
足元では、ヴァルが尻尾を大きく振っている。
その無邪気さに、思わず小さく息が漏れた。
「……母さん、ただいま」
声の方を向く。
そこに立っていたのは、いつの間にか大人になったノルドだった。
背も、肩幅も、もうセラよりずっと大きい。
それでも――その目だけは、昔のままだ。
「お帰り」
そう言って、手を取る。
ためらうような指先を引き寄せ、胸に抱きとめた。
失ったと思っていた時間は、失われてなどいなかった。
ただ、こうして戻ってくるのを――
彼女は、待っていただけなのだ。
*
アストレイルは飛び立たず、療養所の庭に翼を畳んで身を横たえていた。
巨大な体を地に預けたまま、サナトリウムの方を気遣うように、じっと見つめている。
「サルサ様、姉の具合はどうですか?」
アマリの問いに、サルサは穏やかに微笑んだ。
「セラが看病してくれているよ。ネフェルの病室へ行こう」
「私は、食事の準備をしてきますね」
そう言い残し、セラは調理場へ向かった。
扉を開けると、ネフェルが横たわり、静かに眠っている。
穏やかな寝顔だった。
「……はぁ? お姉ちゃん、なんかふくよかじゃない?」
布団をめくり、アマリは遠慮なく全身に触れる。
「うん、太ってる」
リコも真似をして頷いた。
「サルサ様、これはどういうことですか?」
ノルドが思わず声を上げる。
「いや、見ての通りさ。セラがね、スープやジュースを飲ませていたんだが」
偉大なる聖女は、何も与えずとも、溜め込んだ膨大な魔力に守られているらしい。
意識は戻らぬままでも、スープやジュースを欲しがる仕草だけは見せるのだという。
「だから、慌てて量を減らしたのよ!」
そこへ、セラが海鮮のスープを載せたワゴンを押して戻ってきた。
その匂いに、ネフェルの顔がわずかに向く。
「食いしん坊ね、お姉ちゃん」
安心したアマリは微笑み、自らスープを口元へ運ぶ。
「まるで赤ちゃんね」
そう言ったリコのお腹が、「くぅ」と小さく鳴った。
「みんなの分も作ってあるわ。食堂で食べましょう。……話があるんでしょう?」
セラの言葉に、空気が少しだけ引き締まった。
※
ノルドは、どこから話そうか逡巡していた。
「帝国の東、大森林の森の村に、獣人族がいたわ、セラ母さんのこと知ってた」
「え?」
リコは、悩むことなく話し始める。
ノルドが、詳しく話すと、最初は嬉しそうな顔をしていたが、「ノルド王」と呼ばれるという件になると、途端に厳しい顔になった。
「覚悟していただろう? ノルドは獣王国の王族の子。しかも、王の指名をされていた。彼らの気持ちを考えれば……」
事情を知るサルサが、セラを宥めた。
「そうですね。そのつもりでしたが、いざとなると……怖いんです」
この島を出る時から、獣王国の政争に巻き込まれること、暗殺者につけ狙われること。
それは、セラも想定内だった。あえて、彼らを探さず、もし知っても連絡もつけなかった。
「聖王国での、ノルドの居場所を考えたら、獣王国も手を出してこないと思って安心していましたが、ノルドが生きていることが広がると……」
「母さん、僕には彼らに対する責任が有ります。そのことから、逃げるつもりもありません」
「……」
セラは、目を見開いた。
「セラ、ノルドは強い。それに私がついてるのよ!」
ビュアンが現れて、セラの肩に座った。
「わかりました。ノルド王の仰せのままに」
セラは、ノルドに跪き、臣下の礼を取った。
「母さん、やめて下さい。貴女が私の母であることに変わりはありません」
ノルドは、慌てて彼女を立たせた。
「私は、お妃様の話を貴方にしませんでした。知性と慈愛を備えたあの人のことを。ごめんなさい」
彼女だって話したかったんだ。だけど、口にしなかった。ノルドは理解していた。
「狼人族たちに聞きました。とても母さんと仲が良かったと」
「ええ。仲が良いなんて。あの方がいなければ私は生きていない」
「人生を棒に振り、僕を育ててくれた。それだけで、恩は返せてますよ」
そして、自分がいなければ、今頃、グラシアスと楽しく暮らしていただろう。きっと、子供も産んだだろうと。
「お妃様のこと、聞いてくれる。ノルド」
「もちろんです」
そして、二人は静かに抱き合った。
二人の会話が、一段落するのを待って、サルサが言った。
「ここに来たのは、別の理由もあるんだろ。教えてくれないか?」
ノルドは、手術室へ移り、狼の魔術師の死体を取り出した。
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