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波乱の月次御礼 ~次期将軍が一橋豊千代に決まった背景~ 1
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「されば畏れ多くも上様におかせられては来月の5月には一橋様の豊千代君を将軍家御養君として西之丸へとお迎えあそばされる所存にて…」
将軍家御養君とは将軍・家治の養嗣子という意味であり、即ち、御三卿の一橋家よりその当主である治済の嫡男の豊千代を養嗣子として、つまりは次期将軍として来月の5月に西之丸に迎える…、将軍・家治はそのつもりでいるということであった。
だがその程度のことなれば、既定路線であり、とりたてて秘密にするほどのものではない。無論、だからといってあえて言い触らす話でもないが、ともあれ他言無用などとわざわざ思わせぶりに前置きする必要はなかった。
「そのことなれば、身共も存じており申す…」
源太郎もここ江戸城にて、しかも将軍のプライベートエリアである中奥にて将軍の警護役として勤仕していたので、表向の役人よりも早くにその既定路線に接することができた。
また準松にしてもそのことに…、己が中奥番士としていち早く、情報を「キャッチ」できる立場にいることを知っている筈であり、それゆえ源太郎はわざわざ思わせぶりに、
「他言無用…」
などと前置きした準松の思惑をはかりかねた。
一方、準松にしても源太郎のそんな胸中には勿論、気付いていたので、
「いや、問題はこの先ぞ…」
さらに思わせぶりなことを口にした。
「この先とは?」
「この先からが他言無用なのだが…、上様は果たして豊千代君を西之丸へと迎えても良いものかと、悩まれているご様子…」
それは源太郎も初耳であった。中奥にて将軍を警護する源太郎でさえ知らないことだから、表向の役人はまず知らないものと考えて差し支えなかった。
恐らくは中奥役人の中でも、御側御用取次の準松など、ごく限られた、いわゆる最高幹部しか知らない最高機密に属するものに違いなく、そうであればなるほど、準松がわざわざ、
「他言無用…」
などと思わせぶりな前置きをしたことにも頷けた。
「まずは血統の問題…」
「血統…、それは…、清水様の方が相応しいと?」
源太郎が尋ねると、準松は頷いた。
将軍・家治には腹違いとは言え、弟がいた。その弟こそが御三卿の清水家の当主である重好であった。
今から2年前の安永8(1779)年に将軍・家治の嫡男の家基が卒したために、家基にかわる次期将軍レースが激化した。
本来ならば家治がもう一人、子を…、嫡男をなせば済む話であったが、しかし、家治は元来、淡白な質であり、最早、側室との間で新たに子をもうける気力はなく、そこで養嗣子を迎えることにした。
その際、養嗣子…、将軍家御養君の筆頭候補が重好であった。
何しろ腹違いとは言え、将軍・家治の弟である。何よりも血統が重視される徳川将軍家において、将軍・家治に最も血筋が近い重好が次期将軍の筆頭候補に祭り上げられたのは当然であり、重好もその気でいた。
だがそこに待ったをかけた者がいた。誰あろう、同じく御三卿の一橋家の当主である治済であった。
治済は重好が将軍家御養君になることに…、次期将軍になることについての「デメリット」を言い立てたのであった。
曰く、
「重好殿は兄・上様とは8歳しか違わず、上様の養嗣子となるには些か年が行き過ぎている」
曰く、
「重好殿には未だ、子がなく、されば重好殿が将軍になったところで、再び、跡継ぎの問題が出来する…」
などと、治済は重好が将軍になることの「デメリット」を言い立てて、待ったをかけ、あまつさえ、自らの嫡男である豊千代を推挙する始末であった。
「臆面もなく…」
とは正にこのことであろう。
ともあれそれらの「デメリット」はいずれも反駁できるものであり、例えば年齢の問題ならば、確かに兄・家治とは8歳しか離れていない弟の重好を家治の養嗣子として迎え入れるのはいかがなものかと思われるかも知れないが、こと養親子関係は養親が養子よりも1つでも年が上であればそれで良く、それが8歳も離れているのだから別段、問題はなかった。
また、治済は重好には子がいないことをも「デメリット」として挙げたが、これとて今はまだ子がいないというだけで、重好は安永8(1779)年の時点では34歳であり、それから2年後の今でもまだ、36に過ぎなかった。子をなすのを諦める年齢とも言えず、これとて「デメリット」とはなりようがなかった。
ところが治済の横槍にまず、福井藩主の松平越前守重富が呼応した。これは予想されたことであり、それと言うのも重富は治済の実兄に当たるからだ。御三卿の一橋家こそ弟の治済が継いだものの、兄弟仲は良く、それ以上に、
「将軍位を清水徳川家にみすみす掻っ攫われてはたまらない…」
一橋家出身の重富がそう思ったであろうことは想像に難くなく、その上で、弟にして一橋家当主である治済の嫡男の豊千代が晴れて将軍位に就けば、
「同じく一橋出身たる己の栄達も夢ではない…」
重富がそうも思ったであろうことはやはり想像に難くなく、一方、弟の治済としても兄・重富の呼応は心強かったに違いなく、仮に嫡男の豊千代が将軍位に就いた暁には勿論、兄・重富が望む栄達を果たさせるつもりでいた。
具体的には重富が藩主を務める福井松平家の家格の向上であった。
ともあれ、一橋家より将軍家御養君を迎えることについては、重富と治済との利害は完璧に一致しており、周囲もそれを当然のことと見ていたので、重富の呼応はさして驚くものではなかった。
将軍家御養君とは将軍・家治の養嗣子という意味であり、即ち、御三卿の一橋家よりその当主である治済の嫡男の豊千代を養嗣子として、つまりは次期将軍として来月の5月に西之丸に迎える…、将軍・家治はそのつもりでいるということであった。
だがその程度のことなれば、既定路線であり、とりたてて秘密にするほどのものではない。無論、だからといってあえて言い触らす話でもないが、ともあれ他言無用などとわざわざ思わせぶりに前置きする必要はなかった。
「そのことなれば、身共も存じており申す…」
源太郎もここ江戸城にて、しかも将軍のプライベートエリアである中奥にて将軍の警護役として勤仕していたので、表向の役人よりも早くにその既定路線に接することができた。
また準松にしてもそのことに…、己が中奥番士としていち早く、情報を「キャッチ」できる立場にいることを知っている筈であり、それゆえ源太郎はわざわざ思わせぶりに、
「他言無用…」
などと前置きした準松の思惑をはかりかねた。
一方、準松にしても源太郎のそんな胸中には勿論、気付いていたので、
「いや、問題はこの先ぞ…」
さらに思わせぶりなことを口にした。
「この先とは?」
「この先からが他言無用なのだが…、上様は果たして豊千代君を西之丸へと迎えても良いものかと、悩まれているご様子…」
それは源太郎も初耳であった。中奥にて将軍を警護する源太郎でさえ知らないことだから、表向の役人はまず知らないものと考えて差し支えなかった。
恐らくは中奥役人の中でも、御側御用取次の準松など、ごく限られた、いわゆる最高幹部しか知らない最高機密に属するものに違いなく、そうであればなるほど、準松がわざわざ、
「他言無用…」
などと思わせぶりな前置きをしたことにも頷けた。
「まずは血統の問題…」
「血統…、それは…、清水様の方が相応しいと?」
源太郎が尋ねると、準松は頷いた。
将軍・家治には腹違いとは言え、弟がいた。その弟こそが御三卿の清水家の当主である重好であった。
今から2年前の安永8(1779)年に将軍・家治の嫡男の家基が卒したために、家基にかわる次期将軍レースが激化した。
本来ならば家治がもう一人、子を…、嫡男をなせば済む話であったが、しかし、家治は元来、淡白な質であり、最早、側室との間で新たに子をもうける気力はなく、そこで養嗣子を迎えることにした。
その際、養嗣子…、将軍家御養君の筆頭候補が重好であった。
何しろ腹違いとは言え、将軍・家治の弟である。何よりも血統が重視される徳川将軍家において、将軍・家治に最も血筋が近い重好が次期将軍の筆頭候補に祭り上げられたのは当然であり、重好もその気でいた。
だがそこに待ったをかけた者がいた。誰あろう、同じく御三卿の一橋家の当主である治済であった。
治済は重好が将軍家御養君になることに…、次期将軍になることについての「デメリット」を言い立てたのであった。
曰く、
「重好殿は兄・上様とは8歳しか違わず、上様の養嗣子となるには些か年が行き過ぎている」
曰く、
「重好殿には未だ、子がなく、されば重好殿が将軍になったところで、再び、跡継ぎの問題が出来する…」
などと、治済は重好が将軍になることの「デメリット」を言い立てて、待ったをかけ、あまつさえ、自らの嫡男である豊千代を推挙する始末であった。
「臆面もなく…」
とは正にこのことであろう。
ともあれそれらの「デメリット」はいずれも反駁できるものであり、例えば年齢の問題ならば、確かに兄・家治とは8歳しか離れていない弟の重好を家治の養嗣子として迎え入れるのはいかがなものかと思われるかも知れないが、こと養親子関係は養親が養子よりも1つでも年が上であればそれで良く、それが8歳も離れているのだから別段、問題はなかった。
また、治済は重好には子がいないことをも「デメリット」として挙げたが、これとて今はまだ子がいないというだけで、重好は安永8(1779)年の時点では34歳であり、それから2年後の今でもまだ、36に過ぎなかった。子をなすのを諦める年齢とも言えず、これとて「デメリット」とはなりようがなかった。
ところが治済の横槍にまず、福井藩主の松平越前守重富が呼応した。これは予想されたことであり、それと言うのも重富は治済の実兄に当たるからだ。御三卿の一橋家こそ弟の治済が継いだものの、兄弟仲は良く、それ以上に、
「将軍位を清水徳川家にみすみす掻っ攫われてはたまらない…」
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「同じく一橋出身たる己の栄達も夢ではない…」
重富がそうも思ったであろうことはやはり想像に難くなく、一方、弟の治済としても兄・重富の呼応は心強かったに違いなく、仮に嫡男の豊千代が将軍位に就いた暁には勿論、兄・重富が望む栄達を果たさせるつもりでいた。
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ともあれ、一橋家より将軍家御養君を迎えることについては、重富と治済との利害は完璧に一致しており、周囲もそれを当然のことと見ていたので、重富の呼応はさして驚くものではなかった。
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