天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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長谷川玄通は本丸奥医師の池原良誠が西之丸の主であった次期将軍の家基の鷹狩りに従ったことに疑惑を抱く

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 それから間もなくして、益五郎ますごろうたちがめる御三卿ごさんきょう家老の詰所つめしょ御側おそばしゅう津田つだ日向守ひゅうがのかみ信之のぶゆきが平蔵所望しょもうの、将軍・家治の「おすみつき」とそれに、家基いえもと最期さいごたかりにしたがった者の名簿めいぼとそして当日の日記をたずさえて姿を見せると、それを意知おきともうやうやしく差し出した。

何卒なにとぞ、亡き大納言だいなごん様のご無念むねんらしていただたく…」

 津田つだ信之のぶゆき意知おきともに対して平伏へいふくしてみせた。

 信之のぶゆきが何ゆえ平伏へいふくしてまで大納言だいなごん様こと家基いえもと無念むねんらすことに、すなわち、家基いえもとの死の真相がかされることを望むのか、益五郎ますごろうと、その博打ばくち仲間である玄通げんつうにはどうにも理解できなかったが、ひるがえって意知おきともとそれに平蔵はすぐに理解できたので、

身共みども大納言だいなごん様がご無念むねんらしたいと思うその気持ちは同じでござる。されば必ずや…」

 家基いえもとの死の真相をかしてみせると、意知おきとも信之のぶゆきに約束し、平蔵もそれをうけうかのように深々ふかぶかうなずいてみせ、信之のぶゆきの気持ちをみ取ってやった。

 それから信之のぶゆき意知おきともと平蔵に感謝しながら姿を消したところで益五郎ますごろうは尋ねた。

「あの人、どうしてそこまで家基いえもと様の死の真相とやらにこだわってるんで?」

 益五郎ますごろうは、そして玄通げんつうにしてもそうだが、今の今まで信之のぶゆきの顔を知らず、それゆえ勿論もちろん、名前もその身分も知らなかった。

 するとそうと察した意知おきとも益五郎ますごろう無知むち流石さすがあきれた様子であったが、それでも丁寧ていねいに教えてくれた。

「されば今の方は津田つだ日向守ひゅうがのかみ信之のぶゆき殿と申されて、ここ本丸にて御側おそばしゅうの一人として、おそれ多くも上様の御側おそば近くにつかえておられる…」

 御側おそばしゅう重職じゅうしょくであることは如何いか無知むち益五郎ますごろうでも、そして玄通げんつうもそれぐらいは承知しょうちしていた。

「のみならず、津田つだ信之のぶゆき殿が姉君、お千穂ちほの方様はおそれ多くも上様のご側室そくしつにて…」

 意知おきともがそう補足ほそくすると、それで益五郎ますごろうにも、そして玄通げんつうようやくに事情がめた。

「それじゃあ…、その姉貴あねき千穂ちほが産んだ子こそ、家基いえもと様ってこと?」

 益五郎ますごろうのその余りにあけすけな、つ、礼儀れいぎはぶいたそのもの言いに対して、意知おきともは元より、平蔵さえも顔をしかめたほどである。

 ともあれ益五郎ますごろうの言う通りではあったので、意知おきともは顔をしかめさせたままうなずいた。

「なぁる…、それじゃあその津田つだ信之のぶゆきって野郎が家基いえもと様の死の真相とやらをかして欲しいって望むのも当然と言やぁ、当然だよな…、何しろ家基いえもと様が生きてりゃ、手前てめぇは次期将軍、そして将軍の叔父おじになれたんだから…、それこそ大いに権勢けんせいとやらがるえたはずなのに、それが肝心かんじんかなめ家基いえもと様に死なれちゃ、それも水のあわ…、信之のぶゆきがせめてもの意趣いしゅがえし、ってわけでもないだろうが、家基いえもと様の死の真相とやらを俺たちにかして欲しいって望むのも、当然と言えば当然だよな…」

 益五郎ますごろう一人ひとり合点がてんすると、

「ってことは無念むねんらしてぇのは家基いえもと様のじゃなくって、次期将軍、あるいは将軍の叔父おじとして権勢けんせいるえなかった手前てめぇ無念むねんなんじゃ…」

 益五郎ますごろうがそこまであけすけに言うと、流石さすが意知おきともえられなくなったようで、「これ、口をつつしめっ」と益五郎ますごろうを注意した。

 もっとも、益五郎ますごろうのその言い分もあながはずれた読みではなかったので、意知おきとものその益五郎ますごろうを注意する声は強くなかった。

 それから意知おきともは「おすみつき」は大事に懐中かいちゅうにしまうと、信之のぶゆきが持参した日記の内容を読み込み始め、一方、平蔵は名簿めいぼに目を落とした。

 その間、益五郎ますごろう玄通げんつう沙汰さたとなった。

 益五郎ますごろう玄通げんつう博打ばくちをしたことをのがしてもらう代わりにこうして、家基いえもとの死の真相と、そこから派生はせいした奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつ事件の探索たんさくを手伝うことになったわけだが、しかし、実際には益五郎ますごろう玄通げんつうに出来ることは何もないのが実情で、意知おきともと平蔵が手分てわけして資料しりょうの読み込みをしている現状、その益五郎ますごろう玄通げんつう沙汰さたとなるのはけられなかった。

 するとそうと察した平蔵が名簿めいぼ益五郎ますごろう玄通げんつうへと回して、その意見を求めた。そのかたわらではあいわらず意知おきともが日記を読み込んでいた。この辺のづかいの差が平蔵と意知おきともを分けていたのかも知れない。

 とは言え、名簿めいぼを差し出されたところで、やはり益五郎ますごろうには「お手上げ」であり、すぐに玄通げんつうへと丸投げしたのであった。

 すると意外にも玄通げんつうが何かに気付いたようで、「あれっ?」と疑問の声を上げたのであった。

「どうかしたか?」

 平蔵が興味深げな様子で玄通げんつうに尋ねた。意知おきともにしてもそれは同様であったらしく、日記から顔を上げて玄通げんつうの様子をうかがった。

「いや…、あの…、ここに池原いけはら良誠よしのぶの名が…」

「そりゃ、池原の野郎もたかりに同行したそうだから、その池原の野郎の名前もあるのは当然だろ?」

 益五郎ますごろうはそう口をはさんだ。

「それはそうなんだが…、いや、そういうことではなくって…、問題は池原が本丸のおく医師いしってことで…」

 玄通げんつうがそこで言葉を区切くぎると、「どういうことだ?」と平蔵が先をうながした。

「いえ、本丸におく医師いしがあるように、西之丸にしのまるにもおく医師いしが置かれているんですよ…」

 それで益五郎ますごろうには、そして意知おきともにしろ平蔵にしろ、玄通げんつうが何を言いたいのかに気がついた。

「本来なら、西之丸にしのまるおく医師いしたかりに同行どうこうすんのがすじってことか?何しろ家基いえもと様は西之丸にしのまるあるじだったわけだから…」

 益五郎ますごろう意知おきともと平蔵の代わりに、それこそ、むねのうちを代弁だいべんしてみせた。それに対して玄通げんつうは、「その通りだ」と答えた。

「それじゃあ、本丸ほんまるおく医師いし西之丸にしのまるあるじであった家基いえもと様のために…、そのたかりに同行どうこうすることはあり得ない、ってことか?」

 益五郎ますごろうがそう尋ねると、玄通げんつうは難しそうな顔をした。

「いや…、あり得ないとは言わないが…、現にこうして本丸ほんまるおく医師いしであった池原が家基いえもと様のたかりにしたがったわけだから…」

「いや、だから池原をのぞいてだ。池原以外で、西之丸にしのまるあるじ、つまりは次期将軍がたかりをするってんで、それで本丸ほんまるつかえる、つまりは将軍につかえるおく医師いしがその次期将軍のたかりに同行どうこうしたことはあったのか?」

 池原をのぞいてと、益五郎ますごろうはそうかえした。

「いや、俺の知る限りでは…」

「ない、ってことか?」

 益五郎ますごろうが先回りして尋ねると、「ああ」と玄通げんつううなずき、その上で、

「まぁ、仮に西之丸にしのまるあるじ、つまりは次期将軍がたかりに行くってことで、本丸ほんまるからも誰か…、もしもの時にそなえて医師いしを出せってことになったら、西之丸にしのまる兼帯けんたいおもてばん医師いしを出すのが普通だろうな…」

 そう付け加えもした。

「おもてばん、いし?」

 益五郎ますごろうは聞き慣れない言葉であったので、そう聞き返すと、「おもてばん、いし」こと、

おもてばん医師いし

 について玄通げんつう益五郎ますごろうのために解説してくれた。

 すなわち、おもてばん医師いしとは本丸ほんまる表向おもてむきにて交代で勤仕きんしし、その表向おもてむきにて病人、あるいは負傷ふしょう者が出た場合に診察しんさつ治療ちりょうに当たり、場合によっては大奥にて病人や負傷ふしょう者が出た場合にも診察しんさつ治療ちりょうに当たることがあり、その場合には留守居るすい指示しじを受けて診察しんさつ治療ちりょうに当たることがあるそうな。

「このおもてばん医師いしだが皆、西之丸にしのまるをも兼帯けんたいしているんだ…」

兼帯けんたいってことは、つまりは場合によっては西之丸にしのまるにも出向いて、そこで出た病人なり怪我けが人なりの診察しんさつ治療ちりょうにも当たるってことか?」

 益五郎ますごろうが確かめるようにそう尋ねると、玄通げんつうは認めた。

成程なるほど…、仮に本丸ほんまるよりも誰か人を…、おそれ多くも大納言だいなごん様がおたかがりしたがわせるべく、本丸ほんまるよりも医師いしを出すこととあいった場合にはおもてばん医師いしを出すべきところ、ところが、大納言だいなごん様が最期さいごのおたかりにおいてはそのおもてばん医師いしを差し置いて、おく医師いしであった池原いけはら良誠よしのぶを出し、大納言だいなごん様がおたかりにしたがわせたは如何いかにも不自然と、そういうわけだな?」

 意知おきともがまとめるようにして玄通げんつうに尋ねた。

「ええ、如何いかにもその通りで…」

 玄通げんつう意知おきともの「まとめ」を首肯しゅこうした。
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