天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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「皆、かつては己と同じく西之丸にしのまるにておそれ多くも大納言だいなごん様に御側おそばしゅうとしてつかたてまつりし者たちばかりではあるまいか…、それが一体、何ゆえに…」

 小笠原おがさわら信喜のぶよしならばすぐにそうと察して、あやしむはずであった。

「さればそれをふせぎまするに、ここは大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみの二人をおしになられましては如何いかがでござりましょうや…」

 準松のりとしはそう提案したのであった。

「何でその二人なの?」

 益五郎ますごろうが横から口を出した。するとその問いには意知おきともが答えてくれた。

大久保おおくぼ志摩守しまのかみのみ、菊之間きくのま廣縁ひろべりにてめているのに対して、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみの二人は大番頭おおばんがしらなのだ…」

「それがなに?」

「されば大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみ大番頭おおばんがしら拝命はいめいしてからまだ日が浅く…、本堂ほんどう伊豆守いずのかみは今年の正月の15日に大番頭おおばんがしら拝命はいめいし、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみいたりてはつい先日せんじつと申しても良いだろう、先月の3月12日に大番頭おおばんがしら拝命はいめいしてまだ一月ひとつきってはおらず…」

「だから?」

「されば、二人共、いま大番頭おおばんがしらとしてまどうこともおおかろうが、良く勤めを果たしてもらいたい、とか、あるいは大番頭おおばんがしらとしての心得こころえを語って聞かせるとか…」

「ああ、その名分めいぶんで二人を…、大番頭おおばんがしらの二人を呼び寄せれば、小笠原おがさわらの野郎にもあやしまれずに済む、って寸法すんぽうだな?」

 益五郎ますごろう意知おきともにそう尋ねると、意知おきとも益五郎ますごろうからのその問いに答える前に、準松のりとしの方を見た。己の今の意見でちがいないか…、意知おきとも準松のりとしに対してそそぐその視線にはそのような意味合いがめられており、一方、準松のりとし意知おきともより向けられた視線からそうと察するや、その通りだと言わんばかりにうなずいてみせたので、それで意知おきとももやはり了解したと言わんばかりにうなずいてみせると、再び、益五郎ますごろうの方へと振り向き、「その通りだ」と答えたのであった。

「そう…、で、その大番頭おおばんがしらの二人は今、どこに?」

 益五郎ますごろうがそう尋ねると、流石さすがに皆、あきれた様子であった。益五郎ますごろうのその無知むちさに。

大番頭おおばんがしらなれば書院しょいん番頭ばんがしら小姓こしょうぐみ番頭ばんがしらと共に菊之間きくのまめておるわ…」

 意知おきとも益五郎ますごろうのその無知むちさにあきれつつも、そう教えてくれた。

「えっ…、菊之間きくのまってことは、大久保おおくぼ志摩守しまのかみめてるところじゃ…」

 益五郎ますごろうがそう言いかけると、直ちに「違うな」と意知おきともに否定されてしまった。

「えっ、でも菊之間きくのま…」

「されば大久保おおくぼ志摩守しまのかみめしは菊之間きくのま廣縁ひろべりにて、一方、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみめしは…、大番頭おおばんがしら書院しょいん番頭ばんがしら小姓こしょうぐみ番頭ばんがしらめしは菊之間きくのま本間ほんまにて…」

本間ほんま…」

 益五郎ますごろうがそうつぶやくや、

「されば本間ほんま菊之間きくのまの中心、それに比して廣縁ひろべりはさしずめ廊下ろうかのような場所…、左様さよう想起そうきしたであろう?」

 意知おきともにその胸のうちをピタリと言い当てられてしまい、益五郎ますごろう素直すなおにもうなずいてみせた。まったくもってその通りだからだ。

「されば共に、菊之間きくのまの中なのだ…」

「えっ?廣縁ひろべりも?」

左様さよう…、と申すよりは廣縁ひろべりこそが菊之間きくのまの中心、言わばなかにあり、一方、本間ほんまは…、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみといった大番頭おおばんがしら書院しょいん番頭ばんがしら小姓こしょうぐみ番頭ばんがしらめし本間ほんま菊之間きくのまの中でも北側…、雁之間がんのませっするところにあるのだ」

「ってことは本間ほんまは中心じゃなく、はしっこ…、北側のはしっこにあるってこと?」

 益五郎ますごろうのやはりそのあけすけな聞き方に意知おきともあきれはしたものの、しかしすで一々いちいちたしなめる気力きりょくもなかったので、「左様さよう」と益五郎ますごろうの言葉を認めるにとどめた。実際、その通りだからだ。

「ともあれ、菊之間きくのまにいるわけっすよね?その廣縁ひろべりめてる大久保おおくぼ志摩守しまのかみにしろ、本間ほんまめてる大番頭おおばんがしら大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみにしろ…」

 益五郎ますごろうは家治の方を向いて確かめるようにそう言った。

 それに対して家治は益五郎ますごろう真意しんいがいまひとつ理解できない様子であったが、それでもその通りであったのでうなずいた。

「なら、小笠原おがさわらの野郎に呼びに行かせたらどうっすか?」

 益五郎ますごろうのその提案に対して、さしもの家治も度肝どぎもを抜かれた様子であった。

「なに?小笠原おがさわら若狭わかさに呼びに行かせるだと?」

 家治は驚きのあまり、思わずそう聞き返した。

「ええ」

 首肯しゅこうする益五郎ますごろうに対して準松のりとしからは、「正気しょうきか?」と聞かれた。

正気しょうき正気しょうき、大正気しょうきよ…」

益五郎ますごろう、二人を…、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみの二人を呼び寄せる趣旨しゅしを理解していないわけではあるまい?」

 意知おきとも益五郎ますごろうさとすようにそう言った。

小笠原おがさわらの野郎が果たしてどんな動きをしたのか…、家基いえもと様が最期さいごたかり、それにしたがった野郎の人選をしたのが他ならぬ御側おそば御用ごよう取次とりつぎだった小笠原おがさわらの野郎と、それにあと二人…、佐野と、それに今はもう生きてねぇ水上みずかみって二人の御側おそば御用ごよう取次とりつぎ…、この三人の御側おそば御用ごよう取次とりつぎの間で話し合われて決めたことだろが、その話し合いの時に小笠原おがさわらの野郎がどんな動きをしたのか、そいつを聞き出すため、だろ?」

 益五郎ますごろうのその「決め付け」に対して、流石さすがに家治が「決め付けるな」と益五郎ますごろう訓戒くんかいを与えた。まだ、小笠原おがさわら信喜のぶよしが「あやしげな動き」をしたと決まったわけではないからだ。

 もっとも、家治とて内心では益五郎ますごろうと同様、小笠原おがさわら信喜のぶよしが「あやしげな動き」をしたに違いないと確信しており、益五郎ますごろうも家治の様子からそうと察すると、

「いや、でも仮に、仮に小笠原おがさわら信喜のぶよしあやしげな動きをしていたとしたら、だからこそですよ…」

 益五郎ますごろうはそう主張した。すると益五郎ますごろうの隣に座っていた意知おきともが、

「なに?」

 そう首をかしげてみせたので、益五郎ますごろう意知おきとものその声につられて、思わず意知おきともの方を見た。

 すると家治から、「くわしく申してみよ…」との言葉をかけられたので、益五郎ますごろうはそれで再び、家治の方を向いた。家治は興味深げな顔をしていた。

「仮に、ですがね…、いや、この際、めんどくせぇから、もうぶっちゃけますけど、小笠原おがさわらの野郎が一橋ひとつばしの野郎の意を受けて、家基いえもと様にとっての最期さいごたかり、そいつにしたがう野郎の人選をするに当たり、より確実に家基いえもと様を殺すべく、西之丸にしのまるからは一人のおくしたがわせねぇ…、人選の過程かていでそんな主張をしたとしたら、小笠原おがさわらの野郎は今でもそのことを後ろめたく感じてると思うんすよね…」

 益五郎ますごろうがそこでいったん言葉を区切ると、家治は「うむ」とうなずいてみせ、それを見て取った益五郎ますごろうは説明を再開した。

「そうであれば大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみをこの中奥なかおくへと呼び寄せようものなら、小笠原おがさわらの野郎、一体、何事だと、警戒すると思うんすよね…、何しろ大久保おおくぼ下野守しもつけのかみにしろ、本堂ほんどう伊豆守いずのかみにしろ、小笠原おがさわらの野郎と同じく御側おそばしゅう…、ヒラですけど…、ひら御側おそばとして家基いえもと様につかえていたわけですけど、それでも御側おそばしゅうとしてこの二人…、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみもやはりその場に…、家基いえもと様にとっての最期さいごたかりにしたがう野郎の人選の場に立ち会っていたわけでしょうから、その二人が今になってこの中奥なかおくに呼ばれようもんなら、やっぱ小笠原おがさわらの野郎は警戒けいかいすると思うんすよ。今になって、一体、何事なにごとだ、とね。例え、二人には大番頭おおばんがしらとしての共通点があって、で、大番頭おおばんがしらとしてまだ日が浅いようなので、それで大番頭おおばんがしらとしての心得こころえでしたっけ?そいつを説いてやる、ってな口実こうじつをもうけようともです…」

「うむ…」

「そこで、です。小笠原おがさわらの野郎に二人を…、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみの二人をここ中奥なかおくに…、将軍である自分のところに連れて来て欲しい、ってそう上様が頼まれれば、小笠原おがさわらの野郎にしても、よもや上様が二人に、家基いえもと様にとっての最期さいごたかり、そいつにしたがう野郎どもの人選じんせんについて…、そのくわしい一部始終について尋ねるために二人を呼び寄せるわけではないだろう、そのつもりならこの俺に頼むはずが…、二人を呼ぶよう頼むはずがないだろうって、そう油断ゆだんすると思うんすよね…」

成程なるほど…、裏をかくわけだの?」

「そうっす。無論、小笠原おがさわらの野郎に対しては、その大番頭おおばんがしらとしての心得こころえを説いてやりたい、ってなにせ口実こうじつでもって二人を…、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみの二人をここに連れて来て欲しい、ってそう頼んでもらう必要がありますけど…」

「それはそうであろうな。まさかに馬鹿ばか正直しょうじき家基いえもと最期さいごたかり、それにしたごうた士、その人選につきて尋ねたいゆえ…、などとは打ち明けられぬしのう…」

「そうっす」

「なれど…、仮にそうして小笠原おがさわら若狭守わかさのかみが二人を…、大久保おおくぼ下野守しもつけのかみ本堂ほんどう伊豆守いずのかみの二人をここに…、おそれ多くも上様が御前ごぜんに連れて参りしとしてもだ、小笠原おがさわら若狭守わかさのかみ是非ぜひともそれがしも大番頭おおばんがしらとしての心得こころえを聞きとう存じますなどと、左様さように申してすわりしば何とする?」

 準松のりとしがその不安を口にした。

「それなれそれでかまわねぇだろ」

 益五郎ますごろうは事も無げにそう答えて見せ、準松のりとしを驚かせた。

「何と…」

「だからさ、そん時にはもう開き直ったつもりで、一気に小笠原おがさわらの野郎を糾弾きゅうだんげちまえば良いだけのことよ…」

げる、だと?」

 準松のりとしは恐る恐るそう言った。

「ああ。手前てめぇ一橋ひとつばしの野郎にそそのかされて、そんで家基いえもと様が最期さいごたかりに、御膳ごぜん番を兼務けんむする、やっぱ一橋ひとつばしの野郎の息のかかった小納戸こなんど…、瀧川たきがわ久助きゅうすけ落合おちあい郷八ごうはちの口車に乗せられる格好で…、瀧川たきがわ久助きゅうすけ落合おちあい郷八ごうはち答申とうしん通り、西之丸にしのまるからはおくを差し向けるには及ばねぇ、ってそんな判断をして家基いえもと様を確実に殺すようけただろ、ってめ上げればいいだけの話っすよ」

 益五郎ますごろうのその主張は乱暴ではあったが、しかし、皆をうなずかせる説得力があったのも事実であった。

「その通りにいたそうぞ…」

 ついに家治はそう決断すると、ここ御休息之間ごきゅうそくのまへと小笠原おがさわら信喜のぶよしを呼ぶこととした。
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