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意知は表番医師の遊佐信庭が小野章以の共犯者だといよいよもって確信する。そして多紀元悳の「やんわり」とした脅し
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それにしても依田政次は一体、何ゆえに一橋治済と手を結ぶことにしたのか、その理由が意知には分からなかった。
尤も、どんなに考えたところで今、ここで結論は出まいと、意知は目の前に横たわる問題、さしずめ本題へと戻ることにした。
目の前に横たわる問題…、本題とは他でもない、家基の死の真相、もっと言えば殺害の真相である。
「ともあれ、元悳先生たちは西之丸の御側御用取次の小笠原殿や、それに野々山なる書院組頭に阻まれて、大納言様の療治を断念されたわけですね?」
意知は元悳確かめるように尋ねたわけだが、元悳からは予期せぬ返答があった。
「いえ、実はその後で我ら奥医…、本丸の奥医は打ち揃うて御膳番の御小納戸の大久保殿と吉川殿の許へと押しかけまして、畏れ多くも大納言様の療治に我ら本丸の奥医を召し加えて頂くことが無理なれば、せめて当代随一と申しても過言ではない寄合医の岡本玄治を大納言様の療治に加えて頂き度、この旨、上様にお取り次ぎをと…」
本丸の奥医師を差配する本丸にて小納戸として御膳番を兼務する大久保半五郎と吉川一學の二人にそう陳情し、大久保半五郎と吉川一學の二人はそれを受けて、二人にとっての直属の上司とも言うべき小納戸頭取衆に話を、元悳たち本丸奥医師のこの陳情を上げ、さらに小納戸頭取衆から彼らのやはり直属の上司、それも中奥の支配者とも言うべき御側御用取次にこの陳情を上げて、御側御用取次から上様こと将軍・家治へとこの陳情が伝えられたということらしかった。
「それで結果は?」
意知は単刀直入に尋ねた。
「されば畏れ多くも上様におかせられましては、我ら本丸奥医の願出を至当と認められ…」
「それで天の声が降り、岡本先生の療治入りが認められたと?」
意知がそう水を向けると、「そればかりではありません」との元悳からの返答があったので、
「と言うことは…、元悳先生たち、本丸の奥医師の療治入りも認められたと?」
意知はさらにそう水を向け、元悳を頷かせた。
「それで…、さしもの小笠原殿も岡本先生は元より、元悳先生たち本丸の奥医師が大納言様の療治に加わることを拒否できず、元悳先生たちの西之丸入りが…、即ち、大納言様への療治を認められたと…」
天の声、それも将軍・家治の「声」ともあらば、如何に小笠原信喜が家基の御側御用取次であろうとも、この将軍・家治の「声」を拒絶することは不可能であっただろう。
「尤も、2月24日の朝のことでござりましたが…」
元悳はそう自嘲気味に付け加えた。2月24日とは他でもない、家基の命日に当たり、家基はその日の巳の刻の半ば…、即ち昼の四つ半(午前11時頃)過ぎに薨去したのであり、つまり元悳たち本丸の奥医師に加えて岡本松山の家基治療チーム入りが認められたのは家基が死ぬほんの少し前ということになる。
元悳が自嘲気味に付け加えたのも頷けた。
「それでも…、大納言様が薨去されるまでの間、元悳先生たちは必死で大納言様の救命に当たられたわけでしょうから…」
意知はフォローするようにそう言った。
「ええ、それは勿論。なれど…」
元悳はそこで言葉を区切ると、その先を言い淀む様子を覗かせたので、「なれど、何です?」と意知がその先を促した。
すると元悳はまだ若干の躊躇を見せつつも、その先を続けた。
「なれど、遊佐先生の冷笑にあいながらの救命でござったが…」
「冷笑…」
元悳たち本丸奥医師に加えて、岡本松山が必死で家基を救おうと奮闘していた最中に、こともあろうに遊佐信庭が冷笑を浮かべていたとは、これで最早、遊佐信庭が家基殺害の共犯者…、家基殺害に使われたと思しき兇器とも言うべき毒キノコであるシロテングタケ、或いはドクツルタケを用意したに違いない小児医の小野章以の共犯者であることは疑いようのない事実だと、意知はそう確信した。
遊佐信庭にしても小野章以同様、一橋家と…、治済と何らかの関わりがあり、そこで治済の実子である豊千代を将軍にすべく、治済に手を貸したのではあるまいか。
即ち、次期将軍たる家基の殺害である。将軍・家治の嫡男である家基がいる限りは未来永劫、豊千代に将軍職が回ってくることはあり得なかった。
そこで治済は家基の殺害を決意、だが家基にただ一服盛るだけでは芸がないと、清水重好に疑いがかかるような細工を思いついたのだろう。
それこそが遅効性にして致死性のある毒を用いての殺害であった。すぐには毒の効果が現出しないのがポイントであった。
いや、理想としては家基があくまで病死として処理されることであり、重好に家基殺害の疑いがかかる細工が効力を発揮するのは家基は実は殺害されたものとバレた時のための、
「保険」
そのような意味合いであったのだろう。
ともあれ治済はかねてより付き合いがあったに違いない、小児医の小野章以に話を持ちかけたのではあるまいか。
即ち、遅効性にして致死性のある毒を作るか、見つけてこいと、治済は小野章以に対してそう持ちかけたのだろう。
それに対して小野章以は多額の報酬とひきかえにこれを受けたか、或いは治済の方から多額の報酬とのセットで話を持ちかけたか、ともあれ小野章以は治済より多額の報酬とひきかえに家基を殺害するための道具として使用されるその、遅効性にして致死性のある毒を見つけることにした。
だが小野章以一人の力では中々にそのようなある意味、
「都合の良い…」
毒を見つけることは出来ず、そこで小野章以は本草学に通じている田村善之を頼ったのであろう。
小野章以は善之に対して、
「小児の誤飲事故の防止…」
などと如何にも尤もらしい口実にて善之に対して教えを請うたに違いない。
それに対して善之も薄々、「ヤバイ」と知りつつ、それでも小野章以の頼みとあらば断り切れず、これに応ずる格好で、遅効性にして致死性のある毒として、シロタマゴテングタケとドクツルタケの存在を教えたのであろう。何しろ小野章以はこの躋寿館に毎年50両もの醵金…、資金援助を行っているのである。その出処は勿論、治済より受け取った、それも毎年保証されている「報酬」の一部であったが、しかし、金に「色」がついているわけではない。
その毎年50両もの醵金のお蔭でこの躋寿館が成り立っていると言っても過言ではないだろう。そしてその恩恵は善之も受けている筈であった。
それと言うのも善之は本草学を更に究めるべく、この躋寿館に講師の立場として通っていた。講師として医者の卵に本草学を授けつつ、己自身も更に本草学を究める…、そのためにはこの躋寿館に所蔵されているであろう本草学の「テキスト」は善之が本草学を究める上で、そして若い医者の卵に本草学を授けるためにも正に、
「必要不可欠」
と言えたが、その「テキスト」にしても、躋寿館が少なくない額でもって購入したものであり、そしてその購入原資は他ならぬ小野章以からの毎年50両にも上る醵金であった。
そうであれば善之としてもその小野章以からの頼み、それもただの質問とあらば、答えないわけにはゆかなかっただろう。
ともあれそうして遅効性にして致死性のある毒としてシロタマゴテングタケとドクツルタケの存在を知った小野章以は直ちにその存在を治済に対して告げたと思われる。それも主に、越前において自生していることも合わせて。
それに対して治済は、
「これは好都合…」
そう思ったに違いない。何しろ越前と言えば福井、そして福井藩主は治済の実兄の重富である。協力を求めるのにこれ程、好都合なことはないだろう。
治済は恐らく、重富に対して何もかも打ち明けた上で協力を求めたのではあるまいか。即ち、
「家基を殺す道具として毒キノコであるシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケ、それを兇器に用いようと思っている。幸い、その毒キノコは兄者が治めている越前において自生しているとのことなので、ついては領内にてシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを採らせては貰えまいか…」
治済は重富に対してそのように頼んだのではあるまいか。
それに対して重富も弟のためならばと、それに弟・治済の子である豊千代が将軍になれれば己も栄達が期待できると、そんな打算も働いたに違いない。
ともあれ重富は実弟の治済が望む通り、領内にて毒キノコであるシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケの収穫を許したのではあるまいか。
いや、もしかしたら重富の方でそれらを用意して治済に渡したのやも知れぬ。
ともあれそうして毒キノコを…、シロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを手に入れた治済はそれを今度は小野章以と同じく一橋家…、治済と縁がある表番医師の遊佐卜庵信庭へと渡してこれで実験を…、まずは将軍・家治の正室の倫子を被験者としての人体実験を命じたのではあるまいか…。
意知はそこまで考えて、はたと気付いた。それは、将軍、或いは次期将軍の食事について小納戸が毒見をするように、将軍の正室や、或いは息女の食事についても、
「毒見をする女中がいるのではあるまいか…」
意知はそのことに気付いたのであった。だとするならば、大奥にも治済の「共犯者」がいると考えるべきであった。そう考えないことには将軍正室の倫子や、或いはその息女の萬壽姫に毒入りの…、シロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを食べさせることは不可能だからだ。
「どうかされましたか?」
善之が意知の様子を案じて尋ねた。
「いえ…、御台様や、それに姫君様のお食事について…、果たして誰が毒見をするものかと、それを考えておりまして…」
意知がそう答えると、善之は、それにこの場にいる他の全ての者も意知の今の言葉の意味するところを察した。
「されば…、大奥の中にも一橋の息のかかった者がいるとお考えで?」
元悳がズバリ尋ねた。
「ええ」
「それでしたら…、毒見をせしは確か、中年寄ではなかったかと…」
元悳は流石に広敷…、大奥における病人の治療をも掌ってきたことがあるだけに詳しかった。
「中年寄…、ですか…」
意知が聞き返すと元悳は頷いた。
「それでその中年寄ですが…、御台様が薨去される前、それも直前の中年寄が誰であったかは…」
意知がさらにそう尋ねると、元悳は申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「そこまでは…」
そう応じて知らないことを示唆した。
それでも元悳は、「当時の御留守居様に訊けば、或いは分かるやも知れませぬ」と答えた上で、
「されば萬壽姫様が薨去される直前の、萬壽姫様附の中年寄が誰であったのかも…」
そう付け加えた。
「萬壽姫様附…、と言うことは御台様附の中年寄もいるというわけですか?」
意知は新たに浮かんだ疑問を元悳にぶつけて己の無知を晒した。
それに対して元悳はしかし、意知の無知を嗤うことなく丁寧に説明してくれた。
即ち、大奥においては将軍とその正室である御台所、この両者が存在する場合には将軍附の女中と御台所附の女中が存在し、つまりは将軍附の年寄、御台所附の年寄といった具合にそれぞれ女中が存在するというわけだ。
さてそこで中年寄だが、これは将軍附の女中にはない役職とのことであり、御台所附、あるいは将軍の姫君附の女中にのみ存在する役職とのことであった。将軍の姫君にしても御台所と同様、姫君附の女中が存在するとのことであり、つまり将軍・家治の正室の倫子やその息女の萬壽姫が生きていた頃には倫子附、萬壽姫附のそれぞれ女中が存在したわけだ。
そして倫子や萬壽姫が食するものについても当然、それぞれの中年寄が行うこととなる。
「されば大奥を監督せし御留守居様なれば覚えておいでかも…」
元悳はそう繰り返した。
「されば…、高井土佐守様か、或いは依田豊前守様に訊けば分かるやも知れぬ、と?」
意知が確かめるようにそう尋ねると、元悳は頷いた。
無論、一橋治済の共犯者である可能性が高い依田政次に訊くなど、さしずめ自殺行為であり、意知としてはもう一人の留守居である高井直熙にそのことも併せて訊くつもりであった。
最早、この躋寿館にて聞き込むべきことはとりあえず聞き込んだと、そう判断した意知は腰を上げた。
「もう、お帰りになられるので?」
元悳が意知を引き留めるようにそう声をかけてきた。
「ええ、訊きたいことはとりあえず訊き申したゆえ…、それに小野先生は本日もここへ…、この躋寿館に往診に参られるのでござろう?」
家基を死に追いやった毒キノコであるシロテングタケ、或いはドクツルタケを用意したと思しき小野章以と今、顔を合わせるのは如何にもまずい。
無論、小野章以の方は意知の顔を知らず、いや、意知とて小野章以の顔を知らず、それなら別段、鉢合わせしたところで問題はないだろうが、それでも出来ればそれは避けたいというのが意知の本音であり、それゆえ意知はまだ小野章以が来ないうちに腰を上げたのであった。
すると元悳にもそれが通じたらしく、「左様でござるか…」とそれ以上、意知を引き留めず、元悳はその上で、
「左様で…、いや、また何かありましたら遠慮なく…」
意知に対してそう厚意を示してくれた。尤も、それは純粋な親切心からでは決してなかった。
元悳は続けて、
「されば仮にでござるが…、小野先生が捕縛されるようなことに相成りますれば、何卒、ご公儀よりのご支援を賜り度…」
そう付け加えるのを忘れなかった。要はこれまでこの躋寿館に醵金…、資金援助をしてくれていた小野章以を捕まえるなら、これからは小野章以に代わって幕府の方で面倒を見て欲しい…、金を出してくれと、そういうことであった。
元悳はさらに、
「無論、小野先生には意知様の探索につきましては内聞にしておきますゆえ…」
やんわりとだが、しかし、しっかりと脅しをかけるのも忘れなかった。今、小野章以に探索のことが伝われば如何にもまずい。意知の急所とも言え、元悳にしてもそれが分かっていたからこそ、そのように脅しをかけてきたのだ。
そして今の意知には元悳の脅しをかわすだけの力はなく、
「されば父・意次とも良く相談の上…」
そう答えるのが精一杯であり、一方、元悳にしてもとりあえずはそれで満足することにした。これ以上、意知を追い詰めるような真似をすれば最悪、元も子もなくなる恐れがあると、本能的にそう悟ったからだ。老獪な元悳らしい判断と言えた。
尤も、どんなに考えたところで今、ここで結論は出まいと、意知は目の前に横たわる問題、さしずめ本題へと戻ることにした。
目の前に横たわる問題…、本題とは他でもない、家基の死の真相、もっと言えば殺害の真相である。
「ともあれ、元悳先生たちは西之丸の御側御用取次の小笠原殿や、それに野々山なる書院組頭に阻まれて、大納言様の療治を断念されたわけですね?」
意知は元悳確かめるように尋ねたわけだが、元悳からは予期せぬ返答があった。
「いえ、実はその後で我ら奥医…、本丸の奥医は打ち揃うて御膳番の御小納戸の大久保殿と吉川殿の許へと押しかけまして、畏れ多くも大納言様の療治に我ら本丸の奥医を召し加えて頂くことが無理なれば、せめて当代随一と申しても過言ではない寄合医の岡本玄治を大納言様の療治に加えて頂き度、この旨、上様にお取り次ぎをと…」
本丸の奥医師を差配する本丸にて小納戸として御膳番を兼務する大久保半五郎と吉川一學の二人にそう陳情し、大久保半五郎と吉川一學の二人はそれを受けて、二人にとっての直属の上司とも言うべき小納戸頭取衆に話を、元悳たち本丸奥医師のこの陳情を上げ、さらに小納戸頭取衆から彼らのやはり直属の上司、それも中奥の支配者とも言うべき御側御用取次にこの陳情を上げて、御側御用取次から上様こと将軍・家治へとこの陳情が伝えられたということらしかった。
「それで結果は?」
意知は単刀直入に尋ねた。
「されば畏れ多くも上様におかせられましては、我ら本丸奥医の願出を至当と認められ…」
「それで天の声が降り、岡本先生の療治入りが認められたと?」
意知がそう水を向けると、「そればかりではありません」との元悳からの返答があったので、
「と言うことは…、元悳先生たち、本丸の奥医師の療治入りも認められたと?」
意知はさらにそう水を向け、元悳を頷かせた。
「それで…、さしもの小笠原殿も岡本先生は元より、元悳先生たち本丸の奥医師が大納言様の療治に加わることを拒否できず、元悳先生たちの西之丸入りが…、即ち、大納言様への療治を認められたと…」
天の声、それも将軍・家治の「声」ともあらば、如何に小笠原信喜が家基の御側御用取次であろうとも、この将軍・家治の「声」を拒絶することは不可能であっただろう。
「尤も、2月24日の朝のことでござりましたが…」
元悳はそう自嘲気味に付け加えた。2月24日とは他でもない、家基の命日に当たり、家基はその日の巳の刻の半ば…、即ち昼の四つ半(午前11時頃)過ぎに薨去したのであり、つまり元悳たち本丸の奥医師に加えて岡本松山の家基治療チーム入りが認められたのは家基が死ぬほんの少し前ということになる。
元悳が自嘲気味に付け加えたのも頷けた。
「それでも…、大納言様が薨去されるまでの間、元悳先生たちは必死で大納言様の救命に当たられたわけでしょうから…」
意知はフォローするようにそう言った。
「ええ、それは勿論。なれど…」
元悳はそこで言葉を区切ると、その先を言い淀む様子を覗かせたので、「なれど、何です?」と意知がその先を促した。
すると元悳はまだ若干の躊躇を見せつつも、その先を続けた。
「なれど、遊佐先生の冷笑にあいながらの救命でござったが…」
「冷笑…」
元悳たち本丸奥医師に加えて、岡本松山が必死で家基を救おうと奮闘していた最中に、こともあろうに遊佐信庭が冷笑を浮かべていたとは、これで最早、遊佐信庭が家基殺害の共犯者…、家基殺害に使われたと思しき兇器とも言うべき毒キノコであるシロテングタケ、或いはドクツルタケを用意したに違いない小児医の小野章以の共犯者であることは疑いようのない事実だと、意知はそう確信した。
遊佐信庭にしても小野章以同様、一橋家と…、治済と何らかの関わりがあり、そこで治済の実子である豊千代を将軍にすべく、治済に手を貸したのではあるまいか。
即ち、次期将軍たる家基の殺害である。将軍・家治の嫡男である家基がいる限りは未来永劫、豊千代に将軍職が回ってくることはあり得なかった。
そこで治済は家基の殺害を決意、だが家基にただ一服盛るだけでは芸がないと、清水重好に疑いがかかるような細工を思いついたのだろう。
それこそが遅効性にして致死性のある毒を用いての殺害であった。すぐには毒の効果が現出しないのがポイントであった。
いや、理想としては家基があくまで病死として処理されることであり、重好に家基殺害の疑いがかかる細工が効力を発揮するのは家基は実は殺害されたものとバレた時のための、
「保険」
そのような意味合いであったのだろう。
ともあれ治済はかねてより付き合いがあったに違いない、小児医の小野章以に話を持ちかけたのではあるまいか。
即ち、遅効性にして致死性のある毒を作るか、見つけてこいと、治済は小野章以に対してそう持ちかけたのだろう。
それに対して小野章以は多額の報酬とひきかえにこれを受けたか、或いは治済の方から多額の報酬とのセットで話を持ちかけたか、ともあれ小野章以は治済より多額の報酬とひきかえに家基を殺害するための道具として使用されるその、遅効性にして致死性のある毒を見つけることにした。
だが小野章以一人の力では中々にそのようなある意味、
「都合の良い…」
毒を見つけることは出来ず、そこで小野章以は本草学に通じている田村善之を頼ったのであろう。
小野章以は善之に対して、
「小児の誤飲事故の防止…」
などと如何にも尤もらしい口実にて善之に対して教えを請うたに違いない。
それに対して善之も薄々、「ヤバイ」と知りつつ、それでも小野章以の頼みとあらば断り切れず、これに応ずる格好で、遅効性にして致死性のある毒として、シロタマゴテングタケとドクツルタケの存在を教えたのであろう。何しろ小野章以はこの躋寿館に毎年50両もの醵金…、資金援助を行っているのである。その出処は勿論、治済より受け取った、それも毎年保証されている「報酬」の一部であったが、しかし、金に「色」がついているわけではない。
その毎年50両もの醵金のお蔭でこの躋寿館が成り立っていると言っても過言ではないだろう。そしてその恩恵は善之も受けている筈であった。
それと言うのも善之は本草学を更に究めるべく、この躋寿館に講師の立場として通っていた。講師として医者の卵に本草学を授けつつ、己自身も更に本草学を究める…、そのためにはこの躋寿館に所蔵されているであろう本草学の「テキスト」は善之が本草学を究める上で、そして若い医者の卵に本草学を授けるためにも正に、
「必要不可欠」
と言えたが、その「テキスト」にしても、躋寿館が少なくない額でもって購入したものであり、そしてその購入原資は他ならぬ小野章以からの毎年50両にも上る醵金であった。
そうであれば善之としてもその小野章以からの頼み、それもただの質問とあらば、答えないわけにはゆかなかっただろう。
ともあれそうして遅効性にして致死性のある毒としてシロタマゴテングタケとドクツルタケの存在を知った小野章以は直ちにその存在を治済に対して告げたと思われる。それも主に、越前において自生していることも合わせて。
それに対して治済は、
「これは好都合…」
そう思ったに違いない。何しろ越前と言えば福井、そして福井藩主は治済の実兄の重富である。協力を求めるのにこれ程、好都合なことはないだろう。
治済は恐らく、重富に対して何もかも打ち明けた上で協力を求めたのではあるまいか。即ち、
「家基を殺す道具として毒キノコであるシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケ、それを兇器に用いようと思っている。幸い、その毒キノコは兄者が治めている越前において自生しているとのことなので、ついては領内にてシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを採らせては貰えまいか…」
治済は重富に対してそのように頼んだのではあるまいか。
それに対して重富も弟のためならばと、それに弟・治済の子である豊千代が将軍になれれば己も栄達が期待できると、そんな打算も働いたに違いない。
ともあれ重富は実弟の治済が望む通り、領内にて毒キノコであるシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケの収穫を許したのではあるまいか。
いや、もしかしたら重富の方でそれらを用意して治済に渡したのやも知れぬ。
ともあれそうして毒キノコを…、シロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを手に入れた治済はそれを今度は小野章以と同じく一橋家…、治済と縁がある表番医師の遊佐卜庵信庭へと渡してこれで実験を…、まずは将軍・家治の正室の倫子を被験者としての人体実験を命じたのではあるまいか…。
意知はそこまで考えて、はたと気付いた。それは、将軍、或いは次期将軍の食事について小納戸が毒見をするように、将軍の正室や、或いは息女の食事についても、
「毒見をする女中がいるのではあるまいか…」
意知はそのことに気付いたのであった。だとするならば、大奥にも治済の「共犯者」がいると考えるべきであった。そう考えないことには将軍正室の倫子や、或いはその息女の萬壽姫に毒入りの…、シロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを食べさせることは不可能だからだ。
「どうかされましたか?」
善之が意知の様子を案じて尋ねた。
「いえ…、御台様や、それに姫君様のお食事について…、果たして誰が毒見をするものかと、それを考えておりまして…」
意知がそう答えると、善之は、それにこの場にいる他の全ての者も意知の今の言葉の意味するところを察した。
「されば…、大奥の中にも一橋の息のかかった者がいるとお考えで?」
元悳がズバリ尋ねた。
「ええ」
「それでしたら…、毒見をせしは確か、中年寄ではなかったかと…」
元悳は流石に広敷…、大奥における病人の治療をも掌ってきたことがあるだけに詳しかった。
「中年寄…、ですか…」
意知が聞き返すと元悳は頷いた。
「それでその中年寄ですが…、御台様が薨去される前、それも直前の中年寄が誰であったかは…」
意知がさらにそう尋ねると、元悳は申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「そこまでは…」
そう応じて知らないことを示唆した。
それでも元悳は、「当時の御留守居様に訊けば、或いは分かるやも知れませぬ」と答えた上で、
「されば萬壽姫様が薨去される直前の、萬壽姫様附の中年寄が誰であったのかも…」
そう付け加えた。
「萬壽姫様附…、と言うことは御台様附の中年寄もいるというわけですか?」
意知は新たに浮かんだ疑問を元悳にぶつけて己の無知を晒した。
それに対して元悳はしかし、意知の無知を嗤うことなく丁寧に説明してくれた。
即ち、大奥においては将軍とその正室である御台所、この両者が存在する場合には将軍附の女中と御台所附の女中が存在し、つまりは将軍附の年寄、御台所附の年寄といった具合にそれぞれ女中が存在するというわけだ。
さてそこで中年寄だが、これは将軍附の女中にはない役職とのことであり、御台所附、あるいは将軍の姫君附の女中にのみ存在する役職とのことであった。将軍の姫君にしても御台所と同様、姫君附の女中が存在するとのことであり、つまり将軍・家治の正室の倫子やその息女の萬壽姫が生きていた頃には倫子附、萬壽姫附のそれぞれ女中が存在したわけだ。
そして倫子や萬壽姫が食するものについても当然、それぞれの中年寄が行うこととなる。
「されば大奥を監督せし御留守居様なれば覚えておいでかも…」
元悳はそう繰り返した。
「されば…、高井土佐守様か、或いは依田豊前守様に訊けば分かるやも知れぬ、と?」
意知が確かめるようにそう尋ねると、元悳は頷いた。
無論、一橋治済の共犯者である可能性が高い依田政次に訊くなど、さしずめ自殺行為であり、意知としてはもう一人の留守居である高井直熙にそのことも併せて訊くつもりであった。
最早、この躋寿館にて聞き込むべきことはとりあえず聞き込んだと、そう判断した意知は腰を上げた。
「もう、お帰りになられるので?」
元悳が意知を引き留めるようにそう声をかけてきた。
「ええ、訊きたいことはとりあえず訊き申したゆえ…、それに小野先生は本日もここへ…、この躋寿館に往診に参られるのでござろう?」
家基を死に追いやった毒キノコであるシロテングタケ、或いはドクツルタケを用意したと思しき小野章以と今、顔を合わせるのは如何にもまずい。
無論、小野章以の方は意知の顔を知らず、いや、意知とて小野章以の顔を知らず、それなら別段、鉢合わせしたところで問題はないだろうが、それでも出来ればそれは避けたいというのが意知の本音であり、それゆえ意知はまだ小野章以が来ないうちに腰を上げたのであった。
すると元悳にもそれが通じたらしく、「左様でござるか…」とそれ以上、意知を引き留めず、元悳はその上で、
「左様で…、いや、また何かありましたら遠慮なく…」
意知に対してそう厚意を示してくれた。尤も、それは純粋な親切心からでは決してなかった。
元悳は続けて、
「されば仮にでござるが…、小野先生が捕縛されるようなことに相成りますれば、何卒、ご公儀よりのご支援を賜り度…」
そう付け加えるのを忘れなかった。要はこれまでこの躋寿館に醵金…、資金援助をしてくれていた小野章以を捕まえるなら、これからは小野章以に代わって幕府の方で面倒を見て欲しい…、金を出してくれと、そういうことであった。
元悳はさらに、
「無論、小野先生には意知様の探索につきましては内聞にしておきますゆえ…」
やんわりとだが、しかし、しっかりと脅しをかけるのも忘れなかった。今、小野章以に探索のことが伝われば如何にもまずい。意知の急所とも言え、元悳にしてもそれが分かっていたからこそ、そのように脅しをかけてきたのだ。
そして今の意知には元悳の脅しをかわすだけの力はなく、
「されば父・意次とも良く相談の上…」
そう答えるのが精一杯であり、一方、元悳にしてもとりあえずはそれで満足することにした。これ以上、意知を追い詰めるような真似をすれば最悪、元も子もなくなる恐れがあると、本能的にそう悟ったからだ。老獪な元悳らしい判断と言えた。
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秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
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39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
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仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
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